ダニエルの王都進軍と和議を巡る思惑

ダニエルは、キョチョの葬儀を盛大に行い別れを告げ、その遺骸を莫大な褒美とともに故郷へ送り返してやる。


彼の遺骸を見送りながら、ダニエルは刺された足の傷を押さえる。

「ダニエルさぁ、足が痛んとな。

手当てしもんそ」

ノーマが心配げに見つめる。


「この痛みはキョチョを忘れるなということだ。

だから傷のままおいておくよ」


ダニエルは少し足を引きずりながら馬に跨る。


何度、部下か自分の身代わりとなって死んだことか。

いつまで経っても心の痛みは軽くならないが、それでも時間とともに忘れてゆく。


キョチョの死も段々と忘れていくのだろうが、この傷の痛みは少しはそれを長く思い出させてくれる。


ダニエルはそんなことを思いつつ、全軍に王都への進軍を命じる。

返ってきたのは兵の大歓声であった。


その軍勢は今や数万。ミナトガワの戦いの前よりも遥かに膨れ上がれる。


ダニエルの勝利を知って、近隣で領地に引きこもり様子を見ていた領主は兵を率いて味方に加わらんと、慌てて駆け付けてきた。


皆、手土産を持ってきて卑屈な顔で媚びへつらう。


「勝敗が決まってから尻尾を振ってくるような奴らは追い返せばいい」


ノーマを筆頭に武闘派の家臣は彼らを忌み嫌うが、ダニエルは


「我々から見れば唾棄すべき日和見だが、家を守るためには己の誇りも捨てねばならない苦渋も認めてやれ。

ただし、一度約したからには必ず守ってもらうがな」


と鷹揚に彼らを歓迎するとともに、受け入れの条件として食糧や冥加金を厳しく取り立てる。


大軍を維持するには金がかかる。

レイチェルの手腕により貯め込んでいた貯蓄は万が一の資金を残し、長く激しい戦の軍資金としてすべて吐き出していた。


勝利を収めた今こそ金を集めなければならないことは、レイチェルに言われるまでもなくダニエルにもよくわかっていた。


今頃はダニエルの勝利をバックとして、ターナー達が大商人やギルド幹部相手に金を吐き出させる交渉を行っているだろう。


軍勢が膨れ上がる要因としては、その他にもニッタ軍などの敗走兵が伝手を辿ってどこかの部隊に潜り込んでいることもある。


これも戦場の習いであり、兵士だけでなく指揮官も知り合い同士で負けたときの保険をかけることは往々にしてあることである。


「ダニエル様、敵軍から紛れてきた奴らを洗い出し、処罰すべきです」


軍監を命じられた潔癖症のサキチは青筋を立ててそう言い募るが、ダニエルは放っておけと相手にしない。


まだ王国の主導権を握る争いは決着していないのだ。

今は大軍を擁して王に圧力をかけ、国中に誰が覇者になったのかを示す時だと考える。


王都への進軍はゆっくりとしたペースとし、その間に駆けつけてくる兵を呑み込み、四方への諜報活動と流言を飛ばすことに力を入れる。


『ダニエル軍大勝す。

ニッタもクスノキもキタバタケも討ち死にし王軍は壊滅した。

ダニエル軍は10万以上となり、王都を攻略する構えだ。

抵抗するならばアーサー王につく者は皆殺しと息巻いているそうだ』


この噂は瞬く間に国中を席捲した。


ダニエルは途中の主な諸侯や領主に使者を送り、麾下に加わるか敵対するかを迫る。


ほとんどの者はダニエルに恭順を誓ったが、少数だが、ダニエルを見下す者や王に与する者、この期に及んで日和見を続けようとする者に対して、ダニエルは厳しかった。


そのすべてを揉み潰し、領地や財産は没収、領主や首謀者は斬首とする。


ダニエルを嫌う者は領地を捨て王都に奔るしかない。


恭順する領主を加え、雪だるまのように膨れ上がるダニエル軍の噂は王宮の貴族を脅かす。


王は敗北と主要武将の討ち死に聞かされて、呆然としていた。


「ニッタもクスノキもキタバタケも情けない。

あれだけ王陛下の信頼をいただきながら、ダニエル一人討ち取れなかったとは」


出陣を主張したボウモンは会議でそう嘲笑った。


それに対して、遥か下座に座るマサツラ・クスノキは拳を握りしめて黙って下を向く。


しかし、同格の公卿チカフサ・キタバタケは真っ赤になって掴みかかった。


「貴様、我が息アキイエの死を馬鹿にするか!

