第3話 時間

 珍しく学校の帰りにミケを見かけた。

「あれっ、ミケ。おはよう、じゃなくて、こんにちは。今日はどうしたの?」

「ミャー」

 ミケはいつものように挨拶を返した。ゴロっと横になって、気持ちよさそうだ。

「ミケ、『時間』って分かる? たぶん、人間の最大の発明かも」

「ミャウ?」

 突然質問されて、ミケは顔を上げて留美を見た。言っている事が分からない様子だ。

「人間は、時間や暦を発明して、文明がどんどん発達したって、学校で習ったんだ。だってそうだよね。時間が分からなかったら、始業時間だって、待ち合わせだって困るし。だって、『明日の朝、待ち合わせようね』だけじゃあ、朝早くなのか、朝遅くなのか分からないでしょ」

 留美は続けた。

「朝起きるのだって、時間が決まっていないと困るよ。だって夏は朝早くから明るくなるし、冬は遅いから、時計がないと困っちゃう」

「ミャウミャウ!」

「えっ? 時間なんか分からなくたって大丈夫だって? ミケはいいわね、そうやって時間を気にせずにいられて。私なんか、こうして、始業時間に間に合わないとか、何時から部活とか、約束の時間だとか、いつも時間を気にしているよ」

 留美は、スマホの時刻表示をミケに向けて見せた。ミケはちょっと同情するような眼差しで留美を見ていた。

「時間は人間の最大の発明だけど、毎日それに縛られている感じね。あーあ、ミケみたいに時間の無い世界に行ってみたいなー」


◇ ◇ ◇


 留美は波打ち際に立っていた。でも、家から近い湘南海岸とはちょっと違う。静かで、遠く広がるどこまでも青い海からは潮騒だけが聞こえていた。綺麗な砂浜には人気ひとけが無い。後ろは森になっていたが、背の高い椰子の木が生えている。なんだか南の島の雰囲気だ。

 砂浜沿いに歩いてみることにした。少しいけば、海の家やヨットハーバーなんかがあるかもしれない。

「なんにもないなあー。それに、全然ゴミも落ちていないし、人の足跡も無い」

 ぽっかり浮かんだ白い綿雲がゆっくりと流れている。しばらく歩いていて、これが本当に小さな島ではないかと思い始めた。

「このまま歩いていくと、たぶん一周して、最初の所に戻っちゃうような」

 そう考えたとき、砂浜に足跡を発見した。よく見ると、それは自分の足跡だった。

「あーあ、本当に一周しちゃった」

 考えてみれば、かなり深刻な状況に置かれているのだが、留美は何故かあっけらかんとして、不安も感じていなかった。

「これじゃあ、まるで漫画に出てくる無人島ね。さあてと、冒険物語のように食料を探して探検でもしましょうか。そう、島に名前を付けなくっちゃ。ミケ島というのはどうかな。あの、のんびりしたミケみたいな島だから」


 海岸から離れ、椰子の木をくぐり抜け、ジャングルに分け入って行った。といっても、十分も歩けば反対側の海岸に抜けるので、迷ってしまうことはない。

 ちょうど島の中央くらいと思われるところに開けた場所があった。もちろん自然に出来た広場で、小さな泉がある。見れば、綺麗な水が湧き出していた。恐る恐る飲んでみた。おいしい! 塩水ではない。これでとりあえず、1週間くらいは生き延びられそうだ。

 まず水が大切な事は父親からおそわった。父親の影響で、留美はサバイバルに関する知識もいくらか持ち合わせていた。父親とハイキングに行った時に、道すがら山歩きの心得や何かあったときの対応方法を耳学問していた。この島では役に立ちそうだ。

 水があったことで少し安心した留美は、ジャングルの中で食料を探した。そうはいっても、あまり期待はしていない。食べられる山野草もいくらか知っているが、ちゃんと腹の足しになるものは、自然の森にはなかなか無い。木の実か、動物を狩るかだ。こんな小さなジャングルでは動物なんかいないだろう。小鳥くらいだ。それに、火がないから調理もできない。


 孤島に一人でいるのだから、本当なら、心配しないといけないことは沢山あって当然だった。毒蛇やサソリに襲われたらどうしよう、どうやって助けを呼ぼう、食料が見つからなかったらどうしよう、怪我や病気をしたらどうしよう、嵐が来たらどうしよう、などなど・・・・・・

 しかし、留美はさほど気にせず、むしろ、このサバイバルな状況を楽しんでいるようだった。冒険活劇の見すぎかもしれない。

 食料を探してウロウロしていると、遠くから、

「ブンブンブン」

 という低く唸るような音が聞こえてきた。人工的な音だ。船だろうか。木立の隙間から海の方を見ようと背伸びしていると、その音は頭上に移った。

「あっ」

 上を見て思わず声を上げた。大型のタンデムローターのヘリコプターがゆっくりと降下してくる。人っ子一人おらず、自然しか無いと思っていたところへ突然、がやってきた。

 目を丸くしていると、ヘリは島の中央の広場へ向かって速度を落としなら降下して行った。見れば、ヘリは大きな青色のコンテナを吊り下げている。

 本当なら手を振って、助けを求めるべきだが、留美は唖然として事のなりゆきを見守るばかりだった。

 ヘリの爆音と、巻き起こる旋風の中、コンテナはゆっくりと広場に着地した。上空のヘリはコンテナを吊っていたロープを切り離すと、旋回しながら虚空へと消えて行った。

 ヘリの爆音が遠ざかると、留美はやっと動いた。コンテナの所まで歩いて行く。扉をノックしてみる。

「コンコンコン、誰かいますか」

 本当に誰か出てきたらちょっと怖い、と思いながら耳を澄ましても、返事は無い。

「開けますよ」

 そう言いながら、レバーを操作して重くて大きな扉を開けにかかった。やっと開いた扉の中には、びっしりと箱が詰まっていた。一つ一つの箱はそれほど大きくない。普通に両手で持てるくらいだ。箱には恐らくは中身を表している文字が書かれていた。

