マサシゲ達の最期

ダニエルは前方の林の中から土煙りが上がっているのをみる。


「逃げ遅れてきた誰かの兵か?

又は援軍か」


もはや敵兵の援軍は無いと思っているダニエルは気楽にそう言ったが、ノーマの返答に驚愕する。


「ダニエルさぁ、寝惚けているのか!

あの旗印は菊水。クスノキがここをめがけて攻めてきているが!」


「クスノキはキタバタケとともにオカダと戦っているのでは無いのか!」


マサシゲはアキイエの突撃の際に巧みに後退し、その在処を悟らせなかったし、ダニエル軍も目先の敵と戦うことで手一杯となっていた。


戦の主導権を取られっぱなしの弊害がここにも現れていた。


ぐずぐず言っても仕方がないとダニエルは気持ちを切り替える。

クリスは何者かの土煙を見て既に護衛兵を指揮して、ダニエルの前面に密集させ盾の壁を組ませていた。


「敵は死兵。

ダニエル様の首だけを狙ってくる。


まともに戦うな。

ダニエル様を守り時間を稼げ!」


その言葉が終わるや否や、クスノキ軍が突撃してくる。


その兵は身体は血塗れで無傷の者など一人もいない。

眼だけがぎらつき、幽鬼のようである。


生を捨てている彼らの戦いぶりには、より抜きの精鋭揃いであるダニエル護衛兵も怖気を振るった。


「お前たちは死ね!

目の前の敵と共に死んでダニエルを引き摺り出せ!」


指揮するマサスエの言葉も狂気じみていた。


これまでに戦ったことのない死兵との戦いに怯えながらも、護衛兵はクリスの指揮に従い、彼らと出来るだけ距離を置いて防御に務める。


しかしクスノキ軍がここでは数は優勢。

いくら防御に徹していてもだんだんと削られてきた。


いつになれば援軍が来るのか、それまで耐えられるか、ジリジリとダニエル護衛兵は押されてゆく。


その様にたまりかねたダニエルは前線に出てくる。


「後ろで守られているのはやはり性に合わん!

お前ら、そんな幽鬼のような輩に何を押されている!

それでも精鋭を誇る護衛兵か!


死ねや亡者ども。

とっととあの世へ行け!」


ダニエルの大槍の一撃でクスノキ兵の数人の首が飛ぶ。


「夫が向かうところに妻があり。

これぞ夫唱婦随よ!」


ノーマが続いて細身の剣を振るい、たちどころに二人の首を貫く。


押されていたダニエル護衛兵は主君夫婦の奮戦を見て、それに負けじと一気に士気を上げて盛り返す。


ダニエル本陣が襲われるのを見て、もしダニエルが討たれれば寝返りせんと、畿内諸侯は目を皿のようにして成り行きを見ている。


(マズイな)

後方で戦況を見ていたマサシゲはこの乾坤一擲の時を逃すべからずと考える。


前方ではダニエル本陣の様子に気づき、その救援に駆けつけようとするオカダ達をアキイエが必死になって足留めするために攻めかかっている。


(しかし敵は多数。救援が来るのも時間はかかるまい。

それまでにダニエル殿には死んでもらわねばならんが、あの武勇を見れば真正面からの戦いで討ち取るのは難しい。


どうすべきか。

いや、待て。本人が死なずとも死んだと思わせればこちらの勝利となろう)


マサシゲが見たのは巨大なDの旗。

あれを倒してしまえば、遠くからはダニエルが討ち死にしたかと思わせられる。日和見諸侯は寝返り又は逃亡する可能性がある。


(所詮はダニエル殿一人が要であり、その後を継げる者は見当たらない。

彼が死ねば瓦解するのがダニエル軍の最大の弱点よ)


マサシゲは自らの手元の予備兵を後方に回り込ませて、旗を持つ兵を狙わせる。

前線でダニエルが自ら槍を振るう中、後方は手薄だ。


「うぉー!そこを通せ!

通さねば貴様らの命、もらい受けるぞ!」


クスノキ兵は主君の命に従い、勢いよく迂回して突っ込んでいく。


後方を守るダニエル軍の少数の兵は突然の敵襲に驚きながらも必死で抵抗した。


しかし、多勢に無勢、犠牲を払いながらも彼らを退けて陣内に入ったクスノキ兵が見たのは、小山かと見まごう巨漢が巨大な旗を身体にグルグルと紐で縛り付けて仁王立ちしている姿であった。


「所詮は旗持ち。

戦で使えない見掛け倒しに違いない。

マサシゲ様の命を果たすぞ!」


その大きさに驚きながらも、叫びながら剣を持って襲ってきた兵に対して、キョチョは長く重いメンスらしき武器を一振りする。

斬りつけたクスノキ兵は後方に吹っ飛び、身体を二つにして死亡した。


「こいつ、ただの木偶の坊ではないぞ!

