第4話 お風呂

 ミケは、いつもの土手の上で毛繕けづくろいをしていた。足を伸ばして高く上げ、舐めたり咬んだりしながら毛並みを整えて行く。

「ミケ、おはよう!」

 ミケはじろっと留美を見て、短く、

「ニャオ」

 と鳴いた後、毛繕いに戻った。

「熱心ねぇ。清潔好きなんだ、ミケは」

 ミケは毛繕いに集中しているようで、留美に返事もしない。

「でも、シャワーやお風呂は無いでしょう。人間は猫なんかよりずっと清潔よ」

「ミャウミャウ」

 ミケは、毛繕いををめて、留美の方を見て鳴いた。

「そんな面倒なもの要らないって? 舐めるだけで十分だって? うーん、そうかなあ。でも、お風呂に入らないと、臭くなっちゃうよ。友達に嫌われちゃう」

「ミー、ミャン」

「あぁ、ミケのいう通りね。確かにミケは野良猫のくせして臭くないわね。不思議ね、人間は直ぐに臭くなるのに」

 ミケに顔を近づけて臭いを嗅ぐ仕草をした。

「ミケには関係ないけど、うちはちょっと変わっているの。いつもシャワーだけで、お風呂は沸かさないの。でも、学校の友達はみーんなお風呂好きで、シャワーだけなんてあり得ないって言うの」

 ミケは関心なさそうだったが、留美は続けた。

「お父さんがね、たまーに海外出張に行くんだけど、海外ではシャワーだけのホテルが多いんですって。あ、会社の指示で安宿に泊まっているからみたいだけど」

 今日は学校が休みなので、ゆっくりミケと話しができる。

「それでね、いちいちお風呂沸かすの面倒だし、ガス代も掛かるからって、お母さんもシャワーだけにする事が多くなって、気がつくと私もシャワーだけになっちゃった。でもね、月に一回くらいは銭湯か温泉に行って、おっきな湯船でゆったりするんだよ。いいでしょ」

「ニャワン」

 ミケは猫とも犬ともつかない鳴き声を立てた。

「あとね、お父さんは水シャワーなの。ううん、一年中じゃなくて、半年間くらいかな。十月に入ると、水が冷たくて修行みたいって言ってたわ。何でそんな無理するのか良く分からないけど、いつまで水シャワーでいられるか挑戦するのが面白いんだって。まるで小学生の短パンね。私はそれに影響されて、盛夏の一ヶ月間くらいは水シャワーにしてるんだ。気持ちいいよ」

 シャワーやお風呂の話しはいっぱいあるらしく、間を置かずに留美は話しを続けた。

「そうそう、ある時なんか、お父さんとお母さんが、今の浴室をリフォームしてシャワーだけにしちゃおうかと話していた。広々とするし、掃除も簡単だって。私はかまわないけどね」

 何かを思いついたように小さく手を打ち、ミケを見た。ミケは嫌な予感がしたのか、少し姿勢を低くして身構えた。

「ミケ、お風呂に入ってみたいでしょ。今時いまどきはペットサロンみたいなところで、ペットだってシャンプーや入浴ができるんだよ。それにテレビで、カピパラやお猿さんが温泉に入っているのも見た。だからミケも、ね」

 ミケは大きく目を見開いて後ずさりした。

「ミャンミャン、ギー!」

「絶対に嫌だって? ペットだって、最初は嫌がっても段々と慣れるそうよ。ミケはそのままでも臭くもないし、十分清潔だけど、ほら、という事でどう?」


◇ ◇ ◇


 ミケは銭湯の前に立っていた。少し時代がかった、瓦庇の古い趣の玄関だ。洗面器に入れた石鹸をコトコト言わせて、人が出入りしている。ミケはふと背後に人の気配を感じた。次の瞬間、突然両前足を掴まれ、空中に掲げられた。後ろ足でジタバタするが、空を蹴るばかりだ。

「ミケ、お待たせ。じゃあ行くよ。ヒヒヒ」

 見ればミケを掴み揚げでいるのは留美だった。目は獲物を狙う時のようにギラギラしている。留美はミケを掴んだまま、ゆっくりと銭湯の玄関、番台を通り抜けて行く。番台のおばさんも他の客も、ニヤニヤしながら連れられて行くミケをじっと見ている。

「抵抗しても無駄よ、フフッ」

 浴室の扉を抜けると、湯煙を通して壁に書かれた富士山が浮かび上がってくる。その前にはなみなみとお湯をたたえた湯船があった。

「さあ、観念しなさい。ミケの入浴の始まり、始まりー!」

 掲げていたミケを湯船にザッブーンと勢い良く落とした。

「フンギャーーーーーーー!」


◇ ◇ ◇


 ミケは気がつくと、いつもの土手の上にいた。目の前には留美がいる。留美は言った。

「ミケ、どうしたの? なんか慌ててるみたいだけど」

 ミケが落ち着いてくると、続けた。

「そうそう、話しの途中だったわね。それで、お風呂入る?」

 ミケは一瞬体を強張らせると、ダッシュして土手を駆け下り、猛スピードでどこかに行ってしまった。

「あー、本当にお風呂嫌いなんだね。でも、私もお仲間かも。シャワー生活に慣れると、お風呂面倒だもん。湯船の掃除もしなくちゃいけないし。入る時間や順番も気にしなくちゃいけないし」

 留美は、思った。

「お風呂好きの友達は、海外の安宿や、山小屋に泊まることになったらどうするんだろう。お風呂なしで我慢できるかな。慣れればそれまでだと思うけど」

 そして、ミケのいなくなった土手を見ながら呟いた。

「でも、ミケのお風呂嫌いには安心したわ。だって野生の証明だもの。お風呂だ、シャワーだなんて言うのは、人間だけでたくさんね」



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