第17話 新世界

 留美のかよう湘南なぎさ高校は、高台にあった。それなので、四階建ての校舎の上の方からは、少しだけ湘南の海が眺められた。江ノ島も意外に近くに見える。

「そうだ、今度、ミケを海に連れて行こう。ミケ島の海とは違って、人が多いけど気に入ってくれるんじゃないかなあ」

 海を遠くに眺めながら、これは名案だと思った。


 早速、次の日曜日の朝早く、ミケの所へ行ってみた。ちゃんといつもの所にいる。

「ミケ、おはよう。今日は海に連れて行ってあげようと思って来たんだ。ほら、だから自転車だよ。ううん、自転車は、あのミケランドのジェットコースターなんかと違って、普通に移動するだけだから怖くないよ」

 ミケはまだミケランドの恐怖を覚えていて、留美を警戒していた。でも、ここに長くいるが、確かに海には行った事がない。というか、ミケは海があるかどうかさえ知らない。

「ミャオン!」

「そう、いいのね。良かった。じゃあ、前のかごに乗って。走っている間に飛び出しちゃ駄目だよ」

 そう言うと、ミケを抱えて前のかごに入れた。綺麗に収まって、まずは心地良さそうだ。かごから頭だけを出して前を見ている。

「さあ、行くよ。海まで30分くらいかなあ。ちょっと我慢してね」

 ゆっくりと自転車を漕ぎ出した。近くにある川沿いの自転車道が便利だ。車も危なくない。

「ちょっと寒いけど、気持ちいいでしょ。ミケは毛皮を着ているから大丈夫よね」

 川沿いの道はゆったりと右へ左へと曲がって行く。最後に大きな通りに出た。これを超えれば海だ。

「もう少しよ」

 信号を待って、道路を渡ると松林の中に入って行く。程なく抜けると、そこにはもう砂浜が広がっていた。

「ほら、ミケ、いいでしょ。広々として」

「ミャワン!」

 久しぶりに猫とも犬ともつかない鳴き声を発して、ミケも気分が良さそうだ。するとミケが何か見つけた。

「ミャオ?」

「あっ、あれ? あれは、皆んなサーファーだよ。いっぱいいるね。私はサーフィンやらないけどね」

 見れば、波間にサーファーが沢山いる。ボードに腹ばいになり、波に合わせてゆっくり上下している。大きな波が来るのを待っているようだ。それにしても、沢山のサーファーだ。左右の人と、くっつきそうなくらい混んでいる。もう寒い季節なので海水浴客はいないが、サーファー達は元気だ。今日は日曜日なので、とりわけ多い。黒いウェットスーツの帯が見渡す限り、何キロも続いている。いったい何百人いるんだろう。もしかすると何千人かもしれない。

 海岸沿いの遊歩道やベンチには、ウェットスーツのまま日向ぼっこしている人たちがいる。土手の上のミケみたいだ。見れば、必ずしも若者ばかりではない。おじさん、いや、中にはと言えるくらい年配の人もいる。若い頃は地元一のサーファーとして鳴らしたのだろうか。忙しいを終え、定年後に海の近いこの辺に引っ越して来たのかな、なんて想像してしまう。サーファー以外にも、若者のグループや、恋人達が遊歩道や砂浜を行き交っている。海水浴シーズンとはまた違う、なんだかいい光景だ。

 ミケを乗せた自転車は、そんな人たちの間を縫うようにゆっくりと進んで行った。もう江ノ島も近い。長い海岸線の途中で自転車を止めると、海に目をやった。

「ミケ、どう? なかなかいいよね。こうして沢山の人がのんびりと海を楽しんでいる風景も」

「ニャーオーン」

「でしょ。来て良かったね。もうすぐ江ノ島だけど、人が多いから江ノ島には行かないよ。ちょっと砂浜に降りてみようか」

 都会の喧騒を行き交う人々とは違って、皆んな、ゆったりとしている。早足でパタパタと行過ぎる人もいない。人は多いが、広く遠く続く大海原の光景も相まって、心休まる情景を作り出していた。


 一人と一匹は砂浜に並んで座った。

「ミケ島以来だね、こうして一緒に海辺に座るのは」

「ニー」

 ミケはミケ島というと、あの、が蘇ってきて、複雑な気持ちだった。

「ミケ、この広い海の向こうはどうなっているか知っている?」

「ニー」

「知らないよね。何千キロも先に、おっきな大陸があるんだよ。アメリカ大陸って言うんだ。私は行った事ないけど。飛行機で10時間くらいかなあ」

 ミケは珍しく留美の話しに興味を持ったようだ。何か思いを寄せるように、水平線の彼方をじっと見ている。そして、キッと留美の方を見ると、大きな声で訴えるように鳴いた。

「ニャニャニャニャニャー!」

「えっ? 行くって? 水平線の向こうに行きたいって?」


 ◇ ◇ ◇


 ザッブーン!

