第58話 待機

「は?」


 我ながら間抜けな返事をしてしまったものだと思うが、いきなり明日から待機と言われても困る。


「……えーと、組合長。待機というのはなんでしょうか?」


 お前、当然分かってるんだろう?みたいな顔で仁王立ちしている組合長に恐る恐る質問してみた。相手が業界の常識みたいな感じで子細を言わずに振ってくる話ほど、知ったかぶりして流すと後で痛い目を見るものだ。


「おぅ!言い忘れてたか!悪いな!」


 組合長は少し悪びれたように笑い、待機の話をした。


「この前の会議で、ランプレヒト様が傭兵をかき集めろって言ってただろ?」


 組合長、それ秘密の話だと思うのに声がでかいっす。こっちがハラハラするっす。


「それでよ、本格的に集まってもらう前に、他の町へ行かねぇようにイヌイで待機させるんだよ!そうすりゃ、すぐに対応できるだろ?」


「了解であります、組合長殿!」


「おう!」


 組合長のノリに合わせて大きな声で返事をしてみた。


「ところで、待機中はどうすればどうすれば良いでありますか?」


「それはな――」


「組合長、スヴァン君、その続きは中に入って話しましょう」


 組合長の大声に、ニクラウスさんがどうにか割り込み、建物の中へ入るよう促された。助かった。


「組合長、一般の町の人に聞こえるような場所で、しかもあんな大声で徴募の話をしたらまずいですよ」


「お、おう……」


 組合の建物に入って開口一番、厳しめの口調でニクラウスさんが組合長をたしなめると、組合長があっという間にしゅんとしぼんでしまった。ニクラウスさん、怒らせちゃいけない人だった。怒らせちゃいけない人リストに入れておこう。


「あ、あれだな、それじゃ、俺はまた組合員どもに声掛けしてくるぜ!あとは任せた、ニクラウス!」


「あ!組合長!ちょっと待っ……」


 組合長は居心地が悪くなったのか用事を思い出して、何か用のありそうなニクラウスさんを振り切ってとっとと表に走り去ってしまった。


「いやー、組合長にも困ったものですよ。それでは気を取り直して待機の話でもしましょうか、スヴァンさん」


「はい、よろしくお願いします」


 ニクラウスさんは熟練の営業スマイルを浮かべて、待機の話をしてくれた。


「待機については先ほどの組合長の説明の通りです。すぐに動けるように傭兵をイヌイに集めて待機していてもらうことです」


「ということは、他の町にいる人たちもイヌイに?」


「ええ、その通りです。オダ領内の他の町からイヌイに来る人たちには、宿代などが掛かるので1日銀貨4枚を支給します。スヴァンさんみたいに普段からイヌイにいる人たちには銀貨無しです」


「そうなんですか。銀貨、貰えないんですか」


「そうなんです。銀貨無しです」


「残念。ところで、待機中って依頼は受けられるんですか?」


「基本的には依頼は受けられませんが、イヌイ内で完結するもので、依頼主から途中で抜けることになっても構わないという了解を得られたものは受注できます。待機しない人たちはいつも通り受けられます。が、情勢によりますね。敵軍が近付いているところに傭兵を送るのは危険ですから」


「ふむー。それは生粋のイヌイっ子の傭兵にはなかなか厳しいですね」


「大抵の生粋のイヌイっ子の傭兵は他に仕事を持っているので、問題にはならないですね。それにスヴァンさんの場合は、銀貨が樽から溢れているという噂ですが?」


「あはは、やだなぁ。俺がそんなにお金を持っているわけがないじゃないですか」


「おや、そうですか?ツチダの依頼からすると銀貨1万枚は持っていてもおかしくないと思っていたんですけどね。私の気のせいでしたか」


 怖いよ。的確に貯蓄を計算しないで。

 俺がドン引きしているのを察してか、ニクラウスさんはにっこりと微笑んで、話を続けた。


「冗談ですよ、スヴァンさん。それで、待機中の傭兵に集まってもらうときは、何ヶ所かでラッパを吹きますから、速やかにここの裏手の訓練場に来てくださいね。長めに3回鳴らして休むを繰り返す音です。緊急時の短めに5回鳴らして休むとは全然違うので、すぐ分かるはずです」


