戦いの準備

休む間もなくダニエルは次の日から働き始める。


まず危惧するのはソーテキの動きである。

ダニエルが逃走したことを知り、ここまで攻めてくるのかどうか。

流石にエーリス国と全面戦争する気は無いだろうと思いつつも

「ジェミナイが侵攻してくる兆候はないか探れ」

諜報担当のヒデヨシにその動向を探らせる。

軍の態勢が整わず領内も浮き足だっているところに、ソーテキが陣頭指揮して攻められると危ない。


同時に軍の強化を急ぐ。

兵を募集してハートマン以下の教官に訓練を託し、開戦までに可能な限りの練度の向上を図る。


『ダニエル様は君を必要としている!

故郷を守れ!』

大々的な募兵キャンペーンを打ち出し、愛郷心を掻き立てる。


エイプリル領では強制的な徴兵を行なっていると聞くが、ダニエルはレイチェルと相談して、円滑な経済活動の為、あくまで応募に頼ることとする。

しかし、ジューン領に移住してきた民衆、とりわけ賎民、異教徒達の被差別者には、家族はここしか生きるところはないと覚悟を決めた若者が予想以上に応募し、ダニエルを驚かせた。


次に武器や軍需物質の調達を、領内の職人とリオに大量発注する。

とりわけ弓矢、クロスボウが必要だ。


「今から応募してきた者をいかに訓練しても所詮は付け焼き刃。

まともに戦えばジェミナイの騎兵に蹂躙されるのは目に見えている。

防護柵に寄るしかあるまい」


カケフ、オカダと相談し、団長にも意見を求める。

「貴重な騎士や熟練兵を生かすために、新兵には弓や投石で牽制させるのが常道だな。天地人を活かせば勝算はないことはない」

相手は名将ソーテキと歴戦の将兵、質量とも大きく劣勢だ。


「なんとしても勝てる道筋を見つけてくれ」

ダニエルはその戦術をカケフとオカダに託した。


次に経済戦を仕掛ける為にターナーを呼ぶ。

「ダニエル様、心配で心配で飯も喉を通りませんでした」

ホッとしたような顔をするターナーにダニエルは苦笑して言う。


「嘘をつけ。ツヤツヤした顔をしおって」

最大の後ろ盾であるダニエルが死ねばターナーも困るだろうが、この強かな男はそれでも生き残る道を見つけていただろう。


「まあいい。

ターナー、お前に頼みがある。

一つはリオのことだ、ネルソンが淘汰しているが反対派が蠢動してなかなか治まらない。以前からリオと付き合いのある貴様が出かけて、ネルソンの相談役として反対派を締め上げ、リオの経済力を活用できるようにしろ。

奴らを武器庫・資金源にできるかで次の戦は決まる。


もう一つはエイプリル領を徹底的に経済封鎖して悲鳴を上げさせろ。

以前の経済制裁は抜け道を残していたが、今度は抜け道なし、徹底的にやれ。

容赦はするな。利を求めて違反する商人は見せしめに殺せ」


これまでにない厳しい言葉にターナーは内心驚く。

(今までは民衆には被害が少なくなるようにという配慮があったが、よほど怒っておられる。

あとの事を考えれば多少の手心もあった方が良いが、今は言える雰囲気ではなさそうだ)


「畏まりました。

これまでリオはサカイ派が政権を握りハカタ派を冷遇していました。

ハカタ派のカミヤやシマイと連絡して、彼らを使い参事会を抑えましょう。

そして奴らには利が効果的です。幸い物資を大量に注文していることを使い、我らに協力的かを見定め、発注先を決めましょう。

エイプリル領の封鎖については南部と王都からの流通を押さえる必要があります。直ちに取り掛かります」



ダニエルはターナーへの指示の後、レイチェルにエイプリル領の経済封鎖を行うように命じ、強い声で言う。

「今こそ初夜に話をした鬼となるときだ。

これまで細心の注意で育ててきたジューン領から戦費を集め、人を動員しろ!

