敗北と撤退戦
ダニエルはヨシノへの行軍の最中、前よりも後方を気にしていた。
遠方にして守備堅固なヨシノを攻めるつもりはさらさらない。
これは自軍を餌にした罠である。
その効果的な発揮のために、ヨシノの王家や貴族を散々脅かすように先鋒のガモーに言い付け、派手な焼き討ちや襲撃、威嚇を行わせている。
(歴戦の武将が見ればハッタリだとバレバレだが、王都で高みの見物しかしていない宮廷貴族どもには身近に敵軍がいるだけでも腰をぬかさんばかりの脅威だろう。
そうすれば何をおいても悲鳴を上げて軍を呼び戻すはず)
後方に残置してきた間諜から、親衛隊が追跡してきたと連絡が入る。
「どうやら罠に掛かってくれたようだ」
ダニエルはオカダやカケフに笑いかける。
彼らが一番恐れていたことはヨシノ攻めを無視されて本領へと攻められることであった。
「ニッタに戦略眼がなくてよかった。
本当にビクビクしたぞ。
もしも南部に進軍されたらおっとり刀で取って返して、こちらが慌ててニッタを追わねばならんところだったからな」
カケフも安堵の溜息をつく。
「では予定通り、ここからの行進は遅らせて、先の盆地で待ち受けるか。
ちょうど奴らが登ってきたところをこちらは上から襲いかかれる。
絶好のポイントだ」
オカダは戦の陣形を組み立てる。
ニッタ軍はダニエル軍に追いつくべく山道を急行する。
ようやく狭い上り道を通り抜けて、開けた場所に辿り着いたとき、彼らは仰天した。
その目の先には先を急いでいるはずのダニエル軍が整然と陣形を整えて待ち受けていた。
「謀ったな!」
ニッタは激怒する一方で、急いで合戦に向けて陣営を整えるために指示を飛ばす。
といっても、いつ相手が襲いかかってくるかわからない中、とりあえず横に展開するしかない。
「おお、あれは鶴翼の陣か。
こちらの魚鱗の陣を包囲する気か?」
そういうオカダにダニエルは笑い出す。
「そんな立派なものか。
慌てて兵を並べただけだろう。
あの薄い陣をズタズタに引き裂いてやれ!」
相手が態勢を整えるのを待ってやるほどダニエルはお人好しではない。
ニッタ軍が盆地に上りきり、獲物が罠に十分に掛かるのを待って猛攻を加える。
兵数はニッタ軍のほうが3割増ぐらいか。
しかし兵の展開ができない状況では大兵力はむしろ邪魔となる。
待ち構えていたオカダが先鋒を率いて坂の上から攻めかかる。
ある程度相手を叩くと、二陣に代わる。
ダニエルは時間をかけずに打ち破るため、車懸かりの戦法を使い、次々と陣を入れ替えて打撃を与え続ける。
「数はこちらが多いぞ!
押し返せ!」
指揮官の怒号も虚しく、数時間でニッタ軍の前線は崩壊、後方の予備隊は逃亡し始めた。
「待て!戻れ!」
ニッタは必死で呼びかけるが、誰も戻る者はいない。
後方の崩れが波及し、兵は命あっての物種とばかりにと慌てて逃げ出す。
「勝ったな」
ダニエルは一息つき、予備隊として控えさせていたトラとイチマツを呼ぶ。
「お前たち、兵を率いて敗残兵を追撃しろ。
とことん追ってニッタの首を挙げてこい」
「ハイ!」
合戦の間、傍観させられていた彼らは喜び勇んで駆けてゆく。
そこへ敵を打ち破ったオカダ・カケフ・バースがやってきた。
「アイツラで大丈夫か」
心配するカケフにダニエルは答える。
「後は敵を追いまくり、そのまま国元に戻る。
奴らは先駆けの猟犬。
戦果よりもどこまでも追い続けることが大事だ」
「追うと言ってもどこまで行きますか?
