偽装された斜線陣

ダニエルが敵軍との決戦地に選んだのは、両側を山や丘で遮られた平野であった。

そしてその中心部は馬が進みにくい泥濘となっている。


「ダニエル、何故ここを選んだんだ?」

アレンビーを脅しつけて兵を出させたオカダが尋ねる。


「奴らの方が大軍、その中には戦の経験のない騎士の子弟が多いようだ。

一方、こちらの多くは平民を急遽掻き集めた、見せかけだけの兵だ。

ならば馬に乗って勢いづかせると、簡単に崩壊しかねない。

騎馬の優位を消し去り、少数でも勝てるようにするため湿地で動けるところを限定させる」


「なるほど、しかしどうやって勝つんだ。

真正面からやれば数の優位は向こうにあるぞ」


オカダの問いにはカケフが答える。

「ダニエルと相談した。

少数でも勝てる秘策として斜線陣を使う」


「斜線陣だと!

あれは古代に使われたもの。確かに少数でも勝てる戦術だが弱点も多い。

もちろんそれはニッタも知っているぞ」


「だからそこは偽装するんだ。普通の斜線陣は主力だけが目立って層が厚いから、一見すればわかってしまう。

そこを均等に見せるために主力以外の陣も同様の厚さの兵を置き、一見ただの横陣に見せかける。そのための動員だ」

ダニエルが説明する。


「オカダ、お前には全軍から選りすぐりの精鋭のほとんどを与える。全力で前進し、速攻で相手を崩せ。敵は貴族のおぼっちゃまだ。お前の動きに勝利はかかっている。


バース、お前は少数の正規隊と素人部隊、更に戦意に乏しい日和見領主の兵を預ける。とにかく陣を維持しろ。

お前の相手はニッタ率いる親衛隊本隊だ。戦闘となればたちまち負けるぞ。

戦わずに相手を誤魔化して時間を稼いでくれ。


カケフ、お前は騎兵を率いて控えていろ。

戦線の動きが停滞すればタイミングを見て背後から突撃するもよし、勝ちとなれば追撃して戦果を拡大してもよし。

高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に動いてくれ」


「おい、その言葉を吐いたフォークは大敗した戦の責任者だぞ。

縁起の悪いことを言うな」

カケフが顔を顰める。


「ふっ、行き当たりばったりで、任せきりの時に使うのにいい言葉だと思って、一度使いたかったんだ。

まあ、お前に預けた騎兵は戦略予備だ。

上手く使ってくれ」


「わかった、わかった。

それでダニエル、お前はどうするんだ?」

カケフの問いには答える


「オレは中央に位置して、前進するオカダの部隊と動かないバース隊の間隙を突かれないようにフォローする。

万が一、斜線陣を見破られてバースが攻められればそちらの応援に行く。

その時はアレンビー達、動きの怪しい領主の裏切りを警戒しておかねばな。


オレたちそれぞれが役割を果たせば勝ちは見えてくる。

こちらも苦しいが、相手も食料が乏しく焦燥している筈だ。

後ろで祈っている家族、領民を思え。

なんとしても勝ちを掴むぞ!」


ダニエルの言葉の後、「「プロージット!」」と全員で盃を叩き割り、各将は持ち場に赴く。


黙ってその場に同席していた同盟軍のエイプリル侯爵ヨシタツは陣に戻ると、参謀のハンベーにその様子を話す。

「そしてエイプリル軍はダニエル殿の指揮下である中央に置かれた。

彼らと運命をともにするわけだが勝てるだろうか?」


主君の言葉にハンベーは薄笑いを浮かべる。

「私が勝てないといえば寝返りますか?

そうもいきますまい。近くにはダニエル様肝煎りの嫁御トモエ御前様もおられます。

迂闊なことを言えば首を斬られますぞ」

そう言って更に言葉を続ける。


「ダニエル様も知恵を絞られましたな。

前哨戦での荷駄の消失は痛い。

時間もなく焦る親衛隊にはこの偽装した斜線陣は見抜けますまい。

暴走するか、後がないと固くなって縮こまるか。

今回は地の利、天の時、人の和を得たダニエル様の判定勝ちと見てよろしかろう。


しかし今後はわかりませぬ。

地元では勝てても王国の平定は簡単ではない。

この戦、長引くかもしれません。

我軍はそこそこに働き、今後に兵を温存しておくべきでしょう」

その言葉が終わらぬうちにヨシタツの妻トモエが武装してやってくる。


「ヨシタツ様、中央でダニエル様の指揮下と聞きました。

ちょうど良いところです。

今回、エイプリル家の実力を存分に見せて、次回は独立部隊にしてもらいましょう!」

参謀と妻の正反対の意見にどうすべきかとヨシタツは悩む。


そしていよいよニッタ軍がこの狭い平野に現れ始めた。


ニッタは平野で待ち構えるダニエル軍を見て驚いた。

「あの敵軍の多さは何だ?

