ネルソンの工作とその事情

夜になるとネルソンは、数人の供を連れて密かに山を降りクツキの町を歩く。


そして一軒の家をノックする。

出てきた老人はネルソンの顔を見ると激しく驚き、まじまじと見て涙を流した。


「お館様!」

「その名で呼ばれた男は死んだ。

俺の名はネルソンだ。少し中に入れてくれないか」


「これは失礼。どうぞお入りください」

屋内に入り見ると、ネルソン達の姿は血と泥に塗れ、異臭が激しい。


「話の前に水を浴び、着替えていただくのが良さそうですな」


「その間に飯を用意してくれ」


ネルソンは久しぶりにさっぱりし、まともな飯で腹を満たした後、老人と話をする。


「ではネルソン様でよろしいか。

もう亡くなられたものと思っておりました。

ワシが傅役としてお育てした甲斐もないと、毎日祈りを捧げて、あの世でお会いするだけを楽しみとしておりましたが現世でまたお会いできるとは。

もう死んでもよろしゅうござる」


そう涙ながらに語る傅役の老人の言葉に、ネルソンは苦笑する。


「まだ死んでもらっては困る。

もう一仕事してもらいたい。

それから俺の出世ぶりを見てもらわんとな」


「何なりと申し付けてくだされ。なんでも致しますぞ」


ネルソンは、まず自分が弟との家督争いに敗北し逃亡したあとの領地の行方を尋ねる。


「前のお館様が去られてから、追撃してきた弟君と、お館様の城を乗っ取られた舅殿との争いになりました。

簒奪者の汚名を着せられ家臣を纏められなかった弟君は戦で大敗し、今ここクツキは舅殿に併合されております。


今思えば、舅ことラッセル子爵は娘を嫁がせ、良き舅のふりをしながら虎視眈々とこの地を狙っていたのでしょうな。

そしてお館様の政治に不満な者を焚き付け弟君を担いで反乱させ、自分は舅としてお館様を応援に来たとして城を乗っ取り、そのまま弟君を反乱者として倒し、この地を併合する。

見事なものです」


「なるほどな。

そして更に言えばこの簒奪はソーテキが裏にいたのだろう。

俺はソーテキの指示より自家の利益を優先したからな」


ネルソンは嘆息をつく。

自分に叛逆した弟は憎いが、全ては舅やソーテキの掌の上だったとは。


あの舅は人の良さそうな顔で、統治に悩んだときは相談に乗ってもらったが、そんな裏の顔があったとは。

いかに当時の自分が甘かったかと歯噛みする。


ネルソンは、自分を裏切り、舅を手引して城に入れた妻のことを聞きたかったが、何処かに再嫁しただろうと思い、聞いても詮無きことと黙っていた。


「ここの状況はわかった。じい、いやウォーカーよ。

ならば次にこちらの話を聞いてくれ」


それからネルソンは、隣国に逃れ、縁あってダニエルという新興領主の家臣となり、一介の浪人から準男爵まで成り上がったものの、今はソーテキの追撃を逃れ、山中で行軍していることを語り、この地から逃れる算段を相談する。


それを聞いたウォーカーは深々と肯く。


「なるほど。

隣国にダニエルという若い領主が騎虎の勢いで伸びていることやその部隊長にネルソンという浪人上がりの武将がいることという話は聞いておりました。その部隊長がお館様とは思いませんでしたが。