「ごはん」

「カレー」

「野菜」

「牛丼」

「パン」

 などなど。要するにこれらは食料らしい。

 目を輝かせて、しばらく箱を、奥の方に何があるのか探索した。どうやら箱は全て食料のようだった。

「これは、私がもらっていいのかしら。というか、私しかいないけど」

 水に続いて、食料が手に入ったことで、留美はほっとした。しかし、誰が何のためにこんな事をしているのか、そもそもここは、どこなのか、など、根本的な疑問は、何故か頭に浮かんで来なかった。

「さて、サバイバルのセオリーだと、次は『保温』だけど、ミケ島はあったかいから大丈夫ね。寒くなったら、このコンテナの中に入ればいいし。食料の空き箱でうまく寒さを凌げるかもしれない」

 なんだかホームレスのようだが、実際、今の留美はなのだから仕方ない。


「ミャアー」

 どこからか、猫の鳴き声が聞こえてきた。

「あれっ? ミケかな」

 声のする方を探した。すると、コンテナの屋根の上にミケがいた。

「あっ、ミケ!」

「ニャオーン」

「うん、私も会いたかった。これで一人じゃないね、ミケ」

 ミケを見て、心強く思った。話し相手が出来たのだ。

 留美はコンテナの扉が開いた所に腰掛けた。そこへコンテナの屋根から華麗に飛び降りたミケがやってきた。

 すっかり落ち着いて、ミケといつものように話し始めた。

「そういえば、ミケに『時間』の事を話したでしょ。でもここでは私もミケね。分かる?」

「ミャア?」

 ミケが分からないような顔をしていると、留美は続けた。

「だって、ここには時計もスマホもないのよ。つまり、時間が分からないの。お日様が昇って朝になり、沈んで夜になるだけ。だから時間を気にしないミケと、今の私は同じという訳」

「ミャミャン、ニャ!」

「『ようこそ猫の世界へ』ですって? あー、猫なんかと同じになっちゃったかー」

「ミャーー!」

「あー、ごめん。猫を悪く言った訳じゃないよ。時間が自由になって嬉しいよ」

 ミケの機嫌を損ねないように慌ててフォローした。


 ミケ島で、時が過ぎていった。水も食料もあるので心配は無い。もちろん、この先どうなるのだろう、と不安になるべきなのだが、ミケがいるせいか、そんな思いは湧いてこなかった。

「ミケって、毎日こうなんだよね。起きてしばらくすると、ごはんを食べる。ここでは私が食料を分けてあげてるけどね。それから島をゆっくりと一周する。これは縄張りの巡回かな。猫の世界の事はよくわからないけど。それからお昼寝。午後はジャングルで小鳥や昆虫と戯れて、一日がおしまい!」

「ミー」

「でも、今の私はほとんどミケと同じ。だって、学校もないし、読書も出来ないし、ネットも無いし、映画もテレビもないし。ミケは毎日同じでよく飽きないね」

「ミャミャア」

「えっ、なんで学校に行くのか分からないって? だって、そういうことになってるからよ。理屈なんてないわ」

「ミュー」

「うん、確かに何にもなくても、こうして生きていられるよね。でも、人間の世界はいろいろあるの。いっぱい勉強して、部活して、仕事をして、あっちこっち行って、いろいろな人と会って、それからそれから・・・・・・ ん、もう、ミケには分からないでしょ」

 ミケはそう言われて少し悲しそうな顔をした。何もせずにいる自分を悲しんでいるのか、何かをしなければならない留美を悲しんでいるのか、その表情からは読み取れなかった。

 ミケ島に来てから、何日かが過ぎていった。カレンダーも無いから、実際に何日経ったのか、記憶に自信がない。というより、何日いたか数える意味は無かった。

「あー、さすがにちょっと飽きてきたかな。そういえばお父さんとお母さん、どうしてるかな。心配してるかも。そろそろ家に帰りたいな…・・・」


◇ ◇ ◇


「♪ ♪ ♪ ~」

 ペールギュントの「朝」で、留美は薄目を開けた。静かな曲だが慣れているので、この曲が流れると目を覚ましてしまう。曲はベッドの下に転げ落ちたスマホから、バイブ音と共に流れていた。ぐしゃぐしゃで、半分床にずれ落ちた布団をどけると、素早く時計を見た。6時半だ。

「あ、起きなくっちゃ」

 でも、何か不思議な記憶が残っている。

《学校の帰りにミケと話しをしていて、そこから無人島に行って、そこには時計もスマホも無くて、ミケと同じような生活をして・・・・・・》

 そこで、留美はかぶりを振って、着替え始めた。

「今日は、忙しいんだ。7時にはごはんを食べて、7時半には家を出て、8時から部活の朝練にでて、帰りは4時に友達んちに行って、6時から夕飯のお手伝いで、それからそれから・・・・・・」

 そんな時、母親の声がした。

「ごはん、出来てるわよー」

「はーい」

 留美の忙しい一日が始まった。


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