平穏な日常?
ダニエルは王政府の新政権樹立に立ち会い、この政権にダニエルが協力していることを世間に示すと義理は果たしたとばかりに、すぐにアースに帰還した。
アランたちはもう少し腰を下ろして王都に滞在を願ったが、後は任すと言い放ち、ダニエルは去っていく。
その行動は、外部から見ればダニエルが王政府に対してどこまで協力するのか疑問のある半身の構えであるようにも見え、そのことを王や宰相に詰問されるアランは頭が痛かった。
ダニエルがジューン領に帰ると、副宰相兼大将軍おめでとうございますと家臣や近隣領主、領民からの祝福の声が溢れる。
これを見て、騎士団育ちで諸侯となっては戦争を勝ち抜き、なんとか生き残ってきた実力信奉者のダニエルも官職や名誉、虚名というものの価値を少しは理解する。
「あなた、お帰りなさい。
副宰相兼大将軍の就任、おめでとうございます」
居城で出迎えたレイチェルの祝いの言葉に子供たちも続く。
「「お父様、おめでとうございます!」」
「ただいま。大きくなったな」
ダニエルは長男チャールズと三男ウィリアムを交互に抱き上げる。そして子供と暫く遊んでいると、レイチェルから「そろそろご相談したいのですが」と声がかかり、やむを得ず子供を乳母に預けて彼女と執務室に入る。
「王都の政争、ご苦労様でした。
あなたには苦手な戦いでしょうが、我が家には重要なもの。いくら戦争に勝ってもその後の政治で負けては仕方ありません。
今回は貴族の反対派を潰すことができ、王政府にしっかりと足固めができました。重畳でございます」
微笑んでいるレイチェルの言葉にダニエルは彼女の期待に応えられたかとホッとする。
「帰ってきていただいたのは嬉しゅうございますが、王都の方は落ち着いたのですか?
まだ新体制はできたばかり。あなたがいるのといないのでは安定感が違うと思いますが」
レイチェルの質問にダニエルは少し口ごもりながら答える。
「アランが残ってくれと言っていたが、もうオレの役割は終えたし、お前たちの顔も見たいのだ帰ってきた。
後はアラン達に任せていいだろう」
「ダメとは言いませんが、もう少し王都で睨みを効かせていても良かったと思いますよ。
アランの手紙では今、貴族や官僚は身の振り方を巡って右顧左眄しているようです。あなたが王都にいるのといないのではうちの派閥への吸引力が異なります」
レイチェルの苦言にダニエルは内心うんざりするが、「それは悪かった。知っての通りオレは政治はわからん。よく教えてくれ」
と低姿勢で通す。
ダニエルとしては慣れた家で早くエールでも飲んでくつろぎたかった。
流石にダニエルのことがよくわかっているレイチェルは早々に説教を切り上げ、侍女にエールを持って来させる。
ダニエルは妻の酌で立て続けに2杯飲み干し、3杯目にようやく話を続ける。
「それでジェミナイとの交渉はどうだ?」
「ネルソンとヒデヨシは侵攻と調略を続けていますが、アサクラも危機感を持ち世子を立てて家臣がまとまり反撃に移っていて、戦線は停滞している模様です。
ヨシカゲ殿は元気にされており、その解放交渉も続いていますが、相手はなかなか頑なで折れてきません。ヨシカゲ殿に早く帰ってきてほしくないのかもしれません。
現況を鑑みるに、早期にまとめることが賢明かと思い、我が方の譲歩で妥結させようかと考えています」
ダニエルは妻の答えに頷きつつ尋ねる。
「譲歩というが落とし所はどのあたりだ?」
「ジェミナイの領土の1割と年収の1年分でどうですか。
これならばジェミナイは流石に体面もあり、応じるでしょう。
これ以上の争いは我が方にも不利となる可能性があります。泥沼の戦闘は国力を消費してせっかくの王都で勝ち得たポジションも失うかもしれません。
敗走した復讐心はわかりますが、ここは理性で抑え、得るものを得るべき時だです」
レイチェルは強い口調で夫を説得しようと言い立てた。
