第93話 花冠の都、煌々と燃ゆる

 ユズクは、ビュークホルカ王国建国後に円形を基本として設計され、代々の王が御座おわすエコー大陸を代表する馥郁ふくいくたる優美の都である。

 元々は小さな集落だったが、大陸のほぼ中央であることに目を付けた初代のマリク王から建設工事を重ね、デニズヨルに次いで人口の多い町となった。

 北に行けばサディルガン家のユケルバクとバルクチュ家のデニズヨル、東はギョゼトリジュ家のアイウス、西はショバリエ家のアイナ、南はソルマ家のアトパズルと、ユズクを中心に大きな町を結ぶように街道を整備したのも、人口が大幅に増えた要因の一つであろう。

 代々の王族が民の安寧を願って町のいたるところに花壇を整備し、花冠の都とも呼ばれた四季の花々に彩られた美しい街並みは、しかし、1637年の春、ナハトの真円が夜道に寂静じゃくじょうとして白銀の恵沢けいたくを行き渡らせている頃、先達せんだつの思いも虚しく、傲岸不遜ごうがんふそんな者たちによって蹂躙されていた。


「東円区画、制圧完了しました」

「北円区画、制圧完了です」

「南円、制圧しました」

「西区画を制圧しました」

「王宮への大規模突入の準備、整いました」


 ユズクの東、およそ500メートルの街道沿いに構えられた幕屋まくやの中、次々と飛び込んでくる友軍の進撃に、ビルゲは忙しなく自慢の髭を触りつつも、笑いをこらえきれないといった表情である。


「ビルゲ殿、まだ油断はなりませんぞ。近衛隊チェリキバルタ100騎の抵抗激しく、王宮への侵入を阻まれているとのこと。あれを破るにはなかなかに骨が折れるでしょうな」


 豪奢な装飾が施された古風なスケイルメイルを纏ったビルゲとは対照的に、顎から四角いひげを生やし、近代的な深紅のチュニックに身を包んだ大男が、全く頬の緩んでいない生真面目な顔で浮ついた雰囲気を落ち着かせようとしている。この大男、かつてビルゲの先祖であるエルトゥールを叩きのめしたサディルガンの末裔にして、王国陸軍部を統轄するハヤチ・サディルガンである。

 建国戦争の前からハリカダイレと協力関係にあったサディルガンが、なぜ、ユズク攻めに加わっているかはビルゲも疑問に思うところではあるが、彼の麾下きかにある王都警護隊デミルカルカンの手引きによって、すんなりとユズクに軍を侵入させることが出来たことは、否定しようのない事実である。


「しかし、ハヤチ殿。我が方1万の大軍勢と王都警護隊デミルカルカンがあれば、いかに精強な近衛隊チェリキバルタと言えど、1時間ともたないのでは無いですか?」


 この状況においては普通ともいえる楽観論を述べたのは、ハヤチと色違い、黄土色のチュニックを纏ったゼキ・イスケレである。この男はビルゲに海軍部の統轄に推薦してもらってからというもの、同調し続けている。今更、なぜユズク攻めに加わっているのかなど、疑う必要もないだろう。ビルゲに付き従っていた方が旨みがあると思っているのだ。


「心情としてはゼキ殿の言う通りだが、指揮官とすればハヤチ殿の懸念ももっともであるな。で、あるならば、威嚇のためにユズク内に運び入れた野戦砲にて王宮の要所に砲撃を加えるのは如何いかがであろうか?」


「良いと思いますぞ」


 最初に同意したのはゼキだ。


「あの素晴らしい王宮を破壊することに躊躇いがないわけではありませんが、次に備えるためにもむを得ないですな」


 ハヤチも難しい顔をしながら同意した。

 次、と言うのはユズクを制圧した後のことだ。王族への忠節篤いショバリエ家とソルマ家は確実に動くだろう。それから不満の一つも見せず、粛々と王国のために働いてきたアバレ家とオドンジョ家は、その反面、王族への特別な忠誠心も感じられず、まったく動きが読めないのだが、ビルゲらに敵対する可能性は高いと見ている。特に南部に近いオドンジョ家に王族が逃れれば厄介な事態になるだろうことは想像にかたくない。


「さすがビルゲ殿ですな。町の中で大砲を使う戦法など、凡庸ぼんような私には思い付きもしませんでしたよ」


 だが、動きが読めないのはこやつも同じだ。闇にそのまま溶けてしまいそうな深紫色のチュニックに身を包み、媚びるかのような作り笑顔で作戦を褒めたたえた目の前のこの男、ケレム・カシシュはいったい何を考えているのか。

 ビルゲとしては、クルマザで見せているおどけた態度から完全に無知蒙昧むちもうまい凡俗ぼんぞくとの認識であり、味方に引き込むよりも攻め滅ぼして内地公安局アミガサを奪い取ることを予定していた。だが、昨年、後期のクルマザが終了した後、ケレムからじかに「お仲間に入れてもらえませんか?」と接触してきたのだ。

 軽侮けいぶの念を抱いていた相手からの予想外の申し出にビルゲはひどく狼狽し、不本意にもとぼけてやり過ごしたが、後日、ビルゲ側から密書にて協力を求めたところ、わざわざケレム自らアイウスまで返答しに来た、という経緯である。こちらの情報を把握した上での行動なのだから、誤魔化すよりも仲間に引き入れ、内地公安局アミガサを利用するのが得策だろうというのもビルゲの考えの中にはあった。しかし、引き入れてからのケレムの振舞いも内地公安局アミガサからの情報も、彼に対するビルゲの認識を改めさせるには至らなかったのではあるが。


