ノブリスオブリージュと思わぬ出会い
ダニエルは王都で連日行事や会議に追われていたが、不思議と予定が入っていない日があった。その前日の夜に、ダニエルは、明日は朝寝をした後に遠乗りに行くか騎士団に遊びにいくかを考え、楽しみにしていた。
「ダニエル様、起きてください!」
まだ早朝で日が出始めた頃、ダニエルはクリスに叩き起こされる。
「今日は何も予定はないはず。寝かせておいてくれ」
ダニエルの言葉など聞かずに、クリスはシーツを剥ぎ取り、近侍に命じて服を着替えさせる。
「アラン様から間もなく客人が見えられるとの連絡が来ています。急いで身支度を整えください」
「そんなことは聞いていない。
今日は休みだ!」
「ハイハイ。予定は未定。
急ぎの客なのでしょう」
やむを得ず官服をまとい、応接室で控えていると、アラン達が沢山の見知らぬ客を連れてやってきた。
「皆さん、今日はダニエル卿が大変忙しい中、時間を割いてくださいました。礼を申し上げてください」
「ダニエル大将軍、ありがとうございます。
お会いできて光栄です」
次々とダニエルの前に来る裕福そうな衣服を纏った客達は口々にダニエルに礼を言う。
確かにダニエルが屋敷にいる間はここぞとばかりに絶え間なく来客が訪れ相談事をしていく。しかし、それはダニエルの知り合いや利害に関わる者たち。こんな見たこともない男たちとは違う。
「それでは、皆さん一旦控え室にお戻りください。朝食を用意しています。
キュリー男爵はここに残り、自身のご案件を説明してください」
ゾロゾロと引き上げていく中、そのキュリーとか言う男は1秒も惜しいとばかりに猛烈な早さで話し始める。
どうやら相続争いのようだが、出てくる地名も人名も全くわからない。
その後の客たちも同じような話だ。
ダニエルに関係ある話であれば真剣に考えもするが。なんの関係もない法衣貴族の後継争いや北部地域の所領紛争の陳情に、何故オレがそんな話を聞かなきゃならんのだと思ってしまう。
以前も同じような相談があり、アランにそれをこぼすと、
「それは義兄さんが国家の重臣であるから当然でしょう。彼らは国の裁定を求めに来ているのです。国政に力を持つ副宰相を味方につけようとせずにどうしますか?彼らの陳情に対応するのは王政府高官の義務であり権利です」
と説明された。
(アランの言うことはわかる。法衣貴族達はここで影響力を見せつけて、貸しを作ったり、自分の与党にする訳だ。
しかしオレは諸侯、自分の所領の勢力圏しか興味がないんだが。この客の列はいつまで続くんだ。
偉くなったらふんぞり返って文句だけ言っていればいいかと思っていたのだが、お偉方はお偉方で苦労があるわけだ。
早く隠居して、遊んで暮らしたいぜ)
今の相手はなんとか子爵と言ったか、北部の領主らしいが、隣の領主と所領を争って王政府に訴えてきたらしく、大量の古文書を出してきて切々と話をしている。
ダニエルはもっともらしく、「なるほど、貴殿のご言い分はもっともですな」と話を合わせながら、いつになったら話が終わるだろうとイライラしている。
隣に付いているタヌマを見ると、手のひらを3回広げる。
(5分×3、すなわちあと15分)それを見て絶望的な気持ちになる。
タヌマがそう言うからにはそれだけの金か利権かを持ってきているであろう。
その子爵の果てしない説明に必死に眠気を殺しながら、ダニエルはこれは新手の拷問かと考えていた。
「もうこんなことはやらん!
領地に帰る!」
その日の夕方まで、昼飯の時間もなく一日中訪問客の対応を強いられて、楽しみにしていた一日をつぶされたダニエルは癇癪を起こす。
アラン達が懸命に宥める。
客寄せパンダのダニエルが居なくなっては客に恩を着せにくい。
まだまだダニエルには王都に滞在してもらわねば困る。
「義兄さん、すいませんが王政府の中の勢力争いでは各地の諸侯や領主の支持が重要。実務は我々がやりますが、義兄さんが面会して話を聞くだけでも彼らは喜ぶのです」
アランの言葉にダニエルは苦い顔をする。
「話を聞いても土地勘も人も知らんので、何を言っているのかさっぱりわからん。そんなことでは責任を持った発言はできない。無責任なことはしたくないし、関与したくない」
「彼らの訴えを聞かないということは興味がないのか、味方をする気がないのか、いずれにしても悪感情だけが残ります。
マーチ宰相に衰えが見え、今後の政局がどうなるか分からない中、わざわざ敵を増やすのは避けたい。
ダニエル様、望まぬともあなたは王政府の巨頭の一人。一介の騎士ではないのです。多少の我慢は耐えていただきたい。これはノブリスオブリージュです」
オーエの冷たい口調での説教に、ダニエルはムカつきながらも頷くしかない。
「わかった!でも今日はもういいのだろう。
オレは出かけてくる!」
ダニエルは足音も荒く、供も着いてこさせず外出する。
(何がノブリスオブリージュだ。
こんな私利私欲の話を聞き、機嫌を取ることが国の重臣の義務なのか!)