 舳先へさきが波頭を切り裂き大きく上下する。帆船にはミケ、ブチ、トラ、そして留美が乗り込んでいた。船長はミケだ。ブチは航海士、トラは機関士。といってもエンジンは搭載していないから、トラは帆などを操作する役割だ。留美はというと「雑用係」だった。というのは余り面白くなかったが、どうせ一人と三匹しか乗っていない船だから、結局は誰もが、何でもやらなければならなかった。

 湘南の沿岸を離れるにつれ、海のうねりはどんどん大きくなって行った。全員、外海の航海は初めてだ。江ノ島が見えなくなり、やがて富士山も見えなくなった。360度、見渡す限り海だ。不安がよぎる。これから長い長い航海が続くのだ。どれだけ長い旅になるか分からなかったので、食料は積めるだけ積んだ。船蔵ふなぐらは食料でいっぱいだ。


 村人達に見送られて出帆しゅっぱんし、こうして大海原に乗り出したものの、この先、どうなっているのか誰も知らない。それを確かめるための冒険なのだ。留美も海の彼方の事は、言い伝えでしか聞いていなかった。神様が住む国があるという。村一番の物知りという寺子屋の先生に聞いても、分からないというばかりだった。漁師にも聞いたが、ずっと海が続いているだけだという。その先もその先も海だろう、と言う。

 それでは確かめてみようという事になり、珍しく乗り気のミケを船長に、そして無理やり参加させたブチとトラを引き連れて、未知の世界へ旅立った。

「この先には陸地があるのだろうか。ずっと海だろうか。それとも大きな壁があって、進めなくなってしまうのだろうか。あるいは本当に神様がいるのだろうか」


 インテリなブチは持ち込んだバイオリンで「新世界から」を奏でていた。留美は、船に心地よく揺られながら、本当に陸地が見つかれば素晴らしい、それこそ新世界だ、などとぼんやり考えていた。すると、薄っすら開いた目に、怪しい雲が見えてきた。

「船長、前方に黒い雲が迫っています。嵐じゃないでしょうか」

 留美はミケに注意を促した。しかし、非力な帆船は嵐を回避するにも限界がある。やがて風雨は強まり、船は嵐に突っ込んだ。

「ミャー」

 トラが帆を降ろそうと奮闘している。ブチは横波を喰らわないように、必死で舵を操作していた。波が頭上を覆いかぶさるように容赦なく落ちてくる。

「皆んな、海に流されないように気をつけて!」

 留美は自分も舷側の手摺につかまりながら声を張り上げて叫んだ。


 どれだけの時間が経っただろうか。あれほど吹き荒れていた風は止み、雲間からは太陽が顔を覗かせた。

「ミャミャミャー」

 船長が点呼を掛けると、順番に返事が返ってきた。

「ミャオ!」

「ニャン!」

「はい!」

 どうやら全員無事なようだ。嵐のおかげで船はあちこち傷んだが、水は確保できた。当分雨が降らなくても大丈夫だ。

 その後も、何度嵐にあっただろうか。どれだけ日照りが続いただろうか。行く先にはただただ水平線が見えるばかりだった。

 そんな時、

「ミャーオ、ミャー」

 と鳴き声がした。

「あれ、なんか変な鳴き声だなあ。ミケかなあ。違うなあ。トラともブチとも違うなあ。もしかして、別の猫が密航しているのだろうか」

 留美がそう思っていると、またもや鳴き声がした。今度は頭上から聞こえてきた。思わずマストの上を見上げると、白い大きな鳥が留まっているではないか。

「あっ、カモメだ! ウミネコかも。そっか、陸地が近いんだ!」

 留美は興奮して大声を上げた。

「ミケ! 鳥がいるよ、陸地が近いかも!」

 しかし、皆、自信が無かった。海を渡ってきたのは確かだが、本当に思った方向に進んできたか、定かではないのだ。実のところ、航海士のブチも良く分からなかった。もしかすると、ぐるっと回って、元の村に帰ってきちゃったのかもしれない。もしそうだったら、盛大に見送ってくれた村人達に、どうやって言い訳しよう。