(まぁ、良い。敵対せずに兵士を出してくれた勢力が増えてくれたことには感謝せねばなるまいな。これからも過度な期待はせずに、頭数あたまかずだけ利用させてもらうとするか)


「では、野戦砲の砲撃により近衛隊チェリキバルタの防衛線を崩壊せしめた後、速やかに動員兵の大半を王宮内の捜索に投入し、国家に仇為す逆賊の完全なる駆逐、ハリト陛下を含めた王族の保護、並びに印璽の確保を行なうものとする。各々方おのおのがたの一層の奮戦を期待する」


 ビルゲの指示に、ユズク攻めに協力している有力家それぞれの当主が「おう!」と威勢よく返事をし、煌々と輝くユズクの長い夜は更に闇を増してけていく。


「ふふふ。それにしても王族の保護とは、ものは言いようだな。我が祖エルトゥールよ、今宵、このいくさをご照覧あれ。このビルゲがハリカダイレを打倒し、一族の雪辱を果たしてみせますぞ」


 周囲に誰もいなくなってから、ビルゲは一人、恍惚として呟くのだった。



 ハァ、ハァ、ゼェ、ハァ……


 少年が一人、息も絶え絶えたえだえにナハトの恵沢が僅かに届く、名もなき闇夜の森を駆ける。


 走りながら、少年は考える。


 どうしてこんなことになってしまったのか。さっきまでいつもの代わり映えのない退屈で幸せな、いつもの良い1日だったじゃないか。王宮になだれ込んでいた兵士の一部が着ていたあの紺色のチュニック、ギョゼトリジュ家のもので間違いない。奴が王都警護隊デミルカルカンをも抱き込んで王宮の者たちを誰彼だれかれ構わず次々と殺したのだ。


 憎い。


 憎くて憎くてたまらない。今すぐにでもあの逆賊どもを殺してやりたい。奴らの舌を引き抜き、その薄汚れた体を剣で切り刻んでやりたい。


 だが、俺には印璽がある。ハリト陛下が大切にしていた、大きめの革袋に入ったこの印璽さえあれば、王に忠誠を誓っていた勢力を糾合しビルゲ・ギョゼトリジュを討ち取ることも夢ではないはずだ。だから、今はとにかく逃げろ。走って走って、走り抜き何としてもあの野蛮な者たちから逃げ切るのだ。生きるのだ。奴らに印璽を渡してはならぬ。生きるのだ。


 そして、王都ユズク襲撃から3日後の夕刻には、西へおよそ160キロ、タルカン・ショバリエの統治するアイナの検問所、その簡易的な屯所に少年の姿があった。


「お館様、この時間にお会いしたいという者がおりますが、いかがいたしましょうか?」


 質実剛健を旨とするショバリエ家をよく表した、装飾の無い見るからに頑丈な居館で、使用人がタルカン・ショバリエにお伺いを立てている。


「何者だ。弑逆しいぎゃく側の使者であれば会わぬぞ」


 タルカン麾下の近衛隊チェリキバルタからの早馬により、翌日の朝にはユズクの一件を知ったタルカンは、すでに町を厳戒態勢に移行させており、少年も例外なく検問を受けた。しかし、少年はこれを好機ととらえ、衛兵にこっそりと名乗りタルカンに面会を求めたのだ。


「それが、第6王子アルテンジュ・ハリカダイレと名乗っております」


「第6王子とな。何かご身分を証明するものは、お持ちであったか?」


「はい。印璽をお持ちとのことでございます」


「本物か?」


「私も直接、確認して参りましたが、以前に、お館様に宛てられた陛下からの書状にて拝見したものと、同じように見受けましてございます」


「分かった。すぐに結論を出す故、お前はしばしここで待て」


 そう言って目をつむって腕を組み思索に沈む。しかして、5分ほどでタルカンの口から出た言葉は使用人が想定していないものだった。


「南部方面への船便はまだあるか?」


「はい。19時に出発する最終便がございます」


「うむ。ではアルテンジュ王子には、幾ばくかの路銀と質の良い平民の衣服を差し上げ、船便を案内した上でこう申し上げよ。南部にはハリカダイレ王家に協力的なものが多く、またケスティルメには王族から聖職者になった者もいると聞く。今は英雄王マリクにならい南部で備え、機を待つが上策と心得る、とな」


「は、はは! かしこまりました。すぐに準備いたします」


「ふむ。それにしても第6王子か。うまく立ち回ってくれると良いのだがな」


「追加のご指示にございますか?」


「いや、何でもない。独り言だ。くれぐれもよろしく頼むぞ」


 アルテンジュと名乗った少年は、その夜、南部に向けて船に乗った。タルカンには会えなかったが、確かな手応えを感じていた。


「なんと美しい。ナハトの神もこの門出を祝福してくれているようだ」


 鏡の如く波一つないアイナギビの海。


 その水面みなもゆる白銀の居待月いまちづきを、いつまでも飽くることなく眺めて船は進む。鏡に沈む散華さんげを思いながら。

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