虎口を逃れる

修道女はネルソンの前で、顔を見せて話しかける。

「お久しぶりですね。

今はネルソンという名だと聞きました。

お元気そうで何よりです」


「お前は!」

いつもは冷静なネルソンが興奮して言葉が出てこない。


「あらあら、私に会えたのがそれほど嬉しかったとは女冥利に尽きますわ」


ネルソンは真っ赤な顔で「貴様、どの面下げて俺の前へ出られた」と言いながら、女の胸ぐらを掴もうとするが、隣りにいたウォーカーに止められる。


「私が手配しなければ貴方のご主君達は舟で脱出できないのではないですか。

そんな態度を取っていいのかしら」


修道女は顔色を変えることもなく言い放ち、それを聞いたネルソンはガックリして頼む。

「そこの修道女殿、どうか我が主君とその配下に舟の手配をお願い致す」


「奥方様、意地悪はそのあたりで」

ウォーカーが諫める。


「夫に久しぶりに会えたのが嬉しくて、ついついはしゃいでしまったわ」

そう言うと女はダニエルとノーマに向かい、拝礼する。


「元クツキ領主夫人にして、現在はただのネルソンの妻、ブレアでございます。

以後よろしくお願いいたします」


美しい銀髪を短く切り揃え、黒い修道女の服を来ているが、均整の取れた美貌の持ち主である。ややツリ目勝ちの大きな目が勝ち気な気性を印象付けている。


彼女はノーマの狩り衣装の様子を見て言う


「まぁ、お似合いなこと。

その衣装は夫にプレゼントしてもらいましたの。

しかしこの緊急時、お会いした記念にノーマ様に差し上げますわ」


「それはわるか。

また、国元に戻ればこちらからも返礼すっと」


女同士の話が一段落すると、ネルソンはブレアに話しかけた。


「ブレア、舟は大丈夫なのか」


「任せておきなさい。付き合いのあるリオの商人に頼んであるわ。

但し、港まで行くのは父が置いていった城代が警戒しているから、そこをなんとかしないといけないわよ」


ウォーカーが言う。

「その点は抜かりなく、今の統治に不満のある者を蜂起させるつもりです」


「この人の弟に付いた者を扇動して捨て駒とし、その隙に自分の仲間は逃げるか。

いいけど、あの城代、クロトワといったかしら。

惚けた顔をしているけど、あちこち渡り歩いてきた切れ者よ。裏をかかれないように気をつけて」


ネルソンが話に入ってきた。

「ところで、お前は何故あの時裏切った?

今回本当に一緒に来るのか?」


「一度に言わないで。

ダニエル様、皆様の行き先に私も同行させていただきますので、ご承知おきください。

これまでのことは、皆様にお聞かせするまでもありません。

私達で話しましょう。

皆様には、食事と医者を用意しました。

ここは安全ですのでごゆっくりお休みを」


そう言って、ウォーカーも入れて3人で別室に行く。


「なかなかの女傑じゃなかか。

あのネルソンが手玉にとられとる」

ノーマが呟く。


「全くでござります。

私が知り合ってからあれほど狼狽するネルソン殿を初めて見ました」

ヒデヨシも口を出す。


(女に無関心と思ったら、あんな鋭い刃物のような妻がいたのか。

それは迂闊によその女に手は出せんだろうな。

いずれにしても上手く話が纏まってくれないと困る)


ダニエルはそんなことを思ったが、余計なことは言わずに、

「皆、折角のもてなしだ。

負傷者は医者に見てもらえ。

飯を食える者は食え」

と指示を出す。


その頃、別室ではブレアが話していた。

「何から話しましょう。

まずはあなたと義弟殿との戦からね。

あなたが戦っているときに、あなたからの要請の援軍だと父が軍勢を率いてやって来たわ」


「それはわかっている。後詰を頼んだからな。

しかし戦場には来ずに城を乗っ取るとは!

何故、義父の軍を入れ、俺が敗北したあと、城に入れなかった!」


それを聞いたブレアは溜息をついた。


「父の軍が入ったのは私に付けられた父の家臣が門を開けたから。

私は事後報告で聞いただけ。


そしてあなたが負けたことは物見の報告で聞いたわ。

そしてそれを聞いた父の嬉しそうな顔も見た。

父はあなたを城に迎え入れて、旗頭にしてあなたの義弟と戦う気だったわ。

圧倒的な父の軍勢を主戦力として戦えば、誰が主導権を持ったと思う?