「ミー!」

 マストに登っていたトラが叫んだ。どうやら陸地が見えたようだ。

 留美は急いで舳先に行き、目を凝らした。水平線に沿って、ぼんやりと何かが見える。陸地だろうか。

 それは段々とくっきりしてきた。

「陸地だ!」

 留美にもはっきりと分かるようになった。確かに陸地だ。どうやら長い砂浜が続いているようだ。絶壁ではなくて助かった。

 いかりを降ろすと、はしけを出した。艀には全員が乗り込んだ。ブチとトラが一生懸命オールを漕ぐ。海岸は段々と近づいてきた。


「ミャウ? ミンミー!」

 ミケが何かに気付いて、ブチとトラに漕ぐのをやめるように指示した。見れば、海辺にずらっとが並んでいるではないか。まるで、ミケ達を上陸させまいと立ちはだかっているようだ。

「あら、ここの猫達かしら」

 横一列に並んだ猫達の真ん中の一匹が頭に立派な羽飾りを付けている。

「あれが、ボス猫かも」

 ミケ達は突然眼前に現れた多くの猫達に戸惑っていた。これでは上陸できない。話し合うべきか、或いは力ずくで上陸すべきか。

 実は、帆船には「またたび砲」が搭載されていた。これを打ち込めば、海辺の猫達は瞬く間にゴロゴロと喉を鳴らして寝そべってしまうだろう。その間に上陸すればいい。しかし、武力は最後まで使いたくなかった。ミケは親分とおぼしき羽飾りの猫と話し合いをする事にし、ゆっくりと岸に近づいていった。ミケとボス猫の話し合いが始まった。

「ミャオー」

「ミミニャウン」

「ニーニャー!」

「ニュウンミャー!」

「ニョニョニョー!!」

 段々と激しくなる言い合いに留美は付いていけなくなってきた。もっとゆっくり話してほしい。それでも、何となく話していることは分かった。

 ミケはどうやらこの「新世界」に縄張りが欲しいようだ。それはそうだろう、苦労の末、やっとたどり着いた新大陸だ。ブチやトラの手前、船長としての責任も感じているのかもしれない。手ぶらで帰る訳にはいかない。一方、ボス猫の方は、そんなミケのものの言い方に怒っていた。曰く、ここは新世界でもなんでもない。俺達が元々住んでいる所であり、当然俺達の縄張りだ。勝手にやってきて、この土地を蹂躙するなんぞ、許せるはずはない。

 こうして話しは平行線を辿り、らちが明かなかった。ボス猫はまだ喚いている。ミケ達が上陸して、どんどん東の土地を開拓して行くかもしれないと恐れていた。その開拓史を将来「東部劇」と銘打って映画にでもするんだろう、と勘ぐっている。このボス猫の言うことはなんとなく分かるが、考え過ぎではないだろうか。


 ミケはとうとう痺れを切らし、またたび砲を使うことを決心した。ブチとトラに、船に戻るように指示した。留美は戦いが始まるのではないかと、気が気ではなかった。

 その時、ボス猫がひと際高く鳴いた。

「ニャニャニャオーーン!」

 ボス猫は、ミケに艀で、南にある岬を回ってみろと言っていた。見れば、猫達の並んだ海辺のすぐ南側に、高く聳え、海に突き出た岬が見える。あの岬の向こうに何があるというんだろう。

 ミケは少し考えると、ブチとトラに、岬の方に行くように指示した。艀はゆるゆると、凪で鏡のようになった水面を進んでいった。岬の頭を少し回ったところで、は見えてきた。

 一同、声も出なかった。ミケ達の帆船の何倍もある大きな船がずらりと並んでいるのだ。しかも、数え切れないくらいの巨大な「またたび砲」を備えている。これに比べればミケ達のまたた砲などは豆鉄砲だ。

