誤算に次ぐ誤算
ダニエルとノーマはハチスカ党の道案内で南部への道をひたすら急ぐ。
「こうなると子供たちを早めに帰しておいて良かったが」
「全くだ。
この逃避行に子連れでは逃げ切れん。
かと言って劉備のように子供を捨てることはオレにはできんからな」
「ハッハッハ、あれはそんな人非人だから次代に潰れてしもうたんじゃ」
ノーマとダニエルのやりとりは周囲の肩の力を抜かせる。
分散して逃亡する部下のことが気になるが、今すべきは自らの帰還だ。
ダニエルは小魚の大群の中の目立たぬ1匹になったつもりであったが、その1匹は目をつけられていた。
「ダニエル殿は少数でこちらの道を進んでいるのか」
陣営の中でクスノキは間諜の報告を受ける。
地元の地の利を活かし、あちこちに放った間諜から報告が入る。
「南部に帰るのにこの間道を通るなら、道はこう行くか。そしてここの水場で休むだろうな」
クスノキは日頃使っている山の民から話を聞きながら、地図に一本の道を作っていく。
「ここはシカなどのケモノ以外は修験者などしか通らない特に険しい道。一歩足を踏み外せば谷底に真っ逆さま。儂ら山の民や猟師でもなかなか使いません。
偉い将軍様や奥方が通ることはないと思いますぜ」
山の民の村長はそう言うが、クスノキは首を横に振る。
「いいや、人の考えつかないことをするのがダニエルという人だ。
そして奥方は名にし負う女武者。
そんな道でも行くだろう。
よし、その道で張るのが良かろう。
まずワシが襲う。仕留められなければキタバタケ殿、ニッタ殿に二の矢、三の矢となってもらう」
その指示に子のマサツラが疑問を呈する。
「父上、現在彼の軍兵を我らは追撃し、大きな損害を与えつつあります。ここで改めてダニエルを追うこととすれば、兵を引き上げさせて方向転換しなければならず、その間にかの将兵は南部に帰りましょう。
ダニエル一人よりも、その軍にダメージを与えることを優先すべきではありませんか」
「理屈ではその通りだ。相手が凡将ならばわしもそうする。
しかしダニエルは凡将ではなく、しかもそのことは国の内外で知れ渡っている。
つまりダニエル殿がいる限り、そこに人は集まり、脅威は無くならない。
逆にダニエル殿が亡くなれば後はどうにでもなるのだ。
カリスマは数字では測れん。
今日は父の言うことに従え」
父マサシゲの言葉にマサツラはまだ疑問そうだが引き下がる。
マサシゲはそれから瞑目して暫く沈黙し、その後、独り言のように呟く。
「ダニエル殿にここで死んでもらうのがこの国にとって良いことなのかわしにはわからん。
しかし、ここで死んでもらわねば間違いなくこの国は王家ではなくダニエル殿の掌握することとなろう。
わしは王陛下に忠誠を誓った身。
ダニエル殿を仕留める!」
そしてキタバタケとニッタに使者を出すとともに、自らは山の民の案内の下、よりすぐりの兵達と間道を急ぐ。
敗走したダニエル麾下の各部隊は悪戦苦闘していた。
日中はできるだけ山の目立たぬところで休み、夜間になると平地をひた走る。
ダニエルはターナーに命じて、事前に逃走経路付近の商人や村長達有力者に金をばら撒かせて、密かに食料や水などの供給の手配を頼んでいた。
無論ダニエル軍の敗戦を見て、その約束を反古とする者もいたが、約束を守る者も多かった。
彼らは約束通り道沿いの目立つ大木や岩の陰に夜になると水や食料を置いておく。
それを入手して兵達は飢えや渇きを癒やし、闇夜を急ぐ。
帰郷を願う気持ちは自然と脚を早めるが、後から来る者のために途中で野営する敵軍に隙があれば襲撃し、少しでも敵勢力を潰していく。
親衛隊も必死になって追撃していた。
ここでダニエルを捕らえねば後々王宮から何を言われるかわかったものではない。宮廷貴族たちは、親衛隊がだらしないために王都から田舎に避難させられた、これだけの苦労をさせた以上当然にダニエルの首を持ちかえるべしと公言している。
彼らの激しい攻撃に犠牲者も多かったが、王都での待機期間に積んでおいた訓練が役に立ち、ダニエル軍は整然と想定した退却を行い、中核となる指揮官層は比較的少数の犠牲で敵の追撃を躱していた。