怒りを抱えたままの行き先はカケフの屋敷、彼を誘って飲みに行き、愚痴を聞いてもらうつもりだった。
顔パスで中に入ると、「おーい、ダニエルだ、飲みに行くぞ!」と叫ぶ。
そこへカケフとともに顔を出したのは彼の妻シンシア。
昔のヤンチャ娘を上手く隠して、どこの名門貴族の若妻かという風体に化けている。
(元が元だからかもしれんが、化け過ぎだろう)
ダニエルは呆れるやら感心するやらだが、亭主のカケフは彼女に惚れきっていて妾の一人も置こうとしない。
「ダニエル様、ちょうど捜そうとしていたところだったわよ。
以前に気をつけておいてくれと言われていたイングリッドだけど、ダンナが戦死したわ。そして子のないことを理由に義母に追い出されて、行方知らずになってるの。
今、店の者たちに探させているけど、綺麗な子だから変な男に引っかからないといいけど」
イングリッドと聞くと、甘くほろ苦い失恋の思い出が蘇る。
(あそこかもしれんな)
「シンシア、ありがとう。
オレも探してみる。
情報が入ればこっそり教えてくれ」
ダニエルはその足で昔馴染みの飲み屋に向かう。
〘ビールエルフ〙
王都で重臣や大諸侯の仮面をつけるのに疲れたとき、偶にここに顔を出す。ここでは昔馴染みの貧乏騎士で通っている。今では南部で小領主に出世して妻子もいるということにしているが、彼らの接し方は変わらない。
「相変わらずの賑やかさだな」
ダニエルが店に顔を覗かせると、「おー、ダニエルじゃないか。久しぶりだ」と石工のエイトから声がかかる。
「ダニエル様と呼べ。オレは領主様だぞ」
ダニエルは笑いながら答えるが、魚屋のドリスが酔った声で言う。
「それはアンタの領民に言いなさいな。
ここは王都だよ。小領主如きに頭を下げて入られるかい。
様をつけて欲しければ、大将軍のダニエル様ぐらいになりな!」
キャハハハ、あちこちで笑い声、そして、そりゃそうだ、違いねえと声がする。
「わかったわかった、女将、一杯旨いエールをくれ。
それと、ここの口の悪い連中にも振る舞ってくれ」
ダニエルの言葉に、わかっているねえ、さすが出世する男は違うと歓声がする。
「あいよ!」
女将も寄る年波には勝てないか、倉庫からエールを持ち運びするのも大儀そうだ。
手伝おうとやってきたダニエルに、女将が囁く。
「イングリッドを覚えているかい。
せっかく良縁を得て騎士様に嫁いだのに、可哀想にダンナが戦死してね。
子供がいないからと追い出されて、うちで手伝いをしているよ。
酷く落ち込んでいてね。今、お使いに行っているけど会ってやっとくれ」
「ああ、わかったよ」
ダニエルは倉庫からエールの樽を担いで持ってくる。
女将がぼやく。
「アタシも歳だしね。
誰かに店を売って隠居したいよ」
「繁盛しているのだから、買い手はあるだろう?」
「誰でもいいという訳にはいかないさ。
この店の雰囲気と常連さんを大事にしてくれないとね」
そんな話をしながら店に戻ると、美しい黒髪の女がキッチンで調理していた。
「女将さん、鍋が煮立ってましたよ」
と言いながらこちらを向くと、イングリッドであった。
あの頃の少女がすっかり成熟した女になっていたが、その美しさは磨きがかかり、清純ながらも色気が溢れる。
「あぁ〜、あなたは!」
イングリッドもダニエルを覚えていたのか、言葉が出ない。
「久しぶりだな、イングリッド。
苦労したようだな」
ダニエルの言葉に、イングリッドは涙を流して抱きついてきた。
女将が近寄ってきて、「積もる話があるだろう。二階の個室に行きな」と言うので、二人はエールと料理を持って二階へ上がる。
「ダニエルさん、いえダニエル様。
あたし知っています、あなたが大将軍のダニエル様であることを。
夫に聞いたんです。騎士団にいたダニエルっていう人のことを。
すると、ダニエルは諸侯に出世した方しかいないって。
あぁだから、あたしを連れていってくれなかったんだとわかりました」
「すまなかった。そのとおりだ。
オレはお前を愛していたが、諸侯としてのオレについてくる仲間達を見捨てられなかった。許してくれ」
ダニエルの言葉にイングリッドは首を横に振る。
「いいんです。あたしも幸せな結婚をしてあなたを忘れようとしていました。いい夫で心から愛していましたが、こんなことになってしまって。
そして家を追い出されて、頼るところがここしかなくて女将さんに働かせてもらってます。
でも、ここでダニエル様に会えたのは神のお引き合わせ。
時々会ってくれるだけでいいんです。何も他に望まない。
だからあたしを離さないで」
そう訴えるイングリッドをダニエルは抱きしめる。
「オレもお前を忘れようとしていた。もう妻も子もいる。
そんな不実な男だがいいのか」
「いいんです。もうあなたと一緒にいられれば十分。
他のことは気にしません」
