老マーチの衰弱と王の策謀

ダニエルはその場にいた護衛だけを連れておっとり刀で王都に出発する。

衰えていたとはいえ、マーチ宰相の存在は大きく、王政府の抑えとなっていた。

彼が死ねば、抑えられていた王とその党派がどういう出方をするのか、ダニエルには読み切れない。

(王も大人になってきたのか最近おとなしい。

王党派への多少の権限と人事の譲渡で収まってくれるといいのだが)


そう思いながら、馬を走らせたダニエルは屋敷に着くとすぐにアランとカケフの報告を受ける。

アランからは王政府の状況であるが、王党派からの切り崩しが激しくなっていると聞く。


後継のマーチジュニアはいかにも凡庸。マーチが起き上がれなくなるととともに、ジュニアの器量に見切りをつけて寝返る者が出てきているという。


カケフからは軍事面の報告を聞く。

「騎士団は東部の国境紛争に出向いているが、紛争が拗れていて親衛隊が応援に赴くために出兵の用意を整えているようだ。

王からは、宰相が病に伏せる今、政情不安を招かないよう各地から兵を連れてくるなとの指令が出されている」


「とりあえず王都に兵乱の動きはないということか」

ダニエルの念押しにカケフはうなずく。


「ならば王はマーチの爺さんが倒れた時を狙って政治的に優位に立とうとしているということか。

多少の譲歩はやむを得ないが、問題はどこまで狙っているかだ。

まさか以前のように君主独裁制は考えていないだろうが、多くの実権を握ることは求めているのだろうな」


情勢分析を終えて、ダニエルはマーチ邸に赴く。


「おお、ダニエルか」

痩せ衰えたマーチ宰相に以前の気迫は見る影もない。

「息子を頼む。頼りない奴だがわしの子じゃ。なんとか支えてやってくれ。

王はわしが死ねば仕掛けてくるぞ。

最後の執念で暫くは命を保ってみせる。その間に備えろ」

ぜいぜい荒い息をしながら、ダニエルの手を握りマーチは訴える。


「わかりました」

というダニエルの目を見て、マーチはポツリという。


「とは言え、隙があれば他者を蹴落とし、のし上がってきたワシが凡庸な息子を守ってくれと頼むのもおかしいか。

ああ、ジーナの子供、ジョンと言ったか、其奴がお前の種であればワシの養子とし、宰相の地位を与えお前に後見させれば安心だったのだが、あのバカ孫が!」


マーチ宰相の繰言を聞きながら、ダニエルは感慨に耽る。

思えば自分をジーナの婿とし、引き上げてくれたのはこの瀕死の男である。

そして、自分のためではあるが政治家としての教育も痛さとともに施してくれた。

今の自分の立場の幾分かはマーチ宰相のお陰である。


ダニエルはそんなことを考えつつも、マーチ宰相の病室を出るとすぐに侍医を捕まえて、あとどのくらい持ちそうかを訊ねる。


人として情は持つものだが、政治は非情なもの、これもマーチ宰相から教えてもらった。

渋っていた医者を脅しつけ聞き出すと、あと一月持てば良いとのこと。


(急がねばならん!)

ダニエルはマーチの死を見据えて、準備をしようとするが、こちらから仕掛けるわけではないため受け身にならざるを得ない。

ぜいぜいマーチ派の貴族と連絡をとり、不測の事態に備えて国元に軍備の準備を用意させるぐらいである。


日に日にマーチ宰相の病状は進み、その死が免れないことが周知となった頃、ダニエルは王に呼ばれる。


「ダニエル、単刀直入に言うぞ。

余はもう一度君主独裁制を樹立するつもりだ。お前も協力しろ。

そうすれば引き続き国内有数の諸侯として認めてやろう」


自信満々の王の言葉に、ダニエルは唖然とする。

最悪の予想が当たる。

「陛下、それは一度失敗して、貴族との協調政治に転向したのではないのですか?」


「あれは方便よ。

あれから十数年耐えてきたが、貴族どもは我が身の私利私欲を図るばかり。

そしてその裏ではお前の配下が跋扈している。

お前も国政を思うがままに操れてさぞ楽しかったであろう。

その結果、我が国の秩序はメチャクチャとなり、下克上が当たり前。

名門も家格もあったものではない。

権力と金が全ての世の中だ。

その象徴が貴様の寵臣、ターナーやタヌマ。

もう余は我慢できん。

貴族どもの血統こそ全てというのも問題だが、お前たちのやり方も酷い。

貴様の配下には王など木像でも置いておけば良いと放言する者もいると聞くぞ」


王はこれまでの鬱憤を晴らすかのように長口舌を振るう。


ダニエルは言いたいことは山とあったが、ここで口論しても仕方がないと端的に尋ねる。


「私は陛下に何を協力して、どの様な見返りをいただけるのですか?」


「お前の派閥は解散し、一臣下として余に仕えよ。所領も査定して適正分を与える。

余の考えではジャニアリー領とヘブラリー領及び南部守護は与えるが、その内のヘブラリー領は子供に譲り別家とせよ。リオの監督権、アサクラからの割譲地、西部守護は没収する。

