第3章 鏡の向こうの花、水面に映ゆる月
第90話 土
「土ってどうやって出来るか知ってるか?」
ある日、父が聞いてきた。
まだ幼い僕は首を横に振る。
「土は、生き物の死体で出来ているんだ。一生懸命に生きた生き物たちは、やがて死に、そして土に
「しんでるのに……、そだてるの?」
「そうだ。だから俺たちは一生懸命に生きるんだ」
「つちがないとどうなるの?そだたないの?」
「そうだ。でもそんな場所でも必ず最初に土になろうとする生き物が現れる。面白いだろう?」
それにどんな返事をしたかは覚えていない。そして、真面目で温和な父は僕が15歳になる前に死んでしまった。
あのときは理解できなかったが、今なら少しは、父が話してくれたことが分かる気がする。
* * *
「右、
「くそ!どこに隠れていやがった! 止めようとするな! 進路を変えさせろ!」
「は!」
――時はシェスト暦1631年。エコー大陸はビュークホルカ王国の王都ユズクより南東に約280キロ、ボシ平原南部にて、激しい戦闘が行われていた。
事の発端は、ビュークホルカ王国の意思決定機関【クルマザ】、そこに名を連ねる有力10家が一つ、コル家当主レヴェント・コルが大陸南部に広がるエコ大森林西側の領有を一方的に主張。配下の者を使って無断で樹木の伐採を行なったことにある。
ビュークホルカ王国建国より遥か昔から森に住まい、森を崇めてきた民たちは結束して王都へ陳情の使者を出すも、クルマザの筆頭格であるギョゼトリジュ家の息のかかった者に阻まれ、王の耳に届くことは無かった。
そうしている間にもコル家による侵食は進み、ついにオルマンドベル族族長の長子セルハンを筆頭に、オルマンユユ族、イェシリアダン族ら森の民が結託して蜂起。コル家の居館がある町ウチアーチをわずか1日で制圧。捕らえられたレヴェント・コルは即座に斬首された。
しかし、これを王国に対する反乱とみなしたギョゼトリジュ家の当主であり軍務大臣でもあるビルゲ・ギョゼトリジュが王国陸軍に鎮圧を命じ、ウチアーチの北に広がる広大なボシ平原にて両軍が対峙するに至ったのである。レヴェント・コルの斬首から、これもわずか2日の早さであった。
王国陸軍のフリント式マスケット銃剣と野戦砲に対して、南部氏族連合軍は昔ながらの火縄式猟銃と近接武器。兵器の性能では劣るものの、数で上回り士気も高かったことから、南部氏族連合は善戦していたと言ってもいい。何も無ければ勝てたとすら言える。だが――
両軍が激突する中、南部氏族連合の
「予想よりも随分と優勢みたいだね。もしかして勝てちゃう?」
少し高い声の持ち主はオルマンユユ族族長の弟イーキンである。涼し気な切れ長の目を更に細めて、味方の健闘を喜んでいる。
「いや、そうもいかないだろう。陸軍が出張ってきた割には数が少ない。あの
その分厚い筋肉を纏った立派な口髭の大男は、その見た目に違わぬ重い声でそう言った。南部最大の氏族であるイェシリアダン族族長のカシムだ。
「そうだな。カシム殿の言う通りだ」
最後に発言したこの男。黒い瞳に後ろで結ばれた焦げ茶の長髪、均整の取れた筋肉質の男が南部氏族連合のリーダー格、セルハンである。
カシムやイーキン、他の氏族と一緒に神聖な森を冒涜した罪人の一族を葬ることができた。あとは国王へ報告をして、また森の中に戻らなければならないのに、なぜ、陸軍の動きがこうも早いのか。この不毛な戦いを有利に終わらせて講和に持ち込み、誤解を解かなければ。
しかし、
「ここは……、どこだ?」
気が付けばセルハンは木も草も花も地面も白い、白い森の中にいた。辺りを見回しても、問いかけても人の気配はしない。
(これは、長老の昔語りに出てくる
