クレインの戦い(序章)
ダニエルは自軍の主力を揃えて、エイプリル領への侵攻を布告する。
マーズからの出陣に当たっては華々しく民衆の前に馬揃えし、ジェミナイ軍の打倒を、先の戦いでの死者に誓う。
「今は亡き勇者達に対し、卑劣にも謀略をもって我が軍を騙し討ちにしたジェミナイとエイプリルへの報復を遂げてくることを誓う!」
ダニエルの大声での誓いに集まった兵士と群衆は大いに沸く。
これは士気の高揚とともに、ここにいるであろうジェミナイの間諜を通じて彼らの出兵を促すためである。
「民が踊っているうちに片をつけなければならないわ。
我らのようなぽっと出の主人は一旦下り坂と見れば見放されるのも早いもの。
あの
戦費の調達や戦争経済の指導のため、アースを出てやって来たレイチェルが夫の勇ましい演説を聞きながらポツリとこぼす。
昨晩、レイチェルはダニエルと会い、くどいほど短期決戦の必要性とその後の収拾について説いていた。
戦のことは分からないが、夫の武勇と勝利は信じている。
しかし、一旦は勝利してもその後ズルズルと長期戦に持ち込まれれば大国ジェミナイに対して勝ち目はない。
まして後方の王都ではダニエルの足を引っ張ろうと貴族達が虎視眈々と狙っているのだ。
早期決戦と直後の平和を言い立てるレイチェルにダニエルは「わかっている」と無愛想に言う。
もちろん彼女の理屈はわかるが、それよりも目先の戦争での勝利を如何にもぎ取るか、今のダニエルはそれで頭がいっぱいである。
なおも話そうとするレイチェルを引き寄せ、彼女の唇を口で塞ぐと、抱き上げて寝室に連れて行く。
「まだ話は終わっていません!」
というレイチェルにダニエルは「ベッドで語り合ってからまた聞こうか」と言ってそのまま連れて行く。
まもなくの大勝負に気が昂ぶっているダニエルにとっては妻の肌が一番の精神安定剤であった。
そして明け方まで事は続き、レイチェルが気怠い心地良さとともに目覚めると、既にダニエルは出陣式に向かっていた。
(あの人はまた私の話を聞かずに自分のやり方を押し通す。
まあいいわ。それを補うのも妻の役目ね)
たっぷりと愛されてレイチェルの機嫌はいい。
その後ダニエルとともに出陣するノーマに会って打ち合わせをする。
彼女はレイチェルに我が子エドワードを託し、「戦場から戻れなければ我が子と思って育ててほしか」と頼む。強気の彼女も今回は仇敵ジェミナイ相手でどうなるか不安があるのか弱気なところをみせる。
レイチェルはそれを受け、「確かに託されました。戦場であの人をお願いします」と言う。
二人の妻は目で語り合い、お互いの得意分野で夫を支えることを誓う。
ダニエルは家臣や民の盛大な見送りを受けて、マーズからバースの陣取るエイプリル領内の砦に入る。
更にそこから休まず一気に出撃し、砦を囲むエイプリル軍を撃破、その勢いでエイプリルの都サターンを囲む。
経済封鎖と執拗なヘブラリー軍の襲撃、更に世子ヨシタツの脱走と立て続けに起こる出来事にエイプリル軍の士気は阻喪していた。
この軍の体たらくを見て、エイプリル侯爵ドーサンは野戦を諦め、城に立て籠もるとともに、ジェミナイに至急の救援を求める。
幸いソーテキ亡き後、当主のヨシカゲは功を立てようと焦り気味だ。
ダニエルを誘き出したので討伐願いたいと書状をしたためて、ドーサンは急使を出す。
ダニエルはこの展開を予想して、包囲を緩めてジェミナイへの使者を通す。
まずはエイプリルを餌にして彼らに来てもらわなければならない。
書状を受け取ったヨシカゲは逸りたった。
「ついにダニエルが全軍で出てきおった。
今こそ出陣して奴を叩き潰す。
この間のように逃がすことのないよう気をつけろ!」
自分に反対する者を処罰するヨシカゲの前に表立って異を唱える者はいなかった。
しかし、ジェミナイの老臣はダニエルに誘き寄せられているという思いを拭いきれない。
その不安を打ち消すため、ジェミナイの総力を上げて兵を動員する。
その数2万4千。ソーテキが育んできた精鋭の重装騎兵が主力である。
「よくやった。この大軍を見ればダニエルは戦わずに逃げ出すのではないか。逃げるのが得意な男だからな。皆、戦ではなく狩りだと思え。