ここが勝負どころ、負ければすべてを失う。

民の怨嗟はいくらでもオレが負う。わかったな!」


ダニエルの決意を見て取ったレイチェルは嫣然と笑みを浮かべる。

「私がお役に立つときがやってきました。

これまで懸命に領地の民を富ませたのはすべて我が夫の為。

民を飢えさせ、恨まれようと今こそジューン領の全てを注ぎ込みましょう」


夫婦は手を握り、この戦いに勝利するまで自分達が率先垂範し、窮乏生活を行うこととする。食事は一汁一菜の粗食、侍女も生産活動に従事させ、嫡男のリチャードにもレイチェルが継ぎを当てた古着を着させる。


更にダニエルはあの敗戦を忘れない為、臥薪嘗胆を実践、3日に一度は絶食か蛇やネズミ、野草を食べ、着の身着のまま野営を行う。

ノーマ以下の帰還者や将兵もそれを聞き、同じ生活を実行する。


領内へ臨時増税や力役を課し、更に裕福な者へは債券を買わせる。

当初、領民は増税に不満を漏らしたが、領主達の暮らしを聞き、やむを得ないことと納得する。それでも不平を言い広げ、反対する者は追放する。

リオからも金を集めさせて借財して送金させる。

豪商には債券も押し付ける。そうすることでダニエルに負けてもらっては困るという気持ちを作る効果もある。


集めた金を使い、大量の資材を購入し、職人を王都やリオから集めて武器や衣料など作って軍需物資を蓄積し、道路や城塞を整備する。


レイチェルはこの機を逃さず、アースを大生産拠点とするとともに王都をも凌ぐ都市とするべく国内外を問わず、投資を呼びかけ、富裕層の勧誘に努める。

彼らを呼び寄せれば付随する商人や家人も寄ってくる。そうすれば増税以上の所得向上に領民の不満も無くなるだろうと考える。


ジューン領は軍需バブルの好景気に湧き、ターナーが経営するカーク興業は労働者の賃金を上げ、周囲から物や人を呼び寄せる。

ちょうど王の積極策が挫折し、執政する貴族の無為無策によりエーリス国に不景気が広がる中、国内の金も人も南部に向かった。


『国中が不景気で真っ暗な中、ジューン領のみが煌々と灯りが光っているようだ』

王都の商人たちがかわした言葉であり、彼らは儲けるなら南部だと殺到した。


ジューン領の動向を疑念と恐怖を持って王政府が見つめる中、騎士団長が帰還するのに合わせて、アランとカケフも王都に戻ることとする。


団長とカケフ、アランの出立に当たって、ダニエル達は身内での送別会を行う。

「団長、王政府への執り成しと騎士団の応援をお願いします」

ダニエルとレイチェル、ノーマは深々と頭を下げる。


「最大限の努力はするが確証はできん。

駄目なときは何か手立てを考えよう」

団長は困ったように答える。


「ただ、元騎士団員同士の殺し合いなど見たくもない。

アレンビーとは和解しろ。

奴にも言ってある」

団長が一番重視するのは騎士団の団結。

元団員であっても仲間であることは変わらない。

語気の強いその言葉にダニエルは頷いた。


団長の足元には幼い嫡子リチャードが纏わりつく。

子のいない団長が可愛がり剣の手ほどきをしたため、彼を慕ったリチャードは別れと聞くと泣き出し、団長はそれを宥めるのに苦労していた。


師と我が子の様を微笑みながらダニエルは、カケフに、王都周辺の友好領主の動員、傭兵の雇入れなどの軍事面のテコ入れとともに、王政府の貴族への賄賂・恫喝などの根回しとグラバー商会など縁故のある商人を動かし王都からエイプリル領への経済封鎖を頼む。

苦手な政治経済面については、アランたちダニエル派の官僚とカケフの妻、シンシアが手伝ってくれるだろう。


アランはダニエルの指示を聞きながら、昨晩の姉との話を思い出す。

「アラン、まあ座って。落ち着いて聞いてね。

アレンビーとはまずは和解の手を差し伸べるわ。勿論、どちらが強者かを思い知らせてからだけど。

しかし、彼が従わなかった場合や今後離反した場合、彼の妹エリーゼとは離縁なさい」


「姉さん!

