次の戦いに向けた権謀
ソーテキは死に瀕していた。
五分の賭けとは言っていたが、ダニエル失脚への謀略に精魂を傾けていただけにその失敗は大きなダメージであり、一気に衰弱が進んだ。
暫しの昏睡から覚め、目を開けたソーテキは見舞いに来ていた周囲を見渡し、そこに当主ヨシカゲを見つける。
「ヨシカゲ様、ワシの死を三年間秘匿し、その間に国内外を固めなされ。
特にダニエルは要注意ですが、奴にはジェミナイ本国を攻める実力はありますまい。
奴からの挑発に乗らず、本領を固めることです」
そう言い終わると力尽きたようにソーテキは再び眼を閉じた。
家族や重臣が心配気に見守る中、ヨシカゲはソーテキに目礼して席を立ち、自分の屋敷に戻る。
そこには、ヘブラリー領侵攻の侍大将マガラが待っていた。
「マガラ、先だってのヘブラリー侵攻は、例えば余が大軍を指揮していればどうだっただろうか」
「ヘブラリーは内通者が居て、その抵抗は少なく、ダニエルの兵も少数と見ました。オマール様の失敗は相手を軽視し、油断したことでしょう。
ご当主様が率いればダニエルを圧倒し、ヘブラリーやジューン領を併合できたものと愚考致します」
歴戦の騎士の答えにヨシカゲは満足そうに頷く。
「そうであろう。
ソーテキは老いて慎重に過ぎた。
家中がアイツの言うことのみを重んじるのは我慢できん。
ソーテキが死ねば早々にあやつも出来なかったダニエル討伐を成功させ、余の実力を示してやる!
そしてエーリス国の西部から南部、更に奴らの王都ジュピターを攻略、エーリス国を併合し、ここ一体に覇を唱える!」
ヨシカゲはそう言って満足そうに笑う。
ヨシカゲは若年で当主となったものの、その実権は後見人のソーテキが握り、お飾りとされてきてことに不満を抱いていた。
彼の死を契機に権力を取り戻す。そのためにダニエルを討つ。
ヨシカゲには惨めに敗走したダニエルなど眼中になく、権力奪還、そして覇者となるための踏み台してしか思っていない。
「マガラ、ダニエル討伐に当たっては頼りにしているぞ。
奴の首を挙げれば褒美は思いのままだ」
「はっ、有難き仰せ」
マガラはダニエルと戦わずに撤退したという汚名返上の機会を喜ぶが、ソーテキも慎重となっていたダニエルを軽視するヨシカゲの言葉に不安も持つ。
(ソーテキ様亡き後、ヨシカゲ様で大丈夫か?)
ダニエルはヘブラリー家中を整え、戦争の準備を急ピッチで進める。
これまでは義父やそれに連なる一門衆に気を配っていたが、彼らを追放した今、思う存分に人材を取り立て、改革を行わせる。
「ポストが欲しければ、忠誠と実績で示せ」
その言葉の実践は、リュー達戦死した遺族への厚遇と敗走の中生き残った者達、オマール戦で手柄を立てた者達への加増から始まった。
不満を持つ者に対する「文句があるなら次の戦で手柄首を持って来い」というダニエルの言葉に、腕に覚えのある者達は奮い立つ。
ヘブラリー家は臨戦態勢に入り、朝から晩まで戦闘訓練に余念がなかった。
彼らをしごくのは、騎士団から来た教官たち。
ヘブラリーの方言に悩みながらも集団戦闘技術を上げていく。
ダニエルは練度が上がった部隊から実戦演習として、エイプリル領に小規模な侵攻を行わせ、実戦訓練と隊長クラスの指揮能力のテスト、更にエイプリル侯爵の威信の低下と一石三鳥を狙う。
オマール戦の勝利によりダニエル軍の士気は上がり、その攻勢の前にエイプリル軍は守勢一方、家臣や領民の不満は高まっていた。
ダニエルは同時に、レイチェルに指示してジューン領を後方基地としてフル回転させて、兵の供給源や巨大な武器庫として稼働させる。
ジューン領からはヘブラリーに向けて頻繁に水路・陸路を使って物資や兵卒が運ばれる。
