第37話 オレ⑯

 罠にかかった鹿は、ひとしきり暴れた後、疲れ果てたのか、座り込んで動かなくなった。そこをもう一人の受講者が剣の横腹で思い切り叩いて気絶させると、猟師が素早く心臓の位置を指で指し示し、その受講者は躊躇せず、剣から持ち替えた大型ナイフで突き刺して、絶命させた。ほんの少し前まであんなに暴れていたのに、死ぬときはあっけないもんだ。


 絶命させた鹿は刺し傷が下になるように手早く向きを変え斜めに出来る位置に移動させる。早く血抜きをしないと、肉が傷んで食べられなくなってしまうそうだ。それ以外にも、化膿や変色が見られる場合には食用にせずに、皮や骨、角だけを採るのだとか。お肉にも色々気を付けなければいけないことがあるんだな。


 血抜きがある程度終わったら、今度は木の棒に括りつけて昨日の小川に移動し、鹿の体を丸ごと水に浸けて冷やしながら血を抜き、引き上げて解体する。猟師の指示で二人でどうにか解体し、肉、骨、皮、角は猟師に渡し、腐りやすい内臓は少し離れたところに埋めて、その上に頭骨を置き、感謝の言葉を述べる。


「森と獲物への感謝を忘れれば、捕食者でもない、ただの殺戮者になってしまうから、お前らも忘れるな」


 食用の肉は、猟師が何やら草を敷き詰めた木箱に入れて分けている。聞けば森の沢のそばで採取したペパーミントだと言う。こうしておけば肉が少し長持ちするそうだ。ちなみに一度にはとても食べきれない量なので、燻製にして分けてくれると言っていた。これは楽しみだ。


 目標だった兎と鹿の捕獲と解体が完了したので、狩猟の講習は、無事にとは言い難いが2日で終了できた。熊の倒し方は分からなかったが、良い知恵を身に付けられたと思う。傭兵仕事の役に立つかどうかと言われれば……、疑問だ。



 見習い仕事の3回目の話は5月初旬にやってきた。毎日のように傭兵組合に顔を出していたが、結局4月は1件もなかったので、このまま忘れ去られてしまうのかと心配になっていたところだった。しかし、今回の3回目の話も、どうやら6月の仕事らしい。まだ正式登録が認められていないから、正直なところ焦りはあるが、見習いを同行させられる仕事はあまりないのだろう。


 気になる3回目のお仕事の内容だが、なんと、ボーネン食堂に食べに来てくれていた小太りの行商人さんから、指名での護衛依頼だった。5月はイヌイに居て、ちょくちょく食堂に来てくれているが、6月になったらヨシミズに帰るので、念のため帰りの道中を護衛して欲しい、とのことだ。


「見習いなのに指名依頼なんて、スヴァン君は将来が楽しみですね」


「……」


 3度目の見習い仕事について、アニキと二人で組合のお兄さんから説明を聞いている。アニキは相変わらず寡黙で、たまに、うむ、と頷くくらいだ。


「ヨシミズまでは依頼主の荷馬車で移動します。100キロ少々の距離なので、2日か3日で辿り着きますね。野盗の話はここのところ全然聞かないので危険は無いかと思いますが、組合の規定通り、もう1名付けて3名で護衛してもらいます。ヨシミズに到着したら、依頼主と一緒に現地の傭兵組合に赴いて、依頼票に依頼主と現地組合のサインか蝋印をもらって下さい。最後に報酬は1日銀貨20枚、見習いは銀貨12枚です。何か質問はありますか?」


 アニキが静かに疑問を投げかけた。


「片道だけの依頼のようだが、イヌイに帰る日数分の報酬は出るのか?」


「こちらに戻って来るまでにかかる日数について、厳密には報酬ではありませんが、それぞれ日数に関係なく銀貨5枚が支払われます」


「そうか、分かった。もう1名決まったときの連絡は?」


「いつも通り、自宅に連絡票を入れておきますから、指定の日時に組合まで来て下さい」


「分かった。質問は無い。後はよろしく頼む」


 そう言うとアニキは組合から音もなく立ち去って行った。

 口だけでなく、物音すら寡黙なのか。勝てる気がしない。


「ところで、スヴァン君」


 アニキが立ち去ったのを見届けたお兄さんが、今度はオレに話しかけてきた。


「今回もキュイラス胸甲、借りますか?」


「今回は借りなくても大丈夫です。購入できるくらいお金が貯まりましたから」


 そう答えると、お兄さんは露骨に残念な顔をした。


「それはおめでとうございます。でも、自分のキュイラスを持っていても、組合のキュイラスは借りられるんですよ?どうですか?ついでに鉄兜もセットでどうですか?」


「いいえ、大丈夫です。借りません。間に合ってます」


 お兄さんの笑顔が眩しいが、こういう時はビシッと断らないとね。



 護衛依頼の出発当日、集合場所の南西の城門に行くと、朝早くから街道を移動する人達で混雑していた。人混みの中から、依頼主である馴染みの行商人を見つけて近寄る。アニキともう一人の傭兵は、まだ来ていないのか、近くには見当たらなかった。


「お早うございます。スヴァンです。よろしくお願いします」


 目と口しか見えない革の頭巾を被り、その上から鉄兜を被っているので、顔見知りだが名前を名乗って挨拶した。


「やあ、スヴァン君か。おはよう。ヨシミズまでよろしくね」


「えっと、あと2名で護衛するんですけど、もう来ました?」


「ええ、30歳くらいと40歳手前くらいの方がほとんど同時に来ましたよ。少し買い物があるとかで今は外してますけど、すぐに戻って来ると言ってました」


 噂をすれば、ほら、と行商人が指差した先を見るとアニキともう一人の傭兵と思しき2人組が、すぐ近くまで来ているのが見えた。二人は革の頭巾も鉄兜も被っていないので、顔がよく見える。


「スヴァンです。お早うございます。よろしくお願いします」


「うむ」


「はい、おはよう」


 オレが挨拶をするとアニキはいつも通り、もう一人の白髪交じりの坊主頭の男性は爽やかな笑顔で紳士的に挨拶を返してくれた。その坊主頭の紳士は傭兵にしては細身だったが、顔から受ける柔和な印象とは裏腹に、背中に自身の身長ほどもある武骨で大きな両手剣を装着しており、また、珍しくキュイラスとお揃いの肩当てと脛当ても装着していて、余人には近寄りがたい強者の雰囲気が滲み出ている。

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