彼女は夫の復讐への思いの強さを知り、それ故に強硬な意見を吐くことを恐れていた。
勝ち戦とはいえ長期にわたる大国ジェミナイとの戦いに領民は疲弊している。そのことを内政を担当するレイチェルは文官から散々に聞かされていた。
今は勝っているため不満は出てこないが、どこかでけつまずけばどうなることか、王都での政争も彼女はヒヤヒヤしながら
とにかく勝利を確定させ、家臣や領民に一度その美酒を飲ませて満足させねばならない。領内の安定や発展を図ることが自分の務めと自負しているレイチェルは、その為ならジェミナイに譲ることもやむを得ないと考えていた。
必要ならばまた態勢を整えて攻め込めばいいのだ、だからここは妥協すべきだ、あなたもわかるでしょう、そう思いながら、黙ってちびちびと酒を飲むダニエルの顔を見る。
なおも言い募りたいところを沈黙して待つレイチェルには長く感じられた時間の後、ダニエルはようやく口を開いた。
「オレの耳にはジェミナイに追われて飢え渇き、母や妻の名を口にしながら死んでいった奴らの声が響いている。
レイチェル、理屈はお前の言うとおりだろう。
だが、人は兵は理屈よりも情で動くものだ。
そうでなくては死地に入ったオレを兵達は見捨てていただろう」
戦場にいなければわからないことを言っても仕方ないが、そう小声で呟くダニエルを見て、これは逆鱗に触れたかとレイチェルは内心青ざめる。
ほとんどのことはレイチェルの言うとおりにするダニエルだが、仲間と兵を蔑ろにすることは許さない。彼女の言い方が亡くなった兵を貶めたかの聞こえたのかと心配する。
しかしダニエルの次の言葉はその予想とは異なったものだった。
「いいだろう。
その条件でヨシカゲを解放してやろう。
しかし、これは解放するだけで和平ではない。
むしろ敗戦の責を負う主君が戻ることで奴らのまとまりを乱し、
戦を有利に進めてやる。
ヨシカゲには、負けた主君など帰ってこなくてもいいとアサクラの家臣は嘯いていましたよと、吹き込んでおけ。事実とも当てはまるし疑心暗鬼になるぞ。
後は、ジェミナイにはガニメデ宗の教徒が多かったはず。
敗戦で抑圧も薄れていよう。奴らを扇動して一揆を起こさせる」
休戦など考えていないダニエルの言葉に、レイチェルは今回はここまでかと妥協する。
夫が戦をしたいなら、私の作る土俵ですればいい、レイチェルは軍資金と兵站を絞ることで限定戦争にさせようと考える。
夫婦は同床異夢ではあったが、ヨシカゲの解放で同意し、早速交渉を進めることとする。
ダニエルは暫くアースで滞在し、家族団欒と家臣や領民との触れ合いに努め、そしてヘブラリー領に向かう。
ヘブラリーの領都マーズではノーマが首を長くして待っていた。
「アンタ、遅かよ!
早くこっちば来てや!」
会ってそうそうに手を引かれて向かってみれば赤子が襁褓に包まれていた。
「ひと月前に生まれたばい。
今度はおなごじゃ。驚かそうと思って知らせなかったが」
次男エドワードも走ってきて、ダニエルの足に抱きついている。
ダニエルは突然知らされた新たな子の誕生に驚きつつ、この次男を抱き上げ尋ねる。
「名はなんとつけた?」
「ダニエルさぁにつけてもらおうと待っとったが」
ダニエルは長女となる娘を見て考える。
「ヴィクトリアだ。きっとこの娘は勝利の女神となってくれるぞ!」
これまで母や妹などの女の家族から蔑ろにされたダニエルは、娘が欲しかった。初めての娘に内心歓喜する。
壊れ物を扱うように丁寧に抱き上げ、頬ずりすると、赤子は火のついたように泣き出す。
やむを得ずノーマに渡すが、ふと気づいたダニエルは彼女に言う。
「くれぐれもこの娘に武芸など教えるなよ。
武芸をやるべき兄貴がいっぱいいるんだ。この娘は諸侯の娘らしく大事に育ててくれ」
ハッとノーマは空を向いて大声で笑う。
「アタイが教えられるのは武芸だけじゃ。
見事な女騎にしてやろうと思うちょる」
「バカを言え!