ダニエルはそれを聞いて、明かりを消して、イングリッドをベッドに連れていく。一度は諦めた彼女と再会できたのは運命が連れてきてくれたのだと思う。
その深夜、ダニエルの寝ている部屋が密やかにノックされる。
物音に敏感なダニエルは目を覚まし、ドアに近づく。
「クリスです。
よいお休みを取られましたか。
翌朝から予定が立て込んでいますのでお戻りください」
(くそっ。もう休みは終わりか)
ダニエルはベッドで眠るイングリッドを見る。
これまでにないほど燃え上がった時間だった。ダニエルは長年待ち望んでいた御馳走を食べるかのように、丁寧に熱心に彼女を貪った。
疲れたのか彼女は熟睡している。
「少し待て。そして金を持っているか?」
「多少用意して参りました」
ダニエルはクリスからずっしり重い袋を受け取り、手紙とともに枕元に置いておく。
『イングリッド、所用のために行かなければならないことを赦せ。
しかし、もうお前はオレの女だ。許される限りお前に会いに来よう。
枕元に金を置いていく。
これでこの店を女将から譲り受けて、店の女将となるが良い。
困りごとがあれば、王都のカケフ屋敷のシンシアを頼れ』
そして少し考えてダニエルは身につけていた、きらびやかな短剣を置いていく。再会の記念のつもりである。
店の外に出ると、クリスと護衛兵が十数名待っていた。
大将軍に戻ったダニエルは、「待たせたな」と声をかけて、馬に乗り一気に屋敷を目指して駆け抜ける。
途中、空を見ると満月が煌煌と光り輝いている。
(月が美しい。イングリッドのようだな)
ダニエルはそう思いながら屋敷に戻った。
それから王都にいる間は、夜になると三日と空けずにダニエルはビールエルフに通い、深夜早朝に屋敷に戻る生活を繰り返す。
店の常連はイングリッドが女将となったこと、そしてダニエルが頻繁に来るようになったことから、ダニエルがイングリッドの愛人兼スポンサーになったことを察する。
そのダニエルにヒデヨシが話を持ちかける。
「ダニエル様、女を囲うことはいいですが、ちゃんと処遇しなければダニエル様にも周りにもよくありません。
奥方様達に話をつけなされ」
何人も妾を囲いながら、正妻を大切にするヒデヨシならではの忠告である。
それを聞いて嫌な顔をするダニエルだが、クリスにも同様のことを言われ、覚悟を決めて、ノーマとレイチェルに会ったときに話をする。
その話とは、王都に愛人を置きたい、しかし家のことには口出しをさせない、子供ができても相続はさせないということだ。
ノーマは「よかよか。王都で妙な貴族の女に引っかかるよりマシじゃ。
ただし、アタイが一番の女で正妻ということは肝に命じておくれ」
と許してくれた。
もっとも、その後当分ノーマに朝から晩までつきあわされ、日中は狩りや武芸修練、夜はベッドでの奮戦を強いられる。
お陰で次の子がまたできることとなった。
難敵はレイチェルである。
ダニエルは策略が効く相手ではないと正面からノーマと同じことを言う。
レイチェルは聞いているうちに青ざめて、一言も発することなく自室に入ってしまった。
ダニエルはドアの前でレイチェルに何時間も呼びかけるが、応答がない。
腹が空いたら出てくるかと待つが、翌日になっても彼女は部屋に籠城していた。
やむを得ないと翌々日にダニエルは錠を開けさせて、部屋に入る。
ベッドで上を向いて寝るレイチェルに話しかける。
「レイチェル、心労をかけてすまない」
「では妾の件は止めていただけますか」
「それはできない。
申し訳ないが、彼女はオレに必要なんだ。
どうか認めてくれないか。
決してお前の邪魔になるようなことはさせない」
頑固に認めようとしないレイチェルにホトホト手を焼いたダニエルは、王都からアランに来てもらう。
「姉さん、ダニエル様の愛人、認めてあげなよ。
あれだけ義兄さんが頼んだことなかったでしょう。
そもそも姉さん、以前、僕に貴族としての立場を考えて婚約者を諦めろと言ったよね。
義兄さんの愛人、家のことにも無関係で王都での精神安定剤にもなる。
彼女のところに行きだしてから、義兄さんは機嫌良く王政府の仕事もしてくれる。
姉さん、もう子供もいて立場は盤石でしょう。
よく考えてよ」
アランに、昔自分の言ったことを言い返されて、レイチェルはさすがに返す言葉がない。
次の日、レイチェルは極めて不機嫌な顔であったが、愛人を認めることをダニエルに言う。
ダニエルは、アランに何度も礼を言い、公然とイングリッドと会えることに安堵する。
そして、ダニエルにとっては公私とも満足のいく生活で、何年かが経過する。
突然のその知らせが届いた時、ダニエルはアースにいた。
『マーチ宰相、容態悪し。
至急王都に来られたし
アラン』
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