血路を切り拓く

ダニエル隊はヘブラリー隊の負傷者を抱えながら急ごうとするが、その歩みはなかなか進まない。重傷者を交代で背負い、乏しい食料を補うため、辺りの小動物や木の実を取り、沢の水を掬う。


ダニエルは率先して体格の良い重傷者を背負い、猪や兎などをその手で捕える。


「ダニエル様はその身を労り、雑事は任せてください」

最後の馬廻りとして残ったケイジ・マエダやトラ・カトー、イチマツ・フクが何度もそう申し出るのに対してダニエルは言う。 


「オレは騎士団の下っ端の時、何度もこんなことを訓練し、実戦も積んだぞ。

勝ち戦ばかりで慣れていないお前達に教えてやろう」

笑いながらそう言うダニエルには彼らも苦笑するしかない。


ノーマも汗と土にまみれ、負傷者に肩を貸し、弱気になってここで置いて行ってほしいという者を叱咤する。


「オハンら、それでもヘブラリー者か!

痛みに耐え、泥を啜り、這いずり回っても帰還しろ。

そして、オハンらの主君や仲間を殺した奴らに復讐してから死ぬのが、ヘブラリー兵児でなかか!」


更に、ヘビやネズミ、カエルなどを食べられずに吐き出す者がいれば、叱りつけた。


「ここは戦場じゃ。

この恨みを雪ぐまではネズミであろうが虫であろうが食って生きよ!

