蠢く人、動く人、待つ人

エイプリル侯爵は日が昇り、煌々と山道を照らす中、悠々と進軍した。


「ダニエルめ、前面に儂の軍がおらず、ジェミナイ軍が聳え立つのを見て驚愕していよう。

進むべきか退くべきか、迷っている間に挟み撃ちされて、あえなく戦死よ!」


哄笑する侯爵に、部下は尋ねる。

「侯爵様、ダニエルを殺すのはいいですが、他国と通じて国を裏切ったことで騎士団が攻めてこないですか」


「王政府の高官には多額の賄賂をばら撒いたから暫くは擁護してくれるだろう。ダニエルが死ねばその領地を占拠し、ジェミナイと組んで王政府に対抗することもできよう。

心配は不要」


自信たっぷりに言う侯爵を家臣は不安げに見る。

以前は、残忍狡猾であっても頼れる主であったが、最近の侯爵は焦りや苛立ちからか行動が危ういように思える。


(この主に付いていって大丈夫か。

世子ヨシタツ様に保険をかけておくべきか)


山を抜けるところで臨戦態勢を取らせるが、斥候からは激戦の跡はあれどダニエル軍の姿はないとの報告が入る。


「どういうことだ?

ソーテキめ、抜け駆けして我らが来る前に仕掛けたか?」


慌てて馬を駆り平地に入ると、確かにダニエル軍ジェミナイ軍と累々と周りに広がる死傷者のみ。


その死傷者を見ると、ダニエル軍の軍装をした者は少数であるがすべて戦い尽くしたように満身創痍で死んでおり、周囲で呻く、遥かに多くのジェミナイ軍の死傷者が如何に激戦であったかを物語る。


現れたエイプリル侯爵の軍に対して、ジェミナイ軍は敵意も露わに攻撃態勢に入る。


「待て!

儂はエイプリル侯爵。ソーテキ殿と約定を結んでおる。

ソーテキ殿と話をしたい」


しかし、ジェミナイ軍は攻撃態勢を緩めることなく、一人の壮年の騎士が出てきた。

「今頃何をしにきた?

ソーテキ様は忙しく、貴様のような味方に噛みつくマムシの相手はしていられん。

よってお言葉を伝える。

勢子の仕事は果たしたようだが、あの若虎には手緩すぎだ。

逃げ出した手負い虎はこちらで捜索するので、もう帰ってよしとのことだ」


「何があったのだ?

儂はソーテキ殿と同盟の話をしたいのだが」


そういうエイプリル侯爵に騎士は言う。

「後ろから人を噛むマムシとの同盟なぞなんの意味があろう。

貴様が全領挙げて投降するなら受け入れてやる」


そして一息入れると、怒鳴りつける。

「ダニエル軍の敵ながら見事な死に様を見た後で、貴様と話すとドブ水を飲むようだ。

さっさと引き上げなければ討ち滅ぼすぞ!」


遥かに大軍のジェミナイ軍に逆らうこともできず、エイプリル侯爵はすごすごと引き下がるしかない。


その時に領都から使者が来る。

「侯爵様、一大事です!

バース率いるダニエル軍の後陣がそのまま帰還せずに我が領内を荒らし回り、領都まで攻め込んできています」


「なんだと!

ダニエルという頭が居なければまっすぐに帰還するだけと思ったが・・

直ぐに戻るぞ!」


バースは、ダニエルからヘブラリー領に戻るよう命じられたが、ダニエルの助けとなるべくエイプリル侯爵領を劫掠し、領都に攻め込んでいた。


「バース殿、エイプリル軍は脆いですな」

ガモーが話しかける。


「精鋭はダニエル様を攻めるために連れて行ったのだろう。

奴らに本領が危ないと思わせるため、盛大に攻めなければならん。

城攻めを派手にやれ。

また、あまり好みではないが、周辺の街を劫掠し燃やし尽くせ。

ダニエル様を助けるためだ」

バースは苦虫を噛んだような顔つきで命じる。


領都の城壁は固く、城攻兵器も無いバース軍に落とすことはできなかったが、エイプリル軍が帰還するのを見てバースは軍を引き上げる。


「奴らに攻めかからないのですか?」

ガモーや若手将校が迫るが、バースは応じない。


「それを決めるのはダニエル様だけだ。

引き上げるぞ」


しかし、ヘブラリー領には戻らずに、領都と境界の間にあるエイプリル領の城を占拠するとそこに軍を入れていつでも攻撃できる態勢を維持する。

そして、現地の間諜からダニエル軍とジェミナイ軍との死闘と逃走の情報を仕入れ、各方面に急報した。


領都を指呼の間に置くところに敵軍がいることはエイプリル侯爵にとって大きな圧力となった。


エイプリル侯爵がダニエルを裏切り得たものは、ダニエル軍による劫掠と城の占拠、そしてジェミナイからの軽蔑のみとわかると、領内における侯爵の威信は目に見えて低下し、侯爵への反抗が静かに広がる。


