アランの浮気とその騒動

急ぎの決裁を見終わり、ダニエルの政庁での仕事が一段落した。


まだまだ机の上に書類はあるが、もう深夜だ、今日中にしなくてもいいだろうと、アランは目を閉じて今日のスケジュールを思い出す。


午前中は王政府に出勤して財務部の仕事をこなし、それから参議として国政会議に出席して、ダニエルやアランのやっていることに非難を浴びせるグラッドストン公爵配下と散々にやり合い、午後からはダニエル屋敷の政庁に場所を移し、膨大な裁判などの政務を吟味した。


もちろんアランの部下達が資料をまとめてくれるが、それを読んで内容を精査し判断するのは最高幹部たるアランの仕事である。


更に重要案件は、姉レイチェルに相談しなければならない。

ダニエルは基本的にアランに一任してくれるが、軍事面に係るものはオームラに相談の上、場合によってはダニエルに確認する。


(そもそも王政府でも財務部長という重要職責の上に国政を審議する参議につかされ、その上に幕府で政庁の頭人など無理だと言ったのに…)


アランの拒否は、

「発足時の頭人はその後の先例となる重要なポスト。そこをやらずして文官のトップと言えますか!」

という姉と妻に握り潰され、3足の草鞋を履かされている。


それに加えて、妻エリーゼが次男デレクを当主としてアレンビー家を乗っ取ってからは、財政危機にある領内の再建の相談が連日手紙で来ており、帰宅後はその仕事も待っている。


アランは勤勉な男であったが、連日の激務に疲れを覚えていた。


これまでは多忙の中でも家に帰れば、妻エリーゼが仕事の話を熱心に聞いて、アランにはわからない諸侯の内情を教えてくれたり、自分の意見を並べていた。

また子供達と遊ぶことが子煩悩なアランの気分転換になっていた。


しかし今では家に帰っても、妻と子供はアレンビー領に統治のために滞在しており、独り侘びしく食事を摂って、仕事の続きをしてから寝るだけである。


(王政府か幕府の仕事、どちらか誰か代わってくれないかな)


眠い頭で代わりの人間を探すが、能力があり、信用が置けて、かつダニエル麾下の事情に通じている人間などなかなか見つからない。


姉のレイチェルならば代われるだろうが、今や大将軍夫人としてあちこちに顔を出し、表に出さない交渉を行うなど姉は社交という仕事がある。


それに政務の細かいことを見たがらないダニエルに代わって、大抵の政務を実質的に最終決定をしているのはレイチェルであり、彼女も忙しい。


政庁に行くと、アランは頻繁に姉と顔を合わし、打ち合わせをしている。


弱気な顔をしていると激励され、尻を叩かれ、アドバイスを受けている。

そう思うとやっていることは子供の頃と変わらないような気がする。


(あの頃はロキシーが隣りにいて、愚痴を言えば慰めてくれていたなあ。

彼女はどうしているかしら)


ジュライ家の当主を叔父が奪おうとした御家騒動の時に、許嫁のロキシーの実家を頼ったが、露骨に様子見をされ、それにブチ切れた姉により婚約は破棄された。


当人同士は好きあっていてその後も隠れて会っていたが、それも姉に見抜かれ、エリーゼとの婚約を期に、アランは別れの手紙を送った。


(姉に無理を言ってロキシーと結ばれていたらどうなっていたかなあ)


しっかり者、いやしっかりし過ぎているエリーゼに不満があるわけではないが、姉といい妻といい、剛腕タイプの女性に尻を叩かれ続けているアランは、疲れのせいか、優しくおとなしかったロキシーを懐かしく思う。


(ああ、せめて癒やしが欲しい)


そんなことをいっても仕方がない、帰らねば従者が休めない。


アランが重い腰を上げ、部屋を出たところで、ターナーが誰かと笑いながら歩いてきた。


「おお、政所頭人殿、今お帰りですか。お疲れのようですなあ。

今はあの美人で気の強い奥方は所領ですな。

少し疲れを癒しに行きましょう!」


ターナーは幕府の評定衆の一員であり、時々顔を合わせる仲だ。

馴れ馴れしくニコニコと肩を叩くターナーに、いつもは断るアランだったが、一緒にいるのが財務部から引っ張ってきたオーヒラであることに気づいた。


この男は、アーウーと言葉は重く、その鈍そうな容貌と相まって鈍牛という渾名だったが、外見と異なる鋭い洞察力と政策への構想力をアランは高く評価し、腹心の部下としていた。


