第16話 遊園地

 一人ひとりと一匹は、波打ち際に座っていた。頭上は満天の星空だ。明るい天の川が夜空を斜めに横切っている。星の明かりが反射して、さざなみがきらめいていた。黒い波は足元近くまで、小さな波音を立てながら寄せては引いている。

「いいわね、ミケ、こうしてゆったりするのも。最初に『ミケ島』に来た時はどうしていいか分からなかったけど、二回目だから気持ちも落ちついて、島を楽しめそう。と、いっても何にもないけど」

「ミャウー」

 ミケも静かな渚の一時ひとときを楽しんでいるようだった。その時、夜空を絵筆ですっとなぞった様に明るく太い線が現れて直ぐに消えた。

「あっ、流れ星だ。ミケ、見た? すぐ消えちゃうから願い事する暇なんかないね」

 ミケは眠くなってきたのか、返事もしない。

「ここは本当にのんびりしているわね。食べて寝るだけ。ミケはいつもと変わらないと思うけど。でもこうしていると、風も心地いいわ。ずっとこうしていたい気がする。だって、家や学校にいると、やる事がいっぱいあって、やりたい事もいっぱいあって、でも、時間が無くて、時間に追われて」

 家や学校の事を思い出しただけで、ミケ島の心地よさを乱されたようで、損をした気分になった。

「うーん、そうそう、明日は食料を探しにいかなくっちゃ。前にヘリコプターが運んできた青いコンテナがそのままあるといいんだけど」

 そう言うと、留美もだんだんと眠たくなってきた。星空に包まれて、ミケを抱きながら、いつしか眠ってしまった。


 翌朝はいい天気だった。お日様が眩しい。海は相変わらず穏やかで、静かに波打っている。

「ミケ、起きて! 広場に行くわよ」

 そう言って、島の中央にある広場に向かった。食料のコンテナのあった場所だ。ミケはまだ眠たそうにとぼとぼと後を付いて行く。

 広場が近づくにつれ、何だか様子が違うことに気付いた。色々な建物が建っている。大きなレールのようなものが高くうねっている施設もあった。

「あれっ、これ遊園地じゃない? 前はなーんにも無かったのにね」

 とりあえずコンテナを探した。あった。ジェットコースターやお化け屋敷に囲まれて、ぽつんと広場の真ん中に鎮座していた。

「あー、良かった。これで食べ物は確保ね。泉もちゃんとあるようだし、はーっ、ひと安心」

 改めて見回すと、こじんまりとした遊園地だった。メリーゴーランドや観覧車もある。いつか母親に聞いた、ヨーロッパの移動式の遊園地はこんなんなのかもしれないと思った。母親は少しだけヨーロッパに留学していた事があり、時折、その時の話しをしてくれる。

「ミケ、何だか古めかしそうな遊園地だけど、楽しそうよ。今日はここで遊ぼうか」

 ミケは、遊園地なんて初めてだった。、なんて言われても何をどうするか分からない。遊びといえば、小さいころ、他の子猫達とじゃれあったくらいで、それ以来、遊びなんてしていない。必要ないからだ。そもそも「遊ぶ」という単語がミケの辞書にあるかどうかも疑わしい。動物の世界は常に命がけで暮らしている。そこには「遊び」などというものは入り込めない。留美も「サバイバル世界」で身を持って体験してきた事だ。

「ミケ、さあ、今日はうんと楽しもうね。まずは遊園地のハイライト、ジェットコースターからだぞー!」

 ジェットコースターの入り口には、生きた人ともロボットともつかぬ、アリスの不思議の国に出てきそうな奇妙な格好の係員がいた。バケツを帽子にして、手にはモップを持っている。体は細く、案山子かかしのようだ。

「ようこそミケランドへ! ジェットコースターへはこちらの階段からどうぞ。ミケさんもどうぞ」

 係員は何故かミケの名前を知っていた。それに、この遊園地を「ミケランド」と呼んでいた。見れば、自分の名前が付けられたことに、ミケは少し鼻が高そうな様子だ。この後の恐怖も知らずに・・・・・・

「さあ、ミケ、行こ!」

「ミャー!」

 ミケは威勢よく応えて、留美の後ろを登っていった。もちろん、ジェットコースターが何なのかは知らない。

 これまた変てこな格好をした係員が座席に案内し、シートベルトを付けるのを手伝ってくれた。ミケには合わないので、留美は持っていたスカーフで適当に座席に縛り付けた。係員はニコニコして、手でOKの合図をしている。普通なら、ミケは身長が足りなくて、ジェットコースターには乗れないだろうし、こんないいかげんなシートベルトの代用では危なくて乗車できないだろう。しかし、ここはミケランド。何もかもおおらかだ。

 父親から聞いた話だが、父親の父親、つまりお祖父さんの時代くらいまでは、世の中は今よりずっとおおらかだったそうだ。悪く言えばルーズという事なのかもしれないが、暮らしやすかったそうだ。例えば小学校や保育園の校庭はいつでも誰でも入れたし、自由に遊び場にしていた。もちろん、周囲に塀なんか無い。今では学校全体が柵で囲われ、幼稚園など、ガードマンが出入り口に立っている所まである。なにかと世知辛せちがらくなった。

「さあ、出発進行!」

 掛け声に合わせて、車両はゆっくりと動き始めた。他に乗客はいない。貸切だ。直ぐにガチッと音がして、チェーンリフトに引っ掛けられ、急角度で高度を増していく。

 ここに来てミケは、事態が容易で無い事に気付いた。左右を見下ろすが、地上はどんどん遠くなり、先ほどの係員はあっという間に小さな点になってしまった。

 ガタッと音がして車両は水平になり、続いて急角度に下を向いた。そして、すべるように動き出した。どんどん加速して急降下して行く。まるで地面を目掛けて落ちていくようだ。