レイチェルからは軍需に偏る生産、ヘブラリーへの多額の支援、膨大な戦費とについて厳しいクレームが来るが、ダニエルは短期間で準備を終えて決戦するつもりであり、無理は承知で押し通した。
「相手は名将ソーテキとジェミナイの練達した大軍。
万全とは言えずとも勝てる勝負に持ち込むためには無理もやむを得ない。
ここで勝たなければ、ずっとジェミナイに脅かされ、オレや子供たちの未来はない」
その決意の前に内政を司るレイチェルも折れるが、この臨戦態勢は1年が限界と条件を付ける。
そして彼女は側面支援として、ジューン領やリオを持つ利点を活かすために経済封鎖を命じる。
ジェミナイとエイプリルに対して交通を遮断し、特に軍需品となるものや食料は一切の輸出を禁止した。
リオの商人達の不満は大きく密輸も試みられたが、リオの実質的な総督となったネルソンはそれを厳罰に処し、処刑や財産没収とする。
一方でレイチェルは商人の不満を宥めるために、南部を中心にヘブラリー領から王都までの関所を廃止、楽市楽座を実施するとともに、バラバラだった貨幣制度を統一し、商業発展をテコ入れする。
ギルドや守旧派の反発は大きかったが、広大な経済圏を構築し、中小領主もそこに入らざるを得ない状況を作り上げた。
ダニエルは経済での戦いはレイチェルに任せるが、ジェミナイとの兵力差を埋めるため、南部守護の軍動員権を発動して南部の諸侯や領主から徴兵し、関係諸侯に出兵を呼びかけ、更には王政府にも援軍を求めた。
王都では、王政府の宰相を務めるマーチ侯爵が怒りと困惑の入り混じった表情をロバートに向けていた。
「では、祖父たる儂の了解もなく、ダニエルはジーナを死罪としたと言うのだな」
「死罪ではありません。
ジーナ様は敵国と関係されたことを恥じ、自死なされました」
使者となったロバートは謹厳な表情で答えるが、マーチは一笑に付す。
「はっ、笑わすな。
あの孫娘がどんな女だったか、乳母夫のお前と同じくらい儂は知っておる。
ダニエルめ、増長しおって!
父の前伯爵もおめおめとよく認めおったな。おまけに王都に隠居するだと。
情けない男だ」
マーチ宰相はヘブラリー家を動かす駒が無くなったことに困惑する。
これまではダニエルへの揺さぶりや、彼の代わりとして前伯爵やジーナが使えたのだが、それが無くなればダニエルを抑えるものがない。
「ジーナに子供が居たはず。
あれはどうした?」
「私が保育し、いずれは修道院に行く予定であります」
「なるほど」
マーチ宰相の脳裏にまだ手札が一枚あることが記憶される。
しかし、それより今が問題だ。
「ダニエルめ、勝手なことをやった上に王政府から援軍を寄こせだと。
アイツがどう思われているのかわからんのか!」
マーチ宰相はダニエルと同盟を結んでおり、彼から金銭的な支援、又軍事的な後ろ盾を受けることで、王政府での宰相の地位を維持し、代わりにダニエルのための政治的な配慮を図ってきた。
しかし、その同盟もダニエルの台頭によって綻びが目立つ。
ダニエルは義弟アランを始めとする自派閥貴族・官僚を組織し、また王都駐在のカケフを通じて王都での勢力を強めて来た。
一方、ダニエルの南部での勢力拡大は王政府の法衣貴族に危機感を生みだしていた。
彼らは、王のように中央集権国家を作るつもりはないが、どの諸侯も大きな勢力を持つことも望まず、王政府と諸侯間のバランスの中、利益を得ることを目的としている。
そのため、王政府を脅かす大諸侯が出現すれば、他の諸侯を支援して引きずり落とす、これが法衣貴族の一貫した方針である。
南部を支配下に置き、更に西部のヘブラリー家の当主も兼ねる今のダニエルは王政府にとって脅威そのもの。
