第9話 裸
留美は、ちょっとためらっていたが、思い切って口を開いた。
「ミケ、いつも裸で恥ずかしくない?」
「ミー?」
「『恥ずかしい』が分からないって? 他の人に裸を見られちゃうと恥ずかしいでしょ」
「ミャオーン」
「んー、そうね。猫は生まれたときからずっと裸だから、それをいちいち恥ずかしいなんて思わないもんね。でも、知ってる? 人間の世界では、それって『犯罪』なんだよ」
ごろっと仰向けになっていたミケは体をくねらせて半回転すると、起き上がった。留美の方を見ている。「犯罪」という言葉が気になったようだ。
「裸でいると、逮捕されて刑務所に入れられちゃうんだよ」
「ミー!」
ミケは毛を逆立てて鳴いた。逮捕されると聞いて、心配になったようだ。
◇ ◇ ◇
ミケは不機嫌になったのか、留美にそっぽを向き、土手を降りて歩き出した。すると突然、前方に警察官が立ちはだかった。両手を広げて、ミケを捕まえようとしている。ミケは慌てて向きを変えて留美の所へ戻ろうとした。しかし、そこに留美はいなかった。代わりに、もう一人の警察官がいた。挟み撃ちにされてしまったのだ。ミケはジャンプして逃げようとしたが、警察官に空中でキャッチされ、素早く手錠を掛けられてしまった。前足に手錠を掛けると歩けなくなるので、首に掛けられた。「猫ひも」ならぬ、「猫手錠」である。
「『裸猫罪』で現行犯逮捕。あなたには黙秘権があります」
それだけいうと、二人の警察官は、ニタニタしながらミケを連行していった。ミケは裁判に掛けられる事になった。
法廷の被告人席にはミケがいた。こんな所は初めてだ。これから何が始まるのか、ミケは緊張していた。裁判官が言う。
「それでは検察官、起訴内容を説明して下さい」
鋭い目をした検察官はすくっと立ち上がり、話し始めた。
「警察官による現認『裸猫罪』で、懲役一年が相当と考えます。というか、今も被告は裸であり、犯罪は継続しています。これほど明らかな事はないでしょう」
ミケは、細かい事は良く分からないが、刑務所に放り込まれそうだという事は分かり、絶望的な気持ちになった。
裁判官は、今度は弁護人の方を見た。ミケの弁護人は留美だった。
「弁護人、意見があれば述べてください」
「裁判官、ミケは猫です。猫は生まれてからずっと裸です。それが自然で、誰にも迷惑なんか掛けていません。裸の猫を見て羞恥心を
これを聞いて、検察官はニタリとし、手を挙げた。
「裁判官、証拠1号を提示します」
「認めます」
検察官は、証拠の録画を法廷にある大型スクリーンに映し出した。そこには、ちょっと挙動不審な若い男性が写っており、なにやらしゃべり始めた。
「おれ、猫の裸、嫌なんだ。絶対見たくない。考えられない。うー、考えただけで恥ずかしくなるし、気分が悪くなる・・・・・・」
見ていた留美の顔は怒りで、見る見る赤くなった。留美は手を挙げた。
「なんですか、この録画は。作為的なものとしか思えません。裁判官、この証拠提示を無効とする事を求めます」
裁判官はほとんど間も置かずに言った。
「却下します」
検察官は勝ち誇った顔で、怒りを隠せない留美を見ていた。
休憩の後、判決が言い渡された。
「それでは、判決を言い渡します。ミケは有罪、懲役一年の刑とする」
ミケと留美に衝撃が走った。留美は一生懸命弁護したが、力及ばず、こんな結果になってしまった。
ミケは落胆してしばらくぐったりしていた。が、突然顔を上げ、凄い形相で叫び鳴いた。
「ミャーーーーーーーーーー!」
鳴き声は空気を切り裂くように響き渡り、机の上の書類が舞い上がった。埃が立ちこめ、辺りは騒然となった。
ゆっくりと埃が収まると、不思議な事が起きていた。場所は依然として同じ法廷だった。ただ、裁判官席には大きなヒグマが座っている。さっきまでミケがいた被告人席には、先ほどの検察官が立っていた。怪しい録画を使い、ミケを有罪に追いやった検察官だ。検察官席には、今度はミケが座っていた。留美の姿は見当たらない。
裁判官が言った。
「それでは、ミケ検察官。起訴内容を説明して下さい」
ミケ検察官はすっと前に進み出た。
「はい、『着衣罪』で、懲役十年を求めます。今も着衣をしており、反省の色が見られません」
それを聞いて、裁判官は頷いている。被告の元検察官の顔は、恐怖に歪んでいた。ミケ検察官は続けた。
「着衣は、その製造と廃棄で環境を汚染します。また、洗濯には膨大な水と有害な洗剤を使い、水質を汚染します。しかも、被告は、貴重な飲める水を衣類の洗浄に用いていたと聞きます。全ての動物で分かち合うべき水資源をこんな事に使うなんて許せません。『ヒト』だけが、この重罪を犯しています」
裁判官は感心するように聞いていた。
休憩の後、判決が言い渡された。
「被告は有罪。求刑通り懲役十年」
被告はがっくりとうな垂れた。閉廷しようとする、その時、ドアを開けて大股で法廷に入ってくる者がいた。見れば留美だ。留美は大きな声で言った。
「裁判官、待ってください」
裁判官は留美の方を見て言った。
「ああ、留美検察官、いったいなんだね」
「起訴を取り下げます。ご覧の通り、私も服を着ています。『ヒト』は何万年もの間、着衣という習慣をしてきて、今や手放せなくなっています。ですから、『ヒト』の着衣を認めてください。お願いします」
裁判官のヒグマは困った顔をして言った。
「うーん、認めるかどうかは立法の問題なので、私の一存では決められないな。しかし、起訴を取り下げる以上、被告を有罪にする理由はない。被告を不起訴と認める」
留美はミケの方を見てウィンクをした。ミケは、まあ、仕方ないという顔でミケに返し、笑顔を見せた。
被告の元検察官は、畏れ入った様子で、ミケと留美に深々と頭を下げた。
◇ ◇ ◇
土手の上で寝ていたミケが、ぱっと目を開けた。
「あっ、ミケ、起きたのね」
ミケが寝ている間に湧いてきた、なんだか、しっくり来ない気持ちをミケに伝えた。
「私、なんだか理由は良く分からないけど、裸が問題なのではなくて、服を着ている方が問題なような気がしてきた。不思議ね。どうしたのかしら、私」
ミケ検察官には、そんな留美の気持ちが良く分かった。
「でも、私は裸になったりしないよ。だって恥ずかしいもん。それに、法律で駄目だって、なってるし」
夏の午後の強い日差しが、家路についた留美を照らしていた。
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