第108話 使者①

「なあ、お前。……お前だよ、お前。聞こえてるんだろ? 無視するなよ!」


「私の名前はお前ではありません。ご自身の立場をわきまえて発言されてはいかがですか? ジェム将軍」


 イーキンは珍しく苛立ちを隠せないでいた。それというのも、目の前のこの男、ジェム・バルクチュのせいである。


 時は少し遡る。

 南町詰所を占拠し、内部を検分していた頃、最上階である3階の個室にやたらと身なりの良い男が監禁されているという。最初、マビキシュ族の若者が覗き窓越しに事情を訊いていたが、男の横暴な態度に腹を立てて中座したため、急遽、イーキンと特に体格がいい一般兵3名で室内に踏み込み、聞き取りにあたることになった。無論、投降した衛兵の中から選んだ年配の者を1名伴って。


「さて、先ずは先ほど答えなかったという名前を名乗ってもらおうか」


「おい、それがお願いする態度か」


 小さな机にイーキンと向かい合わせに座らされ、両手を後ろ手に縛られてもなお、男は態度を変えずに偉ぶる。天性の胆力か、本物の馬鹿か。


「ならば、どんな態度であれば?」


「俺にものを頼むときはひたいを地面に付けるんだよ。そんなことも分からないのか? これだから北の野蛮人ども――」


 イーキンは男が言い終わるのを待たず、肘を付けて口の前で組んでいた指を解して左手を小さく上げれば、男の左後ろに控えていた兵が躊躇なく男の後頭部を鷲掴みにし、机にその不愉快な表情を打ち付けた。その数、イーキンが左手を下げるまで合計3回。そして年配の衛兵からの耳打ちににわか尋問官が少し頷き、一般兵1名と共に衛兵を下がらせた後、聞き取りを再開する。


「自ら手本を示してくれてありがとう。ところで名前は?」


 鼻血を垂れ流し、頬の一部を紫色に染めても男は意気軒高。口だけは、であるが。


「黙れ! 貴様ら、俺を誰だと思ってる! 俺はバルクチュ兵の総司令官、ジェム・バルクチュ将軍であるぞ! 蛮族如きが俺をこんな目に合わせて只で済むと思うなよ!」


 イーキンが笑顔と共に右手を少し上げれば、ジェム将軍の右後ろに控えていた兵が椅子の足を払い、座っていた将軍諸共もろともに転倒させる。そうかと思えば、呻き声を上げる男と共に椅子を直す。だが、イーキンが右手を下げていないのを確認すると、再び椅子の足を払う。結局これも都合3回、右手が下げられるまで行なわれた。


「まあ、そんなにいきり立たないで下さい。ジェム将軍を害しようという気持ちなんて、我々には全くないんですから。……少なくともこちらの言うことを大人しく聞いてくれる間は、ですが」


「うあ……ぁ……ぅぅ」


 ジェム何某なにがしは呻き声を漏らしながらも、目の前の男を睨み続けていたが、イーキンの笑顔は貼り付いたように崩れず、話題を次へと移しゆく。


「それで、将軍様はどうしてあのようなところに監禁されていたのでしょう?」


「知るか! 現場を鼓舞してやろうと、わざわざ俺が自らここに足を運んでやったのだ。にもかかわらずセレンめが、あろうことか俺を拘束しおった」


「……なるほど」


「そうだ! お前らが逆賊セレンを討伐したら、我が軍に召し抱えてやってもいいぞ! 褒賞金もあた――」


 しかし、今度も最後まで聞こえることなく、代わりに顔を机に打ち付けた鈍い音とジェムの呻き声が部屋に響いた。ジェムはそのまま頭を押さえつけられ机に突っ伏している。


「バリス・セレン殿は北町が奪還できなくなることを恐れたのではないですか? 何せ将軍様は余程、下々の者たちから嫌われている。あなたが上にいることで軍が機能しなくなることは想像に難くない」


「う、嘘だ、嘘を言うな! 俺は選ばれた人間だ。みなが俺を愛し、平伏する。現にさっきの衛兵だって、俺の助命を嘆願していたのだろう?」


「いいえ。あなたのことは出来るだけ痛めつけて、場合によっては殺してしまっても構わないと。ま、それはさておいて、こんなことにいつまでも時間をかけてはいられません」


 ジェム将軍に猿轡さるぐつわと目隠しをして外へお連れして下さいと、イーキンは控えていた一般兵に頼む。その次は詰所の敷地内で待機していた兵士たち50名に声を掛けると、拘束したジェムを先頭に、煙が立ち昇るバルクチュ屋敷へとぞろぞろ行軍し始めた。行軍とは言うが、回り込まなければならない北側と異なり、正門がある南側は詰所の隣であるのだが。

