攻城戦序戦―クリバヤシの戦い2
ニッタ軍はようやく王都を出て、敵領都アースを目指して進軍する。
王都への行軍のように、いやそれ以上の敵軍の襲撃を警戒したが、途中は平穏であり、ニッタと幕僚は拍子抜けする。
それはカケフ軍は王都襲撃に兵力の多くを投入していたことと、もう一つの企みに精力を注いていたことは後ほど判明する。
警戒しつつの進軍のスピードは緩やかであったが、やがてダニエル領内に入ると、堅固そうな要塞とその両脇に築かれた土の壁が目に入る。
「ハッハッハ、あの要塞は手強そうだが、両横の土壁は何だ?
力自慢に鎚を振るわせろ。すぐに潰せるわ!
貧すれば鈍す。ダニエルも遂に焼きが回ったか」
ニッタはそう言うと、あの土の玩具を早急に片付けろと指示する。
そして3万の軍を3つに分け、弟のワキヤに一軍を、王宮につけられた副将格のチクサに一軍を与え、どちらが先に落とすかを競わせる。
自らは予備隊となり、要塞ムーン城から支援に駆けつけるのを牽制する。
ワキヤ軍、チクサ軍とも主将が前面に出て、こんな土の虚城、直ちに攻め落とせ、一番乗りや目立った手柄をたてた者には望む褒美を与えると檄を飛ばす。
兵は行軍の疲れも忘れ、相手を侮り、ろくな武装もなく攻めかかった。
「わしが一番乗りじゃ!」と勢い込んで空堀に入った者は、Vの字となっている薬研堀りの下に地面から突き出た竹槍に刺されて最初の戦死者となった。
「なんだ、これは!」
ニッタ軍の兵は鋭く地面をえぐるような堀など見たことがない。
しかもそこには落ち葉や木の枝に隠されているが、竹槍が下から突き出ているようだ。
「押すな!」
最前列の兵の叫びも虚しく、功を焦る一万の大軍は後ろから押し出し、前列の兵は堀に落ちていく。
やがて落とされていく兵で堀が埋まり始める頃に、ようやく後ろからの行進はストップした。
そこを頭上から水のようなものが降り注ぐ。
「何だこれは!
ヌルヌルするぞ」
「油だ!
やつら油を降り注いでいるぞ!」
兵たちの言葉が終わらないうちに、火がついた松明が何十本も投げ下ろされる。
火がついた兵が悲鳴を上げる。
「誰か助けてくれ!」
「水をくれ!」
たっぷりと油が染み込んだ上にいる兵が黒焦げとなる中、その下の兵たちは身動きも取れずに煙がまわり窒息していく。
周囲の兵も燃え盛る火の勢いに救援もできず、仲間の死を見守るしかない。
ようやく鎮火した後に残ったのは、黒焦げか酸素を求めて苦悶の形相で亡くなった兵達の死体で埋まった堀である。
「目を背けたくなる惨状だ」
ワキヤはぼやくが、幕僚は気にすることなく言った。
「不幸中の幸いか、兵の死体で堀が埋まっています。
この上で戦えば堀などなかったことにできます。
一気に攻めかかる足がかりができたと思えばよろしかろう」
「うーん、しかしなあ」
部下の兵を足蹴にする行為に渋るワキヤだったが、チグサ率いる隣の戦場では既に城に取り掛かっている声が聞こえる。
下級貴族上がりで王お気に入りのチクサに負ければ、兄の地位を奪われる恐れもあると考え、その案を認める。
「やむを得ん。
死んだ兵には申し訳ないが、彼らに役立ってもらおう」
ワキヤの許可を得た指揮官は兵に突撃を命じる。
「行けー!
仲間の仇を取るのだ!」
しかし、兵の士気はだだ下がりであった。
「うちの大将の頭は大丈夫か?
黒焦げの味方の上で戦えだと!」
「おれの弟の姿が見えない。
あの下にいるんじゃないか?
まだ生きているかもしれない。
探しにいかせてくれ!」
兵の声を聞かずに、指揮官は鞭を振るって前進を命じる。
黒焦げの死体はまだ熱さを感じる。
その下からはうめき声も聞こえて来る。
「まだ生きている者もいますぜ。
なあ、この攻撃はやめませんか」
戦に慣れたベテランの下士官からも意見が出るが、ここで攻撃の手を緩めてはチグサ軍に負けてしまう。
ワキヤはその一心で前に進ませるが、足元に気を取られる中、城門や土塁の上に立つ敵兵から矢はもちろん、石や丸太が投げ下ろされ、さらに何か液体が振り撒かれた。
「油だぞ!
