第15話 ボク⑮

 奇妙な動物を初めて見てから半年ほど経ったが、ツチダの周辺では目撃情報が2件、その内1件の大きな猪を衛兵が仕留めたことがあったくらいで、住民に被害があったという話は、今のところ届いていない。

 伯父からは、脚が6本ある鹿や目が4つある猪が見つかったとか、血の塊のようなものが動いて野ウサギを襲っていたとか、鹿や猪以外にもネズミや狼でも奇妙な個体が見つかったとか、にわかには信じられない話が届いていた。

 発見される個体も多くなり、襲われて命を落とす国民も出てきたとのことで、7月に緊急諸侯会議を開くことが決まったらしい。


 そんな話をつい先日聞いたと思ったが、職務に追われている内にあっという間に7月になった。


 スヴァンは伯父に気に入られているらしく、緊急諸侯会議に向かう際の護衛の一人としてツチダを離れている。人手が足りなくなると伯父に申し立てたら、帰りの護衛からは外されて、先に戻してくれることになった。


 執事は近隣の農村に視察に出かけていて、夜には戻って来るだろう。


 処理をする書類の量は多いが、事件も起こらず、陳情もなく、奇妙な生き物の情報もないから、今日1日は執事がいなくとも十分に対応できるだろう。


 代官の仕事に最初は不安もあったが、有能な執事や善良な領民たちのお陰で何とかやってこれた。今くらいの時期に農村から見える、北のトーム山脈と小麦の絨毯の景色もとても素晴らしい。いずれツチダを離れなければならないが、伯父上には良い土地を任せて頂いたものだ。


 仕事に区切りを付けて小休憩をしていると、代官屋敷の気配がにわかに慌ただしくなり、扉を開け放してある執務室に衛兵が入って来た。


「代官様、公爵家よりの使いを名乗る者が、急ぎお耳に入れたいことがあるとのことでこちらに見えておりますが、いかがいたしましょう?」


「なぜ公爵家が? 本物か?」


「こちらの所属票とリベリーお仕着せ布の紋章、それから携えていた封書の封蝋印から間違いないと思われます」


 そう言って、衛兵は1枚の封書をボクに手渡す。


「確かにこの封蝋印は、公爵家のもので間違いなさそうだ。詳しく話を聞きたいから、こちらにお通しして」


「は! かしこまりました」


 公爵は一代限りの爵位で、現在は王様の弟君に授与されている。

 通常は宰相に就く王族に与えられるものだが、現在は王族でない伯父が宰相に就いているため、珍しく宰相に就いていない公爵なのである。しかし、王様の弟ということもあって影響力は大きいらしい。


 急いで封を開けて読んでいると、程なくして先ほどの衛兵に案内されて使いの者が入って来た。

 短いつばのある鉄兜に目、鼻、口だけが開いている革の頭巾、キュイラス胸甲の上には、青い三角盾に4本の根がある黒いスピノサスモモの紋様が描かれたリベリーなどを身に着けている。鉄兜はあまり見ないものだが、通常の兵士とあまり変わらない恰好をしている。

 この後も他の町に寄らなければならないとのことで、通常の兵装での入室を許可した。


 封書の内容が内容なだけに、人払いをして扉を閉め、今は使いの者と二人きりだ。


「こちらの密書の内容は間違いないでしょうか?」


 ボクは念のために使者に確認した。


「密書の細かい内容までは私には分かりませんが、国王が宰相閣下の謀反を疑われ、オダ領に向けて王軍が進軍中とのことでございます」


 この辺りでは珍しい流れるような発音で伝令は答えた。

 隣国のドリテ王国ではこのような発音でしゃべる人が多いんだっけ。


「分かりました。お役目お疲れ様です。引き留めてしまってすみませんでした」


 「いえ、」と、伝令は何かを言いかけていたが、刹那、ボクの目の前が真っ暗になり、首のあたりがちくっとして聞き取れなかった。


 その次に激痛が走り血の気が引いていくのを感じる。


 痛い、痛い、痛い。

 なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ。

 何が、何が起こった?


 助けて助けて助けて助けて、ボクは懸命に声を出そうとするが、喉に何かの液体が詰まって声が出せない。


 ああ、そうか、ボクは死ぬんだ。ふと頭をよぎった。


 視界が暗くほとんど見えないが、伝令が何かを叫びながら出ていくのが聞こえた。


 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!

 助けて助けて助けて助けて助けて助けて伯父さん、誰か、だれか、助けて!

 助けて助けて助けて!


 お母さん?


 それは、暗い視界の中に浮かび上がっては、即座に消えた母の顔。

 その次には、突如として、辺りが真っ白になり、痛みも何も感じなくなった。

 ああ、そうか、そうだったんだ。

 あの人はお母さんだったんだ。


 そんなことを思った瞬間、パンと風船が割れるような音がして、あるのかどうかも判然としない最後の意識も消し飛んだ。


 もう、何も聞こえない。

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