キタバタケ家がどれだけ犠牲を払い、最後の一兵まで戦ったのかを知っての暴言か!」


王都では吟遊詩人が早くもマサシゲやアキイエ達の奮戦と死闘(そしてダニエル軍の勝利を)を歌っている。

チカフサは何度もそれを聞き、涙していた。


「はっ。

頭脳明晰なチカフサ卿ともあろう者が浪花節か。


勇戦であろうがなかろうが、結果は負けて王都への進軍も止められなかった。

この責めは軍の指揮官にあるというのは当然であろう」


ボウモンの冷淡な言葉にチカフサはもはや言葉ではなく拳を振り上げる。


「息子を亡くされての哀しみはわかりますが、ここは陛下の前での朝議の場。

両名ともお控えあれ」


王妃の兄のグラッドストーン公爵が間に入るとともに、王に向かって問い質す。


「陛下、気がお済みですか。

もはやダニエルと戦える将軍は残っておらず、王都を守護するのは衛兵以外はダニエルを嫌う中小領主と傭兵のみ。

よもやこの状況を踏まえて、まだ戦うなどとおっしゃりませんな」


名門貴族は王の改革政治に反対していたし、国の動乱で荘園などの既得権益を侵されることに腹を立てていた。

ここぞとばかりに王を責め立てる。


「元々ダニエルもここ王都で政権の一翼を担っていた男。

それを戦にまで追い詰める必要は無かったと思います。

今更ですが詫びを入れ、和議を結ぶべきでしょう」


そしてボウモンやチカフサを見て、薄く笑う。


「まあ、ここまで至った責任を問われることはありましょうが。

一番の責任者のプレザンス宰相は捕虜ですが、身分も弁えずに昇進し、陛下を唆した者は覚悟しておいた方がいいかもしれませんなあ」


ボウモンもキタバタケも中位貴族であったが、王の引き立てで出世した公卿である。


公爵から見れば時流に乗った成り上がりの同類であり、敗戦での仲間割れこそ嘲笑に値した。


名門貴族はみな頷いている。

ここでヨシノにもう一度落ち延び、再起を期すと言っても付いてこない可能性が高い。


選択肢のなかった前回と違い、ダニエルの傀儡かもしれないが、王と王宮がもう一つあり、そちらに寝返るという選択肢ができたのだ。


(こいつらは貴族として今までの地位が守られれば、仕える王など誰でもいいと思っているのかもしれない)


王の背中を冷や汗が流れる。


「よかろう。

まずはヘンリーを通じて和議を交渉してみよう」


王の口から遂に和議という言葉が出た。


それを聞いて胸をなでおろす者、ダニエルに敵対しており険しい顔の者、様々な表情を浮かべている。


「陛下、ここで和議など言い出せば何を呑まされるかわかりませんぞ!

ヨシノで再起を期し、全国の勤王の士に呼びかけましょう。


北方守護のセプテンバー辺境伯や東方守護のオクトーバー伯もダニエルに膝を屈することを良しとは思いません。

まだ勝機はあります」


チカフサは必死で説得しょうとするが、王の目に再戦という気概は見えない。


「余は疲れた。

和議を呼び掛けて、身の程を弁えない条件を付ければまた考えよう」


そう言って奥に入る王に王妃が寄り添う。

廷臣はそれを見送り、ダニエル方に伝手がないかを探り我が身の振り方を考えるため、あちこちで鳩首協議を行う。


チカフサはそれを見て、舌打ちしながら王宮を下がった。


私室に入った王は王妃をなじる。

「お前の兄は何故公然と余に逆らうのだ。

濃い縁戚であるのだから、一番に余に味方すべき立場ではないか」


「兄上は高位貴族の不満を代弁しているのです。

陛下に近いことから兄も責められ辛い立場であり、兄が先頭に立つことで高位貴族のリーダーの立場を保ち、陛下への防波堤となっているのです。


ここで兄の言葉を聞き入れなければ、高位貴族も偽王アルバートに走り、王位を奪われる可能性すらあります。


陛下、我が子を王太子として王位を保つことを優先して和議に当たっていただきたい。

私達はもはやそこまで追い詰められているのです」


王妃の心の底からの言葉に、王も反論できない。


「そなたの思いはよくわかった。

それを無下にはせぬ」


王はそう返答し、和議の仲介役を頼むべく騎士団長への手紙を書くこととした。


さて、ダニエル軍は遂に王都に姿を現した。

数万はいると思われるその軍勢の先頭をダニエルが進む。


固く門を閉じる王都から見えるところでダニエルは止まり、大声で王都に呼ばわる。


「見よ!

