第8話 生徒会長選挙

 留美は学校の帰り、土手の上を覗いてみた。帰りの時間は、ミケはどこかに出掛けていて、いない事が多い。でも、その日はちゃんと土手の上に寝そべっていた。

「あっ、いる! ミケ、こんにちは」

「ニャオ」

「今日もご機嫌良さそうね。ちょっと暑くなってきたけど、ここは植え込みの木陰になってていいね。そうそう、今日は特別な日なの。なんだか分かる?」

「ミャウ?」

「分からないわね。あのね、ジゃーン、留美のお誕生日なの。いいでしょ」

「ミャン?」

「なんでいいか分からないって? だって、皆んながお祝いしてくれるんだよ。おいしい料理も食べられるし。だって一年に一回だもん」

 嬉しそうに言った。

「でもね、ウチは、おめでとうって言ってくれるけど、プレゼントもお小遣いもないの。ケーキも無し。いつもよりちょっと豪華な夕飯があるだけ。それでも嬉しいけどね」

 ちょっと不満そうだ。

「お父さんもお母さんも、誕生日は大切だけど、単に一年の中の一日だって言うんだよ。他の記念日や祝日もそうなんだって。だから、ウチは何かを盛大にお祝いしたりなんかしないんだよ。クリスマスだって、誕生日と同じで、ちょっといい夕食か、外食をしておしまい。クリスマスツリーもプレゼントも無し」

「ミュン」

 ミケは、どう返事していいかわからず、ただ髭をピンと立てていた。

「そうそう、ミケはお誕生日いつなの? あっ、暦が無いから、何月何日も分からないか」

「ミュウウ」

「あっ、ごめんね。ミケには誕生日なんか必要ないよね。何歳かも関係ないもん。でも、人間は誕生日や年齢はすっごく大切なの」

 ミケに熱心に説明し始めた。

「『節目』っていうのかなあ。そういうのがないと、毎日が単調に過ぎて行っちゃうでしょ。だから、人の一年には色々なイベントがあるの。例えば誕生日だし、クリスマスだし、お正月。あと、お花見やお盆もあるかな。ウチはもう何もしないけど、節分やひな祭り、七夕なんかも。ね、いっぱいあるでしょ」

 留美は、もっと思い出そうとしていた。

「そう、留美は学校に行っているから学校の行事が沢山あるわ。入学式と卒業式はもりろん、体育祭や文化祭でしょ、それから、合唱大会、修学旅行なんかも。部活にいたら、地区大会や県大会があるし、合宿なんかにも行くわ」

 ミケは次々と話しをする留美をさえぎるように鳴いた。

「ミャウー」

「そんなに色々あったら、のんびりしていられないって? その通りよ。毎日やることがいっぱい。文化祭や修学旅行だって、準備学習が大変なんだから。ミケは何んにも無くて簡単だね。あっ、ごめん。あるかもしれないけど、こんなにごちゃごちゃしてないでしょ。動物だって、例えば冬眠の準備とか、繁殖期とかあるんだよね。ミケは冬眠しないと思うけど」

「ニュアオン」

「変な鳴き方ねぇ。えっ、そんなごちゃごちゃ、やめちゃえばって? そうねえ。よく考えると、どうしても必要なイベントなんて無いかも」

 しばらく考えていたが、ある事を思いついた。

「ねぇねぇ、ミケ。今度、湘南なぎさ高校の生徒会長の選挙があるの。そう、これも学校行事ね。今思ったんだけど、『学校行事やめちゃいましょう!』っていう公約で立候補したらどうかしら。だって、そうしたら、いつも『忙しい忙しい』ってバタバタしている先生方も生徒も、楽になるよ。うん、これ、いいかも」