こちらの半数強と聞いていたが、互角ではないか!」


ニッタ軍はあれからまた増えて総勢1万5000、見たところダニエル軍も同程度に見える。

しかも、食料を失ったまま行軍を続け疲労気味のニッタ軍に比べて英気を養っていたのか元気いっぱいのようだ。


「くそっ。ジェミナイ戦の兵を引き揚げてきたか、リオから傭兵を雇ったか、いずれにしてもこれは一気に揉み潰すわけにもいかん。

かと言って時間もない。

まずは敵を警戒しつつ攻守両用を睨みながら横陣を引け。


左翼はワシの直轄部隊、中央にクスノキなど他の親衛隊、右翼に応援の諸侯や貴族の部隊にしろ。

勝手に打って出るな。

簡易な砦を作り、その中で様子を見ていろ!」


ニッタ将軍の指示で陣が構築され、命令が出るまで待機と伝達される。

が、右翼の布陣の中では、若手貴族からは不満の声が続出する。

「おいおい、もう食料もないぞ!

ニッタ将軍は何を臆病風に吹かれているんだ」


「さっさと攻めてくれ!

眼の前の敵が居なくなれば、財宝や女達が待ち受けているのに、もったいぶるな」


しかし、流石に抜け駆けの勇気はなく、ブツブツと仲間同士で酒を飲みながら文句をいうだけだった彼らの眼の前に武装した女達が現れる。

オカダから挑発を頼まれて、女騎を連れて出馬したノーマである。


「そこにいらっしゃるのは大口を叩いていた王国の貴族の面々ではありませぬか?

まさかここまで来て閉じこもっておられるとは、人違いかしら?

女でも陣を出ていますわ。試しに女達の弓を受けて見ますか」

ヒューと弓矢が射られ、何人かの兵が斃れる。


「これでも出てこないとはタマがついているのですか?

みな、王国貴族の方々は酒を飲むこととベットで女と戯れることしかできないようだ。笑ってやれ!

アンヌ、皆さん戦が怖くて勃たないようだ。お前の自慢の胸を見せてやれ」

一人の女騎士が出てきて、胸をはだけ、「これを見て元気を出せ!」と叫ぶ。


ハッハッハと笑いが戦場に響く。


ここまで嘲笑されて攻めに行かなければ、王都で笑いものにされるだろう。

若手貴族は柵を越えて、女騎士に攻めかかる。


「退けー」

ノーマの指示で女騎は一斉に退却し、左右に散っていく。


「あの女どもを捕まえて、俺たちが不能かを教えてやるぞ!」

勢い込んで攻めかかる貴族達を待ち受けていたのはオカダ率いる精鋭だった。


「すまんな、突っ込んできた先が女の股でなくて」

オカダは先頭に立って槍を振るって相手の騎士を串刺しにする。

それを皮切りに、オカダ隊は一気に前進し、貴族軍を見る間に磨り潰していく。

同時に左右からは逃げ去ったはずの女騎が現れて矢を射かける。

貴族軍は見る間に数を減るし、生き残った者は敗走を始めた。


「馬鹿者が!何を挑発に乗せられているのだ!

奴らの敗走が他にも影響する。

こちらにも攻めてくるかもしれん。守りを固めろ!」


ニッタの指示は適切と思われたが、この場合は悪手であった。

弱兵を抱えて、親衛隊の攻勢を恐れていたバースは敵が守備を固めるのを見て安堵の溜息をつくとともに、不審に思われない程度に攻めかかるという素振りを見せる。


そして、バースの背後では、親衛隊の攻撃とともに裏切りを画策していたアレンビーは舌打ちをする。

(何をこんな見掛け倒しの兵にビビっているのだ!

最前列のベテラン兵以外は隊列と行進しか習っていないぞ。

騎士が攻撃すれば一撃で壊滅できるというのに、ニッタ将軍は能無しか!)


中央にいたクスノキは貴族軍の崩壊の影響を防ぐために奔走していたが、ダニエル軍の右翼の動きがあまりにも鈍重であることに不審を抱く。

(通常、戦果を拡大するために一方が勝勢となれば他方も連動して動くもの。それをあの戦気のなさは何だ?

ダニエル殿、何を考えている)


そして全力で前進する敵右翼の伸び切った横を突くべく部隊を指揮して前面に出る。

(これは!)


そこでクスノキが見たのは右翼の横をやや後ろにズレながら、隙を見せずに随伴する中央の歩兵隊である。

そこには〚D〛の旗が翻っている。


(ダニエル殿、ここで指揮していたのか!)

