第101話 派兵要請
本当は自分が死ぬべきだったのではないか?
あのとき、どんな手を使ってでも引き留めるべきではなかったのか?
かつての主のいない南町の詰所で、齢50の男はただただ終わりのない問答を繰り返していた。
イゼット・トゥラン。つい最近まで南町の衛兵隊長だった男は、つい先日の奪還作戦で現場の指揮を
彼は、北町の施設が占拠された夜も、どこで察したのか南町までの船を迅速に手配してくれていた。つい2年ほど前の野盗討伐作戦でも、実に見事な手際で壊滅させたものだった。実に有能な男だったのだ。40半ばに衛兵隊長に任ぜられた私とは比べるべくもない。だが――
実に、無駄死に。
あの夜、北町衛兵隊長のバリス・セレンは、当初、後詰として控えていた。それまで無傷だった南町の衛兵が先に突入し、崩れたときには生き残っていた部下たちと共に詰所に突撃する作戦だったのだ。
だが、アクシデントが起こった。突入直前になって、南町の詰所に残していた衛兵から、将軍から使いの者が来たので至急戻れと連絡があったのだ。
『急ぎ帰って将軍閣下に伝え
「バリス隊長、俺の指示が分からなかった? 北町の施設を奪還しろって言ったの、奪還。分かる? 奪還だよ? それをなんで、むざむざと負けて帰ってきてるんだよ! お前らは北の田舎者どもにも勝てねえのか!」
今、バリスの目に映るのは、声を荒げながら手近な椅子を蹴飛ばす、自分の息子ほどの年齢の男、ジェム・バルクチュ。
領主フェリドゥン・バルクチュの長男にして、バルクチュ軍を束ねる将軍職にある。が、軍略など読んだことも誰かに教えてもらったこともないともっぱらの噂だ。加えておおよそ20代後半とは思えない、短慮で粗野な立ち居振る舞いに軍内部での評判は著しく悪い。
「しかしながら、将軍。私どもは……」
「ああん? 将軍じゃねーよ! ジェム様と呼べよ! そんなこともいちいち説明しないと分からねえのか?」
「……これは失礼しました。ジェム様、私どもは再三にわたり応援を依頼しておりましたが、なぜ、必要な兵員を与えて下さらなかったのでしょうか?」
「あん? 俺の判断が間違っていたとでも言うのか?」
「いえ、滅相もありません」
そう言いながらもバリスはこのジェム様に鋭い目つきを送り続ける。その顔を見れば返事と本音が違うことなど言わずもがなであった。普通なら。
「そうか、ならいい。俺はお前と、もう一人、あいつ何て言ったっけ? ほら、あいつだよ」
「イゼット・トゥランです」
「そう、そいつだ。それとこの町の衛兵たちならもっと上手くやれると信じていたんだぜ? なのに蛮族どもに後れを取るとは、全くがっかりだ」
主命を果たすために命を賭した戦友をあいつだのそいつだのと、がっかりするのはこっちだとバリスは思うが、口には出さない。
「しかし、ジェム様。相手がいくら素人と言っても、鉄砲の数の差というものは容易には覆りませんぞ。それ故に、今回はジェム様、
「ああ!? 鉄砲の話なんて、俺は聞いてねえぞ!? なんで報告しなかった? 全部報告しろって言ってあるだろうがよ!」
「かなり初期の頃の報告書に
「そんなもん知るか! 俺が見てないって言ったら無かったんだよ! 大体ジョゼ様って気安く呼ぶんじゃねえよ! 将軍と呼べと何回言ったら覚えるんだ! お前、馬鹿じゃねえのか!?」
「これはしたり。前線で戦う勇士の名前も覚えず、重要な報告書も読まず、
「は? お前、何を……。お、お、お前ら何をする! 俺はジェム・バルクチュだぞ! こんなことをしてただで済むと、ぐ……う」
副官も付けずに一人でのこのことやってきた愚物め。バリスは最大限の軽蔑の目でジェムを睨むと、彼を気絶させ拘束した3人の衛兵に指示を出す。