ダニエルを捕えた者は城持ちに取り立ててやる」
ヨシカゲはもう勝った気になり、どこまで攻めていくか、ダニエルの領地を誰に与えるかを、女達に酒を注がせながら側近と話し合っていた。
カペラの街中を華麗な装束の兵が行進していく。
ダニエルの出陣式を聞いたヨシカゲはそれ以上の派手な出発を望み、麗々しく飾らせた軍を民衆に示す。
「予想以上の大軍だな。そしてこの重装騎兵の数。
これは早急にお伝えしなければならん」
ハチスカ衆の間諜が、軍の規模や構成などを鋭く観察して報告書を纏める。
ダニエルは敵に見せたいものだけを見せていたが、ジェミナイ軍は自信満々に隠す様子もないため、軍の内容が手に取るようにわかる。
(大軍ゆえの余裕か。
しかしダニエル様はその油断を衝かれるぞ。勝ってくだされ)
雄壮な騎馬隊を眺めながら、賤民の出の間諜は思う。
この戦いでダニエルが負ければせっかく得た安住の地は喪われて、彼の家族は再び蔑視されるところで暮らすことになる。
彼は家族を守るため、命懸けで情報を送り、ダニエルが勝利することを祈る。
ダニエルはサターンを囲み、大声で威嚇するが本気で攻める気はなかった。
それよりも対ジェミナイ軍の備えが重要だ。
戦場に選んだ場所、すなわち右手に山があり、左手に川が流れる手狭な平地に、ターナーに命じて大量の人夫を動員し工事を行わせる。
「ターナー、この場所は何と言う地名だ?」
ターナーはそのあたりにいた労働者を捕まえて聞くと、クレインというらしい。
「そうか。後世、クレインの戦いと呼ばれる訳だな」
ダニエルはその地をじっと観察しながら、ターナーに細かく指示する。
やや小高い丘の地形を改造し、Uの字の形のようにする。2つの凸部分に土塁を築き上げる。その土塁の前には太い杭を打ち込み厳重な柵を作る。その手前の土塁の後ろにはより高く土塁を盛り上げ、階段状に3段にする。
更に柵の前には落とし穴を掘り、その一帯には川から引いてきた水でいつでもドロドロの湿地にできるようにする。
そしてU字の凹んだところに一重の簡易な柵とこちらから開ける門を設置する。その地点から見ると両横は小高い3段の土塁がそびえ立つ。土塁からは矢でも岩でも落とし放題だ。
野戦のための陣構でもなく、籠もるための城でもない。
見たことのない野戦築陣に「ダニエル様は何をされようとしているのか」と兵は噂をする。
ターナーが雇った人夫の多くは地元エイプリルの民衆である。
ダニエルの経済封鎖のため、物資の不足や値上がりに苦しんできた彼らはダニエル軍の占領により物資が流入し、更に賃金を貰える仕事もできて喜んだ。
「これはエイプリル侯爵様の支配よりも良くなったわ」
「このままダニエル様の領地にしてもろうた方が良さそうじゃ」
こういう民衆の声を聞き、ノーマは疑問を持つ。
「彼らを苦しめたアタイ達が憎くないのかの?」
ダニエルは側にいたヒデヨシにどうだと聞く。被支配者にいたヒデヨシならばわかるかと思ってだ。
「そうですな。もちろん敵として苦しめてきたダニエル様も憎いですが、それはある意味もう諦めています。ウサギがキツネを憎んでも仕方ないようなものです。
それよりも高い税を取り、彼らを守る責任があるエイプリル侯爵がその責務を果たしていないことが許せない。領主と領民の契約を破っていると考えるのです」
「なるほどな。
アタイ達は天から降ってくるように税が集まるのを当たり前と思っちょるが、領民からしてみれば守ってくれるから税を払うという約束な訳じゃな。
そうすると領主たるものは信義を曲げても領民を守るということも考えねばならんのか。
今まで父を日和見、タヌキと思うておったが、そういう苦渋もあったのかの」
ノーマはため息をついて、ダニエルに話しかける。
「そうかもしれん。
オレたちはそんな苦渋を舐めずにすむよう勝たねばならん」
ダニエルもそれを聞き領主という立場の重みを感じるが、自身の信義より領主や諸侯の立場を取ることは自分にはできそうにないと思う。
築陣が進む中、援軍も到着し始めた。
王都近くからエンシン・アカマツやドーヨ、またダニエルに乗ろうという中小領主がやってくる。
「よく来てくれた!」
ダニエルは喜びを顔に表し、到着を歓迎する。