まだ戦いは終わっておらんぞ!」


そしてダニエルともども自らが真っ先にネズミなどを食べ、持参した残り少ない食糧は重傷者に与えた。

それを見た兵は感涙し、この主君の為なら命も賭けると誓う。


「ここにいる全員が助け合い、皆で帰るぞ!」

ダニエルの言葉に全員が肯く。


夜は木の下などで野営する。

ダニエルは隣で横になるノーマに話しかける。


「こんな負け戦に付き合わせてすまない。

貴族令嬢の妻にヘビやネズミを食わせた夫はオレぐらいだろう。

帰ったら好きなだけ贅沢をさせてやるからな」


それを聞いたノーマは笑ってダニエルに寄り添った。

「禍福をともにするのが夫婦だが。

アタイは、こんな退き軍でこそダニエルさぁと一緒に居られてよかったと思うとる。

夫の大変な時に側に居らずに妻と言えるけ」


「ノーマを妻にできてオレは幸せ者だよ」


「惚れ直したかい」

そう言って笑うノーマをダニエルは見つめた。

美しい金髪も白い肌も土と埃で黒ずんでいるが、大きく澄んだ青い目はまだ健在だ。


連れてくるべきでなかったとも思うが、兵を元気づけ叱咤する彼女のお陰で士気は高い。

武芸狂いの変わり者の令嬢と聞いていたが、この敗走の中で、彼女の持つ不屈の心が光り輝いているようにダニエルには映った。


「ああ、改めて惚れ直したよ」

ダニエルの言葉に周囲の兵も笑い出し、先行きの不安を忘れ、明るい気持ちでこの主君夫婦に運命を託す。


ダニエル達が山中を彷徨う中、先発隊のヒデヨシは道案内を頼むべく山の民と交渉していた。


ジェミナイは賤民を厳しく差別しており、山の民に忠誠心はなかったが、ダニエルに与した時の報復を恐れていた。


「わかった。

一族を挙げてジューン領でもヘブラリー領でも移るが良い。

希望があれば平民の職を斡旋するし家臣にしても良い」


ヒデヨシの条件に山の民の長は肯いた。

以後、山の民が各部隊について道を先導することとなり、食糧や飲み水も彼らから分けてもらうことができ、大いに助かることとなる。


その一方、ソーテキは負傷を手当てしつつ、全領地へ触れを出していた。


『国境線の山脈沿いを敗走するダニエル軍を討つべし。

報奨として、生死を問わず、兵には銀貨2枚、騎士には銀貨10枚を与える。

ダニエルを討ち取った者には多額の金を遣わす他、騎士ならば重臣への取り立て、村人ならば永代免税とする』


これまでにない莫大な報奨に、在村の騎士や村人は奮い立った。


「どうも兵士どもは、ダニエルの先鋒や殿軍の捨て身の攻撃を体験して、すっかり腰が引けおったからな。

欲で釣って、地場の騎士や農民どもに期待するしかあるまい。


領地が繁栄するのはいい。しかし、我が軍も洗練されてきたが、儂の若い頃の獰猛さや死を恐れぬ精神が失ってしまった。

死兵を用いることができるダニエルが羨ましいわ」


ソーテキは、将来の不安を跡継ぎにこぼす。


しかし、今はソーテキの策が的中し、ダニエル軍は到るところで、地元の騎士や落ち武者狩りの農兵の襲撃に合う。


彼らは地理を知っており、あちこちで待ち伏せをしていた。

武芸では遥かに劣るが、退けても退けても出現する。

襲撃を避けるため、山の民の案内で更に山奥に入ると、道は険しく狼の襲撃もある。


先発隊のヒデヨシもネルソンも予想以上にその行進は難渋していたが、負傷者を最後列のダニエル隊に合流させ、体力のある者が遮二無二に前進し突破口を作る。


いつ出現するかわからない敵や狼、一歩踏み外すと谷底に落ちそうな険しい道、乏しく貧しい食糧。

疲弊し、ややもすれば絶望に向かう気持ちを支えたのは、諦めることなく、同じ境遇で前に立って進む指揮官の姿と、敵への怒りであった。


「ヤァー、死んでオラのカネになれ!」

下から駆け上がり襲ってくる農民兵を、ヒデヨシやハチスカ党は苦もなく突き殺す。


暫くの戦いの後、農民兵を一掃するが、負傷した農民が命乞いをする。

「助けてくれ!

村には妻と子が待っているんだ」


「ならばここに来るべきでなかったな」

ヒデヨシは情け容赦なく頸動脈を切る。


「お前も農民に容赦しなくなったな」

戦いの声を聞き、駆けつけたネルソンが言う。


「ネルソン殿が言っていた農民の恐ろしさがわかりました。

落ち武者狩りに合われたときは大変だったでしょう」


「腹を竹槍で刺されたよ。

幸い傷は浅かったが、それ以来俺は農民であれ女子供であれ敵には容赦しない」


ヒデヨシとネルソンの話を遮り、案内人が言う。

「あの山を越えれば、クツキにでます。

そこからは山はありませんので、平地を行かねばなりません」


「そこで先鋒をネルソン殿に渡そう。

して、如何にして敵中を突破して帰りますのか?」


「クツキは昔、俺が治めていた土地よ。

まだ俺に心を寄せている者が居るはず。

そやつらに手引させて、舟でリオに渡る」


「では、その工作ができるまで我らは山中で待機しなければなりませんな」


「それはよろしく頼む。

俺は今晩からクツキに入り、昔なじみを訪ねる。

ダニエル様にもこちらに急ぐ様に連絡を頼む」


ダニエル隊は最後尾で負傷者を助けながら、先発隊の後を追いかける。

彼らが掃除を済ませていくため、敵の襲撃は比較的少なく順調な進行を重ねられた。


しかし、山越えも終盤に差し掛かる頃、ジェミナイ兵の追撃が再開される。


領民への布告にも関わらず、成果が余りに乏しいことに焦ったソーテキが、麾下の精鋭部隊に再度の出撃を命じ、ダニエルの首をなんとしても上げよと厳命したためである。


ソーテキ秘蔵の指揮官は部隊を健脚の者から選び、褒美で山の民の中から寝返る者を釣り上げ、その者の先導で激しく追跡を行う。


もはや虎口は脱したかと気が緩んでいたダニエル隊にとっては思わぬ奇襲となった。


「敵襲!

