第30話 オレ⑨

 ――なぜだろう。起きたら泣いていた。


 昔の夢を見たせいかも知れない。


 小さい頃は子守唄代わりに、マザーがシェスト教の子供向けの昔話をよくお話ししてくれた。途中で寝ることが多くて、最後まで聞いたことはほとんどなかったと思うけど、意外と覚えているものだ。


 あれには続きがあって、神から与えられた力を自分たちのものと勘違いした人々は、やがて神に祈らなくなった結果、与えられた力を失って獣に勝てなくなり、どんどん町が破壊されてしまった。追い詰められた人々は再び神に祈るようになったが、神は力ではなく道具と知恵、それから綺麗な宝石を人々に授けた。人々はそれらを用いて獣に打ち勝ち、町を再建し、神への感謝と祈りを二度と忘れぬようにシェスト教を作ったとさ、めでたしめでたし、というお話だった。


 そう言えば、いつだったか、マザーにくっついてシェスト教の教会に行ったときに、お守りとして宝石の付いたネックレスが売っていたり、司教と呼ばれていた人が大事そうにキラキラした石を拭いていた。宝石にも何か宗教的な意味があるのかも知れないな。


 どうして昔話の夢を見たのかは、何となく分かる。

 今日、オレが孤児院を出る日だからだ。


 15歳になったらすぐに孤児院を出なければならない、という事はなく、自分で出る日を決められる。この辺は割と曖昧らしい。仕事に就いてないと、暮らしていけないからだろう。

 オレの場合は食堂で働いているから収入も有るし、何よりも、去年もマザーが身寄りのない子供を受け入れて、孤児院が手狭になっているから、1月の早々に出ることにした。


 孤児院を出る日と言っても特別なことはなく、いつも通り、朝起きたら孤児院の裏手にある共同の水場に向かい、ご近所さん達と挨拶を交わしつつ、手押しポンプの井戸からベッケンたらいに水を汲み、冬の冷たい水で顔をごしごしと洗う。

 身も心も引き締まり、今日も良い一日になりそうな気がする。


 そして、井戸から手桶いっぱいに水を汲み、孤児院の水瓶に注ぐ作業を何回か繰り返して、今日一日の水を確保する。

 それが終わったら、今度は1日分のスープを作る。いつの間にかスープを作るお役目を拝命していて、普段ならば豆とベーコンのスープを作るのだけど、今朝は奮発して野菜を多めに入れたアイントプフを作ってみた。

 ボーネン食堂のものはソーセージも煮込むのだけど、残念ながら在庫が無いので、お肉はベーコンだけだが、我ながら良い味が出せているんじゃないだろうか。

 皆には好評だったけど、んー……、ちょっと味が落ち着かないな。夕飯で食べるときには良い味になるかな。

 そんな、ちょっとした料理人の気分になりながら、本格的な料理人になって美味しい料理を探求するのも悪くないかも知れないなと、ほんの少し思った。


 すっかりいつもの朝を過ごしているから、今日が孤児院を出る日だと忘れてしまいそうになったけど、お昼前に出られるように準備をしないと。


 準備と言っても、必要なものは昨日までに粗方運び込んだし、借りた部屋は孤児院のお勝手口から徒歩2分のとても近い距離にあるので、忘れても後で取りにくれば良いと思うと、特にすることもないんだけど。


 そう言えば、蝋板がまだ孤児院の部屋に置いてあったな。あれには必要な物と、前に調べた値段が書いてあるんだ。放置していると同室のチビ達に発見されて落書きされてしまうから、迅速に新居に持っていかなければ危険だ。

 あれも、買ってきた日に早速、武器や防具のことを書き込んでいたら、あっという間にチビ達にたかられて、字が見えなくなるまで落書きされたものだ。それ以来、巧妙に隠してはチビ達に見つかって落書きされるいたちごっこが続いていたが、最終的にオレが寄付していた銀貨からマザーが人数分の蝋板を買ってきて、文字の勉強をするとき以外は使用禁止にしたことで、オレ達の蝋板戦争は休戦状態に至った。

 だが、休戦状態とは言え、いつ何時、奴らが牙をむくか分からない。それほど恐ろしい敵なのだ、奴らは。



「マザー、今までありがとうございました。拾って育ててくれた恩は一生をかけて返していきます。うぐ……、ぐす……」


 いよいよ孤児院を出るときに、半べそをかきながらマザーに挨拶をする。


「そしたら、週に3回くらいはスープを作りに来てくれるかしら?」


 オレが涙ぐみながら言ったのに、マザーはいつも通りの調子で答える。

 マザーも涙ぐむかと思っていたのだけど、だって近いし、の一言で片付けられた。徒歩2分だからしょうがないか。井戸でも頻繁に顔を合わせることになりそうだし。


「あなたなら大丈夫だと思うけど、万が一お金が無くなったら私に相談するのよ?教会の特別金利でお金を貸してあげるから」


 金貸しの営業もかけられた。そこは面倒を見てあげるから、とか言って欲しかったのに。


「ああ……、はい……。出来るだけお金を借りなくて済むように頑張ります。それではお達者で」


 それでも深々とマザーに頭を下げて、部屋を借りた共同住宅へと歩き出した。そんなオレをマザーとチビ達はいつまでも、いつまでも見送ってくれた。2分だけど。


 新しい生活ということで、勝手に気持ちが盛り上がっていたけど、マザーがいつも通り接してくれたお陰で、変に興奮しないで落ち着いて生活を始められそうだ。全てマザーの目論見通りなのかもしれないな。


 さて、明日はいよいよ傭兵組合に登録に行くか。



「アイン神の太陽の温もり、ナハト神の月と星のお導き、エルデ神の豊饒なる大地、ギューテ神の慈愛、ヤクト神の血肉、ライゼ神のご縁によるお恵みにより、今日一日を安らかに過ごせたことに感謝いたします。明日も愚かな私たちをお守り下さい」


 結局、アイントプフの残りが気になって、夕飯も孤児院でみんなと一緒に食べた。マザーに言わせると、出戻り最短記録だそうだ。


 明日から、ちゃんと一人で生活できるだろうか?

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