油断するな!」


指揮官はそう号令し、周囲を囲みながら一斉にキョチョに斬りつける。

しかし、その剣が届く前に巨大な鉄の塊が風のように舞い、その後には斬り掛かった数名の兵の首や身体が引き千切られていた。


残るクスノキ兵はこの怪物を恐れ、遠巻きにするばかり。


そこへ、いつまでもD旗が健在なことに苛立ったマサシゲが駆けつける。

「貴様達、たかが一人の男に何をしている!」


その声に呪縛が解けたように、三たびキョチョへの襲撃を行うが、結果は同じであった。


「なんと!流石はダニエル殿。

この男、ダニエル軍の秘密兵器か!」


マサシゲは暫し最後の関門に呆然とする。


「キョチョ、すまん。

今助けに行くぞ!」


後方への襲撃に気づき、旗への攻撃という意味を悟ったダニエルが大声で呼ばわると、それを聞いたマサシゲは叫ぶ。


「マサスエ、こちらへの援軍をなんとしても防げ!

時間がない。

お前達はあの旗持ちを遠巻きにして囲み、矢を放て!

なんとしてもあの男を倒せ!」


ダニエルは前面の敵との戦闘をクリスに任せて、後方に動こうとするが、マサスエはダニエルを足留めするために次々と兵を送り込む。


「貴様達、邪魔するな!」

何人を切り捨てても尚もクスノキ兵は向かってくる。


命を捨てた執念には感嘆するが、ダニエルはキョチョと彼の持つ旗の行方に焦りを募らせる。


「痛!」

急ごうとして荒くなったダニエルの槍の振りをくぐり抜け、一人のクスノキ兵がダニエルの足を刺す。


「こやつ!」

ダニエルの隣のノーマが直ちに斬り捨てるが、ダニエルの動きは鈍る。


「メラニー、スコット…」

息が絶える前にクスノキ兵は妻子の名前らしきものを呟き、動かなくなる。


見渡せばダニエルの周りは血と屍の海であった。

ついにマサスエも手元の兵が尽きたようだ。


「ちっ、キョチョ、無事でいろ!」

まだ旗は高々とたなびいている。


ダニエルは安心しながらも後方に向かった。

そこで見たものはハリネズミのように全身に矢が突き刺さりながらも仁王立ちを崩さず、高々と旗を掲げるキョチョの姿であった。


瀕死のキョチョを槍で突き伏せようと前進するクスノキ兵に対して、彼は尚もメイスを振るおうとするが、もはやそのスピードは遅く、クスノキ兵は軽々とそれを避けて槍を振るう。


「この化け物が!さっさと死ね!」

キョチョに対して、何本もの槍が突き刺さる。


「くっ。

オラはダニエル様に見込まれて、旗を守れと頼まれたんぞ。

…これは死んでも離さん!」


キョチョの切れ切れの言葉を聞き、ダニエルは足の痛みも忘れて走り寄る。


「一人を何人もで囲み、更に飛び道具とは卑怯な!

死ねや!」


ダニエルとノーマが殴り込むのと同じくして、ダニエル軍から大きな歓声が起こる。


「援軍だ!

カケフ様の部隊が到着したぞ。

これで勝った!」


遠くに虎の旗印が見える。

カケフの旗である。


彼はまだ決戦まで時間があると見て王都周辺から迂回して途中の諸侯や騎士を平定していたところ、急使を受けて大慌てで駆け付けてきたのだ。


「急げ!

ダニエルの本陣が危ないようだ!」


カケフは騎馬兵を率いて急行する。


カケフ隊を見たキタバタケ軍は一気に戦気が失せ、兵は挟撃されないうちに逃走しようとし始める。


「待て!

騎士の誇りを持ってここで果てるまで戦え!」


アキイエの叫びも虚しく、その軍は既に統制を失い崩壊していた。


「もはやここまでか。


さて、クスノキはダニエルに届いたのか。


我らを出し抜いて行ったのだからダニエルの首を挙げてもらわねば困るが、結果はヴァルハラで聞くか」


アキイエはそう呟くと、周囲を見る。

東北から付いてきた精鋭ももう十騎にも満たない。


「さてさて、済まんが最期まで付き合ってくれるか」


「アキイエ様の行くところが我らの行くところでございます。

何処へでもお供いたしましょう」


ふっと笑ったアキイエは真っ直ぐに馬を走らせる。

周囲は敵ばかり。

前には猛将オカダの旗が翻る。


「オカダ、王陛下への逆臣が!