そのダニエルがジェミナイとエイプリルの罠に嵌まったことは法衣貴族を喜ばせたが、彼が帰還し、しかも行き掛けの駄賃とばかりにリオを支配したことに更に脅威を感じることとなる。
マーチ宰相はダニエルとの関係が今や政治的負債となり、政敵の攻撃の的となっていることへの対応に窮していた。
「ロバート、これから国務会議があるので依頼の派兵の件を諮ってみるが期待するな。
支援するにはダニエルは大きくなりすぎたわ」
そう言い捨てて、マーチ宰相は出かける。
国政の重要案件を決する国務会議には実権を失った王は参加せずに、宰相のマーチ、副宰相のグレイ、それに参議などの高位貴族により運営される。
議題は、ダニエルとジェミナイとの一触即発の状況への対応である。
冒頭マーチ宰相が話を切り出す。
「ダニエルから王政府の援軍要請があった。
ジェミナイの兵数に及ばないため、騎士団を派遣してほしいとのことだ。
騎士団長は同意している」
「はっ、馬鹿も休み休み言ってください。
これ以上狼を太らせてどうしますか?
次は我らが喰われるでしょう」
若手貴族が憤激したように発言する。
宰相に向かって無礼な物言いだが、誰も咎めようとしない。
それがこの場の雰囲気を物語る。
「まぁ、そう興奮するな。
騎士団を派遣すれば、ダニエルは御礼として王政府に相当な財や土地を渡すと言っているぞ」
マーチは怒らずに付け加える。
「話になりませんな。
少なくとも南部の半分かメイ侯爵の旧領を渡すこと、リオの支配権を譲ること、それにヘブラリー家の家督を譲ることぐらいは必要ですな」
別の参議が煙草を吹かせながら発言する。
それは無理だとマーチは思いながら、他の意見を求めるが概ね同様のダニエルの力を大きく割くことを求めるものである。
(過半の者にはターナーやタヌマから相当な賄賂が渡っているはずだが、情勢が利あらずと見てだんまりか。当てにならん奴らめ)
マーチは俯く貴族を見て思う。
彼らは貴族社会の世論がアンチダニエルに傾いていることを感じているのだ。
最後にグレイが話をまとめる。
この男は復権するときはマーチに感謝していたが、王が力を失った今、宰相復帰を狙って独自の派閥を立ち上げ、マーチと対立することが多い。
「今の条件をダニエルに突きつけてみましょう。
おそらく応じることはありますまい。
それならばダニエルが負けた場合、騎士団を派遣してジェミナイの進軍を抑えるとともに、領地も保全できなかった以上、ヘブラリー領は没収し、南部の所領も削減ですな。
まあ元のジャニアリー領くらいは残してやりますか。
ダニエルがそれを承服しなければ親衛隊に侵攻させれば良い。
彼らは騎士団と違い、ダニエルを妬み、嫌っておりますからな」
「ダニエルが単独で勝てばどうする。
奴は王政府に義理を持たずに好きにするぞ」
マーチの脅しの言葉にグレイやその一派は嘲笑で応えた。
「おやおや老練非情な宰相殿も孫婿はかわいいと見えますな。
あのソーテキに勝てると思っているとは、身内贔屓も過ぎるのではありませんか。
孫婿殿が武運拙く負けることとなれば、その祖父としてそろそろご隠居されるのがよろしいでしょうな」
グレイの挑発に乗らずに、マーチは散開を告げる。
この雰囲気ではダニエルの弁護はとても無理であり、また関係も薄れていることからマーチも政治生命を賭けてもダニエル支援というつもりもない。
(しかしグレイよ。お前の思い通りになるかな。
ダニエルはしぶといぞ)
マーチは表向きは国務会議の決定に従うふりをしつつも、密かに騎士団長とアランに言って、秘密裏に可能な範囲でのダニエルの支援を行うことを考える。
(どちらに転んでも儂は生き残ってやる。
