第15話 オスはつらいよ、フーテンのミケ

「ジョウビタキめっけ!」

 留美は家の近くでジョウビタキのメスを見つけた。小刻みに尻尾を動かしている。もう季節は冬の入り口だ。他の多くの鳥と同じように、ジョウビタキもメスは地味で、オスはもっと目立つ配色をしている。

 ミケは相変わらず、いつもの土手の上で日向ひなたぼっこをしていた。最初に会ったときのように、仰向けになって、後ろ足を天に向けて伸ばしていた。無防備なのもあるが、良くこんな格好で安定しているものだ。

「ミケ、芸術って分かる? 音楽や美術や」

「ミー?」

「やっぱり分かんないよね。でも美術の時間に先生がとっても面白い話しをしてくれたんだ。芸術って、人間が考え出した贅沢な遊び事じゃなくって、生き物として、生きるか死ぬかの真剣ないとなみなんだって。良く分からないでしょ」

 ミケは仰向けになったまま無反応だ。聞いているのかどうかも怪しい。

「それはね、動物を見れば分かるんだって。色とりどりの鳥や、ライオンのタテガミ、鹿の角なんかはみんな芸術なんだって。オスがメスを引き付けるのに、何とか魅力あるようにと頑張って、あんなに綺麗で立派になったっていうんだ。だから、人間だけじゃなくて、動物もちゃんと美しいものは分かるんだね」

 ミケは、少し顔を動かして留美の方をみた。という言葉に反応したのかもしれない。ミケはオス猫だ。

「立派な巣を作ってメスを誘うのもいる。これなんか建築家だね。あと、鳴き声も面白いよね。特に鳥はまるで歌うように美しく鳴くものが沢山いるけど、これなんか立派に音楽と言っていいんじゃない?」

 ミケはやっと体を起こして、気持ちよさそうに伸びをした。

「先生の話しで面白かったのは、ここからよ。オスは見た目を着飾ったり、高らかに鳴いたりするんだけど、これって、弱肉強食の動物の世界では、とっても危険だよね。だって、『自分はここにいまーす!』って周りに知らせているようなもんでしょ。普段は、できるだけ天敵にみつからないように、物音一つさせずにいるのに変よね。でも、変じゃないの。メスを得て、子孫を残す事と、自分が生き残る事を天秤に掛けた結果、子孫を残すことを優先したんだって。ね、すごいでしょ。だって、自分の命より、種の存続を優先したのよ」

 また、進化論の話しになってきて、やはりミケには難し過ぎるようだ。留美はどうも、この手の話しが随分と好きらしい。

「先生のお話しはここまでなんだけど、進化論的にはね、種の存続を優先しようとしたんじゃなくて、そういう遺伝子が生き延びた訳。そうじゃない、つまり、自分の命を最優先にした遺伝子は淘汰されちゃったって事、ね、すっごく面白いでしょ」

 ミケにはちんぷんかんぷんだった。話しなど聞かずに、小春日和の柔らかい日差しにうたた寝している。

「ミケ、聞いてる? また寝てるんでしょ。オスはね、厳しいんだよ。命懸けなんだから。猫もヒトも、オスとメスも似たようなもんだから余り関係ないけど、ミケはオスなんだから、一度そんな厳しさを味わって見たらどう?」

 留美はそういって、ミケの頭をポンと叩いた。


 ◇ ◇ ◇


 ミケはぐるりと辺りを見回した。草原にいる。近くには森があった。どうやらミケは「サバイバル世界」に来てしまったようだ。

 嫌な予感がして、ふと見上げると猛烈なスピードで怪鳥が迫って来るではないか。ミケは、ダッシュして森へ逃げ込んだ。鳥から身を守るには森が一番いい。本能的に分かっていた。

 一息つく暇もなく、今度は猛獣が現れた。じっとミケの方を見ている。数秒間睨み合いが続いた後、猛獣はミケに向かって突進してきた。ミケは慌てて近くの木に駆け上った。猛獣は途中まで追いかけてきたが、木登りは得意では無い様だ。途中から回れ右をして、地面に降りてしまった。しかし、木を見上げて、周りをウロウロしている。