そして、それに勝ったらその後の戦後処理はどうなるの?」


そう言われたネルソンは苦しそうな顔で沈黙する。

「あなたが言えないなら私が言うわ。

父が戦を主導し、勝てばあなたを利用した後に排除して領地を乗取ったでしょう。

だいたい他人頼みの戦など、いいことがある訳ありません。

負ければ責任を負わされ、勝っても利益は持っていかれる。

考えが甘すぎたんじゃなくて」


「奥様、もうそのあたりでよろしいかと」

ウォーカーが必死に止める。


「まぁ、そう考えた私は、戦に負けた夫に用はないと、城に父の旗を挙げさせて門を閉めさせた。

父は少し残念そうだったわ。あなたを利用したかったのでしょう。


そしてあとは、夫の菩提を弔うとして髪を切って修道女となって隠居。

獅子は子を千尋の谷に突き落とし、這い上がってくるのを待つという心境であなたの再起を祈っていたわ」


「再嫁しなかったのか?」

「父からは何度も言われたけど、もう父への義理は果たしたし、子供もできたから」


ネルソンは驚く。

「誰の子だ!」


「あなたに決まっているでしょう。

直前までやることをやっていたのだから子供もできます。

ピーターを抱いてやって」

ブレアはそう言って、侍女に連れてこさせた幼児をネルソンに渡す。


「これが俺の子供か」

見知らぬ男に大泣きする幼児を慣れない手で抱きながら、いきなりのことにネルソンは何とも言えない顔をする。


「そう云う訳だから、あなたとこの子と3人で新しいところで家庭を作りましょう。

今度は貴族の政略結婚でなく、一人の個人としてお互いに選び選ばれての婚姻よ」


そしてネルソンを少し眩しそうに見て付け加える。

「前のあなたにあった傲慢さや脇の甘さが無くなって、いい男になったようね。

でも、少し尖りすぎて撚ねすぎたかしら。

もっと素直な方がいいわよ。

ダニエル様を見倣ったら」


「大きなお世話だ。

まだお前を許した訳じゃない」

素直に頷かないネルソンに、ウォーカーが口添えする。


「奥方様に我ら旧臣は随分と助けていただきました。

奥方様からは、あの人はそう簡単にくたばらないから、あの人の元に馳せ参じるまで耐えるのよと、物心ともの援助を頂いて参ったのです。

何卒、ブレア様とよりを戻し、新たな地へお連れください」


「わかった、わかった。

しかし、次はないぞ」

睨むネルソンにブレアは笑いかける。


「父への義理も果たした私にあなたとこの子以外に気にかける者はいません。ご心配は無用です」


ネルソン達はダニエル達のところに戻り、ブレアと和解し、ジューン領に伴うことを告げた。


「それは良かった。

ネルソンが妻を娶らなかったのは、こんなにいい北の方が居たためか。

それで納得した。


ブレア殿、オレはダニエル。

ネルソンの主君をやらせてもらっている。

何か困ったことがあれば何なりと相談してくれ」


「畏まりました。

不慣れなことが多いでしょうが、よろしくお願いします」


一連の挨拶が終わると、ヒデヨシが「めでたや、めでたや」と剽げる。


そして、一同はここで暫く待機し、反対派の蜂起と舟の準備を待って、いざ故郷を目指すこととする。


数日後、いよいよ準備が出来たと連絡が来た。


ブレアはノーマを誘い、巡業で来ていた、王都で有名なイズモのオクニという旅劇団の演劇を呼んで見ていたが、その知らせを聞くと「意外と早かったですね」と言い、共に席を立つ。


二人が教会の塔に登ると居城の反対側で火の手が上がるのが見える。


「反乱だ!」

「鎮圧しろ!」

城から騎士たちが慌てて出陣していく。


「思ったより出陣する騎士が少ないわ。

これでは半数の100名程度は待機していることになる。

クロトワめ、何か感づいたか」

ブレアは呟く。


「100名なら蹴散らしていけばよか」

「いえ、戦っているうちに敵は援軍がやってきますし、海上も封鎖されるおそれがあります。

ここはなんとしても平穏に出発しなければ」


ブレアはノーマを見て、似てますねと呟き一案を思いつく。


そして、そのまま下に降り、教会の中庭で出立の準備をするダニエル達一行に告げる。


「皆さん、着換えてください」


先程の旅芸人一座の衣装を借り、一座に扮するように指示する。


何をすると抵抗する一座の座長オクニには、ヒデヨシが説得する。


「お前達、芸人は賤民の出であろう。

ワシもそうじゃ。ワシの主、ダニエル様は賤民も平等な国を作られておる。

その手伝いをせよ。

さすれば寄る辺のないお前達もジューン領の領民としてやろう」


「ダニエル様と言えば、賤民頭からお手伝いするよう言われているお方。

わかった。

我らは何も知らぬ。強盗にあったと言えば良いな」


ノーマはオクニに手伝ってもらい座長のオクニ役となる。

ノーマはその連れ合いの色男役にダニエルをと思うが、その体格の良さや顔つきから役者にはとても見えない。


「ダニエル様の手配書が廻ってますからね。

うーん、荷物運びの下男になってもらいますか」

恐れを知らないブレアがそう決める。


周りは反対するが、ここを抜けられるならとダニエルには否応もない。

芸人達に化粧され、ダニエルは愚鈍な顔つきで身体だけ大きな下男と化す。


用意ができたところで出発する。

他国へ出て行く旅芸人とそれを見送るブレア一行という装いだ。


港まで1時間の道のりがとても長く感じられる。


ようやく港が見えてきたところで、後ろから追ってきた兵に誰何される。

「何者だ。何処へ行く?」


「イズモのオクニ一座でございます。

ここの興行を終えて、次の国へと参ります」


「今はダニエルの追跡で検問中だ。

外に出ることはまかりならん」


そこへブレアが口を出す。

「無礼者、領主の娘たる私が良いと行っていいと言ったのよ!