 そうして短い行軍を終えると、正門近くの土塀を茶の魔石で手早く倒壊させた。そこから、散発的に銃声が鳴り響く敷地内に慎重に侵入するも、差し当たって見える限りでは外には衛兵はおろか使用人の姿もない。少し立ち止まり様子を探れば、暫くして現れたのは敷地中央の屋敷だけを呑み込む異様な暴風雨であった。


 事情が呑み込めたイーキンは、これは好機と手近な兵にセルハンへの伝令を頼み、自身は槍の穂先に目立つように藍色の丸を描いた大きな白布を括りつけた。


「それではジェム将軍。これより目隠しを外しますが、くれぐれも馬鹿な真似はしないようにお願いします」


 イーキンは怒気をはらんだ丁寧な物言いでジェムに注意を促し、拘束する兵士に目隠しを取るようにお願いする。自身は何をするのかと様子を見ていると、先ほどの布を高く掲げ、ゆっくりと屋敷に歩み寄っていくではないか。

 白地に藍色の大きな丸は使者の証。抱えた使命は降伏勧告である。道理の分かる相手であればまず攻撃はされないだろうが、後方に控えているよりは遥かに死ぬ可能性が高くなる。島の民に任せても良かったが、イーキンは敢えて自分で交渉に赴くことを望んだ。彼なりの贖罪か、或いは汚名返上の機会と捉えたか、はたまたその両方かも知れない。


 順調に屋敷の中に入っていったイーキンは、やがて2階の外回廊からこの場の指揮官と思われる者と共にジェム将軍を指さし見ながら話し込んでいたが、じきに正門付近まで戻ってきた。降伏勧告の結果は彼の満面の笑顔を見れば言うまでもない。


 イーキンとセルハンが無事に合流を果たした後、士気も低く、忠誠心もほとんどなかった大半のバルクチュ兵を解放し、監視兼防衛要員として50の兵士を屋敷に残す。そして、セルハン、イーキン、ジェム・バルクチュ、50名の選抜された島の民たちは急いで船に乗り込んだ。目指すはバリス・セレンが所在すると目される北町詰所である。


 ここで場面は冒頭へと戻る。


 北町から南町への移動と同様、再び南町商人組合の助力で中規模の荷船にぶねに乗船しているが、猿轡さるぐつわを外したジェムの尊大な態度が、わずらわしい事この上なかった。


「この男の首を刎ねても?」


「そいつは、まだ交渉に使える。生かしておけ」


 苛立ちが限界を超えたのか、イーキンはセルハンに同意を求めるが、返事はやはり否。


「だが、お前の苛立ちは俺も理解できる。また猿轡さるぐつわでもしてみたらどうだ? 樽に閉じ込めるというのもいいだろうがな」


「下賤の者がいくら足掻いても無駄だ! いずれ我が父上がお前らを討伐するのだからな!」


「それで、お前はどうするんだ? その父上に会うために、お前はどうするべきだと思う?」


 たまらずセルハンが諭すように脅しをかけるが、殺す殺さないの物騒な話を聞きながらもジェムの舌は実に元気がいい。お陰で短い間に二人は不機嫌な表情に磨きをかけていたが、港に到着したことにより、船倉の狭い個室でのやり取りは血を見ることなく終わった。



 その頃、北町の衛兵長、或いはデニズヨル奪還作戦の総司令官バリス・セレンは、北町詰所の兵長室で淡々と部下の報告を聞いていた。


「――北町役場は包囲を継続中、兵士の死傷報告は落ち着いています。南町については領主様のお屋敷と詰所から煙が上がったとの報告があり、追加報告を待っている状況。以上です」


「ご苦労。……南町が気になるな。ここからを30名ほど振り向けて港の警戒を強化せよ。行け」


 報告の兵士が立ち去ると入れ替わりで別の兵士が入って来る。


「衛兵長。北部3氏族の使者を名乗る者が面会を求めております」


「分かった。2階で対応しよう。向こうは何名だ?」


「2名です」


「そうか。武器を預かって丁寧に案内、それから私の護衛に付く兵士を2名手配しろ」


「しかし……」


「お前の気持ちはよく分かる。相手にするべきではない、使者など殺してしまえと、そう言いたいのだろう?」


「その通りです!」


「だが、駄目だ」


「何故です!」


「町のはずれにあった集団墓地を見ただろう? 相手は獣ではなく、理性をもったヒトなのだ。我らが後々、獣だと思われたくなければ最低限の対応はしなければなるまいて。それに、向こうが撤退するから停戦しましょう、と言うのなら願ってもない話だ」


「……納得できません」


「納得できなくとも先ずは呑み込め。住民の命を守るためにはな、私情などなんの役にも立たないと早く覚えろ」


 そうして交渉のテーブルにバリス・セレン、イーキン、セルハンが着いた頃、一人の兵士がバリスに急ぎ駆け寄り耳打ちすれば、彼は誤魔化しようもなく、みるみるうちにしなびていった。

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