最高指揮官は通常後方で戦闘の行方を見ながら指揮をとるものである。

尤も中には士気をあげたり、名を売るために先頭で戦う武将もいる。


しかし、ダニエルはそのどちらもとらずに、攻めかかる部隊の側面を支えるという地味な指揮を取っていた。


(敵の右翼隊が前進できるがこの戦のカギ。

そして目立たないこの中央部隊が巧みにそれをサポートし、その前進を可能としている。

隣で最高指揮官が支えてくれれば、どんな兵でも死物狂いで働くもの。

敵ながら見事だ)


感嘆するクスノキの横で嫡男マサツラが呟く。 

「敵の斜めの陣、教わった斜線陣にそっくりだ」


それを聞いたクスノキは閃く。

「当初の構えから横陣の戦いと思い込んでいたが、言われてみれば今や斜線陣そのもの。

そうであれば敵左翼は弱兵の可能性が高い。

ニッタ殿へ使者を出せ」


クスノキの使者からそれを聞いたニッタは驚愕した、

「クスノキの言うとおりであれば、敵精鋭は左翼にあつまり、眼前の敵は案山子のようなものかもしれん。

先陣が一当てしてみよ!」


しかしその命が実行されることはなかった。

出撃の準備の間に右翼の貴族軍は完全に崩壊する。

オカダの部隊はそれを深追いすることなく残るニッタ軍の背後に廻り、中央から左翼の親衛隊に襲いかかる。

同時にダニエル率いる中央隊はニッタ軍を横から半包囲していく。


前面に位置する、最大の兵力を持つバース隊は動いていないが、親衛隊は背後に敵を受けて、パニックとなる。


「背後が抑えられると逃げられなくなるぞ!」

「ここで前面の敵が攻めてくれば完全に包囲される。

その前に脱出しなければ!」


ニッタは兵をまとめて、前に突撃することを企図するが、すでに兵は逃げ腰であった。

「前の敵は案山子だ!

全力で攻めれば勝てる!」

その指示を聞く者はいない。


それを見て、ニッタ軍の攻勢の動きに神経を尖らせていたバースは、逆に好機と捉えた。


「敵は臆病風に吹かれている!

押し出せ!

そして後方はときの声を張り上げよ!」


バース軍の前進と大地を揺るがすほどの鬨の声を聞き、親衛隊は心が折れる。

同時にニッタが信頼を置けず、後方の予備隊としていた旧ダニエル派の諸侯が鉾を逆さに向け、裏切りを露わにする。


「エンシン隊、寝返りです!」

「ドーヨも裏切りました!」


「奴ら、王陛下に忠誠を誓い、ダニエルと戦うと言っただろう…」

ニッタは歯噛みして悔しがるが、もはや勝機はないことはよくわかった。


「退くぞ!着いてこい!」

ニッタは護衛部隊を連れて、囲みの弱いところを突破し、逃走する。

親衛隊は各隊に別れて戦場を離脱、王都を目指すが、それを追撃するダニエル軍と激しい戦闘となる。


その中で、クスノキは自軍右翼が崩壊した時点でこの戦いに見切りをつけ、自身に預けられた部隊とともに後方に下がっていた。

そして戦闘の終期にニッタを含めた親衛隊を全滅させるために背後から動き始めたカケフ率いる騎馬兵を横から迎撃し混乱に陥らせると、そのまま殿を整然と務め、親衛隊の逃走を助ける。


大魚を逃したカケフは普段の冷静さをかなぐり捨て、地面に鞭を叩きつけて怒りを露わにした。


親衛隊の逃走を見送り、ダニエルは紙一重の勝利にため息をつく。

もし、ニッタがもう少し早くバース隊に襲いかかっていれば、アレンビーらの裏切りとともにダニエル軍は崩壊し、逃亡していたのはダニエル達だったはずだ。


(こんな危ない橋はもう渡りたくないものだ)

ダニエルの心中に関係なく、勝利の祝いに各将が集まる。


まずやってきたバースの顔には、これまで見たことがないほどの疲れが現れていた。

「本当に今回は苦労をかけた。

おまけにろくな戦功も立てさせてやれなかったが、最大の功労者はお前だ」

ダニエルはその手を取って頭を下げる。


次にやってきたカケフは、いきなり「すまん!俺のミスで大将首を取れなかった。どんな処罰でも受けよう」と頭を下げる。


「ハッハッハ、お前のせいじゃない。

オレが行き当たりばったりの適当な指示をしたからだろう。

フォークの呪いのせいだ。

気にするな」

ダニエルが慰める。


そしてエイプリル侯爵などの戦闘した同盟者、エンシン、ドーヨら寝返った諸侯、後ろで傍観していたアレンビーらなどが集まり、祝いを述べる。


最後は、執拗に追撃していたオカダである。

「ダニエル、見ろこれを!

ニッタの本陣に残されていたぞ」

それは、ダニエル軍に加わりながら、寝返りの約束をしていた書状である。


「それは反間の計よ。

まさかここにいる諸侯が裏切るわけがない。

なあアレクよ」

ダニエルはアレンビーを指名して呼びかけ、書簡は中を見ずに焼き捨てる。

周囲から厳しい視線に晒されたアレンビーの顔は冷や汗でいっぱいだった。


「まあいい。

裏切った奴は俺が体と首を分けてやる。

それより全軍で追撃し、一気に王都を落とすぞ。

それでこの戦も終わりだ!」

オカダの一声で、ダニエルの周囲は一気に騒然となる。

























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