その様子を山頂で見ながらヒデヨシとコロクが話す。
「我が軍兵はハチスカ隊に先導された3つのルートで帰還の道を進んでいる。
ほとんどの兵が通るそのルートは旅人も使うそれなりの道であり、当然にそこに敵の目が行く。
その間にそのルートを大きく外れたけもの道でダニエル様に安全に帰還いただく。わしのこの策は見たところ上手く言っておるようじゃな」
「そんな兵を囮にするような策がよくダニエル様に認められましたな」
ヒデヨシの自賛にコロクが質問すると、猿顔をニヤリとして言う。
「そこは結果良ければ全て良し。
策のすべてを主君に言うこともあるまい。
もっともダニエル様には通常では通り得ない険しい山道で帰還願っている。どこを通っても苦労はするものじゃ」
話しているうちに敵兵の様子が変わる。
ダニエル軍をそれぞれ執拗に追撃や包囲しようとしていた動きを止める。
「やや、奴らの動きがおかしい。
何か異変があったか?」
更に見守ると、親衛隊は一旦兵を下げて再編し、これまでと別の方向に兵を動かしていることがわかってきた。
「ヒデヨシ、これは!」
コロクの悲鳴のような声にヒデヨシも応じる。
「不味い!
奴ら、ダニエル様の逃走経路の方に向かっている。
気づかれたか!」
叫ぶや否やヒデヨシは転がるように走り出す。
同じ頃、ダニエル軍の将兵は突然敵の攻撃が収まったことを不思議に思っていた。
「奴らも追いかけるのに飽きてきたのか?」
「やれやれ、これで家に帰れる」
気楽な兵隊の会話と異なり、指揮官達は深刻な顔で敵兵の行方を見守る。
ヒデヨシはこの逃走の策を各将軍に説明していた。
ダニエルを確実に逃がすために敵の追撃を引き受ける、その覚悟で撤退戦を行ってきたが、その敵の攻撃が無くなったということは何処に敵の目が向いたのかは明らか。
即ち、彼らよりも大きな獲物を見つけたということだ。
「バース様、彼らはダニエル様を見つけたのでしょうか?」
最後衛を引き受けたバース隊の更に殿を務めるガモーは深刻な表情でバースに迫ってきた。
「それはわからん。
そうだとしても今からダニエル様の援護に行くことは無理だ。
無事を祈るしか我らにできることはない」
沈痛な顔でそう述べるバースに、ガモーは一つの提案をする。
「一理ある作戦だが、実行する者は生還は期し難い。
しかも効果の程もわからん。
それでもやるのか?」
ガモーの策を聞いたバースは渋い顔をして迷いを見せる。
「ダニエル様に帰還いただく可能性がわずかにでも増えるのであればやる意味はあります!」
そういうガモーに対して、希望者を募りその策を実行することをバースは認めた。
さて、その頃の親衛隊は、既に先行したクスノキ隊を追って、キタバタケ、ニッタの各隊が方向を大きく変えて、奥深い山岳地帯を包囲しようとしていたが、道もない険しい山中を彷徨い谷に落ちる者や行方不明になる者が続出していた。
「本当にこんなところをダニエルが逃げているのか?」
「クスノキの言うことなど当てになるのか?」
敵も見えず、険しい山を捜索する兵からは不平不満がこぼれる。
敵兵が満ち溢れてきたとも気づかず、ダニエル一行は道を急ぐ。
その道は断崖絶壁の岩肌を辛うじて人一人よじ登っていけるようなところだ。
敵を警戒するより自分の足元を見るのが精一杯。
ダニエル一行は全員を繋ぐロープを腰に結び、誰かが落ちても救えるようにする。
「あー!」
一人の近衛兵が足を踏み外し谷底に落ちる。
ダニエル達は全員がその衝撃に踏ん張り耐え凌ぐが、その兵が落ちたところは深く、なかなか上がってこない。
下から声が聞こえる。
「足をかけるところもなく、上がるのに苦渋しています。
今は時間が大切。
ダニエル様、ロープを切り俺を置いて進んでください」
「オレは部下を見捨てん。
全員が持てる全ての力を出して奴を引き上げろ」
長い時間をかけロープを手繰って彼を助ける。
そしてヘトヘトに疲れながら道を前進したところで、ようやく目的の水場に到着する。
「やれやれ、やっと休憩か」
精鋭の近衛兵もどっと身体を投げ出し、水場の水を貪り飲む。
そして手持ちの糧食を食べ、寝転んだ時に突然矢が降ってきて何人かが刺される。
「くそっ!