堅実で真面目なオーヒラがターナーと仲が良いとは意外であったが、彼がいるなら気が楽である。


オーヒラもにこやかに「アラン様、たまには同僚との飲み会も必要ですよ」と勧める。


アランは家族のいない家に帰っても仕方ないかと、いいでしょうと答えた。


「堅物のアラン様が来てくれるとは、これは珍しい。

よし、私のとっておきのお店に行きましょう!」


ターナーはアランの馬車を返して、自分の豪華な馬車に乗せて、華やかな繁華街を走らせる。


若い頃はともかく、最近は職場と家の往復しかしていないアランには物珍しい。


「この辺りは最近栄え始めた場所です。


昔からの繁華街は顧客が貴族だったので、気位が高く、ワシに金が出来ても、成り上がり者めとばかりに、一見さんお断りと店に入れてもくれませんでした。


ならば結構と、この辺りの下町の店を贔屓にしていたところ、ダニエル様の台頭で多数の貴族は没落し、ワシのような商人や騎士どもが成り上がって王都で大きな顔をできるようになりました。


ワシは彼らに飲むならこの辺りがいいと紹介し、どこがいいのかわからない彼らはここらに通いました」


そこでターナーは、あちこちに明かり取りに焚き火が焚かれて、まだ多くの酔っ払いが歩いている外を見ながら一息入れた。


「昔はこの辺りは夜は真っ暗で、掘立て小屋の様なところでした。うるさく言ったので酒と女はまあまあでしたが。


それが王都一の繁華街を争うようになるのですからな。

今になって、昔、袖にした店から誘いが来ますが、今更何を言うのやら。


ああ、唯一暖かくもてなしてくれたのは、カケフ様の奥方の娼館だけでした。

そこは勿論通わせてもらってますが、話が全て筒抜けですから、息抜きにはなりませんな」


ターナーが話しているうちに馬車は止まった。


彼は馬車を降り、【エチゴ】と書かれた看板の下のドアを開ける。


ターナーの後にはオーヒラが続き、アランもどんなところかとビクビクしながら後についた。


「いらっしゃい!」


愛嬌のある美人が出迎えてくれた。

その後ろには何人かの若い女性がいるようだ。


「あれはワシの愛人ですわ。

ワシはここでは土建屋カーク興業の社長で通ってますので、アラン様はお得意様ということでお願いします」


案内された席に座り、ターナーが女将を指して小声で囁いた。


「おーい、今日はとっても偉い方を連れてきたぞ。

王国で2番目に偉い方だ。

丁重におもてなししろよ」


ターナーは大声で呼びかけるが、本気にしてないようで女達は笑っている。


「社長さん、この前もダニエル様を連れてきたとか法螺吹いて。

ダニエル様といえば、もう王様よりも偉いそうなのに、土建屋の社長さんに付き合ってくれるわけないでしょう」


「義兄さんも連れてきたの?」

アランが小声で聞く。


「ダニエル様はいつも《エールワイフ》専門ですが、たまには私の店にも来てくださいと頼んで来てもらいました。


可愛い女の子に囲まれて上機嫌でしたが、あとでイングリッドさんにはえらく叱られましたな。

このことはレイチェル様には内密に」


ターナーは冗談ぽく手を合わせて拝む格好をする。


「もちろん。

こんなことが潔癖症の姉さんに知れたら、どれだけ説教されることか」


アランの苦笑いを見てターナーは笑った。


「アラン様とはもっと仲良くなりたいと思っておりましたかからな。

今日はリラックスして仕事のことを忘れてください。

それが明日への活力になりますよ」


そしてオーヒラも口を開く。

「アラン様はワークホリックですからね。

身体を壊さないか心配です」


連日深夜残業のオーヒラに心配されるとは、アランは心外だったが、口には出さない。


そうはいっても三人とも仕事人間であり、しばらく王宮の政治状況や幕府の財政について意見を交わす。


アランやオーヒラの視点は上から、ターナーは現場から見ており、お互いに参考となる話し合いであった。


「表で話しますと、たくさん御付きが付いてくる上に、あちこちからいらぬ腹を探られ、率直な物言いが難しいですからな」


ターナーの言葉にオーヒラが頷く。


「あー、全くですね。

特にターナー殿は貴族出身者に嫌われていますから、警戒する幹部は多いです。


私は庶民よりも貧しいくらいの没落騎士の生まれですが、素質を見込まれて遠縁の貴族に養子として頂き、役人になったので蔑視されずにすみました。


ターナー殿は貧農の生まれで学閥もありませんが、人間を見抜く力、調整力、実行力、どれをとっても並の人間ではありません。


生まれや身分に拘る人にはそれがわからないようで…」


悔しそうに言うオーヒラの肩をターナーは叩く。


「わかってくれる友がいればいい。


オーヒラ、今に見ていろ。

今にワシをオヤジと仰ぐ連中を幕府の中で溢れさせてやる。


そしてワシなりにこの国を良くしていくための政治をダニエル様の下で行ってやる!」


それを聞いたオーヒラは興奮で顔を赤くして答える。


「私にも理想がある。

この王都や都市だけが豊かな構造を変えて、田園と都会を融合させ、田園都市を作りたい。

いずれは国の政治を動かしたい」


アランは彼らの熱の籠った言葉に驚いた。


(政治を行うのは貴族と決まっていたものを、没落騎士や平民の出の彼らが政治を志すとは!)


