第5話 猫ひも
ミケは、それとなく留美を用心していた。銭湯の一件から、留美を少し警戒している。無理も無い。やはり熱いお湯に入って、
「気持ちい~」
と思うのは人間だけだろう。確かに、カピパラやお猿さんの例もあるにはあるが。動物は火を使わないから、元来「熱」とは無縁だ。せいぜいお日様に当たって日向ぼっこするくらいだろう。夏は暑さに耐え、冬は寒さに耐える、ただそれだけだ。留美のお父さんの水シャワーは、もしかすると、そんな先祖がえりの衝動から来ているのかもしれない。
しかし、銭湯に入ったというのは、実際にはミケの白昼夢だったようだ。留美のお風呂の話しからミケが勝手に想像してしまったらしい。それでもやはり湯船に投げ込まれた時の嫌な感覚は残っている。
「ミー」
ミケは思い出すと、猫のくせして溜息をついた。
「ミケ、おはよう」
「ニャ」
いつものように挨拶する留美に、なんとなくミケの返事はそっけない。銭湯の事をまだ怒っているのだろう。
「ミケ、猫ひもやってみる?」
ミケは目を丸くして、いや猫の目は元々丸いが、それをさらに丸くして留美を見た。またもや何か嫌な予感がする。
「ミャウ?」
「それ何かって? 猫に付ける紐よ。ほら、犬は皆んな付けてるでしょ。『リード』って言うのかな」
ミケは丸い目をさらに見開いて留美を見た。何を考えているのか分かったようだ。ミケはひもなんて絶対に嫌だった。
「ミャミャミャー!」
◇ ◇ ◇
ミケは公園にいた。学校の手前にあるモミの木公園だ。実際、広場の真ん中に大きく枝を広げたモミの木がある。ミケは、留美が『猫ひも』の話しをしていたことを思い出した。振り向くとモミの木陰に留美がいた。
「あら、猫ひも嫌なの? ちょっと試しに付けるだけだから。ほら」
後ろ手に隠していた「紐」を差し出した。首輪も付いている。ミケの顔に恐怖の色が浮かんだ。
「猫は犬と違って、紐を付けると自分で首に巻きつけちゃって、死んじゃうって聞いたことがあるけど、そんな事ないよね」
そう言いながら近づいてくる。ミケはダッシュして逃げようとした。その時、一瞬早く留美が飛びかかってきた。同時に首輪がパチンと軽い音を立てて閉まるのを感じた。
「ミャーン」
留美は紐の片方を持って、首輪を付けられたミケをニヤニヤしながら見ている。ミケは捕まってしまった。
「ほら、なんでもないでしょ。ご覧あれ、ミケの『猫ひも』だよー」
進退窮まったミケはじっと留美を見ている。
「さあ、ちょっと散歩してみようか。うち、犬飼っていないから、こういうの一度やってみたかったんだ」
ミケは無駄とは知りつつ、前足を踏ん張って抵抗した。
「ほら、ちゃんと歩かないと。だって、犬と同じように『ひも』を付けないといけなくなるかもしれないでしょ。その時の為の練習よ。紐を嫌がると、保健所に連れて行かれて、処分されしゃうかも・・・・・・」
平気で随分と物騒な事をしゃべっている。紐の端を握り締め、ミケに背を向けると、ルンルン言いながら公園の中を歩き出した。囚われの身となったミケの中では、自由だった日々の思いが去来していた。
行きたい時に、行きたいところへ行けた日々・・・・・・
土手を駆け上り、走り回った日々・・・・・・
仲間といつまでもじゃれ合った日々・・・・・・
「ねえ、どうしたの? 何か感慨深そうにしているけど。さっ、行くよ」
ミケはうな垂れて、留美の引っ張るままに付いていった。
「ほら、こっちよ。そっちじゃない。立ち止まらないでよ、忙しいんだから」
次々と指示が飛ぶ。なんでこんな事になったんだろう、とミケは悲しかった。
◇ ◇ ◇
自分の人生、いや
「どうしたの? 猫ひもなんて嘘よ。そんなもの持っていないし。ひもを付けたミケなんて可哀想でしょ。惨めだし、見たくないわ」
ミケは顔を上げ、自分がいつもの土手にいることに気付いて、全身が安堵感に満たされていくのを感じた。またもや、白昼夢を見てしまったようだ。猫ひもを付けて、連れ回されるという・・・・・・
「ミケは自由よ、心配しないで。私も自由。どこでも行きたいところに行けるよね。でもちゃんとここに帰って来てね、また会いたいんだから」
そう言うとにっこり笑って手を振り、ミケに別れを告げた。ミケは首をぐるりと回し、首輪が無いことをもう一度確認するとやっと落ち着きを取り戻し、いつものように目を細めて、遠ざかる留美を見つめていた。
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