今度は農兵でなく正規軍の模様!」


最後尾の兵の叫びから戦闘は始まった。

木々が聳え立つ森の中では弓矢は使えない。

激しい白兵戦が行われる。


逃れるダニエル軍は疲れ切った身体に鞭打ち、必死で抵抗するが、ジェミナイ軍もソーテキ麾下の精鋭部隊の名に賭けてダニエルの首を取りに来る。


「敵はダニエル様が目当て。

私が影武者で残りますので密かにノーマ様と退却ください」


「オレは皆で帰ると約束した」

クリスの進言を一蹴し、ダニエルは先頭に立って戦う。


「あれがダニエルだ!あやつを狙え」

ダニエル目掛けて飛びかかる敵兵を、ダニエルは自慢の大槍で軽々とあしらう。


「兵の後方で指揮するよりもこの方がオレに合っているわ!」

嬉しげに次々と敵兵を突き殺すダニエルを見て、敵指揮官は、回りを囲めと指示する。


しかし、ダニエルの隣にはノーマが、後方にはクリスが控え、更に周囲にはケイジやトラ、イチマツが防御線を張る。


ジェミナイ軍は人数では圧倒するが、細道では大人数で囲むこともできず、消耗戦となる中で、日が落ち始めると一旦退却する。


しかし、すぐ後方の窪地に火を焚き、野営する構えであり、追撃を諦めてはいないことは明らかである。


ダニエル達は戦場を去り、行軍するが闇の中であり、進むことも難しくなったため、見張りを立て、そこで休むこととする。


「明日は朝から襲ってくるだろう。

今晩は休み、明日の最後の一仕事に励んでくれ」


ダニエルはノーマと並んで直ぐに寝入った。


それを見たケイジ・マエダは、トラ・カトー、イチマツ・フクに話しかける。


「奴らは明日総力を上げて襲ってくる。

いくらダニエル様でも負傷兵を庇いながら退却するのは無理だろう。

かと言って味方を置いて先に引き下がる方ではない。

ここは我らで夜襲し、敵を一掃すればどうか」


「それは良き考え。

同じ馬廻りで、既にモリやサクマ、サッサに先を越されている。

ここらで俺達も一働きしないと奴らに会わせる顔がないからな」


「狙うは敵将のみ。

今日、指揮を取っていた男だ」


それを聞いた負傷兵がやって来た。

「その夜襲、俺たちも連れて行ってくだせい。

もう足手まといは十分じゃ。

俺たちが居なければダニエル様もノーマ様ももう逃げられたはず。

最後にジェミナイどもを道連れにしてやる」


「よし、最後は皆であの世に行くか!」


ケイジ達は仮眠し、最も眠りが深くなる夜半に起き、志願兵を連れて密かに山道を歩く。

ジェミナイ軍は篝火を焚いているので直ぐに場所はわかる。


深夜の山道は静まり返るが、ちょうど狼がやって来た。

ジェミナイ軍の食べた肉の匂いに呼ばれたようだ。


「狼が来たぞ!」

「早く追い払え!」


その混乱を幸いとして、一気に距離を詰める。

大きな音を出しても気づかれる心配はない。


やがて見えてきた敵陣にケイジ達は斬り込んだ。

「狼じゃない。敵襲だ!」


トラとイチマツに出てくる騎士達の相手をさせて、ケイジはひたすらに敵将を探す。


奥まったところに護衛兵が付いた天幕がある。

(あそこか)


闇の中、木の陰に身を隠して様子を窺うと、天幕から敵将らしき男が出てきて、伝令を叱り飛ばす。


「先程は狼と言っていたものが敵兵に変わったのか!

寝惚けているのか!」


護衛も含めて伝令に注意が行っているこの時、ケイジは走り出す。

これまでで最も速く走れたのではないかと思いながら、刀を取り出し、前を塞ぐ護衛に体当りして、敵将の前に出るとそのまま刀を突く。


自分の生還を考えずに、相手を殺すことだけを目指した行動は、意表を突き、軽装だった敵将の腹に刀が突き刺さる。

ケイジは自分へ斬りつけられる刀を気にもせず、敵将の腹の刀をグリグリとねじ回し、確実に殺すことを心掛ける。


「敵将、討ち取ったり」

その声とともに倒れ伏したが、ジェミナイ兵は恐慌を来たした。

同時に戦の音を聞きつけたダニエルがおっとり刀で駆けつけ、斬り込んでくる。


ジェミナイ兵は指揮をする者がいないまま、少数のダニエル軍に押され、逃走した。


ダニエルは追撃を許さず、戦場を見回る。


斬り込みをかけた兵はほぼ全滅していたが、まだ息がある兵がいないかを見ていく。


「誰がこんなことをしろと言った!

共に帰るぞと言っただろう」

ダニエルの口からは悲しげに叱りつける言葉が力なく発せられる。


やがて敵将らしき遺骸とその横の男を見つける。


「ケイジ!

良くやった!大手柄だぞ!

一緒に帰ろう。褒美は何がいい?」

ダニエルは走り寄り、彼を抱き起こして話しかける。


「ダニエル様、敵将は討ち取りました。

心置きなく帰還ください。

褒美は、ひょっとこ斎ここに眠ると刻んだ石を置き、そこに派手な着物を着せて酒を注いでください。

ダニエル様にお仕えし、こんな晴れ舞台をいただき恐悦至極」


そう言うと、ケイジは、最後の力で首を回しグッとダニエルを睨み、見得を切ると、そのまま息絶えた。


「最後まで傾いて生きよった。

傾奇者らしい最期よ」

ダニエルは彼に手を合わせ、クリスに生存者がいないかを聞く。


「トラとイチマツは全身に切り傷がありますが、息は大丈夫です」


「それは幸い。

奴らは重い。オレとクリスで背負うぞ。

ケイジや他の死者達よ。

今はこれしか出来ないが、いずれきちんと弔ってやるぞ」


全員で黙祷し、その場を去る。

既に空は明るくなっている。


ダニエルはもう何も言うことなく、トラ・カトーを背負いながらヒデヨシが待つ地点までこのまま進み続ける。





















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