第14話 進化
「ミケ、今日も元気ね。やっぱり野良猫は強いわねえ」
M留美は、Mミケに話しかけた。そう、いくらか説明が
相変わらず土手の上に寝そべるMミケにM留美が話しかけている。
「ミケ、学校で進化論習ったの。でもね、私の遠い祖先の留美博士が進化論を元にペットフードに警鐘を鳴らして、そのお陰でミケがこうして普通の姿で元気にしていられるなんて、なんだか感慨深いわ。私も留美博士のように立派な人にならなくっちゃ」
「ミャウー」
Mミケは眠いのか、なんとなく気が抜けたように返事をした。
◇ ◇ ◇
遡ること、三千年・・・・・・、時は21世紀。
留美はいつものようにミケと遊んでいた。運動神経が鈍いらしい事がバレてしまい、おまけにブチとトラの世話までさせられているミケはちょっと不満そうだった。
「ミケ、ごめんね。私がブチとトラに『猫のジョナサン』みたいな事をさせちゃったばっかりに、ミケにも迷惑かけちゃって。まあ、皆んな友達だから、勘弁してね」
ミケは、ジロッと留美の方を一瞥し、プイッと横を向くと、頭を胸に
不満そうなミケの関心を引こうと話題を変えた。
「ねえ、ねえ。進化論って知ってる? 今日、学校で習ったんだ。ミケだって進化してきているんだよ」
自分の事が話題に出たので、ミケは面倒くさそうながらも顔を上げた。
「例えばね、味覚ってあるでしょ。あ、猫はあんまり無いか。『おいしい』って感じるのは、そういう能力を身に付けようとして得たんじゃなくて、たまたまそういう能力のある人が生き残ったんだって。分かる? すっごく面白いでしょ」
ミケや父親の影響で、自然に興味を持つようになり、進化論についても大いに引かれる所があった。
「何故だか分かる? だって食べ物から栄養やエネルギーを採らないと死んじゃうでしょ。だから、食べ物がおいしく感じるほうが生き残りには有利なんだって」
ミケはよく理解できていなかったが、興味はあった。
「ミーニャオ?」
「じゃあ、グルメな方がいいかって? それがね、逆なの。驚いちゃうでしょ」
よほど進化論が気に入っているらしく、なんとかミケにも分かってもらおうとしていた。
「グルメだと、おいしく食べられるものが限られてくるでしょ。あまりおいしくないものは食べたくなくなっちゃう。だから、例えば、何らかの理由でおいしいものが無くなっちゃったら、グルメじゃ無い人の方が生存には有利な訳ね」
ミケにはやっぱり難しすぎるようだ。
「あっ、そうそう、動物だって同じだと思うよ。何でもバリバリ食べられる方が、生き残るよね。食べ物を選ぶなんて贅沢していたら、滅びちゃうよ。ミケは野良猫だから大丈夫、何でも食べてるよね」
この時には単なる興味で話していたが、これが留美のライフワークになろうとは、この時は露ほどにも思っていなかった。
◇ ◇ ◇
留美は大学に進み、動物学を専攻していた。その時、ペットフードの悪影響に気付いた。本来動物には不要なものだが、美味な味付けがなされたペットフードが市場に溢れていたのだ。そのほうがペットが一見、喜んで食べているように見えるので、業者は積極的に味付けをし、テレビでじゃんじゃん宣伝し、消費者もそんなペットフードを買い求めた。留美は周囲に危機感を訴えていた。
「このままでは、将来の犬や猫は粗食に耐えられなくなってしまいます。もし、天変地異などで『おいしいペットフード』が入手できなくなった時、グルメ化したペットは死んでしまいます」
留美の脳裏にはミケの姿があった。ミケは野良猫だが、安心はできない。近所からペットフードをもらっている野良猫は多い。
そんな主張に対して、こんな質問をする人もいた。
「将来って、いったいいつ頃の話しをしてるんだい?」
「千年くらい先の事です」
千年と聞いて、質問者は呆れた顔をした。千年も先の事を、しかもペットの話しを真剣に聞いてなんかいられない。質問者は指摘した。
「お前さん、千年先のペットの事なんかより、今まさに起きている気候変動でも議論した方が良くはないかい?」
大方の反応はこんな感じで、真面目に留美の意見に耳を傾ける者は少なかった。確かに、その頃の世界は気候変動に見舞われていた。温暖化の影響で、山火事が増え、高緯度地方では作物の更新を余儀なくされ、水位上昇で一部の都市が対応に追われていた。
留美は博士号を取得し、その後も同じ主張を続けた。それは、ペットのグルメを禁止する事から、
「禁グルメ運動」
と呼ばれた。孤軍奮闘であったが、賛同者も現れた。アメリカのある牧師が立ち上がり、禁グルメ運動、略して「