 ミケは眼前に居並び、壁のように立ちはだかる大型船の列に圧倒され、呆然としていた。

「ミケ、ここは喧嘩売らないほうがいいね。さっさと退散しましょ」

 留美は帰りの食料が心配だったが、戦っても勝ち目はない。

 ブチもトラもがっかりしている。急にやる気をがれた格好だ。

 ミケ達は、再び艀でボス猫の所まで戻ってきた。このまま引き返すことを伝えようとしたのだ。

「ニャンニャンニー」

 ボス猫は艀に向かって、鳴いた。怒っている様子はない。留美はボス猫の言っている事に驚いた。

「えっ、私達を招待してくれるの? しばらく滞在していけって?」

 ミケはもうボス猫に対する戦意はすっかりせていたので、この申し出を喜んで受け入れた。

 ミケ達は歓待を受けた。船上では保存食ばかりだったが、新鮮な食べ物で盛大にもてなされた。元々猫用なので、留美には微妙だったが、それなりにおいしくいただいた。

 ボス猫の部下が、ミケ達を案内してくれた。陸地はどこまでも続いていた。まさに大陸だ。確かにこれは歴史的な大発見だった。大海原の向こうにこんな世界があるなんて、早く村人達にも伝えたい。

 そして、帰投する日がやってきた。ミケ達は丁寧にお礼を言い、ボス猫達に感謝した。航海のために大量の食料が提供され、船蔵は再びいっぱいになった。帰りの食料は心配しなくていい。

 再びボス猫達は海辺に横一列に並んだ。ミケ達を見送るのだ。ボス猫は、動き出した艀に向かって大きな声で鳴いた。

「ニャワン、ニャワン、ニャー」

 ボス猫もミケの真似をしてか、猫だか犬だかつかない鳴き声を発していた。しかし、ミケも留美もその言葉に重みを感じていた。ボス猫曰く、我々は強大な武力を有するが、これにものを言わせて、他の者、例えばミケ達の土地を攻めたりはしない。お互いに平和でいよう。だから、「新世界」や「新大陸」なんて呼び方はやめて欲しい。ましてや「新発見」なんかでは無い。では、達者で。

「ニャオーーーン」

 ミケも最大限の感謝を込めて、別れの挨拶をした。艀は静かな海を渡っていき、帆船に取り付いた。艀を収納し、碇を上げると、船はゆっくりと西に向かって、また長い長い航海に入った。

 ブチはまたバイオリンを取り出したが、「新世界から」は決して演奏しなかった。


 ◇ ◇ ◇


「むにゃむにゃ、ぷー」

 留美は居眠りをしていた。歴史の先生は黒板消しをわざと大きな音で机にたたき付けた。怖い先生だ。

「はっ」

 目を覚まして顔を上げると、そこには先生が立っていた。

「留美さん、おはよう。さ、今教えたところをもう一度言ってみなさい」

「えっ?」

 話しについていけなくて、キョロキョロした。目に入った黒板には、コロンブスの事が書かれていた。

「あっ、あっ、えーと、コロンブスが1492年に新大陸を発見して・・・・・・」

 先生はニコニコして留美の慌てぶりを見ている。他の生徒達もクスクス笑っていた。

 留美はそう言っていて、急に自分の言っている事がなんだか変な風に思えてきた。コロンブスが成し遂げた航海は偉大だが、それは「新大陸」ではない。そこには日本やヨーロッパと同じく先住民がいて、普通に暮らしていた。

「先生、訂正します。コロンブスは『新大陸』を発見した訳ではありません。たまたまそこに辿り付いただけです。『新大陸』とか『新世界』なんて言っていると、『またたび砲』でやられちゃいますよ」

 先生も他の生徒達も一斉に留美を見た。要領を得ていないようだ。

「留美さん、大丈夫ですか。保健室で休んでいてもいいですよ」

 留美は自分でも何を言っているのか良く分からなくなっていたが、少し落ち着きを取り戻してきた。

「いえ、大丈夫です。長い航海の後で、ちょっと疲れていただけです」

 先生はもう一度留美の顔を覗き込むと、授業に戻った。

「はい、コロンブスの新大陸の発見まで説明しましたね。ちなみにこれをモチーフにした、ドヴォルザークの『新世界から』という交響曲は有名です」

 歴史の授業は続き、新大陸の西部開拓の話しになっていた。

「ところで皆さん、西部劇は好きですか。先生は、ちょっと古いですがジョンウェイン主演の西部劇が好きで好きで。馬に乗って銃を振りかざし、原住民を蹴散らすんですよね、あー、格好いい!」

 留美は教室の窓の外を眺めていた。住宅街の隙間から少しだけ水平線が見える。

「あの向こうには猫達がいるんだよね、あのボス猫元気かしら・・・・・・」

 海は日差しを受けて、時折キラッと輝いていた。



























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