第10話 カロリーオフ

「ミャー」

 その日は珍しく、ミケの方から挨拶した。

「こんにちは、ミケ」

 留美は挨拶をすると、ちょっと最近気になっている事を話し始めた。

「ミケって、『ダイエット食品』知っている? 『低カロリー食品』や『糖質カット』とか』

「ミャウ?」

「知らないわよね。だって、ミケは目の前にある食べ物をガツガツ食べるだけだもんね」

「ミー!」

「あー、ごめん。あのね、チョコレート買ったら、『カロリーオフ』って書いてあったの。食べ過ぎの人にはいいかもしれないけど、なんだか変よね。だって食べ物って、カロリー摂るためでしょ。特にごはんやパンなんか。それが『これはカロリーが少ないです』って売っているの変よね。逆なら分かるよ、『これはカロリーたっぷりです』なんてね」

「ミーニャオオン!」

「えっ、私の言っている事は正しいって? あらあら、ミケが褒めてくれたのかしら。そうねえ、『カロリーたっぷりがいい』なんて世界があったら面白いかもねぇ』


 ◇ ◇ ◇


 留美は、川岸に立っていた。目の前には草原が広がり、遠くに森が見える。川沿いには果樹園がるようだ。

「あれっ、ここ、前に見た事あるかも」

 はっ、と思いつくと、とっさに腰をかがめ、頭上を見た。上空高くには、悠然と旋回する怪鳥が見えた。

「気をつけなきゃ。やっぱここは『サバイバル世界』ね」

 怪鳥だけでなく、猛獣にも気をつけなければならない。だんだんと、この世界について思い出してきた。朝から何も食べておらず、空腹だった。

「そう、ここは食べ物を得るのは大変なんだ。そこの果樹園だって、誰かの縄張りだから、勝手に採ったら大変な事になっちゃう」

 留美は、近くのりんご園を恐る恐る覗いてみた。

「やっぱり、いた!」

 縄張りのぬしの大男だ。自分が泥棒ではない事を示そうと、挨拶した。

「あっ、こんにちは」

 男は振り返ると言った。

「おう、また来たのかい。あの渋柿は食べるの大変だったろう」

 前回来た時、留美がやむ無く渋柿を食べた事を知っているようだ。

 とにかく、今は何か食べたい。ちらちらと隣の桃園の様子を窺っていたが、誰もいない事に気付いた。思い切って、男に聞いてみた。

「あのー、隣の桃園なんですけど、縄張りにしている人はいないんですか」

 男はちょっと複雑な顔をして答えた。

「ああ、いないよ。お前さんの縄張りにしてもいいさ。ただ、ちょっと訳アリだけどな」

 『訳アリ』という言葉が気になったが、目の前にたわわに実った桃に噛り付かない手はない。もう、空腹で足元がふらついている。

「あー、おいしい。やっと食べ物にありつけた」

 次々と桃を平らげた。その時、ちょっと、何かが違う気した。いや、桃は普通の味だし、まさか毒が入っている事などないだろう。五つめの桃に噛り付いた時、その違和感が何かに気付いた。

「ちゃんと食べているのに、食べた気がしない。何かおかしいなあ」

 噛りかけていた桃を置き、少しじっとしてみた。空腹感は全然解消されていない。血糖値が下がって、頭がボーとしてきた。ちゃんと食べているのに。

 考えていてもしょうがないので、がむしゃらになって桃を食べ続けた。

「とにかく食べなくっちゃ」

 その時、リンゴ園の男が声を掛けてきた。

「ハハハ、腹の足しにならねえだろ。そいつは、『超低カロリー桃』さ」

 男は事も無げに言っているが、留美にとっては深刻だ。それにしても『超低カロリー桃』なんて聞いた事が無い。

「おいおい、食べても意味ないから、やめときな。ほら、俺のりんごを一つやるから、こっちを食べな」

 りんごを貰って借りでも作ったら、後で何をされるか分からないといぶかった。でも、もう限界に来ていた空腹感は如何んともし難くなっていた。

「じ、じゃあ、一つだけいただきます」

 男から奪うようにりんごを貰うと、噛りついた。味は余り良くなかった。ちょっとすっぱいそっけない味だ。家の近くのスーパーで売っている赤くて甘いりんごとは大違いだった。