これも、地方貴族の次男から国の覇権を握ったダニエルの姿が、野心ある者の心に火をつけたのか。


そしてターナーを金目当ての成り上がり、オーヒラを切れ味の鋭い道具のように思っていた自分を恥じた。


「難しい話はここまでじゃ。

さあ、みんなここに来て酒を注いでくれ!」


照れたようにターナーが奥の女達に声をかける。


難しい顔をして話に熱中する彼らを、遠巻きにして見ていた女性たちは一斉に寄ってくる。


「さあ、どうぞ。

いっぱい飲んでくださいね」


アランは隣に座った女性に酒を注がれる。


「お客様、若いのに偉い人なんですか?

まあ、私の初恋の人に似ているかも。

とっても素敵な人だったんですよ」


にこやかにそう言いながら、アランの顔を見つめた女性は、

「あっ!」と叫んで、後ろを向いた。


「ローリーちゃん、どうしたの?


お客様、ローリーちゃんは綺麗な子ですが、ここでのお触りはやめてくださいな」


周りの女の子がアランの方を睨む。


「いえ、お客様には何もされてないわ。

大丈夫。ちょっと驚いただけ」


そう言ってアランにお酒を注ごうとするローリーだったが、アランはその声に聞き覚えがあった。


「もしかしてロキシーかい?」

アランが小声で尋ねると、ローリーは真っ赤になって返事をしなかった。


「おやおや、いい雰囲気ですね。

ローリー、お客様と別室に移ればどう?」


女将の勧めでアランとローリーは小部屋に移動した。


「アラン、会いたかったわ!」

二人きりになるとロキシーは抱きついてきた。


「あれからどうしていたの?」


ひとしきり涙を流したロキシーにアランは尋ねた。


婚約破棄の後、その理由が社交界に流れ、ロキシーの実家は白い目で見られる。


人の噂も七十五日と放置していたが、その後のダニエルの急速な台頭と、彼の実質的な妻となったレイチェルの存在は、彼らの失態を忘却させてくれなかった。


ダニエルの逆鱗に触れるかもしれないという恐れから、ロキシーには縁談が来なくなる。


その頃、ロキシーはアランの結婚を噂で知った。


「いつかは結ばれるかもと藁にもすがる思いで毎日祈っていたの。

でも、アランの隣に私ではない人が立っていると知って、もう修道院に行こうと思ったわ。


でも、父から多額のお金と引き換えに高齢の伯爵の後妻になれと命じられて、泣く泣く嫁がされ、後は寝たきりの夫の世話をする日々。

ダニエル様の台頭で家も没落し、ショックで夫は病死。


私は家にいるところを前妻の子供に襲われそのまま逃げ出して、その後縁あってここで雇ってもらったという訳よ」


ロキシーの長い話が終わった後、アランはポツリと言う。


「ロキシーのことはずっと気になっていた。

王都に戻ってから婚家から出奔したと聞き、密かに探させてはいたんだが、こんなところにいたとは…」


ロキシーはアランの言葉を遮り、抱きついてきた。


「私を抱いて!

夫はもう私を抱ける体力はなかったの。

私は処女よ。


ずっとアラン以外に身体を許す気はなかった。

アランが抱いてくれればもう死んでもいい」


アランはもうエリーゼのことを忘れて、ロキシーを抱き返した。

部屋の奥にはベットが置いてある。


アランは無我夢中でロキシーと一つになった。


翌朝、アランが気だるい気分で目を覚ますと、見知らぬ部屋に自分がどこにいるのかわからなかった。


「おはよう。

お偉くなったアランには物足りないだろうけれど、パンとスープを用意しているわ」


ロキシーが部屋のテーブルを準備しながら、にこやかに話しかけてきた。


(ああ、そうだ。

昨晩はターナーに誘われて、ここに来てら、ロキシーがいて、それから…)


アランは少し赤面した。

昨日はいつになく何度も頑張ったのだ。

よく見ると、ロキシーの動きがぎこちない。


「ベットを片付けるわね。今日はお休みを貰ったの。

アランはゆっくりできる?」


「いや、悪いけれどもう帰らないと」


アランは用意された朝食を食べて、しょぼんとするロキシーにまた来ると声をかけて、帰宅しようとする。


早く帰らないと、家では騒ぎになっているだろう、仕事も山積している、まず辻馬車を捕まえて帰宅して執事に言い訳してと頭の整理をしているアランに、ターナーが声を掛ける。