彼女と結婚しろと言ったのは姉さんだよ!

それにエリーゼとは子供もいるし、彼女は僕たちのために頑張ってくれている。僕は彼女と離縁しない!」


反発するアランにレイチェルは悲しげに言う。

「アラン、気持ちはわかるけど、我ら貴族の結婚は政略結婚。

アレンビーと婚姻関係を結ぶことによって、ジューン領は隣接地を安定させて他に手を伸ばせた。彼も我らを後ろ盾に勢力を拡大した。

しかし敵対したアレンビーとの通婚など意味はないどころか、潜在的な間諜がいるのと同じ。あなたもわかるでしょう」


「僕がエリーゼを説得して敵対なんてさせない。だから別れることはしない」

珍しく怒りを露わにして姉に逆らうアランを見て、レイチェルは静かに言う。


「お互いのために、アレンビーが賢明な選択をすることを祈りましょう。

でももしアランの行動がダニエル様の為にならないと思えば、最愛の弟でも容赦しないわ」

そしてアランに部屋を出るように指で示す。


アランは姉の性格を誰よりもよく知っている。あの言葉はハッタリではない。必要と思えば姉は涙を流し心から悲しみながらも弟を抹殺するだろう。

姉と自分と妻のために、アランはアレンビーとの交渉が成功するよう神に祈った。


ダニエルは数ヶ月をかけて領都アースでやるべきことを行い、レイチェルと今後のすり合わせを終えると、アレンビーとの交渉に現地に赴くこととした。

アレンビーに対してはオカダやガモー、ホリがローテーションで牽制しており、アレンビーの軍は相当に疲弊している様子だ。

そこにダニエルが増援を率いて圧倒し、一気に有利な交渉をまとめるつもりであった。


出陣の準備の最中、ノーマが駆け込んできた。

ヘブラリー家が動揺し、彼女の安全を危惧したダニエルは情勢が安定するまでとアースに引き留めていた。

故郷が気になるノーマだが、騎士団長との訓練の機会を与えると生涯にないチャンスと鍛錬に精を出していた。しかし今は血相が変わっている。


「ダニエルさぁ、大変じゃ!

ヘブラリー家にソーテキの手が回ってるようで、ジーナ《姉》とその子ジョンを擁立する派閥の力が強まっちょる。

ダニエルに与すっなら、ジェミナイ軍がエイプリルを通過し、ヘブラリーに攻め寄せると脅しとるが、家中の動揺が激しか。

あの負け戦で我らの信用が失墜しちょるせいだが情けなか。なんとジーナはジェミナイから有力親族を婿に迎え、後ろ盾となってもらうと言っておるが」


「わかった。そんなことになるだろうと思った。ノーマが帰っていなくて良かった。暗殺か内戦になっていたかもしれん。

今使える軍をすべて出し、アレンビーを屈服させたあと、ヘブラリーに攻め込み、つまらんことを言う奴らを叩き潰す。

ノーマは子を大事にして、落ち着くまで待っていろ」


ノーマはアースで落ち着く中、最近妊娠していることがわかり、訓練も減らしていた。あの逃走直後、リオで抱き合った時にできたのだとノーマは思い、

「戦の中でできたこの子は強い男に決まっちょる」

と言っていた。


「ヘブラリーに行くのにアタイが居なくてどうすると?

この子は強い子じゃ。大丈夫とよ」

言い張るノーマに負け、絶対に戦闘に加わるなと多くの護衛をつけてダニエルは出陣する。


バースが重しとなっているとは言え、リューとその配下が壊滅した今、ヘブラリー家の足元は揺るいでいる。

ダニエルとノーマが急いで姿を見せねば、本当にソーテキの調略に屈する恐れがある。

ダニエルは焦っていた。








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