「あ、はい、分かりました」


 長めに3回鳴らして休む、長めに3回鳴らして休む、か。部屋に戻ったら蝋板に書いておかなければ。

 緊急時のラッパも初めて聞いた気がする。どこかで聞いていたのかもしれないが、すっかり忘れていたんだろうな。これも書き留めて机の上に出しておこう。


「長めに3回鳴らすのが集合、短めに5回鳴らすのが緊急、長めに3回鳴らすのが集合……、ぶつぶつぶつぶつ……」


 忘れないようにぶつぶつ言いながら部屋に戻り、蝋板にラッパのことを削り入れる。訓練場は書いてから行くことに決めた。


 あれ、これはなんだ……?


 ほんの零コンマ数秒前に書き終えた蝋板を見て、唐突に思う。そこには、紛れもなくいつも通りに書いた字が並んでいるはずだった。


 何かがおかしい、そう思った。

 紐で綴られた他の蝋板、傭兵組合の登録票、教会の預金札、大袈裟な革表紙の薄い本、目についた様々な物に書かれた文字を見る。


 これ、日本語だ……。


 前の世界で見慣れた文字だった。ひらがな、カタカナ、漢字、濁点、半濁点、外国語っぽい単語のカタカナ表記。

 今度は声を出して読んでみる。


 うん、普段話しているのも日本語だ。


 全てが懐かしいが、しかし――


 なぜ?なぜ?なぜ?

 違う世界のはずなのに、どうして?


 疑問が心を駆け巡り何周かしたところで、俺は悟った。


 考えてもしょうがない、そのうち分かるかも知れないが、分かったところで知識欲が満たされるだけで何もないだろう、と。

 見方を変えれば、前の世界の記憶をそのまま文字に出来るのだ。都合が良いと言えなくもない。

 そんな世界の謎を究明するよりも優先すべきことがある。


 筋肉だ。


 いや、違う。


 訓練だ。俺は強くならなければならないのだ。こんなこと、でもないが、ともかく訓練をしなければ。



 待機の指示から1ヶ月経ったが、あれから招集はない。ほぼ毎日のように訓練場に行くので、必然、傭兵組合にも顔を出すのだけど、音沙汰ないそうだ。ちなみに、依頼も無い。王軍がこちらに向かってきているという噂も、今のところ入ってきていない。

 密書の内容を知っている手前、もしかしたら戦争にならないかも知れないという期待もあるが、やっぱり戦争になるかも知れないという不安も同じくらいにある。


 けれど、何もないお陰で訓練には集中できた。背が大きいだけで戦士らしい筋肉がついているとは言えなかった俺も、この一ヶ月で余計な脂肪が燃焼して筋肉が目立つようになってきた。同じように暇を持て余しているのか、いつものモーリッツさんの他に、俺がアニキと呼び慕うエトムントさん、紳士的な坊主頭のバルナバスさん、その他の初めて会う人たちと実戦を想定した訓練を行ない、色々と話を聞けたことはとても良い収穫だった。

 なお、沢山やってみた実戦訓練の結果、集団でも個人でもモーリッツさんとバルナバスさんが圧倒的、その二強の次くらいにアニキ、その下に10数人いて、ようやく自分だ。数年ぶりに会った狩猟講習仲間のアロイスさんは地味な人だったが、俺よりも武器の扱いが巧みで、モーリッツさんやバルナバスさんとは違う意味で勝てる気がしなかった。


 そんな訓練の日常が続き、妙な充足感に包まれていた日々だったが、モーリッツさんに長い棒を使った人体の抑えつけ方を、身をもって覚えさせられていたとき、長いラッパが3回聞こえた。


「行くぞ、スヴァン。招集だ」


 いや、動けないんですけど……

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