彼らには主要な戦闘区ではないが、それなりの陣を任せたい。
少なくともアカマツはしっかりとその役割を果たしてくれるだろう。
ただし、彼らへの食料支給はもとより、その御礼金はかなりの額となる。
次に傭兵が到着する。
その働きは金次第、戦況次第だが、兵力差を埋めるために彼らも使わざるを得ない。
その頭領、ドーケン・ホネカワには半金の前払い金を渡し、略奪の禁止と
騎士団育ちのダニエルは傭兵を信用しておらず、彼らを捨て駒にすることやその働きが悪ければ後ろから督戦のため矢を放つことも躊躇うつもりはなかった。
ドーケンはダニエルの言葉をとう受け取ったか、「ヒッヒッヒ、受け取った金の分は働かせていただきますよ。そして後金も頂けるように努めますとも」と言うと去っていく。
最後に到着したのは騎士団一番隊と二番隊である。
一番隊の隊長レズリーは昔ダニエル達の上司でもあったが、今のダニエルはそんなことを気にする余裕もない。
「レズリー隊長、ありがとうございます。
二番隊のトーマス隊長もよく来ていただきました」
ダニエルは喜色満面である。
「それで俺らはどこで戦うんだ。
こんな檻みたいなところじゃ騎士団の実力は発揮できんぞ」
レズリーは築陣を見て、すぐに注文をつけた。
この戦闘狂は野戦で敵と戦うために来たと思っているし、ダニエルをまだ配下にいるように扱う。
「もちろんです。
騎士団には最重要な仕事をお願いします」
ダニエルもレズリーの扱いには慣れたものであり、平身低頭しながらうまく使おうとする。
想定していた兵力は揃った。
ジェミナイ軍も自領を抜けていよいよエイプリル領に進軍し、早ければ明日にでも戦場に到着するとの情報も来た。
ダニエルは配下の指揮官を集めて最終打合せを行う。
カケフ・オカダ・バースを筆頭にネルソン、ヒデヨシから末端のトラやイチマツ、ジブ、ギョウブまで指揮官も総揃えさせた。
この間にリオや王都の権益を取られても構わない、ここで勝てば取り返せると戦力をすべて集めた。
「敵はジェミナイが24000、エイプリルが3000と想定よりも多い。
こちらは我軍が8000、援軍が4000。
なんとか3倍差は免れたが、この差は大きい。
しかし、この差は作戦と奮戦で覆せる!
やれることはすべてやった、あとは勝つだけだ!」
ダニエルの演説に一同は立ち上がり、オォーと吠える。
士気は最高潮だ、ダニエルは手応えを感じていた。
同じ頃、後方の補給基地となっているマーズではレイチェルが顔を青ざめさせていた。
「この戦費は何!」
戦費の計算を持ってきたズショ、そしてこの戦準備で頭角を表してきたムライも困ったように顔を見合わせる。
ダニエルの陣ではジブが兵站や補給を一手に切り回していたが、その支払いをマーズに送ってきたのだ。
「兵士の食糧、賃金は当然ですが、築陣のための人夫の支払い、占領地の安定化のためのバラマキもあり、更に一番大きいのは援軍に来た諸侯や騎士団への御礼と傭兵への支払いですな」
ムライの冷静な答えにレイチェルは切れる。
「この総額でジューン領とヘブラリー領の年収の何倍になると思っているの!
確かにあの人には戦を支えるために全力を尽くすと言ったけれど限度があるわ!」
「リオを抑えておいて良かった。
あそこからの借財がなければ破綻してました」
「何が借財よ。あれは強奪でしょう。
ブレアも後先考えずに豪商を脅しつけてよくこんなに送ってきたわ」
レイチェルの愚痴に暫く付き合った後、ムライは言う。
「まあ、負ければいくら金を残しても終わりです。
レイチェル様も惚れた旦那様に全賭けしているのですから、その勝ちを信じましょう」
「そうなんだけど、その勝ったあとが大変そうだから言ってるのよ。
あの
その時は私達がなんとかしなければならないわ。
腹案を考えておきなさい」
そう言われてムライとズショは得心する。
(我々はこの戦が勝てるか心配していたが、レイチェル様はもうその先を読んでいたか。ダニエル様への厚い信頼が為せることだな。
さあダニエル様、レイチェル様のためにも見事に勝ってください)
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