 留美の思いは、翌日になっても強くなるばかりだった。夕べ両親に立候補の話しをした時は、

「あー、いいんじゃない」

 とそっけない返事が返ってきた。まあ、想定通りだったけど、もう少し、応援してくれるとか、助言してくれてもいいかも、と思っていた。両親はいつもこんな調子だ。その代わり、留美のする事に余りとやかく言わない。一人で旅行に行くと言った時も、一人でキャンプしてみる、と言った時も、冬に滝に打たれてみたい、と言った時も、

「十分準備して、良識ある行動をするんだよ」

 とだけ言って、『ダメ』とは言わなかった。特に高校生になってからは、ほとんど放任だ。

 しかし、ただ一つだけダメ、と言っている事がある。それは「歩きスマホ」だ。大したことではないのだが、何故か父親は、歩きスマホだけはやらないようにと留美に注意している。留美は、元々放任主義的な父親が、敢えて言ってうくらいだから、何か特別なんだろうと思って、この一点だけは守るようにしている。高校生がやりそうなマナー違反は他にもいっぱいあるのに、何故、父親が取り立てて歩きスマホだけを注意するのかは、今でも良く分からない。


 次の金曜日は、生徒会長選挙の立候補の締め切りだった。思い切って立候補を申し込んだ。来週一週間が選挙期間だ。ちょうど一週間後の金曜日に、立候補者の演説会がある。そしてその日の内に投票が行われて結果が分かる。

 申し込みには立候補者の「私の主張」を一緒に提出する必要があった。これは翌週早々、校内SNSに公開され、全校生徒が見ることができる。留美は昨夜一晩かけて作文した。こんなに真面目に文章を書いたのは初めてだった。骨子こっしは、ミケとの話しで思いついた「学校行事をやめちゃおう」だった。でも、これがどれだけ支持を集めるかは分からない。例えば、文化祭を部活の唯一の発表の場としている生徒もいるだろう。修学旅行を心から楽しみにしている子も少なくないだろう。


 月曜日、ドキドキしながら校内SNSを見ていた。朝八時に立候補者のページが公開されると、候補者は三名だった。一人は、学校で学力一番の女子生徒、もう一人は水泳部のキャプテンで、県大会で入賞した事もある男子生徒。そして三人目が留美だった。

「あー、もう最初から勝ち目なんか無いや。いいや、やるだけやろう。今、引っ込んだら、最高に格好悪いし」

 留美以外の二名の候補者がアップした「私の主張」は素晴らしかった。校内美化や、スポーツ振興、先生との座談会の提案など、前向きな提案が並んでいた。

 留美は呟いた。

「これに比べると、私の提案は後ろ向きだなあ。なにせ『行事やめましょう』だもん」


 家では父親が、応援してくれた。

「そうか、でも、留美の主張は面白いよ。俺は画期的だと思うな。だって、何十年も受け継がれてきた行事を廃止するなんて誰も思いつかないじゃないか」

 なんだか褒められているのかどうか良く分からない。

 友達も応援してくれる。

「留美、『私の主張』読んだよ。面白いよ。当選しちゃうかも」

「変な事書いたね。でもこれ、先生方にも受けるんじゃないかなあ。だって、行事でいつも忙しそうだもん」


 こうして、演説会の日を迎えた。演説会は朝一番で行われる。持ち時間は一人十五分だ。その後、午後五時を締め切りとして、生徒が銘々に校内SNSを使って投票する。

 留美は三番目だった。広い講堂の舞台の端に鎮座し、緊張して自分の順番を待っていた。先の二名は堂々と自分の主張を述べていた。二人とも会場から大きな拍手を受けている。そしてとうとう留美の順番が回ってきた。

 マイクの前に立って、話し始めた。話し始めると一気に緊張は解け、自分の世界に入ってマイペースになる。留美の意外な強みだ。

「私の主張は『学校行事の廃止』です。でも、全て廃止する訳ではありません。まずは、体育祭、文化祭、合唱大会、修学旅行を廃止します。ちなみに、このアイデアは、私の通学路にいる野良猫のミケが教えてくれたものです」