さて、エイプリル侯爵の裏切りとリューの戦死、ダニエル・ノーマの生死不明の敗走の情報が入ったヘブラリー家は大混乱であった。

ダニエルにより取り立てられたズショやダニエル直臣のジブが混乱を収めるべく奔走するが、ダニエルとノーマの抑えがなくなると排斥された門閥層の声が大きくなり、前伯爵が権力を持つ。


「ダニエルもノーマも生死不明とは・・

いかにすべきか」

前伯爵は懊悩するが、門閥層からは、追放されたジーナとその子ジョンを呼び戻し、継嗣とすべしとの声が強い。


「あの名将ソーテキにたかが千で挑んではいかな勇将でも勝ち目はござらん。万が一に備え、ジーナ様とジョン様を呼び戻しておくべきです」


それに対してダニエル派は、まだ死んだと決まっていない中、暗殺事件を起こしたジーナとその子を連れ戻すなど言語道断と主張。

仮にダニエルとノーマに何かあれば、領主家の血を引くリューの子に継がすべしと言ったが、分家嫌いの前伯爵は受け入れない。


「やはりワシの血筋から当主は継がせる」

前伯爵は決断し、ジーナとジョンを呼び寄せることとした。

形勢は逆転し、門閥層が復権、領内の政治は昔に戻ろうとする。


王都でもダニエルの生死不明は大問題となっていた。

そもそも王政府の命令でダニエルにエイプリル侯爵の救援を命じたものが、そのエイプリル侯爵が裏切ったという情報である。


「エイプリル侯爵は裏切り者の国賊。

騎士団を動員してダニエルを助けて奴を撃つべし!」

というアラン達ダニエル派に対して、上層貴族は慎重論を唱える。


「エイプリル侯爵からはダニエルが戦に逸り、抜け駆けして敗北したとの情報が来ている。

真偽がわかるまで慎重にすべきであろう」


「さよう。

それよりも仮にダニエルが戦死していれば、奴の領土は女や幼子が治めるには大きすぎる。

奴の後継には旧のジャニアリー領だけを与え、後は没収して王政府の直轄地とすべきだな」


「あの南部一の繁栄を誇る都市アースなどは王政府が持つべきだ。

これで法衣貴族の懐も暖まるというものよ」


自らがダニエルに出陣を命じたにも関わらず、その責任を感じるどころか、もはやダニエルの死を既定の事実としてその遺産分割を考えている上層貴族にアランやオーエ達実務官僚は呆れ果て、騎士団長以下の武人は苦々しい顔をする。


「卿ら、いい加減にせよ!」

そこに喝を浴びせたのは、今や実権を持たず、象徴として上位に座る王であった。


「事は一国の行方を左右すること。

諸侯が他国の手を借りて隣接諸侯を抹殺しようとするなど許していいことではあるまい。

もはや国の体をなさなくなるぞ!


それを言うに事欠き、王政府の命に応じたダニエルが死ねば懐が潤うなど、恥を知れ!

やらかした俺に実権がないことはわかっているが、王として提言する。

騎士団を動員して、エイプリル侯爵及びジェミナイを追討すべし。

さもなければ諸侯は誰も王政府に信を持つまい」


ずっと沈黙を続けていた王の雄弁に会議の参加者は気押される。

誰も話さない中、老獪なマーチ宰相が話を引き取った。


「王陛下の言われることはもっともです。

貴族達は目先のことのみを追いすぎと儂からも強く叱責いたします。

騎士団による討伐の件、重く受け止め検討いたします」


会議の散開後、マーチ宰相とグレイ副宰相は列席した参議以下の上層貴族を激しく叱責した。


「馬鹿か、貴様らは!

どうせエイプリル侯爵から賄賂でも受け取っていたのであろう。

今日の発言を聞けば一目瞭然。

官僚や騎士団から明らかに不信感を持たれていたぞ。

貴族に主導権が移ってもまだまだ基盤は脆弱なことがわからんか!」


「貴族達の私利私欲の発言と対象的な王の正論。

折角取り上げた王の発言力が復活する一因を作ったぞ!