「将軍は、残念ながらご病気のようだ。よって詰所の一室にお運びして丁重に看病して差し上げなさい」
バリスはそれからジェムの副官を詰所に呼びつけ、衛兵が取り囲む中でこう述べた。
「ジェム様はお可哀そうに、私との打ち合わせ中に突然お倒れになってしまった。今は意識があるが、どうやら
副官はそれで全てを察したようで、諦めとも安堵ともつかぬ笑みを浮かべながら「はい」と短く答えたのだった。
*
一方それより少し後のこと、ドゥシュナン、イーキン、セルハン、そしてルトフの長メティンと打ち合わせを行なっていた。議題は、デニズヨルに800の兵士が戻ってきたことへの対策である。
「私としては、そろそろ引き際なのではないかと思っている。これまでの約6週間、ご領主様から何の返事もない上に、10日前の襲撃で少なからず死者が出た。住民も限界に近い。ここは出来るだけ早めに
ルトフの長メティンは一見して女性ともとれる容姿の持ち主である。先代である父が早くに亡くなったことにより、30代前半から北部最大の集落をまとめているが、その方針は、他の多くの北部氏族同様に、できるだけ穏便に、である。そんな彼が、優雅とも言える所作で腹の帯から折り畳まれた1枚の紙を取り出し、皆に見せるように机の上で開いた。
「これは、……派兵要請?」
「南町の商人組合から? どういうことだ?」
先に確認したイーキンとセルハンが信じられないといった表情でほとんど同時に呟き、ドゥシュナンも遅れじと続く。
「これを読む限り、南町の人々もバルクチュ家に相当な不満があるようですね。だからと言って、僕らのような島の民に戦ってくれと言うような内容は行き過ぎではないかと思いますけど……」
「ああ、私もなんと厚かましいお願いだと思ったよ。何よりも本物かどうか分からない。が、エンダー殿に聞いてみたんだがね、これはどうやら本物らしいんだ。だから私は余計に困っているんだよ。我々の目的は税金を引き下げることで、デニズヨルを支配することではない。しかし、助けてと救いを求められてしまった。はてさて……。イーキン君、どうすれば良いと思う?」
「そうですね、既にお耳に及んでいるかと思いますが、バルクチュ、ギョゼトリジュ、サディルガン、イスケレ、カシシュの5家が王都ユズクを攻め落とし、ハリト・ハリカダイレ陛下を
「つまり?」
「つまり、求めに応じて南町に出兵したいのはやまやまですが、多大な犠牲が出ることが予想されるので現状維持が良い、というのが私の意見です」
それを聞いてメティンはゆっくり頷き、続いて「ドゥシュナン君は?」と意見を求める。
「僕もイーキンさんと同じ意見です。建物が多い町の中で戦うことになると、よほど相手より多くなければ、犠牲者がいたずらに増えるだけです」
「ふむ、やっぱりそうなるよね。セルハン殿は何か意見はあるかな?」
「俺はバルクチュの本隊が戻ってくる前に南町を占拠すべきだと考えています。我々が撤退しても、本隊がこちらまで戻ってくれば次は集落の討伐に動くのは目に見えています。かと言って北町に立て籠もり続けられるかどうかも怪しい。住民の命を顧みなければ、彼らには野戦砲がありますから。あれは大変な脅威になります。ですが……」
「南町を占拠するには多大な犠牲が出る可能性がある、だね?」
「ええ。それについては二人と同じ意見です。ですので、俺はアシハラ王国に戦局を変えられるような武器を探しに行ってみようかと思います」
「アシハラ王国に? カネウラかアシミヤで探すのかな?」
セルハンの提案にメティンは
「いえ、イヌイに」
「イヌイ? 何か特別な物でもあるのかね?」
「ええ、あります。
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