ただし、副宰相と大将軍の称号はそのままとしてやろう」


あまりの処分に言葉もないダニエルに向かい、王は真剣な顔で告げる。

「お前の勢力は臣下の分を超えている。

考えてもみろ。お前の直轄領とその派閥の勢力は王政府に匹敵するか凌駕しているぞ。

こんな力を持つ臣下がいれば国は乱れるに決まっている。


まだ分を知っているお前の代はよかろう。

しかし、この状態を当たり前と思っている貴様の子供の代となればどうなる?

何故自分は王ではないのかと思うのではないか。

ダニエル、身を粉にして得た領地を失うのが辛いことはわかるが、国家の安泰、お前の子孫繁栄の為に余の言うことを聞け」


(なるほどこの説得力は以前の王にはなかったな)

ダニエルは憤然とするとともに一面納得するものがある。

確かに強大な臣下がいれば、たとえ大人しくしていようがその意図とは別に、力があることが脅威であろう。


(しかしどう言い繕おうが、要はオレが苦労して得たものを取り上げて、力を削減するのであろう。

これを飲んでも次に難癖をつけられ全ての所領を取り上げると言われれば抵抗もできない。

それにオレと家族が安泰となっても、これまでの働きに対する領地を与えてきた家臣や、オレを頼りに来た賎民や異教徒達はどうなる。もはやオレ一人で決められる問題ではない)


そう考えたダニエルは王に丁寧に言う。

「陛下、私の子のことまで考えていただき、ありがたい限りでございます。

しかしながら、即時の大量の領地没収は家臣や領民の動揺を招きます。

何卒、領地の削減などについては私と協議してゆるやかに進めていただきたい」


それを聞いた王は渋い顔で言い返す。

「ダニエル、余の言っていることはお前のことも思っての最大限の妥協案だ。

余の腹心の多くは、ダニエルを即座に討伐すべしという意見だ。

しかし余はお前を高く買っている。

諸侯の一人となり、余の懐刀となって働くことが一番良いのだ。お前の当初の望みもその程度のものではなかったか」


(確かに最初は諸侯になることすら高望みかと思っていたが、今更そのことを言われてもせんなきこと。

これでは妥協点を見出すのは難しいぞ)