王都に戻るのですか?」
バースが心配そうに聞く。
「それではこちらに向かっているキタバタケの軍と正面からぶつかり、戦続きのこちらが不利。
だからニッタを追ってそのまま国元まで引き揚げる。
そうすれば逃げ帰るイメージもなく、凱旋の帰国を装える。
そして出てこないネルソンやヨシタツを引っ張り出して全軍を挙げて親衛隊と戦う態勢を整える」
ダニエルの回答にオカダは感心したように言う。
「要は勝ち逃げするということだな。
怖い賭場だと許されないが、ここは戦場、なんでもありだ。
勝って退却するとは騎士団でも教わらなかったぞ。
ダニエル、名案だ!」
猟犬と言われたトラとイチマツはひたすらニッタを追う。
ニッタに時間を与えずどこまでも追って叩いていかせる。
そうすれば親衛隊にとことんダメージを与え、かつ自ずと帰国への道が開ける、これは一石二鳥の良策だなと自賛しながら、猟犬の後を追う猟師のようにダニエルは余裕を保って後続の軍を進める。
しかし、その余裕が失われる知らせが来た。
「追撃する先鋒の横腹を急襲する兵が出現。
損害を受けるものの、襲ってきた敵は少数。まずうるさいそちらを殲滅してからニッタ軍を追うとのことです」
イチマツからの使者が報告する。
ダニエルは驚愕した。
この先鋒を待ち伏せしていたということは周到な準備があったということ。
罠だ!
「奇襲してきた敵兵には後続隊が対応する。
トラとイチマツには余計なものに目をくれずにひたすら獲物を追えと伝えろ!」
そう言って使者を返したが、時間差を考えれば既に彼らは方向を変えているだろう。
「ダニエル、猟犬が横からチャチャを入れられて変な方向に向かったようだな」
もう話を聞いたらしくカケフが飛んできた。
「そうよ。
すまんが奴らのところにいって、軌道修正させてくれ。
まだ若犬なので興奮すると目的を見失う」
カケフは頷くと、すぐに兵を連れて最前線に急行する。
しかし、現場はもはや収集が難しい事態となっていた。
襲撃してきた敵兵は付かず離れずの距離を維持したまま、攻めてくる先鋒隊を挑発しあしらいながら特定の方向に誘導していた。
いきり立つトラやイチマツは気づかずに誘い込まれ、気づけば敵兵は山城に籠もっていた。
カケフが来たのはその時である。
彼は、城攻めにかかろうとしていた若者を𠮟りつける。
「これはクスノキの堅城、チハヤ城。
これまで何度も大軍に攻められたが撃退してきた名城だ。
お前たちには荷が重すぎる」
そして急いで手勢をまとめて、中断されたニッタ軍を追うように言い渡す。
そして彼らが転身するのを見届けて殿で撤退しようとするが、クスノキ軍はそれを許さない。
城から出撃して執拗に攻撃を行い、カケフが反攻に転じると素早く城に閉じこもる。地形をよく知る彼らは埋伏に適したところで襲撃を繰り返し、昼夜を問わず緊張を強いる。
ようやくダニエルの本隊と合流した時にはカケフ軍は疲弊しきっていた。
「ダニエル、クスノキが襲撃してきた。
振り払おうとしても払いきれず予想以上の損害を出してしまった。
すまん」
カケフの詫びにダニエルは笑う。
「お前がやってそれならオレがやってもだめだったろう。
気にするな。
それより先鋒隊が遅れた隙にニッタが逃亡した兵をまとめて抵抗線を張り、帰国への道が閉ざされている。
その突破にオカダと当たってくれ。
バース、お前はカケフに代わり、後方から狼のように縋ってくるクスノキに対処しろ。
攻めなくて良いので、隙を見せるな」
時間を与えずニッタ軍を追ってそのまま帰国するというダニエルの戦略は危機を迎えていた。
ここで時間をかけずにニッタの敷く防衛戦を突破出来なければ、後方からのクスノキの圧迫に加え、東北の精鋭部隊キタバタケ隊が到着する。
ダニエルは表向きは余裕を見せていたが、手のひらからは汗が滴り落ちる。
小高いところから戦況とキタバタケ隊の動向を見守るダニエルの手に、横にいたノーマはさり気なくハンカチを握らせ、囁く。
「エールでも飲んで落ち着くがよか。
焦っても何もならんが。部下を信じてドーンと待っているしかなかよ」
「わかっている。
だが、気になって仕方ない。
キタバタケが来る前に突破しなければ惨敗だ!
クソっ、トラやイチマツがオレの言うことをよく聞いていれば!」
長年の女房には本心を見せられるダニエルは思わず部下を責める言葉を吐く。
「ダニエルさぁ、それを一番感じてるのは本人たちぞ。
大将に言われたら彼らは死なんとならん。
部下に死ねということなど決して言うたらならんが」
ノーマにたしなめられて、ダニエルはスマンと反省する。
そんな夫婦のやりとりの間も、戦況は進んでいく。
オカダとカケフの両将軍の息のあった猛攻にもニッタは崩れそうで崩れない。
「踏ん張れ!