それにお前達の発言はダニエルの死を望むも同然。

奴が王国有数の武力の持ち主であることを忘れているのか。

奴の家臣は気が立っている。

何をされても知らんぞ」


それを聞いた貴族達は真っ青になり、アランのところに駆け込み、執り成しを願うが、彼も義兄の状況を心配しそれどころではない。

適当にあしらって帰し、妻エリーゼと話す。


「義兄さんはしぶといから、そう簡単には死なないと信じているんだけど。

幼子を抱えた姉さんが心配だ。

毛を逆立てて子猫を守る母猫みたいになっているんじゃないか。

女傑と言われるが、そんなに強い心の持ち主ではないんだ。

頼りにする夫が生死不明で動揺しているよ。

様子を見に行ってくる」


レイチェルの母猫の例えにアハハと笑うエリーゼだが、元気がない。

どうしたのと妻を気遣うアランに言う。


アレンビーがね、ダニエル様が生死不明と聞いて怪しげな動きをしているようなの」


「えっ、領地の強奪とかを企んでいるの?」


「おそらく。

兄はダニエル様に対抗意識を持ってたから、その上を行きたいと考えているみたい」


「火事場泥棒か!

今日の朝議もそんなことを言ってた貴族がいたよ。

それは止めないと戦争になる。

ダニエル軍は今ピリピリしているからね」


アランはその後王都駐在のカケフに話をする。

カケフはアランの話を聞き、まず反ダニエル派の貴族のうち、軽い者にはその家の犬猫や馬の首を、重い者には従者の首を投げ入れ、次はないと暗黙の警告をしておく。


本来なら一族根切りにするところだが、ダニエルが不在の今貴族と本格的に揉めるのは不味い。


そして、自らの兵を動員して南部へ向かう。

それにはアランも同行した。


南部領都アースでは、レイチェルが怒りのあまり赤くなるのと、心配で青くなるのを繰り返していた。


(だからあれほど油断するなと言ったのにあの人は!)

(まさか私とリチャードを残して死にはしないわよね)


普段神頼みを馬鹿にしているレイチェルでもこのときばかりは神に祈る。

もっとも彼女の祈りは商取引のようであったが。


(あの人が無事に帰ってくれば、ここアースに領主公認の教会を作ってあげるから、何としても帰してください。

もしあの人に何かあれば、私設の教会をすべて破壊するわ)


一通り祈ると、現実主義者らしく彼女は、ダニエルを待つのと並行して、現在の状況分析と今後の予測・対応に考えを切り替える。


(エイプリル侯爵にはバースが当たっているし、報復はあの人が帰ってきてからね。

ヘブラリー家の内紛は放置するより仕方がない。

まぁ、あの馬鹿女ジーナを引っ張り出すなら、あの家のダニエル派をバックアップしてとことんかき乱してやるから。


問題はこの南部を狙う火事場泥棒よ。

アレンビーは必ず動くから、オカダに見張らせて、イザとなれば全力で潰す。他の有象無象は牽制すれば黙り込む。

あとは、王都の阿呆貴族と、ジャニアリー家の親族がうるさそうね。

リチャードが幼少だからと、ここを狙う奴らには思い知らせてやる!)


レイチェルはリチャードの眠るベッドに行き、彼の頭を撫でる。

「リチャード、この母が必ずお前を守りますから、安心してお休み」


その後、アレンビーはダニエル不明の情報を入手し周辺領地を併合すべく兵を集めるが、オカダが近くに来て牽制する。

「アレクよ。

何を目論んで兵を集めている。

この非常時に火事場泥棒ならば許さねえぜ」


「ダニエルが心配で、その捜索や報復に兵がいると思ってな」

動揺していると思ったダニエル家臣団が予想以上に統制が取れていることにアレンビーは驚く。


「必要あればレイチェルの姐御から連絡が行く。

怪しい動きをすればこっちも余裕がないから一気に片を付けるぞ」

ダニエル軍切っての武闘派オカダの発言に、アレンビーは引くしかない。


(くそっ、あの冷血女、しっかり家中を抑えているな。

今回は見送りだ!)


更にやって来たカケフ軍は南部を巡回、偉大な領主の不在に動揺する領民を鎮める。


その頃、ダニエル生死不明を聞きつけ、幼子では領主は勤まるまいとダニエルの妹アリスとその夫バート子爵が代わりの領主になるべくノコノコとやって来た。


「兄ダニエルの遺領は幼児やお若い未亡人が治めるには大きすぎるでしょう。親族の誼で私達夫婦が代わりに領主を引き受けましょう」


と言いながら笑顔を隠しきれない妹夫婦を見たレイチェルは、氷よりも冷たい声で「衛兵、コイツラを地下牢にぶちこみ、死ぬまで鞭で打ち据えなさい!」と命じる。


アランは慌てて、冷静に怒り狂うレイチェルを抑え、言う。

「姉さん、気持ちはわかるけど相手は腐っても貴族。

揉め事の種を増やさないで。


衛兵、今の指示は聞かなくていい。

そこのお方、早く帰って。

今、この家は余裕がないから馬鹿なことを言うと命を無くすよ」


アリス達夫婦は、発言を聞いた家臣達から石を投げられ、這々の体で逃げ出すこととなる。




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