 しかし、味はともかく、そのりんごは腹応えがあった。食べたものが胃に浸みていくのが分かる。それまで冷え切っていた指先がポッと暖かくなり、赤みを帯びてきた。生き返った気分だ。

「どうだ? そのりんごはな、俺が長年掛けて作ったんだ。『カロリー二倍りんご』さ。味はイマイチだけど、腹持ちはいいよ」

 留美は口の中をりんごでいっぱいにしながら、目に涙が溢れて来た。こんな美味しくも無いりんごを食べただけで、なんで泣けてくるんだろう。自分でも分からなかった。

 お礼を言った留美に、男は教えてくれた。

「それから、この先のバナナ園のバナナも凄いよ。なんと『カロリー三倍バナナ』だ。ただし、そこのおばさんも怖いけどな」

 棍棒を持って、仁王立ちしていた女性を思い出した。男は留美が気に入ったのか、腰を据えて話し始めた。

「そうそう、もう一つ教えてやる。お前さんが食べた桃だがな、そこの縄張りの主、どうなったと思う? 追放されたらしいんだ」

 意味が良く分からなかった。

「追放? えっ、どこから? どうして?」

「ここさ。この世界からさ。どうやら神の怒りに触れたらしい、噂だけどな。その縄張りの主は、長年掛けてカロリーがほとんどない桃を開発したんだ。なぜそんな事をしたかは、俺は知らねえ。魔が差したとしか思えねえな」

 留美は、ちょっと恐ろしくなった。ここは神の世界なのだろうか。怒りに触れた桃を食べた自分は大丈夫だろうか。

 男の話しは続いた。

「後で、皆んなで考えたんだけどな。ここはご覧の通り、弱肉強食の世界だ。だから、食われる事もある。そんな時、カロリーが低いと食べた方は困るだろ。この世界ではカロリーが低いというのは、神様が創った弱肉強食のルールに反するんだ。言ってる事分かるかい?」

 りんごを食べて落ち着きを取り戻した留美には、大体理解できた。

「だから、そこの桃は『冒涜の桃』って言うんだ。神を冒涜したからな」

 そう言われて、こんな恐ろしい世界からすぐにでも抜け出したくなった。そして呟いた。

「あー、もっと理想郷のような世界の方がいいなあ。こんな食うか食われるかの世界じゃなくて」

 男は一言、付け加えた。

「そうそう、言い忘れていたが、ここの世界は『恵田』で呼ばれているらしいんだ。追放されたあいつが、どういう世界に行ったかは分からねえ。たぶん、神様のルールがないがしろにされている、荒れた世界だろうな、きっと。もしかすると、その世界で懲りずに低カロリーの食べ物を作っているかもしれねえな」


 ◇ ◇ ◇


 留美の前にはミケがいた。

「あっ、ミケ。今ね、凄い世界に行っていたんだよ。そうだ、私ちょっと調べたいことがあるから、もう帰るね。じゃあ、また」

 そう言うと、ミケを後にして家に駆けて行った。


「ただいまー!」

 そう言うと家に上がり、台所に直行した。冷蔵庫の中を調べてみる。牛乳、ドレッシング、冷凍食品、アイスクリームなど。次は、食品棚を見る。レトルト食品、シリアルなんかがある。一通り見た留美は母親に言った。

「ねえねえ、ダイエット食品なんか無いよね、ウチ」

 母親は留美が食品を漁っているのを見て言った。

「あらあら、お料理でもするの? ウチは、ダイエットとか、カロリーオフとは買っていないわよ。だって、食べ物になる植物や動物だって、生き物でしょ。それを食べる側がカロリーオフするなんて、なんだか申し訳なくて」

 留美は目を輝かせて言った。

「うわっ、お母さん凄い! ちゃんと神様のルール知ってるんだ」

「えっ、神様って? 何のこと?」

 母親は何のことだか分からずにいた。でも、留美はそんな母親を、また一つ尊敬できるかも、と思い、心の中で「いいね」をタップした。

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