「ヤッホー!」

 留美は両手を上げて、はしゃいでいる。ミケは恐怖に顔が引きつった。必死で座席にしがみついている。もう何がなんだか分からなかった。車両は今度は大きく横に旋回を始めた。ギシギシと車両の台車がきしむ。

 アップダウンと旋回を何回か繰り返し、車両はやっと速度を落とした。そして、カタカタと音を立てた後、停止した。

「あー、楽しかった。やっぱジェットコースターは面白いなあ。ミケ島でこんな事ができるなんて思ってもみなかったわ」

 ミケはぐったりして、横になっていた。目はうつろで、視線が定まっていない。

「あれっ、ミケどうしたの? 楽しかったでしょ」

 ミケは返事をする元気も無くしていた。とりあえず降りないといけないので、留美に引きずられるようにしてさっき登ってきた階段を降りていった。

「ミケ、大丈夫? 初めてだったからびっくりしたんだね。でも楽しかったよね。ジェットコースターを発明した人はすごいと思うんだ。もう一回乗る? だって、タダみたいだし」

「ミー」

 ミケは力を振り絞って返事をした。

「そう、もういいの? じゃあ、別のアトラクションに行こう。お化け屋敷なんかどう?」

 ミケは大きく目を見開いて留美を見た。

「大丈夫よ。さっきのはギュンギュン振り回されて大変だったけど、今度は建物の中を歩いて通り抜けるだけ。ね、行こう行こう!」

 ミケはやはりお化け屋敷とは何か分からなかったが、歩いて行くだけなら問題なさそうだ。力なく返事をした。

「ミウー」

「良かった、一緒に行ってくれるのね。じゃあ、こっちよ」

 留美は軽い足取りで前を行く。ミケはふらつきながら後を付いて行った。

 お化け屋敷の係員は、骸骨の格好をしていた。格好というか、本当に骨だけだった。でもちゃんと動いている。

「はい、いらっしゃい。お一人と一匹ね。ミケさんの為の特別ショーだよー! さあ、楽しんで来てね!」

 この係員もミケの名前を知っていた。それに、特別ショーとは何だろう。

「さあ、ミケ、行くよ」

 入ると暗かった。通路も分からないのでちょっとじっとしている。段々と目が慣れてきて、うっすらと進む方向が見えてきた。

「猫は暗くても良く見えるんだよね。ここじゃあ、私の方が不利ね」

 そう言い終わった瞬間、天井が開き、

「ギャオーン」

 という叫び声と共に、特大の猫の頭が飛び出してきた。顔は傷だらけ血だらけで、片目は潰れている。開いたほうの目はミケを恨めしそうに睨み付けていた。

「キャッ、化け猫!」

 留美は驚いたが、ミケの驚きようは、それどころでは無かった。あの無様ぶざまだったミケが一メートルもジャンプすると、一目散に通路の奥へと駆けていった。留美が化け猫の頭の下をくぐって行くと通路の闇の奥から、ミケの叫び声が聞こえてきた。

「ミャーーー!」

 何かあったようだ。慌てて声のした方に行くと、ミケが仰向けにでんぐり返って、伸びていた。直ぐ横には、これまた特大のネズミの顔があった。これも血だらけで見るからに恐ろしい化けネズミだ。横にいた黒子姿の係員が申し訳なさそうに言った。

「いや、待ち伏せて驚かそうと思ったんですけど、ミケさんが全力で駆けてきて、そのままネズミの顔に激突しちゃったんですよ」

 ピカピカと目が明滅する化けネズミの前に倒れているミケを抱え上げると、外に出た。

「ミケ、ちょっと刺激が強かったかしら。でも楽しんだでしょ」


 一人ひとりと一匹は、再び波打ち際に座っていた。正面には赤く染まった大きな夕日がゆっくりと水平線に落ちていくところだ。穏やかな波が軽く音を立てながら砂浜を舐めている。

「ミケ、ごめんね。ジェットコースターもお化け屋敷も、ミケが楽しんでくれると思ったの。これまで色々とミケから教えてもらった事をすっかり忘れていたわ。動物は天敵から身を守って、ちゃんと餌を確保できればそれで十分なんだよね。それ以上のイベントやレジャーとは無縁だって事。なのに、人間のを無理に押し付けちゃって」

「ニャウン・・・・・・」

 ミケも怒ってはいないようだった。ただ、ミケには不思議だった。どうして人間はあんな恐ろしいアトラクションに行くんだろう。

「ミケランドはタダだから、ついつい調子に乗っちゃった。でもね、本当は高いんだよ。大きな遊園地だと、何千円もするんだ。人間はそんなにいっぱいお金を出してまでアトラクションを楽しむんだよ。面白いでしょ。あー、ミケがうらやましいなあ。だって、楽しいって思わなければ、行きたいとも思わないでしょ。そうすれば、時間だってお金だって使わないじゃない」

 一見正しそうだか、何だか変な論理に陥りそうになっていた。

「うん、でもここはミケ島だから、本当は何も無いはずだよね。食べて寝るだけ。時間も分からない。あの遊園地は何かの間違いで現れたんじゃないのかなあ。明日には消えているかもね」

 夕日は丁度、水平線の下に隠れるところだった。それでもまだ水際の空は赤く染まり、空に高く浮かぶ筋雲も名残惜しそうに赤く光っていた。











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