ダニエルでなくて残念だが、最後にその首、貰っていくぞ!」


「おうよ!

この死に損ないの小僧が。

お前の最期を看取ってやるわ」


一騎打ちは当初こそ互角であったが、敗北を悟り気力が尽き果てたアキイエは次第に劣勢となる。


「アキイエ様、お先にヴァルハラへ参ります!」


周りで奮戦する部下も減っていき、ついには最後の部下の声とともに、アキイエはその剣を跳ね飛ばされ、腰の短剣のみとなる。


「キタバタケよ。

降参するなら命は助けてやるぞ」


オカダの勝ち誇った声に、アキイエは「誰が朝敵に屈するか。私は名門貴族キタバタケの当主だぞ」と短剣を抜く。


「わかった。

まだやるのなら時間をやるから部下の武器を漁れ。

弱い者いじめは俺の趣味ではない」


そう云うオカダを睨みつけて、アキイエは部下の手から剣をとる。


「恩には着ぬぞ。

さあ、行くぞ!」


再度の戦いは呆気なくオカダの剣がアキイエの首を貫く。


「オカダ、最後の頼みだ。

この戦場で我がキタバタケ軍が最後の一兵まで戦ったこと、せいぜい吟遊詩人に歌わせてくれ。

父がそれを聞けば最後の親孝行になろう…」


血を吹き出しながら言い募るアキイエの言葉が切れる。

オカダはうなずきながら、彼を瞑目させてやった。



ニッタ軍は畿内諸侯の日和見の姿勢を受けて、バース軍にのみ焦点を絞り攻勢をかけていたが、カケフ隊の出現とともに日和見の部隊は一転してニッタ軍に襲いかかる。


それどころか、これまでの日和見を打ち消すために犠牲を厭わぬ猛攻を仕掛ける。


クスノキ軍がダニエルを討ち取れば勝ちの目が見えてくる、その希望だけで士気を保っていたニッタ軍は瞬時に崩壊する。


ニッタは王都への退却を勧める側近に苦笑して答える。


「ここまで負け続け、なんの面目あって王陛下に会うのだ?

ヴァルハラで大勢の部下が待っている。

せめて土産を持ってそこに参ろう」


そしてそのままバース軍に突っ込み、

「我は将軍ニッタ。バース出てこい!一騎打ちを申し込む。

お前では役不足だが、大目に見てやる!」

と叫ぶ。


バースは敗走するニッタ軍への追跡と日和見諸侯の暴走の始末に追われていた。


「バース様、

敵将ニッタが一騎打ちと叫んでおりますが」

との部下の報告に冷淡に言う。


「私は忙しい。

もう指揮官でない奴のヴァルハラへの道連れ探しの相手はしてられん。

誰か手柄を立てたい奴が行って来い」


それを聞いた若手騎士が我もわれもと殺到するが、その頃にニッタは斬り込んだ先で歩兵に囲まれ、その首筋に誰とも知れぬ歩兵の矢が当たり倒れていた。


「王に筆頭将軍を授けられたこの俺が騎士ですらなく、雑兵の矢で死ぬとは!

無念だ!」


ニッタの首は手柄を求める雑兵によって揉みくちゃにされ、判別しがたいほどの姿となった。



マサシゲはカケフ軍の接近を聞くと、ここまでかと嘆息する。

今更ダニエルの旗を倒してももはや寝返りは期待できない。


自らも含めてすべてのクスノキ兵を犠牲とすれば、ダニエルを討てずとも軽くない傷を負わせることはできるかもしれないが、この戦場で勝てもせず、その後のクスノキ党への報復は苛烈なものになるのは間違いない。


マサシゲは王への忠誠より嫡子マサツラとクスノキ党の存続を優先した。


(あとはわしの最期を見苦しくないものとするだけか)


「林に退くぞ!

遅れずについて来い!」

マサシゲは大声で退却を指示する。


「逃がすな!