ここを守れば背後からはクスノキが崩しに来ている。
もうすぐキタバタケも来る。
あと少しの辛抱だ!」
ニッタ将軍の怒号に兵も応える。
あと少し粘れば勝てるという思いは押されていても兵を戦場に踏みとどまらせる力となる。
「ニッタめ。粘り腰を見せるな。
あと一押しなんだが、バースは後ろでクスノキを抑えるのに苦労していて、とても兵は引き抜けない。
オレの持つ予備兵を投入するしかないか」
ダニエルが決断しようとした時、「奴らが来ましたぞ!」と声がする。
小柄な身体に似合わぬ大きなよく通る声、ヒデヨシの声だ。
「クソが!
オカダ、カケフ、バースに伝令を出せ。
この戦、負けだ。
オレがキタバタケを抑えている間に兵を散らして故郷を目指せ。
プランBの発動だ!」
ダニエルは手勢を率いて先頭が見えてきたキタバタケ隊と激突する。
幸い丘を占めていたので地の利があり、更に最大限急行してきたキタバタケ隊は疲れが見える。
ダニエルは苦も無く一の陣、二の陣を突破するが、その次にアキイエの旗本が控えていた。
「逆賊ダニエル、ここがお前の墓場だ!」
意気軒昂に掛かってくるアキイエを見て、ダニエルは退却の指示を出す。
「待て!逃げるのか。
無敵の勇将という異名が泣くぞ!」
アキイエは旗本とともに馬を走らせ闇雲に追いかけてきた。
途中の藪に覆われたところに入った時、アキイエは伏兵の矢を受ける。
「しまった!罠か」
「撃て!撃て!」
失態を犯したトラとイチマツがアキイエの旗本を襲う。
彼らに矢を浴びせ、騎馬で襲撃を行い、散々に叩いたところでキタバタケ軍の本隊が父のチカフサに率いられてやってきた。
「引け!」
ダニエルはキタバタケ隊がアキイエの救援に向かうのを見て、部隊を撤退させる。
目指すは故郷の南部、アースである。
小高いところで見ると、カケフやバースたちも目前の敵に一当たり猛攻して怯ませた隙に、素早く敵が薄い地帯に向けて撤退している。
(この内の何割が戻れるか)
敗残兵の撤退がいかに難しいかをよく知るダニエルは胸中で部下が一人でも多く帰還することを祈る。
そして自らもハチスカ隊に導かれて山中の間道を少数の兵と潜っていくが、その前に同盟諸侯のエンシン・アカマツとドーヨ・ササキに挨拶をする。
「ダニエル殿、今回は不運拙く負けましたが、捲土重来を期待しております。私は居城のシロハタ城に籠もり、親衛隊を足止めし、ダニエル殿の再攻の一助となりましょう」
エンシンはダニエルへの忠誠を誓う。
「ありがたい。恩に着るぞエンシン殿」
ダニエルはエンジンの手を握り、頭を下げる。
そしてドーヨを向いて言う。
「正直なところ、アンタはいつ裏切るかと思っていたぞ。
よくここまで着いてきてくれた」
ダニエルの正直な感想にドーヨは苦笑する。
「俺も迷っていたけど、アンタをこういう時に裏切ると後々響きそうだからな。しかし悪いがここでお別れということになれば、俺は王に帰順させてもらう。
向こうにも色々と顔が利くもので本領は安堵されるはずだ。
また王都まで攻めて来れば手を組むことも考えてやろう」
ぬけぬけというドーヨにダニエルも苦笑するしかない。
こういう鵺のような男はダニエルには理解し難いが、この度胸は買っている。
「お二人ともご無事で。また会おう!」
ダニエルはそう言うと去っていく。
彼に付き従うのはノーマとクリス以外は十数名の護衛兵のみ。
事前の軍議で、万が一整然とした退却ができないときは、少数の兵に分かれてバラバラと故郷を目指すこととしていた。
ダニエルはその時の説明で、魚に例えて言う。
「大きな魚は目立つし、動きも遅い。
小魚の群れのように一斉に方向を変えて、敵が襲ってくればバラバラと逃げていく。そんなイメージで各自が故郷を目指せ」
ダニエルも目立たない一匹の小魚として間道を進んでいく。
しかし、その動向を遠くから追う者がいた。
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