ダニエルは唸りながら言う。


「恐れながら申し上げます。

陛下のお心、よくわかりました。

しかし私も現在の立場がございます。

少しお時間をいただき、お互いに飲み込める地点を探すこととさせて頂きたく存じます」


王はその言葉に頷き、「わかった。また相談しよう」と言ってダニエルの退出を見送る。


ダニエルが去ると、後ろのドアから出てきたのは、王の腹心トム・プレザンス。

「奴め、せっかくの陛下の情けを飲みませんでしたな。

では次の手に移って参ります。

奴の陣営の弱点から突きましょう。

幸い大局観のない正義漢という使いやすい道具があります」

プレザンスの言葉に王はうなずく。


プレザンスが出ていくと王はため息をついた。

そこへ王妃が飲み物を持ってくる。

「陛下、お疲れのようですね」


「ダニエルめ、余の案を蹴りよった。

やはり国一番の大諸侯の地位は捨て難いか。

奴は惜しいが、こうなればやむを得ない。

徹底的にすり潰し、国王独裁確立の為の生贄となってもらおう」


王の強硬な言葉に王妃は眉を顰める。

「ダニエルは裏表もなく、いざという時に頼りになる男。うまく使う訳にはいきませんか?」


王は首を横に振って言う。

「せめてもう少し小身であれば余の思う体制内にも入れやすいのだが。

こうなれば奴の所領を全て王の直轄地とすることで王家の勢力を盤石とする。我が子の世を考えれば強大な諸侯は削り、王家の力を増やさねばならん。

ダニエルの所領を奪えるのはいい機会かもしれん」


王の言葉を聞いても王妃の愁い顔は変わらない。

歴戦の名将と聞くダニエルを本当に打ち倒せるのか、兵事のことに女は口を出さないというしきたりに従い、口にはしなかったが彼女の心中は不安でいっぱいであった。


ダニエルが王との妥協点に悩む頃、王都のあちこちの中心街に瓦版が貼られる。


『ターナー金脈の謎、公共事業を隠れ蓑に私服を肥やす闇の政商

私生活でも多くの妾に大金を供与』

ターナーの公私を暴く怪文書である。

著者はタチバナとある。調査能力に長けた男だが、正義感に燃えて、知らずに政治に利用されたようだ。


王都を一等地に御殿と呼ばれる豪邸を建てて、豪奢な暮らしをしているターナーをやっかむ者は多い。


ターナーを攻撃する怪文書は王都の格好の話題となり、ターナーの屋敷を囲み、石を投げ、大声で悪口を喚く者が殺到する。

肝の太いターナーも家族や愛人への中傷や攻撃には悩まされた。


次に起こったのがタヌマへのテロであった。

賄賂を送ったのに望むポストを得られなかったという恨みを抱くサノという下級貴族が朝議に向かうタヌマを襲ったのだ。

幸いタヌマは軽傷だったが、彼を庇った息子は死亡した。


ちょうどその頃、積極財政の副作用であるインフレが亢進し、物価高に悩む庶民はタヌマへのテロを褒め称え、サノを祭りあげる。


そのような雰囲気の中、マーチ宰相はもはや昏睡状態となり、あと数日の命かと関係者は覚悟する。


さて、王は十人委員会を招集する。

この時期にどのような議題か、いつもはアラン達に代理を任せるダニエルも今回ばかりは出席する。


「今日集まってもらったのは他でもない。

騒然とした世情を収めるために新体制を作りたい。

まずは世人が困窮している物価高の問題だ。

この失政の責めを負うべきは経済担当大臣のタヌマ。そして工部省の参与にして政商のターナー。

奴らは解職とし財産を没収する。それで民の不満も解消しよう。

いかがか?」

王の言葉に、王党派は一斉に賛成の声を上げる。

しかしダニエル達とマーチ派を合わせれば多数は制している。

これは否決できるとダニエルは楽観していた。


ところが、王の提案に対してマーチ派の委員は賛成の挙手をする。

(どういうことだ!

ジュニアはマーチの爺からオレと協力するように聞かなかったのか?)


その疑問は次の王の提案で解消する。

「では次にマーチ宰相の病に伴い、宰相を交代し、マーチジュニアを宰相に任じることとしたい。異議はないな」

もはや決すら取らずに王が決定する。


「同時に、タヌマに代わる大臣としてシラカワ侯を任じたい。

これも良いな」

シラカワ候と言えば王家の血を引く名門中の名門にして秀才で知られる。

近年の秩序を乱す動きに悲憤慷慨し、タヌマを刺すとまで放言していたと聞く。彼がマーチジュニアに代わり実質的な執政を行なうのだろうが、家格や伝統を重んじる保守的な政治に回帰することは疑いない。


独裁政治を目指す王と保守貴族の代表のシラカワ候が合うとは思えないが、マーチ=ダニエル連合への対抗のための野合か。


ここまでくれば政治に疎いダニエルにも一連の動きが見えてくる。

(これは王のクーデターだ!)


十人委員会が終了するとダニエルはマーチジュニアを捕まえて小部屋に連れ込む。

「何故裏切った?」

ダニエルの言葉は端的である。


四の五の言うジュニアの首を絞めあげ、ダニエルは殺気を隠さない。

「苦しい…

親父が死ねば宰相のポストはダニエルがアランに与えるぞと王に脅された。

王に付けば僕に与えると言われたので、王の指示に従ったのだ」


「このバカが!

王はオレにも組まないかと言ってきたのだぞ。

我々が連合していれば勝てないので切り崩してきたのがわからないのか!」

ダニエルの言葉にジュニアは虚ろな目を向ける。


「そうは言ってもダニエル派は身分によらず能力でポストを決めているだろう。現におやじから紹介されるまで僕のことなど知りもしなかったじゃないか。

いずれは能力もあり、義弟のアランに宰相を任せると宮廷人なら誰もが言っているぞ」

ジュニアの悲鳴のような声にダニエルは首を絞めていた手を離す。


確かに、宮廷貴族の無能な者など見向きもしたことはない。

能力もなく命も掛けない男にダニエルは価値を見出さなかったが、そういう彼の態度がこんな結果を生んだとは。


(なるほど。

偉くなれば様々な者の話をちゃんと聞けとはそういうことか。

ちゃんと聞けば自分を尊重してくれている、この人を支持しようと思う。

それが分からなかったオレは所詮政治家にはなれん、武人だったということよ)


ダニエルは自嘲し、無言で屋敷に戻る。

王都のダニエル一派は屋敷に勢揃いしていた。

みなダニエルの言葉を待っている。


「王はクーデターを仕掛けてきた。

もはやマーチ派との連合も終わりだ。

みな引き上げる支度をしろ。

王都を出て、所領に引き籠もり、王のお手並み拝見と洒落込もう。

王党派は王の独裁志向、貴族保守派、マーチ派の混成。

すぐにボロを出す」


ダニエルの言葉が終わらないうちに急使が立て続けに来る。

一つはマーチ宰相の死を告げるもの。

もう一つはヘブラリーの修道院で修業していたジーナの遺児ジョンが失踪したというものであった。












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