――
(戦況はどうなっている!? 早く戻らなければ)
焦る気持ちとは裏腹に思うように体が動かない。そのことで更に焦燥を覚えていると、いつの間にか手が届きそうなほど近くに人がいることに気が付いた。白い何かが目の前にあるだけではっきりとは認識できないが、なぜかそこに人がいるとセルハンは認識した。
そう思うや否や、焦点を合わせるように段々とそれがはっきり見えるようになり、それはとうとう人の形を成したのだ。
「なるほど。お主はこう認識するのか」
威厳のある重低音を発した人の形をしているそれは、今や古風な甲冑を身に纏った武人の姿をしている。
それを見たセルハンはすぐに察した。
「私は偉大なる森の民、オルマンドベルのセルハンでございます。
「うむ。日々の礼拝、大儀である」
「はは! ところでヤクト様、どのような用事で私をお召しになったのでしょうか?」
「なに、すぐに済むことだ。お主にこれを渡そうと思ってな」
そう言ってヤクト神は光る球状のなにかを取り出して見せた。
「? これはなんでしょうか?」
質問には返答がなく、その光り輝くなにかは宙を浮き、セルハンの体の中に消えていった。
「ではな。確かに渡したぞ。励めよ」
ヤクト神がそう言うと、頭の中に何かが破裂するような音が響き渡り、白い森は急速にしぼんだ。そしてセルハンは元の幕屋にいたのだが……、
「ぐぅ……、うがああああああああぁ」
「セルハン!?」
異変に気付いたイーキンが駆け寄るも、セルハンは苦痛に低く呻いたあとは、地べたに座り込み、左手に何かを抱え持つような姿勢で虚空を見つめるばかりだ。
「こいつはまずいぞ。セルハンのやつ、時渡りに呑まれたかもしれねぇ」
「時渡り!?」
カシムの予想に大袈裟に反応したイーキンだったが、どうやら初めて聞いた単語らしく、小首をかしげている。
「時渡りのことは今はいい。あとで長老にでも聞いてみな。ともかくセルハンはご覧の通りとなっちまったから、俺とお前で指示を出すしかないってことだ」
そこまで聞いたイーキンは事態を理解出来たらしく、険しい顔になる。そのとき、急に周囲が騒がしくなり、一人の伝令が慌てた様子で駆け込んできた。
「右、
「くそ! どこに隠れていやがった! 止めようとするな! 進路を変えさせろ!」
「は!」
慌てて外に出て簡易的な
ただの重騎兵であれば、この時代、鉄板を撃ち抜ける射程限界が50から60メートルの猟銃でも集団運用で十分に迎撃可能だが、
彼らは厳しい訓練により鍛え抜かれたその体と技術を使い、疾走する鎧馬の
大規模な銃兵部隊が組織されたことにより
更に、距離を詰めてきていた野戦砲から陣の深くまで容赦なく砲弾が降り注ぎ、味方は総崩れの様相を呈している。
「ここはもう駄目だ! 撤退するぞ!」
呆然とするイーキンを横目にカシムが撤退の指示を伝えている。
「イーキン! しっかりしろ!」
カシムから肩を掴まれて体を揺すられ、はっとしたような表情のイーキンがぼそぼそと呟く。
「撤退……。そうだ、撤退しなくては……」
「お前はそいつを抱えて逃げろ! 俺はここで時間を稼ぐ!」
「し、しかし、それではカシム殿が!」
「大丈夫だ。後から合流する。早く行け!」
――この少し後、南部氏族連合は降伏した。
しかし、王国陸軍を大規模に動かしたことにより、コル家の横暴と森の民たちの陳情をギョゼトリジュ家の息のかかった者たちが握り潰していたことが
残る首謀者、セルハンとイーキンは撤退中に討ち取られたとも、ハレ大陸に逃れたとも言われるが、真偽のほどは定かではない。
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