まさかこんなところで伏兵が?内通者か」
クリスが口走るが、ダニエルはそれを止める。
「皆必死でここまで進んできた。
味方を疑うな!
それより敵を探せ」
山腹の木々に隠れながら矢を放つ兵がいる。
その地味な武装と隠れながらの巧みな弓術にダニエルは見覚えがある。
「クスノキ党か!」
「流石はダニエル殿。
よくおわかりですな。
クスノキ党、ダニエル殿に馳走するためにお待ちしていました」
マサシゲが現れる。
「クスノキ殿か。
一番やりあいたくない相手だが、オレの命はもうオレ一人のものではないのでまだ死んでやれん。
みな、木々に身を隠し、このまま行方をくらますぞ」
ここで戦い勝っても意味はない。
ダニエルは疲れている兵を奮い立たせ、自らが先頭となって包囲するクスノキ兵のうちの手薄なところを斬り倒し邁進する。
マサシゲにも誤算があった。
流石に地元とは言え修験者達の道なぞ行ったことがなかった。
その道は想像を遥かに超える峻厳さであり、連れてきた多くの兵が脱落した。そして想定外の少数での襲撃となり、かつ悪党出身の彼らが苦手の、正面からの接近戦を避けるための弓矢や投石なども多くを失っていた。
やむを得ず、接近しての斬り合いとなったが、不正規戦を得意とするクスノキ党はダニエル軍最精鋭の近衛兵の前には赤子のように蹴散らされる。
「首を取るな!そんな荷物は持てないぞ。
逃げれば放っておけ。掛かってくれば谷に蹴落とせ」
既に先に進んでいたダニエルは、格闘し首を取ろうとする兵に指示する。それを聞くと、近衛兵はたちまちにクスノキ党を駆逐し、ダニエルの後を駆けていく。
マサシゲはその状況を見て指示を変え、接近戦をやめて後方から追い立てることとする。
前方にはキタバタケ軍がいるはず。挟み撃ちにすれば良い。
しかし、やがて急な谷底に大きな丸太橋がかかっているところに来る。
下を見れば足が竦む高さだ。
「急げ!」
ダニエルを先頭に、ノーマやクリス、近衛兵が次々と渡る。
最後の兵はさっき滑落から助けられた男。
「早くしろ!
お前が来ればこの丸太を下に落とし、クスノキが後を追って来れなくする」
ダニエルの呼びかけに兵は答えた。
「ダニエル様、すぐそこまで敵は迫っています。
俺が渡れば敵も着いてくるでしょう。
さっきもらった命、ここでダニエル様に返します。
ダニエル様、生きて帰り、奴らを打破ってください!」
兵は丸太を外し谷に投げ捨てる。
そして向かってくるクスノキ兵に突撃し、何人かを斬り殺すも憤った敵兵に囲まれ斬り刻まれて死んだ。
一部始終を対岸から見たダニエルは、「お前もオレの肩に乗る一人になったのか。その思いは受け取った!」と呟き、先を急ぐように言う。
後方からダニエルの去るのを見たクスノキはしばし沈黙して思考する。
やがて言葉を口にし、周囲に聞かせる。
「まさかここまで急峻な道とは思わなかった。
ダニエル殿、ここを迷いもなく進み、しかも部下に従わせるとは流石は勇将と言われるだけはある。
ここで仕留めるつもりだったが、失敗したのはわしの読み間違えだ。
あとはキタバタケ殿、ニッタ殿にお願いしよう」
兵を失い、手傷を追ったダニエル一行は険しい山道を乗り越えていく。
足に傷を負い山道を越えられなくなった者には水と食料を渡し、後の迎えを約束して置いていく。
この絶壁の道では背負って歩くこともできない。
(なんとか生き残ってくれ!)
