ダニエルと二人の妻
会談からの帰途、エイプリル侯爵は考えていた。
(不味い。
これまで儂の暴虐ぶりが許されたのは恐怖とともに、隣接する強国ジャミネイに対抗し、ヘブラリーを圧迫するにはこの男しかいないと思われていたため。
それをダニエルにいいようにあしらわれたことがわかれば、儂の価値はもうない。
家臣どもは、ヘブラリーと同盟してジャミネイと対抗することを目論み、ヨシタツに接近しておろう)
実際、帰途の道中では家臣達はエイプリル侯爵に近づかず、一方世子ヨシタツの周りには人が溢れている。
このことは、家臣達が侯爵を見限り、ヨシタツに与することを明らかにしている。
おそらくは居城に戻り次第、ヨシタツへの譲位を迫られ、断れば拘束され軟禁される恐れもある。
これまで暗殺や陰謀でのし上がり、恐怖政治を引いてきたエイプリル侯爵は、自分に人気が無いことをよく承知している。
(こうなれば先手を打つしかない)
エイプリル侯爵は領都に到着するや否や、そのまま家臣を集め、発表する。
「この度のダニエルとの和平交渉の取りまとめを見て、ヨシタツの成長ぶりに瞠目した。
今後は、内政はすべてヨシタツに任せて、外交軍事もおいおい権限を譲っていきたい」
それを聞いた家臣や領民は歓喜した。
これまでの圧政から逃れられる。
しかし、ヨシタツと側近は浮かぬ顔であった。
一気に仕掛けて、エイプリル侯爵を隠退させ、当主を奪取するつもりであったのが、先手を打たれた。
この家臣達の喜びを見ると、ここで当主を譲れというのも難しい。
「今回はここまでか。
しかし、あの親父のことだ。軍権を持っていれば何をするかわからない。
よくよく気をつけて、おかしな行動をすればダニエル殿に連絡して、場合によれば出兵してもらうことも考えねばならん」
それから数ヶ月、エイプリル領はヨシタツの内政により、前代の苛政は緩和され、領内は落ち着きを取り戻す一方、エイプリル侯爵は何やらあちこちに使者を派遣して、外交攻勢をかけていた。
「親父は何を行っているのだ?」
「行き先はジャミネイと王都のようです。
特にジャミネイとは頻繁に書簡の往復を行われているようですが、すべてお一人で内密に行われ、何を企まれているか知る術がありませぬ」
ヨシタツと家老は相談するが、良い方法が思い浮かばない。
真正面から聞いても、「儂も老いたので時候の挨拶とヨシタツの紹介をしているのよ」などと躱されるのみ。
しかし、ヘブラリー領への侵攻などはピタリと止まっており、侯爵の非を鳴らして隠退させるわけにもいかない。
「暫く様子を見るしかあるまい」
エイプリル侯爵の動向は、ダニエルにも手紙で伝えられるが、領界は平穏なため、ダニエルとしてもバースやリューに警戒を高めるよう伝えるぐらいしかできることはなかった。
また、ダニエルはそれだけに関わっていられる程暇ではなく、ヘブラリー領の統治体制の構築に力を尽くしていた。
執政を占めていた門閥層を一層し、借金問題を片付けたズショを家老に登用、その辣腕を存分に振るわせるとともに下級家臣からの抜擢を行い、実力主義を徹底させる。
「ノーマ、オレが居ないときは内政もお前が統括するんだ。
文官とも意思疎通を図れよ」
ダニエルがそう言うと、ノーマはわかっちょると言って、ズショ以下の文官の執務室に行き、一席ぶった。
「文官の皆とはこれまで接点が少なかったが、ダニエルさぁが不在のときは妻であるアタイが決裁する。
アタイの考えを話しておく。
騎士や武官は戦場で命を懸けるが、オハンらの命を懸ける場所はここじゃ。
不正や怠慢は、裏切りや敵前逃亡と同罪の斬首、仕事をこなせないのは戦の死傷と同じく、ポストを降りるがよか。
想定以上の成果を上げれば手柄首と同じく報奨を与えるが。
ズショ、オハンがここの指揮官じゃ。戦ぶりは任せる。
政の戦いの結果をアタイに報告し、部下の戦功をつけよ。