 ひと安心と思った瞬間、ミケは足を滑らせて危うく木から落ちそうになった。

「♪♪ミャー、♪♪コロコロコロー、♪♪ピーピピピピピー」

 ミケは自分の声に驚いた。足を滑らせた瞬間、思わず鳴き声を上げてしまったのだが、それが自分の声とは思えない、全然猫らしからぬ、歌うように響き渡る綺麗な鳴き声だったのだ。恐る恐る、もう一度、そっと鳴いてみる。

「♪♪ミンミンミンミー、♪♪ヒュールルルルルー」

 またもや、森全体に響き渡る鋭い鳴き声を発っしてしまった。ミケは慌てて口をつぐんで、辺りを見回した。すると、一旦去って行った怪鳥が、翼を翻してまっすぐこっちに向かってくるではないか。ミケの姿は見えなくても、よく通る鳴き声に気付いたようだ。ミケは怪鳥を避けるため、少し木を降りかけたが、その直ぐ下には猛獣が唸りながらミケの方を見上げて待っている。

 ミケは木の真ん中あたりの大きく枝分かれした隙間に身を寄せて隠れ、じっとしていた。怪鳥と猛獣が去るまでこうしているしかない。

 しかし、怪鳥と猛獣はミケのいる場所が分かるようだ。枝と茂みの間にうまく隠れたつもりだったのだが、どうしたことだろう。ミケは、その時、初めて自分のに気付いた。見れば、三毛だった毛は、同じ三毛でも、赤青黄色の三色のまだら模様に変わっていた。さらに悪いことに、尻尾がに変化していた。孔雀のように、原色鮮やかな飾り羽がお尻から扇子を広げる様に生えていた。大変美しいのだが、隠れようとしている身からは、これは致命的だ。いくら隠れようとしても見つかってしまうに違いない。

「♪♪ニャワンワンワンー、♪♪ニョニョニョニョニョー」

 自分の姿に驚いて、思わず鳴き声を上げると、これも歌うような調子で高らかに森に鳴り響いた。もう、隠れるどころではない。

 怪鳥と猛獣をなんとかしのいでいると、ゆっくりと枝を伝ってミケに近づいて来るものがいた。口から細長い舌をチョロチョロと覗かせている。蛇だ。しかも、ミケの胴体ほどもあろうかという太さの大蛇だ。ミケなんか一呑ひとのみだろう。

 もはや、どうする事もできなかった。やるとすれば、思い切って木から飛び降り、猛獣を振り切って逃げることだ。しかし、どう考えても猛獣の方が俊足だろう。同じネコ科仲間じゃないか、と懐柔しても無駄だろう。聞いてくれるはずが無い。

 いよいよ大蛇がミケに飛びかかろうというその刹那、ミケは意を決して木から飛び降りた。思いっきりジャンプする。猛獣からできるだけ遠い所に着地するのだ。空中をゆっくりと落ちてゆくミケは、まるで動く広告塔のように賑やかな色彩だ。猛獣も怪鳥も、既にしっかりと視線に捕らえていた。


 ◇ ◇ ◇


「ミケ、どうしたの? 変な夢でも見たの? 何かわめいていたよ」

 ミケは、そういう留美の声に目を見開いた。周りはいつもの土手とビニールハウス。怪鳥も猛獣も大蛇もいない。まだ恐怖の体験から覚めやらぬミケは慌てて自分の体や尻尾を見た。いつもの三毛と普通の尻尾に戻っていた。

「そう、ミケは大変ね、オスだから。でも、猫だからそうでもないか。目立つ格好になって、天敵に身をさらすなんて事ないもんね」

「ミー」

 ミケはさっきまで「天然色+飾り羽」姿だった自分を思い出し、留美の意見に賛成した。もう二度とあんな格好は御免だ。今のままがいい。

 すぐ脇の生垣では、いつの間にやってきたのか、体の橙色が鮮やかなオスのジョウビタキが、

「ヒッ、ヒッ」

 と小さく鳴いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る