ダニエルは祈る気持ちで泣く泣く彼らを後にする。
荒い息を吐きながらようやく次の休憩地に到着する。
警戒していたが人の姿は見えない。
「やれやれ、やっとゆっくりできる」
陽も落ちる時刻、これからこの険路を歩くのは無理だ。
ダニエルはノーマを隣にして横になる。
「ジェミナイから命からがら逃げ出したことを思い出すが」
そう言うノーマに、何度も敗走に付き合わせたことを怒っているのかとダニエルは詫びる。
「ノーマには何度も負け戦に付き合わせ、辛い目をさせてすまない」
怒っているかと思ったノーマはダニエルに顔を近づけにっこりと笑った。
その笑顔は暗闇の中でも輝くようだった。
「なんば言うか。
負け戦の時こそアンタとずっと一緒に居られて嬉しか。
いつも負けて一緒にいられればよか」
「お前が妻になってくれて本当によかったよ」
そう言って抱き寄せるダニエルにノーマは冗談を言う。
「敗走の時だけはそう思うのけ?」
「何を言う。
いつもそう思ってるよ」
「ならば閨を共にする回数ももっと増やして欲しか」
うっとダニエルは詰まる。
3人の妻のバランスがある。
「ここから帰ったらまずはノーマと床を共にしよう」
「ダニエル様、夫婦円満はいいですが、独身者も多いのでここで始めるのはよしてくださいよ」
クリスのその言葉に一同は爆笑する。
翌朝、日が昇り、ぼちぼち出発という時に見張りの当番兵から「敵襲!」の声がする。
ダニエルが慌てて周囲の山々を見るといつの間にか敵兵に囲まれていた。
「奸賊ダニエル!
散々手を焼かせてくれたな。
お前の捜索のため我が軍もどれほど兵を失ったか!
しかしもう逃げ場はない。
ここがお前の墓場。せめて騎士の名誉のため、自害の時間を与えよう」
そう言うアキイエの言葉を遮るように背後から地面が割れるような大音声が響き渡る。
「何を言うておる!
和を結んだ時に、ついていけばこの国一番の強者と戦えると言ったであろう。
ダニエルとやら、このワシと戦ってもらおう」
2メートルを有に超える巨漢が前に出てきた。
「貴様、礼を知るなら戦いを挑む前に名を名乗れ!」
男はダニエルの一喝にニヤッと笑っていう。
「これは失礼した。
蝦夷最強の武人にして酋長のアテルイと申す。
キタバタケと争っていたが、ダニエルというこの国で一番強い男と戦わせてくれると聞き、和睦した」
そしてダニエルをジロジロと見て、感心する。
「なるほど、身の丈は大きくないが、鍛えられた身体よ。
特にその目がいい。厳しい試練をくぐってきたことがよく分かる。
相手に不足なし。
さぁ戦わん!」
ダニエルはこんな戦闘狂と死闘をするより帰還して果たすべき仕事がある。
なんとか逃げられないかと周りを見るが、兵で固められて隙がない。
そして、隣ではノーマが目を輝かせて、ダニエルを励ましていた。
「これぞ、子供の頃から憧れていた勇者の一騎打ち。
ダニエルさぁ、これに勝てば子供や子孫に言い伝えられるが。
気張って行くばよか」
逃げ道もなく、妻からはそんな目で見られてダニエルはやらざるを得ないかと覚悟を決める。
しかし、この巨漢、身のこなしを見ても相当に強いと分かる。
(オレは勝てるか、いや勝たねばならん!
オレは多くの人から託されたやることがあるのだ!)
ダニエルには思わぬ一騎打ちだったが、自分を奮い立たせ、剣を持って前に出る。
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