王都から礼儀作法の教師を呼んでやる。
綺麗で上品なお姫様にしてやるからな」
馬鹿げた夫婦喧嘩を見て、家臣や侍女は平和の証と笑っている。
一悶着が終わった後、ダニエルはノーマと部屋に入り、対ジェミナイの今後の戦略を語る。
「よかよ。
アタイもあの時に犠牲となった兵の無念は忘れられんばい。
向こうは大国、故に一気に倒せなくてもジリジリと削っていくのがよか。
いつかはアサクラ一族を殲滅するが」
ノーマは一も二もなくダニエルに賛同する。
そしてジェミナイの国内壊乱策とともに富国強兵に努めることを決める。
ヘブラリー家は、ジーナを担ぐ一門衆を放逐し、前伯爵は王都に隠居、また分家のルートン家がリューの戦死のため力を落としたことからノーマを中心にこれまでになくまとまっている。
もちろんその背後にはダニエルの威勢がある。
「ダニエルさぁ、王都で副宰相やら大将軍やらの位を貰ってきたのか。
アタイにはよくわからんが、皆が大変なことだと大喜びしとる。
ヴィクトリアの披露と合わせて、今夜は大宴会じゃ」
そうにこやかに告げるノーマだが、ふと思い当たったかのように心配げな顔となる。
「どうしたノーマ?心配事か」
「物語で宮廷は色仕掛けをしてくると聞くが、まさかどこかの貴族の娘など貰って来ておらんとな」
婚姻はレイチェルより後だが、諸侯の血を引き、正妃であるノーマはもっと位の高い正妻の子が妻となれば正妃を譲らねばならない。
確かにそんな話はあちこちから来ていた。
王家の縁戚やマーチの姪などを勧められたが、ダニエルは二人の妻で満足していると断る。
王や貴族たちは、身分が低いレイチェルや庶子のノーマとの離別も暗に言い出すが、ダニエルは話を聞こうともしなかった。
騎士団時代には、どこの貴族の次女や三女を誘っても、容姿も冴えず、領地も継げないダニエルなど歯牙にもかけられなかった。
彼にしてみれば、今の所領や位官だけを見てすり寄ってくる女には今更何を言うと不愉快であった。
ノーマの不安そうな顔を見て、ダニエルはハッハッハと明るく笑い、
「敵軍の大将を捕虜にしてくれる妻などナーロッパ中探してもおらん。
ノーマが嫌でなければ死ぬまで一緒だ」
と言い放ち、「宴会まで時間があるだろう。久しぶりに夫婦の語らいをしよう」と彼女を抱き上げて寝室に連れて行く。
「仲のいいことだ」と部屋に残されたクリスが呟くと、側にいた妻である侍女長のイザベラに頬を抓られ、「私も色々と頑張っているのよ。あなたもあれくらい言ってくれてもいいんじゃない。ところで王都での行状を話してもらおうかしら」と引っ張っていかれる。
さて、その後はレイチェルの読み通り、ジェミナイとの交渉はすぐにまとまる。しかしダニエルの調略により、ヨシカゲは思ったより長期となった抑留を家臣のサボタージュや謀反と捉える。彼が帰国すると内紛が勃発し、ジェミナイは混乱状態となる。
一方、王政府は、王と宰相はすぐに喧嘩別れするだろうという世人の読みに反して、意外にも安定した運営がなされていた。
これは王が自制を覚え性急な行動に出なかったこと、マーチ宰相も反対派の復活を抑えるため王の復権を一部認め妥協に努めたことが要因であると王宮の貴族や役人は見ていた。
「もちろんそれもありますが、他の要因も大きい」
そう言うのはオーエである。
今日はダニエルの屋敷で派の会合、正式な議題は終わり、腹心だけが残って酒を飲みながら雑談をしていた。
ダニエルも宮廷の儀式に呼ばれ、王都に滞在していた。
「その要因というのは何だ?