俺たちも黒焦げになるぞ!」
兵は悲鳴をあげて逃げ惑う。
ただでさえ低い士気はこれで崩壊し、隊列も乱れる。
「慌てるな!
これはただの水だ。落ち着け!」
指揮官がそれを維持すべく走り回る。
「今だ!行け!」
敵軍の逃げ惑う姿を見て、、バロン・ニシは自らが愛馬に乗って先頭に立ち敵軍に突撃する。
なすすべもなく、ワキヤ軍は崩れ落ちた。
一万の軍が千の敵兵に追い回され、面白いように討たれていく。
それはニッタの救援軍が来るまで続いた。
その夜、ワキヤとチグサはニッタに呼ばれ、激しく叱責される。
チグサ軍はワキヤ軍以上にひどい損害だったようで、未だに軍の立て直しができていないことが人馬の行き交いや大声での叱咤でよくわかる。
「最初に初見の堀で損害が出たのはやむを得ない。
しかし、その後に続々と後続が堀に落ちていくことを止められなかったのか。
更に死んだ仲間の兵の上に乗って城を攻めろなど兵の気持ちも考えてみろ!」
兄の叱責をワキヤは神妙に受け止めるが、チグサはそっぽを向いて吐き捨てるように言う。
「アンタが急げと言うから、総攻撃させたのだ。
こんな罠があるかもしれないなら事前に教えてくれ。
そんなことも言わずに後で責めるだけなら誰でもできる。
なるほどこれではダニエルに負けるわけだ」
その言葉にワキヤは激昂して、チグサに殴りかかる。
それを止めたのはニッタである。
「確かに俺はダニエルに負けた。
しかし、今度は王陛下の為に勝たねばならん。
力を貸してくれ」
そう言って頭を下げるニッタにチグサもそれ以上は何も言えず、不平そうな顔であったがその指揮に従うことを誓った。
チグサが去った後、ワキヤは兄に聞く。
「王の寵臣とは言え、なぜあんな下級貴族上りの素人に軍を預け、頭を下げるのですか」
その言葉を聞くニッタは苦く笑った。
「プレザンスと約束したのよ。
チグサを副将とし、彼を重用する代わりに王宮でオレの立場を奴が代弁する。
チグサの後ろ盾がプレザンスであることは周知のこと。チグサが副将であれば我軍のことを奴は我がこととして弁護しなければならん。
チグサなど煽てて使えば良い。
それよりも王宮での立場が安泰になり、後方を気にしなくて戦えることが重要だ」
「なるほど一方でプレザンスは戦功を兄上に独占させたくないため、自分の息のかかったチグサに功績を与えよどいうことですか。
目の前の敵と戦う前に後方に配慮が必要とは。
宮仕えは辛いものですな」
そう言って兄弟は苦笑する。
手足が縛られる自分達に比べてダニエルのなんと羨ましいことか。
しかし、そんな感傷を吹き飛ばすかのように、人馬の走り回る音や干戈の響きが聞こえる。
「何事ぞ!」
ニッタの叫びに側近が答える。
「夜襲です。
敵軍が城から出て来ました!」
「戰の後の夜襲はよくあること。
警戒を厳重に指示していたはずだ!」
「襲撃を受けたのはチグサ軍。
城からの撤退の混乱につけ込まれ、敵兵が味方に混じっていたようです。
それが城からの兵と示し合わせて蜂起し、味方の裏切りかと混乱が広がっています」
「あのバカは撤退もできんのか!」
ニッタは悪態を突きながら、救援に向かうように指示を出す。
しかしニッタの兵が向かった頃には、敵兵は一撃を加えてさっさと撤退していた。
(この鮮やかな兵の動き、誰が将かは知らぬがよほどできる男のようだ。
あまり舐めてはかかれぬか)
ニッタは心でそう考える。
次の日、日が昇る頃、城の塀の上から大声で呼ぶ声がする。
「ニッタ軍の諸君に告ぐ!
堀に埋まっている貴軍の兵士は埋葬しないのか?
また兵達の遺体の上で戦うのか?
貴軍に兵をいたわる気持ちはないのか!
仮に兵の遺骸を引き上げて埋葬するならばその間の休戦を約束しよう。
指揮官はご検討ありたし」
そう言って塀の下に入る敵将を見て、ニッタはほぞを噛む。
(勿論、兵の遺骸を埋葬するつもりだった。
朝に敵軍に使者を出すつもりが先手を取られたわ。
見ろ、兵達のヒソヒソと話す声を。
指揮官への不信感が顔に現れているわ)
ニッタは側近を使者とし、敵軍に24時間の休戦を申し込みに行かせる。
チグサから相手の言う事など聞くことなく、直ちに攻め潰すべしとの意見具申が来るが、ニッタは丁寧に言い聞かせてなんとか収める。
(バカを言え。
兵のことなど道具としが思っていない将と思われて誰が付いてくる!
貴族は貴族以外を人と思っておらんことがよく分かるわ)
ニッタは兵に命じて、遺骸を堀から引き上げさせて遺品をとり、身寄りがいれば預け、それ以外は大きな穴を掘って埋葬させる。
その時にニッタは自ら薬研堀に入ってみる。
(何だこの土は。ツルツルと滑って上にあがれない。
そして下には鋭利な竹槍か。考えられているな)
堀の内側では修繕している音がする。
昨日の戦闘で城の傷んだところの修理や兵の休養をしているのだろう。
昨日の撃退で気分が盛り上がっているのか、明るい笑い声も聞こえる。
(くそっ。今は笑っていろ。
明日から笑う暇がないほど攻め寄せてやる!)
ニッタは後方に使者を出し、攻城兵器の輸送を急がせる。
本城のムーン城はともかく土の城に必要とは思わず、後ほどに送らせる予定だったのだ。
翌日日が昇り、休戦の期間が終わるとともに、ニッタ軍は攻めかかる。
ワキヤ軍とチグサ軍の分担は変わらないが、今度は手ぶらでなく大盾を持って、堀を埋める土を運ぶ。
城からは盛んに矢が飛んでくる。短弓はともかく、上から降ってくる長弓や強力なクロスボウでは盾を貫通するものもあり、兵に犠牲が次々と出る。
「多少の犠牲は気にするな!
早く土を運び、堀を埋めてしまえ。そうすればこんな土の玩具、すぐに抜けるぞ!」
ワキヤはそう叫ぶ。
しかし、堀の深さも相当なものだ。
それを埋める土を掘り、運ぶ労力も大きい。
しかも矢の雨に当たるかと精神的な疲れもある。
夕方、兵が疲弊しながら土を掘っていると、突如矢が飛んできて、更に敵兵が大きな鬨の声を上げながら襲ってきた。
「伏兵だ!」
どうやら本城ムーンから出てきて伏せていたようだ。
こんなところに敵兵がいるとは思わず気が緩んでいた兵は慌てて算を乱して逃げ出していく。
「敵だ!」
後方から城の方に逃げてくる兵を見て、チグサ軍は動揺を隠せない。
そこへ城門を開けて兵が打って出てきた。
「挟み撃ちだぞ!逃げろ!」
後方も前方もよく見れば遥かに小勢だが、大音声に怯える兵を、戦場に慣れないチグサは制御できない。
クリバヤシはこの奇襲を自ら率いてムーンから出撃し、城からは信頼する配下のセンダがタイミングを合わせて攻撃した。
「敵は小勢、踏みとどまれ!」
叫ぶチグサを側近が守りながら撤退する。
手勢に援軍に行かせながら、ニッタは前途多難だと溜息をつくとともに、この敗戦をプレザンスがうまく弁護してくれることを祈る。
一方、王都近くのエーザン跡地では、簡素な王の戴冠式が行われていた。
カケフが接触を試みていたのは、以前に王に起用されながらも敗戦続きのために処罰を恐れ隣国に亡命していた王族アルバートである。
王に近い血を引く王族の彼を呼び戻し、王として立てて大義名分を得ることが目的だ。
これにより朝敵という悪名をいくらかは拭い去れる。
いずれ利用できるかと迎え入れられたが、今や隣国で持て余され冷遇されていたアルバートは王にすると言われるとすぐに乗ってきた。
現在のアーサー王の下で失脚した貴族を集めて、戴冠式の真似事を行い、盛大に王都や全国に宣伝する。
『罪のないダニエル卿をその領地を奪うために攻めたて、更に王都を灰にし、民を虐殺して顧み無いアーサー・オウガストに王の資格はない。
国を憂い、我アルバートは立ち上がった。
我を真の王と思う諸侯諸卿は我のもとに参集し、偽王を倒そうぞ!
真の王 アルバート・オウガスト』
王都のあちこちに貼られた檄文を見た王は激怒した。
「おのれ、アルバート!
命ばかりは助けてやっていたものを。
そしてダニエル、余に正面から刃向かう気か!
もはや容赦はせん。
ニッタに急使を出せ。速やかにダニエルの首をもってこいと。
そして全国の諸侯に触れを出せ。
アルバートとダニエルを打ちのめし、反乱の目を断つ!」
王宮は大騒ぎとなる。
そして同時に王宮で冷遇されている貴族は密かにアルバート陣営にいる貴族に伝手がないかを頭の中で探し始めた。
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