「アラン様、お帰りですか。

私の馬車を使ってください。


ああ余計なことかもしれませんが、御屋敷には、私と飲んで潰れてしまったので我が家で休んでもらってますと伝えています」


「ありがとう。

それと少し話があるのだが…」


ロキシーのことを頼もうと思ったアランに、ターナーは最後まで言わせなかった。


「あの子のことですな。

ご心配は無用。

店は辞めてもらい、別宅を用意しましょう」


「何から何まで済まない。

掛かった金は色を付けて請求してください」


アランは、昔の婚約者がよその男に酒をつぎ媚びを売るのに耐えられなかった。

妾にするとも決めてなかったが、とにかく夜の店は辞めて欲しかった。


ターナーは街なかの小綺麗な家を手に入れ、ロキシーをそこに住まわせた。


それからアランは仕事帰りに飲みに行くと称して、しばしばロキシーの家に通い、そこで泊まるということを繰り返した。


アランのストレスは軽減され、仕事は捗ったが、そのことが妻や姉の耳に入ったらということはいつも気になっていた。


「アラン様

幕府内でアラン様がしばしば妾宅から通われると噂になっています。

レイチェル様の耳に入るのも時間の問題かと」


諫言したのはオーヒラである。


「それと彼女のことでターナーに世話になっているのではありませんか」


「ああ、エチゴの従業員として毎月給与が支払われている。

もちろん私が出すつもりだが、我が家の経理は執事が管理しており、その支出の為には妻の許可がいるので、その間はターナーに世話になっている」


オーヒラはそれを聞き、真剣な顔で怖い声で直言した。


「アラン様、

ターナーはいくらでも文句も言わずに世話をしてくれるでしょう。

しかし、彼の好意は彼からの借り。

それが積もるほど、アラン様は彼に物を言いにくくなるのです。


悪いことは言いませぬ。

早くエリーゼ様とレイチェル様のお許しを貰いなされ。

もし、直接言いにくければダニエル様を頼りなされ」


その言葉でアランはハッと気づいた。

妻や姉に叱られるのは私的なこと、ターナーへの借りは公的なことに影響する。


すぐに義兄ダニエルへの面会を願い出る。


「ハッハッハ

アランが側室を置きたいとはな!

それも相手は昔の婚約者か」


ダニエルは大笑いした。


「よかろう。

他ならぬ義弟の頼み。

しかし、お前の姉は手強いぞ。オレも大変だった。


堅城はあとにして、攻略しやすい城から攻めるのは戦の常道。

まずはエリーゼの許しを得よう」


エリーゼが攻略しやすいとはアランには思えなかったが、ここは義兄の言う事を聞くしかない。


ダニエルはさらさらと手紙を書くと、これを持ってエリーゼに頼めとアランに渡した。


アランはエリーゼの居るアレンビー領へ急行し、エリーゼや子供と久しぶりに対面した。


エリーゼは既にアランの別宅通いを承知しており、

「あらあら、私なんかお見限りじゃなかったのかしら」

と嫌味を言うが、アランに渡されたダニエルの手紙を読むと、溜息をついた。


「ダニエル様を頼るとは考えたわね。

アレンビー家を手に入れられるかはダニエル様の胸三寸。

そのダニエル様にお願いされたら逆らえるわけはないでしょう。


わかったわ。

私もアレンビー領にいて、アランのことを放っておいて悪かったし、これからもこちらにいることも多くなって、今まで程世話をできないわ。


変な女に引っかかるより、ちゃんとした貴族の娘の方がまだましね。

その女は政治的な野心も背後もなさそうだし、ベターな選択か」


そう呟いたエリーゼは、アランに側室の許可と二人までは子供も認めるが、子供にジュライ家の家督権は認めないということを伝えた。


「そして一番大事なことを言うわ。

アランが愛する一番はわ・た・し。

そのことは絶対よ!」


その晩からアランは毎晩エリーゼに搾り取られた。


王都に帰ったアランは姉から出入り禁止と申し渡される。

ダニエルに側室の話を聞いた姉は激怒したようだ。


しかし、エリーゼの許しを得て、正式にロキシーを側室とすることができたアランは上機嫌であり、姉の怒りをさほど気にしなかった。


結局、折れたのはレイチェルである。


「いつまでも可愛い弟でもあるまい。

もうアランは幕府の最重要な要人だぞ。

一人の政治家として扱え」


ダニエルがそう訓戒し、レイチェルも諦めたのだとアランは聞く。

アランは長年の姉へのコンプレックスが解けたような気がした。


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以前にアランの婚約者の後日談をリクエストされていたので、簡単に閑話的に書こうとしたのですが、こんな長くなるとは!

ターナーが出ると思わず話が長くなりますね。

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