木端役人が口を挟まなくていい!」


そう言われると兵士は引っ込むが、後ろから騎士がやって来た。

「ブレア様、困りますな。

ダニエル追跡はジェミナイ挙げての取り組み。

わがままはやめていただきましょう」


「クロトワ、私が逃がすとでも言うの。

今先程まで演技を見ていたのよ。

ダニエル一党の訳が無いでしょう」


「そこまで言われるなら、少し演技を見せていただけますか。

私も何もせずに通すことはできませんので」


「貴様、無礼であろう!」

ブレアが言い募るが、クロトワも引かない。


「わかりました。

では、一曲舞いましょう」


ノーマがそう言うと、一同が何をするのかとヒヤヒヤする中、衣装を整え、剣を取り、見事な剣舞を踊り始めた。

クリスが横で笛を吹く。


クロトワ以下の兵士も周囲の民衆もその舞の美しさを見惚れる。

「以上、お粗末様でした」

舞が終わると、盛大な拍手が沸き起こる。


「この見事な舞を見てわかったでしょう。

では行くわよ」

ブレアの指示で一行は歩き出すが、行列の一番後方に向かってクロトワが叫ぶ。


「待て、そこのお前。

身体つきが手配書のダニエルに似ている。

紛れ込んたのかもしれん。詮議致す」


クロトワに指を指されたダニエルは痴愚を装い、うぉうぉと言うばかり。


「この者は頭が弱いため、荷物運びに雇っています。

何卒お許しを」


クリスが頭を下げ、金を握らせようとするが、クロトワは「駄目だ、そいつを置いていけ」と言い張る。


クリス以下ダニエル軍の兵は、ここまでかと隠し持つ剣に手をやるが、そこにノーマの声がした。


「この阿呆のせいで出立ができん!

拾ってやった恩も返せずに迷惑ばかりかけよって!」


そして持っていた杖でダニエルの背中を何度も打ちつける。

ダニエルの粗末な服は破け、背中から血が飛び散る。


「うぉー、痛い痛い、お許しをお許しを」

ダニエルは転げ回り、泣き叫んで許しを求める。


あまりの無惨な様に、旅芸人に扮したダニエルの兵達は目を背け、周囲の民衆からは、もう許してやれと声がする。


ビシッビシッと音が続く中、クロトワが言う。

「わかった、わかった。

まさか英雄とも言われるダニエルがこんな見苦しく泣き喚くことはあるまい。行っていいぞ」


そしてそのままダニエルに近づくと、少し待てと言い、懐から何かを取り出す。

「なかなかの傷だな、後でこれを塗ると良い」と言いながら、薬と包み紙を渡す。


部下が「ソーテキ様のお触れでは国外に怪しい者を出すなと言う事でしたが」と異論を唱えるが、クロトワは一蹴する。


「御領主の娘であるブレア様の保証があり、先程の様子も見ただろう。

行って良い」


旅芸人一行は歩き出し、ダニエル扮する下男は、痛いようと泣きながら最後尾を進む。

そして、港に停泊している舟に乗り込んだ。


「クロトワ、私は気晴らしに舟で送っていきます」

ブレアはそう言うと、伴を連れて舟に乗り込む。


そうやってゆっくりと港を離れ、クツキが見えなくなったところでブレアは全力を出せと指示する。


「ダニエルさぁ、済まなかった!

アタイの頭ではあそこを逃れるのにあれしか思いつかなんだ。

許しておくれ」


ノーマが涙をこぼして謝る。


「いや、よくやってくれた。

ノーマのお陰で助かった。

こんな傷なんでもない」


ダニエルは笑い飛ばすが、ノーマは愛する人を傷つけた自責から深刻な顔をして泣き止まない。

ダニエルはノーマを宥めながら、クロトワに渡された薬を使おうとするが、包み紙に何か書かれている。


『ダニエル殿

今回の件は貸しとしておく。

いずれこの返済を願う

クロトワ』


「ハッハッハ、ノーマ、ブレア、これを見ろ。

アイツ、わかって逃したか」


「ここで城代をしても、所詮は外様でこれ以上は望めない。

ならば、外様までも取り立てるというダニエル様に寝返るということですか」

ネルソンが手紙を読んだ後に言う。


「そういうことだ。

ノーマ、あの剣舞は見事だったな。

玄人はだしだ。あれがあって周りが納得したからクロトワもそれに乗った。

そうでなければオレを捉えていただろう」


「剣舞は小さい時から好きで習っておった。

こんなところで役ば立つとは思わなんだが」


ようやく泣き終えたノーマの肩を抱き、ダニエルはホッと一息をつき、今頃レイチェルはどうしているかと思いやりながら、青い空と海のもと、一路ひた走る舟の航路を見守った。















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