オレも王が権力奪還にすぐに動くか、マーチの爺が貴族を集めてまた王を象徴に棚上げしようとして喧嘩すると思っていたぞ」
ダニエルの問いにオーエが答える。
「一つはタヌマ殿やターナー殿の積極財政が功を奏して、経済が安定し、諸侯貴族から騎士庶民まで大きな不満がなく、現状維持を望んでいること。ここで戦乱を起こすと国中から反感を買いますな」
そう冷静に言うオーエに、タヌマは淡々と「お褒めいただき恐縮です」と返し、ターナーは「いやいや、まだまだこれからです。エーリス国を改造しますぞ」とバタバタと扇子で顔をあおぎながら、大声で言う。
「あまり調子に乗らないように。
あなた達の能力は認めるけれど、金を巡る悪い噂も広まっているんだから。
政敵に足をすくわれるよ」
アランが釘を刺す。
「そしてもう一つはダニエル様の存在です。
今や国の南部と西部に加えて、リオを抑え、更にジェミナイまで進出しています。そして必ずしもこの政権にベッタリではない姿勢を見せています。
すると、もし何か行動を起こしても、それに反対してダニエル様が大軍を率いて王都に攻め込んで来るかもしれない。そうすれば企みは御破算になります。そしてダニエル様は勢力争いに関心なく旨い話にも乗らない。
そのことが抑止力となっているのでしょう」
オーエの分析に皆が感心して頷く。
そこにダニエルが口を出した。
「なるほど。
それにもう一つ言うと騎士団長も現状維持派だからということもある。王国最強の騎士団は以前から内戦には動かない。
そして騎士団長はオレの師であり、うちと騎士団は手を組んでいる。王や宰相のどちらだが武装蜂起しても騎士団とうちの軍が連携して潰すからな」
「その通りだが、うちと騎士団が仲良く威勢を振るっていることに面白く思っていない奴らがいることに気をつけろ。
例えば親衛隊、衛士、官位を下げられた貴族達。
更に言うなら元々中位の諸侯の次男が副宰相など以ての外と思っているのはほとんどの高位貴族だからな。
ダニエル、気をつけろよ」
黙っていたカケフが警告する。
聞きたくないことを言ってくれる友は有り難い、ダニエルはそう思いつつ、カケフに酒を注ぐ。
それから、ダニエルは領地の両都アースとマーズを往復し、アランから呼ばれたときには王都に顔を出すという生活を続ける。
重鎮としてジューン領にはオカダを、ヘブラリー領にはバースを、王都にはカケフを置き、貿易港リオの総督にはヒデヨシが派遣される。
そしてアサクラから得たジャニアリーの新領地にはネルソンが配置されてジリジリと侵食を続けるが、レイチェルの主張で野心家のネルソンの監視の為クワトロが副将とされた。
安定した王国と領内を眺めて、ダニエルは忙しいながらも平穏な日々を送る。
しかし、安定した日々が続く中、平穏さに物足りなさを覚えたダニエルは髀肉の嘆を覚え、戦を探し始める。
___________________________________
4月から異動となり、多忙で更新が遅れました。
お待ちの方がいらっしやれば申し訳ありませんでした。
少し忙しいところになりましたので、今後も多少更新が遅れるかもしれませんが、なるべく早めるように努めますので御海容ください。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます