過剰な危機感、龍虎相搏つ
ダニエルは覚悟を決め、リオをネルソン夫妻に任せて、ジューン領に入り、領都アースに帰還する。
領内に入ると、自らが先頭に立ち、険しい顔つきで敗走時の襤褸服を着て歩き、未帰還者の名を記した塔婆を兵に持たせ、持てない塔婆は馬車に墓地のように立たせる。
ダニエルと帰還兵を迎えるべく集まった民衆もこの敗軍の装いを見て、水を打ったかのように静かになる。
この異装にダニエルが戦死者を悼み、復讐を遂げる気持ちであることを誰もが知る。
多くの民は、「おいたわしや。ダニエル様があんなお姿に。おのれジェミナイやエイプリルめ!」
「ダニエル様、次は勝ってくだされ!」と叫んでいる。
しかし、葬礼のような隊列を見る人々の中には、兵士を一人ひとり探るように見て愕然とし、その後、祈るように見た塔婆の名前に意中の名があったか泣き出す女もいた。
また、先頭を歩くダニエルに対してどこからか石が投げられ額から血を流すことも、「人殺し、うちの息子を返してくれ!」と老婆が掴みかかってくることもあった。
「何が常勝将軍だ。本物の名将ソーテキには手も足も出なかったか。
所詮は騎士団からの成り上がり。もうここも危ないな」と囁く声も聞こえる。
彼らを捕らえようとする部下に、ダニエルは大きな声で「オレの受けるべき当然の罰だ」と言い、手出しをさせなかった。
小休止の時に、兵と同じように道端の石に座り水を飲んでいたダニエルは、隣に来て怒りの顔つきで額の血を拭うノーマに小さな声で思いのたけを話す。
「見たか。これがジューン領の民だ。ヘブラリー家が長年治めてきた領民とは違う。
彼らは自分達の生活向上のためにここに来ただけ。領主への忠誠心などありはしない。
ここアースの繁栄は、オレが負ける、頼りにならないと思われれば雲散霧消する。
だから、オレは、次は勝つ、頼りになる民思いの領主ということを民に示さなければならん」
領民は領主に忠誠を尽くすものと思っていたノーマは驚いた顔をする。
「そんなことまで考えなければならんのけ」
「急造のここの領主はそれが必要だ。
勇将であり、領民思いの優しい領主ダニエル様が治める地だ。
領主稼業も楽でない」
「しかし、民は甘やかせばつけあがる。甘い顔ばかりしておられんと」
「アメとムチだが、ムチはレイチェルに任せている。申し訳ないが、冷酷非情な支配者役をやってくれている。夫婦の暗黙の役割分担だ」
「レイチェルどんをば信頼されとるんじゃな」
ノーマが羨まし気に言う。
「ああ、ノーマと同じくらいにな。
二人のどちらにも補佐してもらってオレは一人前になれる。
だから仲良くしてくれよ」
そろそろ出発をとクリスが声をかける。
ダニエルが見渡すと、他の将兵は準備ができているようだ。
「さあ、もう少しだ。
城に着いたら腹いっぱい食わせるから頑張ってくれ」
ダニエルの声に兵は勢いづく。
また先頭を歩きながら、ダニエルは思う。
(それ以上は言わなかったが、この将兵とて一旦興奮が醒めればどこまで着いてきてくれるか。クリスのほかに、カケフ、オカダ、バースを除けば、オレと最後まで共にする覚悟のある者などこの急ごしらえの家臣で何人いることか。
だから、リオであれほど無理をして支配権を手に入れた。
本来ならソウキュウやリキュウを表に立てて、波風を立てない方が後々よかったのだが、こういう目に見える形で、オレの強さを示さなければ必ず敵に走る者、逃げ出す者が出てくる。
ここが崩れ去るかの土俵際だ。
兵や領民に無理をさせても、血を吐くほどの演技をしてもここで踏ん張って見せる)
クリスが聞けば、考えすぎ、他で迫害されていた多くの領民や兵士はダニエルに感謝と忠誠を持っているというであろうが、部下の血で命を贖ったダニエルは今過剰なまでに防衛本能を働かせている。
また、ヘブラリー領でのジーナの呼び戻し、アレンビーの不穏な動き、王都貴族のダニエルの死を望む発言は、彼の警戒心を更に上昇させるのに十分だった。
将兵が無事に城に到着すると、ダニエルは正門前の広場に帰還者100名足らずを集めて、その前の台に立ち、彼らを見つめる。
周囲には領民が山のように押し寄せ、ダニエルと兵を見物している。
ダニエルはその視線も意識しながら、話し出した。
「お前達オレとともに、よくここまで生きて帰ってきてくれた!
本当にありがとう。
無茶をさせたことを将帥として謝罪する。すまなかった。
ささやかだが、酒と飯をふんだんに用意した。ここは故国だ。安心して酔いつぶれてくれていいぞ。
酔いが覚めたら報奨金を受け取りに来い。そして家に帰り、家族と会い、疲れを癒してくれ」
やったー、母ちゃんに、妻に、子供に会える!
兵の声が爆発する。
ようやく生きて帰れた実感が湧いてきたようだ。
それが静まるまでダニエルはニコニコしながら待ち、それから表情を沈痛なものに変え、彼を見る兵に向かい合う。
「しかし、その前にやってもらいたいことがある。
出陣前のことを思い出してくれ。
その時に隣に、前に、後ろにいた僚友が今いるか。
その時にいた10人のうち9人は帰って来られなかった。
彼らの冥福と、騙し討ちを仕掛けてきた卑劣なジェミナイとエイプリルへの報復を胸に誓い、黙祷する」
ノーマがかけ声をかける。
「我らを守るために異国の地に散った僚友のため、黙祷!」
生き残った兵たちは長かった敗走の日々とそこに散った僚友を思い出し、涙をこぼし嗚咽しながら瞑目する。
それを眺める民衆も貰い泣きする。
長いような短かいような時間が過ぎ、ノーマが再び声をかける。
「黙祷止め。
では、諸君、また招集する日まで解散だ。身体を労り、復讐へ牙を砥げ」
兵たちは、喜びと悲しみ、そして憤りを混在したような表情で、広場に用意された御馳走の山に向かっていく。
残されたダニエルとノーマ、指揮官たちはこれからが仕事だ。
この戦いの恩賞を定め、そして死者たちへの遺族への弔慰金を準備しなければならない。
これをやらなければ、次の戦で兵は働かない。
同時に、この戦では最精鋭の熟練士官や下士官役が多数死んだ。
戦死者の数はダニエル軍から行けばさほど大きいとは言えないが、その質の充足はすぐには困難だ。
「物資と金だけでもリオで手当しておいて良かった。
熟練兵は訓練を積むしかないだろう」
ダニエルはノーマと話しながら、城の中に入っていく。
衛兵の敬礼を受けて、建物に入ると声がかかる。
「あらっ。愛しの旦那様、お久しぶりでございます。私のことなどお忘れかもしれませんが」
レイチェルがそこに居合わせたかのように待っていた。
(いきなり奇襲かよ)
不意を打たれたダニエルが面食らっている間に、レイチェルはノーマに挨拶をする。
「ノーマ様、お初にお目にかかります。
ジューン領主夫人のレイチェルでございます。
以後よろしくお願いします」
「これはご丁寧に。
ヘブラリー侯爵ダニエル・ヘブラリーの妻、ノーマだ。
暫し厄介になる」
側室ならば正室の管理下に置かれることから、主に使えるかのような礼をとらねばならないが、レイチェルもノーマもそのような形は取らずに、多少の上下はあれど対等に近い物言いをした。
先に妻の座にあり長子も産んでいるが正室でないレイチェル、正室だが後からやってきたノーマ、お互いに微妙な立ち位置にいる。無言のうちにそういう立ち位置を選んだのか。
目に見えない火花が散るようでダニエルは胃が痛くなる思いである。
レイチェルはニッコリとして言う。
「さてさて、今後の話をしなければなりませんね」
別室の大会議室にレイチェルが先導するが、誰も口を効かない。
ダニエルは何度か話しかけようとしたが、雰囲気の重さに遂に口を開けなかった。
衛兵が扉を開けると、主だった家臣が大きなテーブルを囲み、椅子に腰掛けている。
上座近くにはカケフやオカダ、アランが座り、入ってきたダニエルを見てニヤリと顔を綻びせていた。
ダニエルが上座の中心の大きな椅子に座ると、ノーマは当然なように上席であるその左に、レイチェルは右に座る。
「さて、全員揃ったようだな。
では、ダニエル様が戻られたことを祝うとともに、今後の我らの進む道を議論したい」
レイチェルが立ち上がり、周りを見渡した後、口火を切る。
ノーマがまず発言する。
「アタイ達を罠に掛け、ダニエルさぁを抹殺しようとしたエイプリル侯爵とジェミナイのソーテキ、奴らは必ずブチ殺す。
そのための戦の用意を早急にしなきゃならん」
そうだと一斉に賛同の声がする。
更に、火事場泥棒を働こうとした奴らにも痛い目にあわせる必要があるという声もする。
燃え上がった強硬論に冷水をかけたのはレイチェルだった。
「ジェミナイは強大、さらにエイプリル侯爵と組んでくれば、ジューン領とヘブラリー領を合わせても力の差は歴然。
感情に任せるのでなく、冷静に考えるべきでしょう。
更に言えば、次のイクサの前に、今回の大敗の原因を如何考えられているのかをお伺いしたい」
彼女が今回の出陣に慎重論を唱えていたことは周知のことであり、それを押し切って出馬したダニエルに向けての発言であることは明らかであった。
何かを言おうとしたノーマを手で制して、ダニエルは淡々と言う。
「今回の敗北の原因は、オレの驕りと油断にあった。
これまで勝利が続いたことによる自信やエイプリル侯爵の恨みを軽視したことから軽々に敵陣に踏み込みすぎた。レイチェルの言う通り、もっと慎重に間諜を派遣するなどの情報収集の上、軍を動かすべきであった。
戦死者や後方で心労をかけた皆に弁解する言葉もない」
「御理解されているようで安心しました。
今回命拾いしたのは百にひとつの僥倖です。
あなたの浅慮の為、多くの兵が死にました。
その肩に沢山の生命が掛かっていることをよくよく肝に刻んでください」
レイチェルの厳しい言葉に、堪らずノーマが叫ぶ。
「まさか隣国が敵国と通じるとは思うまい!
ダニエルさぁは少しでも多くの部下を帰そうと、身体を張って敵に立ち向かった。
あの地獄の戦場を知らんもんが後知恵で責めるんじゃなか!」
「戦場でダニエル様が兵を庇い、先頭に立って敵と戦ったことは称賛に値します。
しかしそれは兵士の勇であり、諸侯・将帥としては全く足らざるもの。
ダニエル様が担うべきは作戦のあり方、軍の進退なのです。
その認識に欠けるところがあったのではないかと申し上げています」
レイチェルはあくまで冷たく言い返す。
二人の妻は立ち上がり、ダニエルを挟んで睨み合う。
間に座るダニエルは困り顔で言う。
「ノーマ、弁護してくれてありがとう。
しかしレイチェルの言うことはもっとも。
敗軍の将、兵を語らずという。
将帥たるもの、結果がすべて。言い訳はできん。
神がオレの命を救ったのは反省して出直せということだろう。
これからは油断せずに百戦百勝のつもりで万全を期す」
それを受けて、オカダが大声で喚く。
「ダニエルの反省も終わったし、ここは精進落しで宴会をしよう!
暫くろくなものを食っていまい。
俺様が山海の珍味を集めてやった。
中庭に行くぞ!」
二人の女傑の対決に、皆肝が冷えたのか、一同なんの異議もなく同意して、席を立つ。
ダニエルは両横の妻達に「行こう!」と声をかけるも、二人から、もう少し話をするので後ほどと言われ、後ろ髪を引かれる思いで部屋を後にする。
ダニエルに付いてクリスも宴会へ行こうとするが、後ろからレイチェルの声がした。
「クリス、イザベラを呼んできて同席させて」
イザベラはヘブラリー出身でレイチェルの侍女長。
間に入るには適任だろうと、クリスは妻を呼びに行く。
控えの間でレイチェルを待っていたイザベラとともに部屋に戻ると、二人の話は既に始まっていた。
「何故満座の前でダニエルさぁに恥を晒させるかのような詰問ばしおった?
おはんの言うことなど、部下が次々と死に行く中でダニエルさぁは嫌というほど考えていたが」
ノーマが激して責める。
「一人で思っていても仕方ありません。
はっきりと家臣の前で言葉にすることが大事なのです。
それにより、自らもはっきりと意識し、家臣がダニエル様を責める気持ちも収まるでしょう」
「そうだとしてもダニエルさぁにそのことば提言して自らやってもらえば良かった。あんなふうに公然と主の非を言い立てるのはおかしかことじゃ」
「そこは見解の相違でしょう。
自分への非難を素直に受け止めることでダニエル様の広い御心がわかるというもの。
ところでノーマ様。
話は変わりますが、私は今度の一連の騒動で、ダニエル様にはこの国の覇権を握ってもらう必要があると痛感しました。
有象無象の領主ならば見逃されても、ダニエル様は南部の王にして西部有力諸侯を兼ねる、エーリス国きっての諸侯。
事あらば、いや事がなくとも潰しに来る方のどれほど多いことが。
これを避けるにはもはや自らが国権を握るしかありません。
ダニエル様が望もうと望まいと私は其のために全力を尽くします。
ノーマ様にも御協力をお願い申し上げます」
レイチェルは真摯に頭を下げてノーマに願う。
しかしノーマは考える素振りもなく素っ気なく返答した。
「ダニエルさぁの指示があればよかよ。
ダニエルさぁが望まなんだらアタイは反対する」
「ダニエル様は政に甘いところがあります。
本人の為になることであれば、その気がなくとも周囲が取り計らうべきです」
「アタイはおまはんのように賢くないけわからんが、ダニエルさぁが望まんことばアタイはせんと」
二人の話は平行線を辿る。
「仕方ありません。
いつか道を違えるかもしれませんが、私達の目的はいずれもダニエル様の為。お互いにそのために最善の道を進みましょう」
「そのとおりじゃ」
レイチェルとノーマは握手をし、クリスとイザベラをこの誓いの立会人とし、他言無用と念を押す。
(はてさてどちらの奥様が正しいのかは分からないが、龍虎相うつ、
ダニエル様もご苦労なことだ)
クリスはダニエルの心境を思いやり、深く溜息をついた。
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