クスノキを討て!」


到着したカケフはそのままの勢いでクスノキ軍を追撃する。


マサシゲは自ら殿を務め、疲れ切った兵を指揮して、最小限の犠牲で林に逃げ込む。


林にはカケフの騎兵は追っていけない。


「やれやれ。

マサスエ、よく逃げてこられたな。

それにしてもひどいなりだ」


「兄者、人のことを言えるか。

ハッハッハ」


マサスエ隊も合流し、兄弟はお互いに自分の血と返り血が混じり合った血塗れの姿を見て、笑い合う。


「兄者、どうするのだ」


マサシゲはいざという時に目星をつけていた山腹の洞穴を指差す。

クスノキ兵はもう二十名ほど。全員が傷だらけであり、弓や剣を杖としてよろめきながら洞穴を目指す。


敵軍が包囲の輪をじりじりと狭めているのが感じられる。


飛んでくる矢に倒れる兵を担ぎ、マサシゲは洞穴にたどり着いた。

中は広く、たどり着くなり兵はそこに倒れ伏す。


それを見計らったように、ダニエル兵は洞穴を囲んだ。


「クスノキを討ち取れば大手柄だ!」

「誰から突っ込む?」


マサシゲは洞穴での乱戦を覚悟したが、そこに聞いたことがある声が響く。


「待て!

こんな死に体の相手を討ち取っても手柄にはならんぞ」


ダニエルはそう言って兵を止め、洞穴に呼びかける。


「マサシゲ殿、よく戦わられた。

本当に冷や汗をかいたぞ。


ここまで戦えば王への義理も果たしたであろう。

オレに仕えないか。

厚遇を約束しよう」


「ありがたいお言葉を頂き、恐悦至極。

しかし、わしが王陛下に引き立てられたことは天下の知るところ。

今更、主を変えるわけにはいかん」


マサシゲはそこでしばらく沈黙し、迷うように付け加えた。


「もし許して貰えるなら、兵の命を助けてやって欲しい。

そして我が子マサツラがダニエル殿を頼ってくれば、話を聞いてやってもらえまいか」


「そのことについては引き受けた」

ダニエルは大声でその頼みを承諾した。


その上で更に言葉を続ける。

「では、ささやかながら酒肴を贈ろう。

部下との別れを惜しんで自らの最期を閉じられたい」


ダニエルは荷駄からもって来た酒肴を洞窟に置き、兵を後ろに下げさせた。


マサシゲは兵に故郷に帰れと命じるが、誰も頷かない。


「マサシゲ様、この傷では故郷まで帰るのは無理ですし、あれほど斬りまくった敵兵のまえをどんな顔して通ればよいのか。

一同、ヴァルハラまでお供します」


「帰ってマサツラを手伝って欲しかったが、

やむを得んな。

では、この世の名残に一献飲み干し、ヴァルハラへ参るか」


マサシゲをはじめ一同は酒を酌み交わし、お互いに刺し違えんと剣をとる。


「マサスエ、生まれ変わったら何になりたい」

剣を取りながらマサシゲは弟に尋ねる。


「今度は恩を売られて命を取られるような馬鹿な真似はやめたいですね。

今だから言いますが、あの王に引っ掛からなければ、日和見をしながらダニエルに付いてクスノキ党は安泰でしたよ」


「全く同感だ。

王に目をつけられたのが人生最大の失敗だった。

七度生まれ変わっても王の甘言には乗らないようにしよう」


クスノキ兄弟は笑い合って、お互いの胸を刺す。


笑い声の後、一気に洞窟は静まりかえる。

ノーマとクリスだけを連れてダニエルが中に入るとクスノキ兵があちこちに斃れていた。


その屍を確認し、マサシゲの死を見届けたダニエルは洞窟を出て、遺骸を丁寧に扱い王都に運べと指示する。


ニッタやキタバタケと並んで王都に首を晒し、戦意を削ぐためだ。


そして急いで陣に戻る。

勝利の祝いを言おうと駆け寄ってくる諸侯を押しのけ、ダニエルは天幕に入る。


「どうだ?

命は取り留めそうか」


ダニエルの問いに医師は首を横に振る。

そこには大人3人分かというのほどの巨体が横たわり、弱々しく息をしていた。


「キョチョ、この戦一番の殊勲はお前だ!

何でも褒美をやろう。

だから元気になってくれ…」


ダニエルは涙声で話しかける。

素人目で見てもキョチョの命は尽きんとしていた。


「ダニエル様、オラは任務を果たせませたか?

もう目も見えねえけれど味方は勝ちましたか?」


「ああ、全てはお前のお陰だ」


「良かった。

新参者のオラが抜擢してもらった恩を返さねばと気張りました。

ダニエル様、オラを褒めてくれろ」


「ああ、ああ…

起きてくればいくらでも褒めてやる。

だから死ぬな!」


その晩、キョチョは静かに死んだ。

ダニエルとノーマはずっとその横に付き添い、彼の手を握っていた。

夜遅く、慟哭するダニエルの声が陣中に聞こえる。


その夜のダニエル軍は勝者とも思えないほど静まり返っていた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る