第6話 死

「ミケ、まだお風呂や猫ひもの事、怒ってる?」

「ミャーン」

 ミケは、目を細めて、ゆっくりと鳴いた。

「あー、良かった。怒ってないのね。ミケ、今日はご機嫌そう」

 留美は安心した。少し間を置いた後、ちょっと真面目な顔で話し始めた。こんな顔をするのは珍しい。

「ねえ、ミケ、『死』って分かる?」

「ミャア?」

「分からないわよね。猫だもんね」

「ミミミー」

「あっ、ごめん。バカにしているんじゃないよ。むしろ、分からないミケがうらやましいかもね。あのね、昨日、同級生の弟さんが死んじゃったの。まだ、小学生よ」

「ミー」

 ミケは分かるような分からないような顔をして、行儀よく留美の話しを聞いていた。

「1週間くらい前に、その弟さんは窓のさんを掃除していて、落ちてきたゴミが目に入ったんだって、しばらくして熱を出して、高熱が続いて、そいで死んじゃったの。抗生物質なんかも効かなかったって」

 ちょっと元気が無さそうだった。

「人間って、間単に死んじゃうんだなって、思ったよ。小学生だよ、まだ」

 ミケは留美を心配そうに見ていた。

「猫だって死ぬよね。ミケだって。もちろん私だって。でも『死』が分かんないなら、いいかもね。あと何年くらい生きられるなんて予測できない方が幸せね」

「ミミャミャアー」

「えっ、『死』は分からないけど『食べられる』は分かるって? ねえねえ、それどういうこと?」

「ミーミャウニャオン・・・・・・」

「ふーん。そうだよね。ミケは肉食だから、ネズミなんかを捕るよね。だから、そこで、ネズミが『食べられて消える』っていうのは分かるんだ」

「ニャオオン」

「だから、自分もキツネやワシに『食べられるかもしれない』って事はわかるってか」

 ミケが言おうとしている事を理解しようとしていた。

「つまり『死ぬ』というのは無くて、代わりに『食べられる瞬間』があるって事?」

「ミャン!」

「なるほど、なんだか禅問答みたいね。ミケって哲学者かも」

 ミケは褒められていると思ったのか、少し得意げな表情をした。

「うーん、じゃあ、もしかしたら、私も『死ぬこと』なんて無くて、『食べられること』はあるっていう訳ね。でも、なんか変な感じ」

「ミミーニャ?」

「ん? 生きてもいないし、食べられてもいない動物見たことあるかだって? 死骸の事? 車に轢かれたネコは見たことあるけど、それ以外は無いわね」

「ミミミミー!」

 轢かれたネコに触れたので、ミケが怒った。

「あー、ごめん。でも、ないわね。動物って食べられずに死ぬとき、どうなるのかしら。人間は、お棺に入れて、お葬式して、焼いて、でしょ」

「ニャワン」

 ミケは、また猫とも犬とも付かない声で鳴いた。

「そっか、例えば体が弱っていって、死にそうになれば、テンやタカなんかがやってきて、抵抗できない程に弱ったところで、食べられちゃうんだね」

 そこで気付いた。

「あれっ、本当だ、ミケのいう通り。『死んだ状態』なんて無いじゃない。生きているか、食べられて消えつつあるか、どっちかだね。ふーん」

 妙に納得してしまった。

「だから、ミケも、『いつ死ぬか』なんて事は考える必要はなくて、『食べられるまで生きる』って事ね。わかったわ。そうやって考えると、なんだか死についてあれこれ思いを巡らしている人間の方が変に思えてきちゃう」

「ミー」

「やっと理解したかだって? 偉そうに、コラッ、ミケ!」

 留美は何かさっぱりした気分になった。動物の気持ちが少しだけ分かったような気がした。

「平均寿命が何年だとか考えているのは人間だけね。『食べられるまで』なんだね、本当は。だから、ミケは自分がいつ死ぬかとか、あとどれくらい生きられるか、なんて考えていなくて、ただ『食べられないように生きている』っていう事なんだね、きっと。今日も、明日も、一年後も、十年後も。ありがと、ミケ、勉強になったわ」

 ミケにお礼を言うと家路についた。ミケは、ちょっと誇らしそうに端坐して留美を見送った。


 家に帰ると、珍しくお父さんとお母さんが揃ってテレビを見ていた。バタバタと家に上がった留美は、何か大発見したように顔を上気させていきなり言った。

「ねぇねぇ、お父さん。この間、お父さんは『死ぬなら美味しいものいっぱい食べて満腹死したい』って言ってたよね。留美も決めたよ。私、されるわ。なんだか爽やかでしょ」

 そういうと自分の部屋にさっさと行ってしまった。

 父親と母親は顔を見合わせてポカンとしてる。

「えっ、あいつなんて言った? 『捕食』とかなんとか」

 父親が言うと母親が答えた。

「『捕食される』って。いったいなんの事かしら。何が爽やかなんでしょうね」


 自分の部屋に籠もると、ネットで自然の生態系について調べ始めた。動物や自然界について、もっと知りたくなったのだ。




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