「私には夢がある。それは、いつの日か、ペット達がグルメの呪縛から解き放たれ、正常な進化の道を歩む事を」
キング牧師の演説はアメリカで熱狂的に歓迎され、世界的に運動が広がる
博士の主張はこうして世界に知られるものとなった。しかし、やはり人々は目先の気候変動などに関心を奪われ、禁グルメ運動は今ひとつ盛り上がりに欠けていた。博士は、ミケとその子孫を思う心から、せめて野良猫にはペットフードを与えないように訴えた。野良猫が近所の家からペットフードを貰わないように注意する必要がある。もちろん、ミケにはちゃんと自力で
ところで、不可解な事があった。博士を含めて、世界中の誰も、これがヒトの問題でもあるという事に気付かなかった。動物学の博士が気付かなかったのはやむを得ない事だったのかもしれない。それに進化論的な問題であれば、これは味覚に留まるものではない。何故、問題がペットフードに限定されたかについては、後に21世紀最大の謎とされる事になる。
人類は何とか壊滅的な被害を避けながら、温暖化との戦いを乗り切っていた。その後も断続的に温暖期に見舞われながらも、人々は生きながらえてきた。
しかし、それから数千年の時を経て、それはやってきた。M留美が生まれる百年ほど前、そう、50世紀が終わる頃だった。太陽黒点の活動が弱まり、寒冷期が訪れたのだ。いわゆる小氷河期だ。
人類は温暖化への対応には慣れていたが、寒冷化は予想外だった。冬の津軽海峡は凍結した。スイスやヒマラヤでは氷河が増大し、下流の村々を飲み込んで行った。日本でも北海道や、中部山岳地帯で氷河が形成された。水位が低下し、世界中の港湾が機能不全に陥った。何よりも農業への影響が甚大だった。温暖化対策のために計上されていた莫大な国家予算や、動員されていた研究者や職員は一斉に寒冷化対策へと向けられた。寒冷化の人的被害は温暖化の比ではなかった。最初の十年間で、数億人が餓死したと言われている。
ペットフードにも異変が起きていた。博士が提唱した「禁グルメ運動」にもかかわらず、多くの人はペットに豪華なペットフードを与えていたが、食糧難で、それどころでは無くなった。ヒトでさえ食べるものに事欠く中、ペットにはとにかく最低限の「食えそうなもの」を与えるだけになった。どうしても人間が食べられない残り物が主だった。その時、とうとう博士の懸念が現実化してきた。実に博士が提唱してから、三千年近い時が流れていた。グルメ漬けだったペットは、その気の遠くなるような時を経て、粗食に対する「食欲」を失っていた。もう少し正確に言うなら、粗食に耐えられない個体が蔓延してしてしまっていたのだ。あたかも、化学肥料をたっぷり与えないと成長できない農作物のように。
飼い主の眼前で痩せ衰えて行くのだが、与えられた餌を食べようとしない。無数のペットが死んでいった。一方で、留美博士の教えを守って、世の趨勢に反し、ペットに粗食を与えていた一派がいた。彼らは自分達のペットを「グルメ化ペット」と交配させないように努力した。そして、彼らのペットは寒冷期を生き伸びた。
猫に関しては事情が違った。グルメ化していた飼い猫のほとんどが死んだが、野良猫達は生き残った。博士の努力もあり、野良猫の多くは粗食に耐える遺伝子を維持していたのだ。その一匹がMミケである。
ここに来て人々は、ようやく遥か昔に留美博士やキング牧師が提唱した事の本当の深刻さを理解した。なぜなら、博士が指摘したペットフードと同じ事が人間にも起きていたのだ。ほとんどがグルメ化していた人類は、長引く寒冷期で大きく人口を減らした。これは単なる餓死ではなく、食料があるのに適応できないための餓死という悲しいものだった。
これまで人類は、様々な環境変化や人体自体の変化に科学技術で対応してきたが、急激に起きた食糧難と、グルメ化した遺伝子の影響は凄まじかった。粗食に耐えられなくなった人々は静かに死んでいった。
寒冷化の猛威が始まって、五十年を過ぎた頃、気候は少し温暖化の傾向を示し始めた。人々は寒冷化の悪夢からの脱却を祈り、温暖化を歓迎した。あらゆる街、あらゆる通りには、温暖化を待ち望む希望の声が聞かれた。寒冷期が少し緩んできた頃、生き残った人々は、死んで行った数知れないペットの為に慰霊碑を建て、留美博士の記念館を作った。博士の提言を伝承し、未来への警鐘とする為だ。
◇ ◇ ◇
Mミケは、普通の体で大きく伸びをして、また、ごろんと横になった。M留美は、こんなMミケの普通な仕草を見るのが好きだった。もう、M留美には決してできない、そんな仕草を・・・・・・