さて、この地にもソーテキ様のお触れは廻ってきておりますが、ダニエル軍を討ちに行った者のほとんどが死傷したことが知れ渡っています。

そのため、当初落ち武者狩りの気分で気軽に行っていたのですが、もはや命あっての物種と山狩りに参加する者はおりません。


帰ってきた者の話では、敵兵は死を覚悟し、ダニエルを守り一人でも死傷させるために喰らいついてくるとか。二度と行くものかと震えておりました」


「ならば暫くは山中でも大丈夫か。

しかし早く脱出の手筈を整えねば、いつソーテキが大軍で襲ってくるかわからぬ。

何か策はないか」


ウォーカーは暫く沈思黙考した後、

「少し仲間を募り、工作してみましょう」と言う。

ラッセル家が治めることとなったため、旧来の家臣は冷遇され不満が大きいらしい。


「ところでネルソン様、ダニエルを今売ればソーテキ様は褒美は望み放題と言われています。再びここの領主に返り咲くことも可能。

いかがですか」


ウォーカーは真剣な表情で問いかけてくる。

それはネルソンも胸中何度も考えたことだ。


「いや、それは止めておこう。

浪人の俺を拾ってもらった恩があるし、ダニエルという男、実に面白い。


俺は本心からここの領主を追い出されてダニエルの下に付いたことを感謝している。

ダニエルが俺の主君として相応しいと思える限り、俺は奴の忠実な家臣でいる。

それに、俺より舅を取ったあのソーテキに一泡食わせるのが楽しみよ」


それを聞いたウォーカーはニッコリする。

「それがよろしゅうございます。

信なくば立たず。傅役の頃から口を酸っぱくして言っておりました。

信用されなければいかに才知があれど人はついてきません」


傅役の説教が始まりそうになったため、ネルソンは慌てて山に戻ることを告げる。


「明日の夜にまたおいでなされよ。

仲間と謀っておきまする」

ウォーカーが声をかけ、見送る。


ネルソン達は持てるだけの食糧を持ち、山中にある山の民の隠れ里に戻る。

そこには血塗れで辿り着いたダニエルやノーマ達一行がいた。


「ネルソン、脱出方法を工作してくれていると聞いた。

手数をかけるが、できれば早めに頼む。

負傷者の手当をしてやりたい」


周りには血を出し過ぎたか蒼白な顔の者や、矢を身体に突き立てて倒れている者、うめき声を上げる者、地獄のような光景である。


「何とかここまでは運び込んだのだが、じゃっどん、ここでは最低限の手当しかできんが。

早く医者に見せてやりたか。

せっかくここまで来れたのじゃ、命ば助けてやりたか」

ノーマも言う。


「総勢100足らずですな」

ヒデヨシが報告する。

この戦いが始まる前がおよそ千名立っだので、その9割を戦いと逃走で失ったことになる。


「故郷に帰れず、死んだ奴らの無念はオレが受け取った!

奴ら、赦さんぞ!」

ダニエルは血反吐を吐くように叫ぶ。


そして、首脳陣で今後の話し合いを行うが、この隠れ里の食糧も多くはない。

ここから先の山は険しく、負傷兵を連れ、乏しい食糧で通ることは困難。

何とかネルソンによる工作で帰還することに期待を繋ぐこととなった。


夜間、眠りにつこうとするダニエルにノーマが話しかける。

「ダニエルさぁ、ネルソンは信用できるのけ。

あやつが切れ者なのはわかる。じゃっどん、どうも心の底で何を考えておるのかアタイにはわからんが。

奴が旧主のソーテキにここを手引きすれば、もう終わりじゃ」


「ノーマ、案ずるな。

騎士団で教わったことは、人事を尽くして天命を待つということ。

オレたちはやれることはやった。

ここでネルソンが寝返れば、オレはそれまでの男だったということ。

身代金を払えば貴族は釈放されるのが常、ノーマはヘブラリーに帰れ」


「馬鹿なことを言うんじゃなか!

その時は戦えるだけ戦ってダニエルさぁの隣で死ぬが!」


「ありがとう。

ならばあの世も寂しくないな」


そう言ってダニエルとノーマは隣り合って寝息を立てる。


その様を見ていたヒデヨシがネルソンに言う。

「この戦で唯一良かったのはダニエル様とノーマ様が随分仲良くなられたことかの。

あの様子を見るとワシもネネと早く会いたくなるわ」


「お前の会いたい相手は正妻だけではなかろう」

フッと薄く笑うネルソンだが、先程のウォーカーとのやり取りから妻のことを思い出していた。


(ブレアなぜ裏切った?