 場内は、笑いと大きな拍手に包まれた。先生方も拍手している。ひょっとすると、前の二人よりも大きな拍手かもしれない。手応えを感じた。

 主張の骨子は事前に校内SNSにアップしてあるから、読んだ人は分かっているはずだ。

 話し方のセオリーとして、まず、一番言いたい事を簡潔に言って、それから理由を説明する。こんな話し方が自然と出来るのは、父親の影響かもしれない。

「理由を説明します。生徒の皆さんも、先生方も、授業、学校行事、それから私生活での習い事や、学習塾で忙しいと思います。いつも、時間が無い、時間が欲しいという声を聞きます。なので、不要不急と言っては失礼ですが、高校生の本分である学業に直接関係の無い行事は、思い切って廃止すべきだと思います。これにより、生徒も先生方も時間に余裕ができ、心にゆとりができます。なお、文化祭を発表の場としている文科系の部活の人達は、個別に発表会を行ってください。生徒会はそれに協力します。また、修学旅行などは、例えば、校内SNSを使って、時間やお金に余裕のある生徒同士が企画し、自主的に行けば良いと思います。お気に入りの先生がいれば、連れて行ってあげても良いでしょう」

 場内からは笑いが漏れた。

 留美はちょっと調子に乗り過ぎていた。『私の主張』で書いて無い事まで話し始めた。

「それから、校内SNSにはアップしていなかった公約を一つ述べます。校内での『歩きスマホ』を全面禁止します。私の父親は、歩きスマホだけはするな、と言っています。これから社会人になっていく私達は、今から歩きスマホをしない習慣を身に付けるべきです」

 留美は、盛大な拍手を期待していた。しかし、場内は白けたようにシーンと静まり返っている。生徒達はお互いの顔を見合わせ、先生方も視線のやり場が無いように横を見たり上を向いたりしている。

《あれっ、私、何か変なこと言っちゃったかなあ》

 気まずい雰囲気の中、演説を終えて降壇した。


 さて、後は投票結果を待つのみだ。校内SNSでは、投票結果がリアルタイムで表示されて行く。留美も結構、票を稼いでいた。

 昼休みに、友達から言われた。

「すっごく良かったよ、演説。本物の政治家みたいだった。でも、最後の歩きスマホの話し、ちょっとマズかったんじゃない?」

「そう、だってウチの高校はスマホの持ち込みも使用も結構自由で、みんな気楽に使っているじゃない? そこに『歩きスマホ禁止』って言ったら、なんか嫌だよね」

 友達の感想を聞いているうちに、最後の話しはしなければ良かったと、今更ながら後悔した。しかし、時既に遅し。開票は進んでいった。

 そして、投票締め切りの五時が近づいてきた。学校に残っている者もいれば、自宅で見ている者もいる。

 留美は、自宅で母親と一緒に開票速報を見ていた。そして五時。

「あー、負けちゃったー。お母さーん」

 一位は水泳部の男子生徒だった。しかし、二位は留美だった。僅か、十票の差だった。大健闘だ。

「あーあ、歩きスマホの事を言わなきゃ、たぶん勝っていたのになあ」

 母親はなんの事だか良く分からなかったが、ここまで留美が健闘した事を喜んでいた。


 次の登校日の朝、留美はミケに報告をした。

「ミケ、おはよう。あのね、生徒会長選挙、負けちゃった。でも、もう少しだったんだよ。ミケのアイデアを沢山の人が応援してくれたって事」

 ミケはちょっと誇らしげな顔をして鳴いた。

「ミーミョー」

「負けちゃったから、これからも忙しい毎日だって? うん、そうだよ。だってしょうがないじゃない。人間の世界は大変なの」

 そう言うと、学校に向かった。

 学校では、先生や知らない人まで留美に声を掛けてくれた。

「頑張ったね」

「もう少しだったのにね」

「いいアイデアだったんだけどなあ」


 留美は、負けちゃったけど、生徒会長選挙に出て良かったかな、と思った。

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