M留美は、スタイリッシュな生命維持スーツを身に着けていた。21世紀で言う普通の体格をちょっと大きくした程度だ。しかし、このスーツには、人類の科学の粋を結集した機能が搭載されていた。内部の温度は23度±1度に維持されている。いわゆる恒温装置だ。人類は衣類、冷暖房のお陰で、徐々に気温変化に対する耐性が低下し、とうとう24時間恒温装置を装着する必要が出てきた。スーツを脱ぐときは室内の温度が厳密に管理されていなければならない。もちろん、屋外でスーツを脱ぐなどは自殺行為だ。これは象徴的に「天気予報症候群」とも呼ばれる。なぜなら、21世紀の天気予報は、翌日の気温などに合わせて服装のこまめな調整を推奨していた。自戒を込めて、これを呼び名としている。屋外で恒温装置が故障すると、外気温が20度程度あっても凍死する者が多かった。逆に25度以上にさらされると、多くは熱中症で搬送された。
ところで、留美の「ちょっと変わった父親」は、水シャワーだけでなく、冬の
生命維持スーツに話しを戻そう。これには、いわゆる動作支援ロボット機能が組み込まれている。足腰や腕の筋力不足を補うのだ。スーツの外からは見えないが、M留美の手足は、痩せ細っていた。いや、これは21世紀の基準で見ているだけで、この時代に於いては誰もが細い手足をしていて、動作支援ロボット無しでは、歩く事もモノを持ちあげる事もできなかった。技術者達は、21世紀の記録映像を見て、できるだけそれに似せて動作するロボットを開発していた。
忘れてはならないのが、空気清浄化機能だ。21世紀から長く続く、家庭用の空気清浄機の利用は、ヒトから空気中の花粉や
「ミケ、私、ごはんにするね。ミケは野良猫だから自分で食べ物は探してね。ペットフードは駄目よ。留美博士のいいつけを守ってね」
そう言うと、M留美は鞄からペットボトルを取り出した。それをスーツの口の辺りに装着する。すると、中の液体がチューブを通してM留美の喉の奥に流れ込んでいった。
「はい、ごはん終わり。良く分からないけど、これを毎日やらなくっちゃ生きていけないのよ」
グルメ党の人類は長い寒冷期に多くが淘汰された。一方で、M留美のように、博士のペットフードへの警鐘を自分の事として捉えた人達はかろうじて生き残った。しかし、既に人類の歯や顎は退化しており、流動食しか摂取できなくなっていた。21世紀初頭には既に一部の歯科医が歯の退化に懸念を表明していたが、対策は取られなかった。
グルメ化された人々がいなくなった今では、もう誰もグルメについて語ろうとしない。そもそもグルメについて分かっている人などいなかった。21世紀の記録を見ると、人々はレストランと呼ばれる「生命維持有機物提供所」に好んで出掛けたという。なぜそのような不思議な慣習があったかについては、考古学者の研究成果が待たれている。異様に発達していたとされる味覚の解明には生物学者の助けも必要だろう。
M留美は食事の後、土手にもたれ掛かり、近くにある食料自動生産工場の
「動物学者だったからしかたないかもしれないけど、人間の事も考えてくれていたら、私もこのミケのように、スーツ無しでいられたのかなあ。自分の手足で歩くって、どんな感覚なんだろう」
Mミケは、生まれた時からM留美のスーツ姿を見ていて、慣れているはずなのだが、何故か時折、悲しそうな表情を見せるのであった。
◇ ◇ ◇
「あっ、モズめっけ」
まだ風が冷たく感じる季節ではないが、もうモズがやってきて、葉の落ちた木の
「さすがのお父さんも、そろそろ水シャワーはやめてるかな」
留美は一ヶ月以上前に、既に水シャワーはやめていたが、父親はまだ頑張っている様子だった。でも、もうちょっと厳しいだろう。
「ミケ、こんにちは。いい季節だね。ピリッとして。人間は、食欲の秋なんんて言うんだよ。夏に食欲が落ちていたのが回復したり、秋は収穫の季節だったりするからだと思うんだ」
鳥や動物達を観察するのが好きだった。父親の影響だろう。
「そうそう、明日は朝練だから早く起きなくっちゃ。朝はちょっと寒いけど、澄んだ空気の中を思いっきり走るのって、気持ちいいんだよ。ゴロゴロのミケには分かんないとおもうけど」
ミケはジロッと、留美の方を睨んだ。
「ミケ、私ね、余り勉強できないけど、将来、動物学者になりたいんだ。もっともっと動物の事を勉強して、動物の役に立つ事をしたいんだ」
モズは、枝先から音も無くさっと飛び立って、低く波打ちながらどこかへ行ってしまった。
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