政略結婚だったが、俺はお前と愛し合っていると思っていたのに)


翌日夜、ネルソンは再びウォーカーの家を訪ねると、何人かの旧臣が座っていた。いずれもネルソンが取り立てた男たちだ。


「ネルソン様、お久しぶりでございます」

ウォーカーが予め言い含めておいたのか、昔の名前で呼ぶ者はいない。


「久闊を叙すのは後だ。

今は時間がない」


ネルソンが話を急がせる。

「我らで話し合いをしました。

ダニエル一党を数隻の舟に載せて出れば、リオ共和国まで運ぶことは可能。

問題は舟の手配と、港までの警戒網を掻い潜ることです」


「幸い不満分子は多くいることから、彼らを扇動し、港の反対側で暴動を起こさせてそちらに目を向けさせます。

警戒が緩んだところでその間に港に向かい、抵抗する者は排除しましょう」


「港に行っても舟がなければ話にならん。

舟は強奪するのか」


ネルソンの問にウォーカーは答える。


「その点は協力してくださる方がおります。

舟を用意する代わりに、自分も連れて行くのが条件だと言うことです」


「舟が用意できれば自分で出られるのではないか」


「そのお方は領外へ出ることを禁じられているようです」


「わかった。そのようなこと容易いことよ。

それと、お前たちの中で俺に仕えても良いという者は家族を連れて共に来い。

一度しくじった男だが、貴様たちを雇えるほどには成り上がったからな」

ネルソンは自嘲するように言う。


翌日の夜、ウォーカーの案内でダニエル達はクツキの町を歩く。

着いた場所は大きな教会だった。


「ここは、前の領主様の菩提所の教会です。

今の御領主になってからは寂れて、人も寄り付きません。皆様の隠れ家にピッタリかと」


とにかく久しぶりに屋根のある家屋で寝られて、飯も出てくる。

みな大喜びだったが、ノーマはダニエルから離れ始めた。


「どうしたノーマ。

何かまずい事があったか?」


問いかけるダニエルにノーマは赤い顔をしてモジモジする。


そして意を決したように聞いた。

「臭くないけ?」


鼻がバカになっているが、確かに言われると臭いような気がする。

もう何日も同じ服でそれも血と汗に塗れている。


ダニエルは案内をしてくれた老騎士ウォーカーに頼む。


「妻が不快に思っているので水浴びをさせてくれないか?」


「もちろんです」


「お前たち、すぐに身体と服を洗え!

ノーマが臭いと言っているぞ!」


ダニエル麾下の兵は敵は恐れなかったが、ノーマに臭いと思われるのは耐えられなかったようで、すぐに水浴びに走り出した。

むろん、先頭はダニエルである。


「ネルソン様の今の居場所は面白そうですな」

その様子を見て笑いながらウォーカーがネルソンに言うと、ネルソンはフンッとそっぽを向くが、満更でもなさそうであった。


彼らにノーマが話しかける。

「臭いと言うのはアタイのことだったのじゃが。女用の水浴びの場所はないけ?」


ウォーカーはそれを聞くとどこかにノーマを連れて行く。


暫くのちに、ダニエル一党はサッパリして帰ってきて、待ちかねた飯を喰らおうとする。


「まだ戦場だ。酒はダメだ。

そしてここまで来れたことは仲間のおかげだ。途中倒れた仲間に黙祷!」


ダニエルが冒頭に語る。

皆の喧騒が一瞬で静まり、今はいない同僚を思い出す。


その後、静かに、しかし生きているという喜びを噛み締めながら飯を食っている時、ノーマが戻る。


見事に美しい貴族女性の狩りの服装になっている。


「ダニエルさぁ、どう?

ここの修道女のお方に貸してもらったぞ」


「見違えるようだ!

ノーマによく似合っている」

ダニエルと家臣の賛辞を嬉しそうに聞く。


「おい、あの衣装は!」

ネルソンはウォーカーに尋ねようとするが、そこに修道女が入ってきたので話を止める。


ウォーカーが言う。

「今回、舟を都合してくださるお方です。

皆様にお話ししたいとのことなので、来ていただきました」


そして、豪奢な衣装を来た修道女は、ネルソンの前に来てベールを上げる。


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脱出まで書き切るつもりでしたが、思ったより長くなり、次話までかかることになりました。負け戦はついつい熱が入ります。







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