王都の混乱とダニエルの焦燥
王からの和平交渉の打ち切りがもたらされたダニエルは失望する。
(何故今国内で戦を行う必要がある?
権力闘争の為だけの戦争に大義があると思っているのか!)
王家の威を飾り立て賊軍ダニエルを討てと言い募る親衛隊に対して、ダニエルは不正規隊を率いるヒデヨシに命じて和平交渉の経緯を公表させ、我欲のために戦を続ける王の非を鳴らした。
『平和を求めるダニエル卿の提案を、己のことだけしか考えない王は拒絶する。ああ、民のことを考えているのは誰で、我欲の持ち主が誰かは明らかだろう』
と至るところで吟遊詩人に歌わせるなど、宣伝戦を行いつつ、ダニエル軍は王都に迫る。
先鋒のカケフ軍はさしてる抵抗もなく、王都までの要衝の川であるウジ・リバーに迫る。
「おかしい。
王都を守るならここを固めねば、後に守るところはないぞ」
カケフは伏兵でもいるのかと入念に探させるが、その様子もない。
僅かな敵兵が矢を射掛けるとさっさと退却し、カケフ軍は難なく渡河した。
進軍するとまもなく王都の城壁が見える。
しかし、王都の門は閉じられているが、守備を固めているようには見えない。
「怪しすぎる。攻めるのは待て」
カケフ軍は王都前で足を止め、様子を窺う。
王都の中は大騒動のようで、たくさんの男達の争いの音や泣き叫んぶ女の声が聞こえてくる。
「何が起こっているんだ?」
カケフ軍が不安となってくる中、後ろから追いついた諸侯達は何も考えずに略奪すべく勢いのまま王都に入ろうとする。
カケフはそれを必死に止めようとするが、次々と到着する諸侯達を止めきれず、遂に王都に突入する部隊が出る。
「一番乗りじゃ!」
ドーヨ隊が大声を上げながら門をくぐると、他の諸侯も遅れまいと乗り込んでいく。
「ちっ!」
舌打ちするカケフに部下が進言する。
「彼らは大々的な略奪を行うつもりです。我々も王都に入らねば更に事態は酷くなっていきます。
決断ください」
それを聞いたカケフは渋面を作りながら、命令する。
「十分に注意しながら王都に入れ。
いかなる事態もありうる。決して油断するな!」
入城した彼らを出迎えたのは想像を絶する風景だった。
貴族街は手つかずであったが、平民の暮らすエリアは住居は壊され焼かれてボロボロとなり、住民らしき死者や負傷者があちこちに見られて、女子供が泣き叫んでいる。
更にあちこちで火を掛けられたようで、火災も起こっている。
「何があった!」
驚くカケフのところに平民街の区長がやってきた。王都駐在だったカケフとは顔見知りである。
「カケフ様、お助けください!」
「どうしたのだ?」
「王陛下以下の貴族や官僚はすでに逃げ出しました。
行き先はヨシノと噂されています。
それだけならいいのですが、衛士達が逃げる前に市民から財産や食糧を強奪していきました。
抵抗する民は殴られ、酷いと殺されました」
「王都を守るべき衛士が市民を襲ったのか!
しかし兵卒は王都の平民出身も多かったはずだぞ。
自分の家族や友人を襲うのか?」
カケフの疑問に区長は苦々しく答える。
「おっしゃるとおりで、衛士達の中でも王都出身者は強奪を止めようとし、田舎者どもと争いました。しかし奴ら田舎者は数で勝り、またシンセングミという狂犬共は、守ろうとした衛士もろとも王都民を殺戮しています。
おまけに、ダニエル軍が使えないようにと建物に火をかけ、王都を廃墟とせんばかりの勢いでした」
「これでは、すぐに全軍で王や貴族を追跡するのは無理だな」
カケフはそう呟くと、ダニエルに使いを出し、王都民に食糧を供給するように頼む。
そして、半廃墟と化した王都で何かと略奪できないかとうろつく諸侯の兵を取り締まるとともに、副指揮官ガモーに兵を半分渡し、王達の追撃を命じる。
「もうかなり前に逃げ出したようだ。
無理をして攻めなくてもいいが、どこに逃げ出したかを突き止めてこい」
その頃、王は王族や貴族達を連れてヨシノへ向かう山道を進んでいた。
「あの煙は何!」
何度も王都を懐かしみ振り返っていた女官が叫ぶ。
その声で一斉に振り向くと、王都から火事らしき煙が見える。
「プレザンス、貴様に王都での退去の処理を命じたはず。どういうことだ!