しかしグレイがここまで野心を露わにするのであれば、王とも連絡を取った方が良いかもしれん)
ダニエルはそのような王政府の見解をロバートやアランから知らされるが、訪れた検非違使長リバーから詳細を聞いた。
彼からは出身のスラムからの移民と王都の情報が定期的に来ていたが、本人が来るのは久しぶりである。
「…などということを王政府の高官は議論していたようだ。
宮廷ネズミどもは自分達は安全圏にいて人を操るのが好きなことだ」
「なるほど。
王政府からはオレはそんなに嫌われてますか」
「お前が大きくなりすぎたことが一番だが、本来の継承者でないスペアがこれほどの立身を遂げたことも身分にこだわる貴族には癪に触るようだ。
お前の出世を見て、次三男で嫡男の家臣で収まらずに野心を持つ者が増えている。
この間のジェミナイから攻めてきたオマールも次男でお前に取って代わる気だったな。
セプテンバー辺境伯のところは世継ぎの座を嫡子ヨシノブと庶子カツヨリが争い、カツヨリが勝利したぞ。
他にもエイプリル侯爵のところも次三男がヨシタツと世子を争っているようだ。
この元凶はお前だぞ、ダニエル」
そう言うとリバーは愉快そうに笑った。
スラムからのし上がったこの男には能力でなく生まれで決まるこの世の中がバカバカしくてたまらなかったものを、ダニエルがぶち壊したことが愉快でならない。
しかしダニエルにとっては他人事であり、それよりも目前のことが気になる。
「そんなことより、王政府はもう支援してくれる可能性はありませんか?」
「まあダメだな。
南部の割譲とかを呑む気はないんだろう」
「当たり前です。
何故オレと部下が血を流して取ったものをタダで渡してやらなければならないのか。
ふざけるな!」
そう憤るダニエルにリバーは冷静に言う。
「そうだろうな。
しかし独力ではジェミナイに勝てないのか?」
「ジェミナイの兵力は動員すれば二万はいくはず。エイプリルの数千も加わるかもしれない。
こちらの軍は総力上げて8千。
そして向こうの総大将がソーテキでは勝ちに持っていく道筋が見えない」
苦悩するダニエルを見て、エールを空けてお代わりを要求しながらリバーは言う。
「いい話を聞かせてやろう。
ソーテキが危ないようだ。戦傷が元で寝込んでいたが、いよいよ床から起きられず、遺言もしたらしい。
到底戦場には来られまい」
「なんと!それは朗報。さすがはリバー検非違使長、耳が早い。
ソーテキが居なければいくら大軍でも指揮は乱れる。
早速ジェミナイに大物見を行い、軍の様子から探ってみましょう」
ダニエルの顔色がとたんに良くなるのを見て、リバーは笑っていう。
「こちらもお前に負けてもらうとせっかくのスラムからの脱出ができなくなるからな。
それにお前が勝って、貴族どもが右往左往するのを見るのは気持ちがいい」
そう言ったあと、リバーは少し考えて付け加える。
「戦の後にでも王と連絡を取ることを考えてみろ。
王政府での庇護者マーチ宰相は必ずしもお前の味方かわからないぞ。
王を多少とも復権させて、王政府のバランスを取るのもいいかもしれないぞ」
「はぁ。
しかし後のことはジェミナイに勝利してから。
王政府を当てにできないことがわかった今、知恵を絞りオレの持つ戦力をあるだけ出して独力で勝ってみせます」
ダニエルの意気込みを聞きながらリバーは立ち去った。
彼は彼でダニエルの勝利を願いながらも、負けたときのスラム出身者の身の振り方を考えねばならない。
(ダニエルよ、ここで勝たなければお前の築いてきたものは雲散霧消するぞ)
リバーは心の中で呟いた。
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