これが不正卑怯なオウガスト朝に仕えた者の末路だ!」


そしてプレザンス宰相達の捕虜を後ろ手のまま座らせる。


「トム・プレザンスとその部下ども、貴様達は私利私欲の為に王を名乗るアーサー・オウガストを唆し、オレに冤罪をかけてその領土を奪おうとしたな。

その罪は重い。

死罪とし、その首を曝す」


そして小声で囁く。


「プレザンス、同じ成り上がり者同士だが、お前に運がなかったようだな。

欲をかきすぎたんじゃないか。

ヴァルハラでは身の程を学んで来い」


「俺はこの能力でどこまで登れるのか試したかったのよ。

お前のように出たとこ勝負の運頼みの男に負けたのは無念だが、これも天運か」


そう言うとプレザンスは堂々と立ち上がり、王都に叫ぶ。


「トム・プレザンス、全力でアーサー王に仕えて、後悔はない。

王陛下よ、ヴァルハラからその身を見守っております。

よし、思い残すことはない。

ダニエル、さっさと首を跳ねろ!」


ダニエルは剣を一閃してその首を落とすまで


部下たちはまさか文官の命は取らないと思っていたのか、ダニエルの宣告を聞き、悲鳴を上げて、逃げようとするが、兵が押さえつけて、クリスが首を跳ねる。


プレザンスらの首を、ニッタやクスノキらの武将の首とともに王都からよく見えるように高い台の上で並べる。


王都からは彼らの身内なのか悲鳴も聞こえてくる。


ダニエルはその処置を見届けて陣に戻る際、クリスに小声で言う。


「一晩晒したら、盗まれた体を装い、遺族に戻してやれ。

オレも負ければ晒し首だったからな」


ダニエル軍の各部隊は王都を包囲し、攻城戦の構えをとり、煌々と夜間も松明を燃やし、掛け声をかけて威嚇を続ける。


軍の配置を終えたダニエル軍は軍議を行う。

参加する領主の数は膨大であり、ダニエルは身内の将と主な諸侯だけに限って招集する。


「さて、アーサー王はどう出てくるか。

前回と違いヨシノに逃れなかったということは籠城する気か。

しかし、籠城は外からの救援がなければ意味はない。

セプテンバーやオクトーバーを当てにしているのか?」


ダニエルの発言に各将が発言する。


「奴らが出てくるならもっと早く王についているだろう。

王の権力の増大を嫌うのはどの大諸侯も同じ。

王は騎士団長の仲介を待って、有利な和議の条件を引き出すつもりだろう」


王都近くで情勢をよく知るカケフが答える。


「今更和議とは王も虫が良すぎる。

これだけの大軍なら国内きっての精鋭の騎士団とは言え、恐れることもないでしょう。

いっそのこと、騎士団もセプテンバーやオクトーバーも討ち滅ぼして王国を取りましょう」


外様のドーヨが景気の良いことを言うが、オカダが反論する。


「騎士団を舐めないでくれ!

大軍とは言え、所詮は勝ちに集まってきた烏合の衆。

団長を先頭として斬首戦術でダニエルが狙われたら守りきれるかどうか」


その口論にダニエルが口を挟む。


「オレは騎士団と敵対する気はない。

団長はオレが敗勢の時も仲介しようとしてくれた。

その恩を返すために団長が頼んでくれば和議を結ぶつもりだ」


その言葉を聞き、ネルソンが尋ねた。


「それはいいですが、条件をどうしますか?

実権を握ることは勿論、王の引退やこの戦争を煽った貴族の処罰、反ダニエル派の一掃は必要でしょう」


それはそうだという声が上がる。

処罰される者が多いほど、恩賞の原資も増える。

どの将も部下に褒美を期待されているのだ。


ダニエルがそれに頷いた時に、クリスが入ってきて報告した。


「アルバート王陛下が来られました。

今後の政権構想でご相談したいそうです」


えー!

と一同から声が上がる。


この担ぎ上げた傀儡王をすっかり忘れていた。

ダニエルが危ない時には近寄りもせずに王都を狙う位置でやってくるとは。


「軍の指揮で忙しいと酒でも飲ませてしばらく待たせておけ」

不機嫌そうにダニエルが言うと、クリスは苦虫を噛み潰したような顔で答えた。


「到着するなり、旨い酒といい女を用意しろと命じられています」


「馬鹿が!」

この傀儡の面倒を見させられていたカケフが吐き捨てるように言う。


「ここは戦場だ。

女はおらんと言え」


ダニエルの指示を伝えに行ったクリスは、すぐに戻ってきて能面のような顔で報告した。


「ダニエルは美しい妻を戦場でも連れて行くと聞くが、その者を呼べとのことですが」


「あたいに酌をせよごたっじゃと。

その値は高うつくば」


ノーマが笑って言ったが、その語調は氷のようである。


「ダニエルさぁ、頭から水をかけてきて良かか、それとも髪の下を無うしてきてやろうか」


剣を取って向かおうとするノーマを宥めすかし、ダニエルはアーノルドを擁立したことを少し後悔した。

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