余は、すぐに戻ってくるのだから荒らすことのないように言ったはずだぞ!」
王が怒りの声を上げる。
「あれは王都に入ったダニエル軍の仕業でしょう」
とぼけるプレザンスだが、王は追求する。
「残した間諜からはダニエルの兵は王都前で止まっていると聞いているぞ」
そこに諜報機関のトップであるリバーがやってくる。
「陛下、我が手の者の報告ではプレザンス宰相代理のご指示で、衛士どもが王都民の食糧や財産を奪い取り、更に建物への放火も行ったとのことです」
それを聞いたプレザンスは諦めたように言う。
「全ては陛下のために勝利を確実とするため。
王都民が食糧をなくし飢えに瀕していれば、民に甘いダニエルは食糧を配給せざるを得ないでしょう。
何と言っても奴の軍には王都の賤民やスラムの奴らも加わっていますから見捨てるわけにはいきません。そのため賤民街やスラムは特に激しく襲撃し、火も掛けてやりましたからな」
それを聞いていたスラム街出身のリバーは目を険しくしてプレザンスを睨みつける。
王は空を見上げて瞑目してから、静かに口を開いた。
「それでよくやったと余が褒めると思ったか?
戦火の中で食べ物を奪われ、家を焼かれる恨みはいつまでも残るぞ。
敵地であればともかく、よくも余の王都でそんなことをしたな!
短期的にはダニエルを窮地に陥らせても、王都に復帰しても民は余を信頼すまい」
「民など後ほど金でもばら撒けばすぐに尻尾を振ってきます。
奴らは朝三暮四の猿と同じ。目先のことしか覚えておりません。
そんなことよりもまずはダニエルを撃ち破る為には手段を選んではいられません」
プレザンスは公然と言い返す。
彼は体面を取り繕う王のために汚れ仕事をしているのだという自負を持っていた。
それを覚った王は力なく、彼を下がらせる。
そして王妃と二人になった時にこぼした。
「そんなことまでしなければ勝てないと思われているのか。
余は万民の王であることを目指していたのに…」
「プレザンスは切れ者ですが、やりすぎます。
更迭すれば如何ですか?」
王妃の提案に王は首を横に振る。
「大貴族を退け、マーチの与党を粛清し、アラン達もいなくなった今、プレザンスに代わって政務を仕切れる男はいない。
少なくともダニエルに勝利するまでは奴に手綱をつけて働かせるしかあるまい」
そして自嘲するように言う。
「今頃、王都民は怨嗟の声を上げ、汚い手を使ったことにダニエルは怒っているだろうな。
プレザンスは所詮官僚よ。最善策といいつつ目先しか見えていない。
そんな男しか人材がいないのは余の徳の無さか」
王妃は王の手を取って慰めるように言う。
「早く王都に戻り、民の暮らしを助け、復興に注力すれば彼らもわかってくれるでしょう。
戦を早く終わらせることが先決です」
「そうだな。
ニッタやクスノキが上手く補給を脅かし、急使を遣わせたアキイエが速く戻ればいいのだが」
ダニエルはカケフの知らせを受けて、輜重隊を急がせる。
焼け出された賎民やスラムの人々はその日の食べ物さえなく、兵は戦支度よりも救助や食料配給に追われる。
王都に入ったダニエルは絶句する。
その景色は平民街、特に貧しい賤民地区などが激しく焼け尽くされ、王城や貴族屋敷はそのままであった。
着のみ着のままの民はそれを見て怨嗟の声を上げる。
「自分達だけ逃げて、あとは放火略奪だと。
それでも民の上に立つ王や貴族か!」
「私の夫は家族と財産を守って殺されたわ!
私たちが何をしたと言うの!」
(王よ。いや、アーサー・オウガスト。
あなたの言う新しい世とは王のためなら誰をも踏みつけることか?
自ら王都を破壊してまでオレを殺したいのか)
ダニエルの憤懣とは別に、その軍は窮地に陥る。
その食糧は膨大な王都民を養うには不足し、ダニエルはレイチェルに食糧の大輸送を頼む使いを送る。
そしてダニエルは王都の屋敷跡に赴き、マニエル達屋敷で壮絶な戦死を遂げた家臣を盛大に弔い、その鎮魂を祈る。
跡地には黒焦げの屋敷の残骸と、金になるものを剥ぎ取られた遺体が散乱していた。
ダニエルに惚れ込み、捨て石となった彼らの為にも、ダニエルは勝たねばならない。
(オレにそんなに沢山荷物を負わせないでくれ!
オレは一介の武人に過ぎないんだ!)
これまでの戦死者に加えて、新たに彼らの命を背負わされたダニエルは憂鬱となる。
盛大な葬儀を終えた後の夕刻、闇夜に紛れてダニエルはイングリッドの店に行く。
この下町の繁華街では強奪しようとする衛士とそれを止める衛士・群衆が激しく争ったと聞くが、なんとか街は守られたようだ。
先が見えない中でも、日雇いの金を持って男達は酒を飲みに来る。
ダニエルは一兵卒の服装で人混みに紛れて、『ビールエルフ』にやってきた。
裏口から厨房に回ると、イングリッドが背中に赤子を背負って懸命に調理に励んでいた。
ダニエルは悪戯心を出して、こっそり後ろに廻り彼女の目を隠すが、「あなた、お帰りなさい」と嬉しげな声に迎えられる。
そしてイングリッドはダニエルの方を向くと赤子を見せる。
「抱いてあげて」
ダニエルは手紙で娘の誕生を知らされていたが、初めて我が子を抱くと感慨深い。
「店の方は見ているから、今日は上がんな」
手伝いに来ていた前の女将が顔を出して、そう言ってくれる。
店のすぐ隣の家に親子三人で入ると、イングリッドは娘をベッドに置き、ダニエルに抱きついてきた。
「王都が大騒ぎになって怖かったわ。あなたのところに逃げようかとも思ったけれど、でも子どももいるし長旅は無理かと思ってここにいたの」
イングリッドは愛おしそうに子どもを見つめる。
前の夫との間で子が産まれず、石女め!と婚家を追い出されたイングリッドにはようやく産まれた、この娘はかけがえのない宝である。
「あなた、この娘に名をつけてください」
「エマでどうだろうか。賢くてよく働くいい子になって欲しい」
「いい名前ね。
エマ、あなたの将来に幸多いことを祈るわ」
その夜、ダニエルはイングリッドとエマの三人で過ごす。
今後のことを考えてストレスでいっぱいのダニエルには何よりの休養であった。
翌早朝に出かける際、ダニエルは多額の金とリバーの連絡先をイングリッドに渡す。
この検非違使長は王に仕えつつ、ダニエルともパイプを持っており、ダニエルは彼の出身地スラムからの受け入れを行っていて貸しがある。
「どうしても困ったらここを頼れ。
彼にはよく頼んである」
そして、硬い笑顔のイングリッドとエマを抱き寄せる。
武人の門出に涙は禁物と騎士の家では教えられる。
イングリッドはダニエルを見送ってから思う存分泣くつもりであった。
さて、王都での略奪という目標を失い、同盟諸侯の兵は士気が下がる。
ダニエルは次の目標として、兵を再編しヨシノ攻めを企図するが、兵の糧食にも不便を来たしている。
穀倉地帯の南部から食糧を運ぶ輜重隊をニッタやクスノキが襲撃し始めたのだ。
そのための護衛の強化も必要となり、レイチェルからはすぐに大量の食糧を送るのは難しいと連絡が来た。
ダニエルは王都周辺の村々から金に糸目をつけずに買い上げるが、その量は必要とする分よりも遥かに少ない。
兵に与えた残りを民衆に分配しながら、ダニエルと幹部は打つ手を考え、行動する。
各自の手が打たれて暫くして、ダニエルは本営としている貴族屋敷に幹部を招集した。
集まった幹部は己の仕事の状況を報告する。
「食糧調達は可能な限り行っていますが、足元を見られて値を吊り上げられています。暴利を貪ろうとする奴らから徴発するのも一案ですが…」
買い上げを任せたターナーの報告である。
自由経済を重んじる彼が徴発を口にするのはよくよくのことだろうが、ダニエルは「駄目だ」と拒否する。
徴発は最後の手。これをやると徴発されまいと隠す農民との争いとなると考えた。これ以上敵は増やせない。
「食糧輸送はまあまあ改善されてきた。
当初は小規模輸送を狙い撃ちされて酷い目にあったが、大きな輸送隊に纏めて、強力な兵で守れば安全だ。
先日は罠にかけて襲ってきた敵を殲滅してやったぞ。
もはや奴らは戦果よりも損害が多いのではないか」
オカダが自慢げにいう。
とは言え、輸送守備に兵を割けば主攻の兵が減る。
痛し痒しである。
「王都の治安だが、空き家となった貴族の屋敷などにシンセングミが潜み、夜に兵を襲撃していた。
こちらは王都の地理に暗いので追っても撒かれてしまっていたが、奴らも飯を食い、糞をひる。
空き家なのに生活の匂いがするところを庶民に申し出るようにさせたところ、だいたい目星がついてきた。
奴らは王都民に恨まれているからな。
小物はさておき、首領のコンドーやヒジカタはイケダヤという店を本拠としているようだ。そこの主人は奴らの御用商人。
遠慮なく手練れを集めて一気に制圧する」
こちらはカケフの担当である。
自らも住んでいた王都を破壊された恨みは強い。
女や従業員に被害はなかったが、妻のシンシアの経営する娼館は徹底的に壊されていた。
「ガモー、オウガストの動向はどうだ?」
もはやダニエル陣営では王と呼ばずにその姓であるオウガストと呼んでいた。
「ヨシノに小人数で攻め込みましたが、険しい地形を固く守っていてすぐに攻めるのは難しいです」
うーんとダニエルは唸る。
食糧の見込みが立てば膠着し長期戦となるが、それは望むところではない。
「ヒデヨシ、同盟諸侯はどんな感じだ?」
「この膠着状態をどう打破するのか様子見ですね。
ダニエル様が勝てば良し、負ければ後ろから槍を向けるでしょう」
しばらく熟考してダニエルは決める。
「わかった!
できる手は打った。
後はジェミナイから大軍を連れてくるネルソンの到着を待ち、ニッタどもを潰すかヨシノに侵攻して、勝負を決する」
ネルソンはジェミナイの戦を収束するのに手間取っていたが、そろそろ現れても良い頃である。
そこにはジェミナイ侵攻の精鋭部隊がおり、エイプリル達の国元諸侯も来るはずだ。
それだけの軍があればヨシノ侵攻も可能であり、そうすれば親衛隊も引きずり出せる。
ダニエルの決定にバースは異議を唱える。
「お待ち下さい。
オウガスト軍も増援待ちと思われます。
騎士団かその他の諸侯かわかりませんが、いずれにしても先方の増援が先に着けば、我が軍が王都に居続けては四方を囲まれた袋のネズミ。
一旦南部に帰還しては如何ですか?」
それを聞くダニエルは苦い顔をする。
「ここで引けば負けと見なされ、同盟諸侯は寝返り、親衛隊はここぞとばかり追ってくることは確実。
賽は投げられている。
ネルソンの到着が早いことを祈るばかりだ」
無論ダニエルも中立の諸侯に働きかけをしていたが、彼らは日和見を崩さない。
レイチェルからは、彼らが王に付かないのは宣伝戦を優位に進めているからだと言われていたが、どちらかの一撃で劇的に勝敗が決するこの状況に、ダニエルは焦燥感を抱く。
(もう一度団長に和解を頼むか。
しかしそうなると譲歩が必要だが、あの王がそれで収まるのか。
一歩引けば次々と譲歩を迫るのではないか)
不信感がダニエルを和平へ進ませない。
火にかけられたフライパンの上にいるような苛立ちの中、ダニエルに急使が飛び込んできた。
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自領の民衆の食糧を奪うというのは銀英伝から借用しました。
私はそこを読んで、ラインハルトは所詮軍の司令官止まりで、皇帝の器ではないと思いましたが、どうでしょうか?
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