ダニエルさぁ、戦目付として、頭がよく筋を曲げない男を貸したもんせ。
ここで成果を上げれば、武官どもからモヤシじゃなどと言われても、誰のおかげで働けているのかとアタイが言い返してやるが。
皆、この戦場で必死に励むがよか!」
脳筋姫が何を言うのかと怪訝な顔をしていた文官達は、ノーマの演説を聞いて、彼女が自分達の仕事を認め、それを評価するという言葉に奮い立った。
ズショも、国政を任されたことに感激の面持ちで、
「ノーマ様、頂いたお言葉に恥じぬよう、文官の戦で見事に成果を上げて見せます」と誓う。
ダニエルは、ノーマが文官にどう接するかを心配していたが、その見事な人心収攬ぶりに感心する。
「わかった。目付にジブ・イシダを派遣する。
若手家臣で一、二を争う切れ者で、筋を通す男だ。
お前たちも学ぶところが多かろう」
二人きりになるとダニエルはノーマに聞く。
「文官達の支持を固めたな。よく考えたものだ」
「アタイは騎士と戦のことしか知らん。
じゃっで、騎士の戦場とおんなじように働いてくれと文官にも頼んだだけじゃ」
「なるほど、ノーマの素直な気持ちが通じたのだな」
「あんまり褒めらるっと照るっ。褒美に今晩は可愛がってほしか」
とノーマはダニエルに抱きついた。
ダニエルはヘブラリー統治がある程度固まると、仕事をしながらも余暇を愉しむこととした。
ヘブラリー領主の狩場に行き、ノーマや小姓・側近と、昼はシカ狩り、夜は野営して焚き火で焼き肉とエールを味わう。
「ダニエルさぁ、今日はアタイが優勝ばい」
地の利があるのか、一行の中で最も獲物が多かったのはノーマだった。
焚火に照らされながら、皆に祝福され、笑顔でエールを飲むノーマを見ると、ダニエルはこんな日々が続いてほしいと願う。
「なあクリス。こういう生活をしていると諸侯になって初めて良かった気がするな」
「それはよろしゅうございました。
ところでレイチェル様からまた手紙が来ていたようですが、ジューン領に戻らなくていいのですか」
その言葉にダニエルは良い気分に水を指すなと睨む。
「レイチェルなら任せても大丈夫と思っていたが、だいぶ手紙が頻繁に来るようになってきた。
アランからもそろそろ帰ってあげてくださいと言ってきたしな。
帰らないと不味いかな」
「それはダニエル様がお決めになることですが、戻らない期間が長引くほどレイチェル様の怒りも大きくなるかと思います」
「そうだな。そろそろ潮時か」
ダニエルはジューン領に帰ることとした。
レイチェルからは、何度も段々と激しく、早く帰ってきてくれるように、怒りと哀願とが混じったような手紙が来ていたのだ。
(これはだいぶ怒っているのかもしれない。
よく聞く愛人宅から本宅に帰るときの疚しい気持ちというのはこういうことか)
ダニエルは、山のような土産を用意し、行かせまいと縋りつくノーマやヘブラリー家臣に言い聞かせて、領都マーズを後にする。
「ダニエルさぁ、アタイが正室ぞ。
まだ子もできておらん。はよ帰ってきたもんせ」
ノーマがちぎれるほど手を振り、そう叫ぶ。
ヘブラリー領からジューン領には、バン川を使えば速い。
ダニエルの気持ちと裏腹にたちまちに領都アースに到着する。
領民は、ダニエルの帰還を大喜びで迎えた。
やはりジューン領の創業者であり、武名名高いダニエルが居ないことに不安を覚えていたようだ。
「ダニエル様、もう何処にも行かないでください!」
「ここが本領です。
我ら領民はダニエル様のご帰還をお待ちしていました」
たくさんの領民の声がかかる中、ダニエルは居城に帰還する。
居城では家臣一同が大宴会の支度を整えていた。
みな、主君が帰ってきて嬉しげに立ち働いている。
ダニエルは、自分で一から立ち上げた城だ、やはり落ち着くと思って、椅子に腰掛け、伸びをしたところに、声がする。
「奥様がいらっしゃいました」
ダニエルは一瞬ビクつくが、自分に言い聞かせる。
(オレは長期間出張で仕事をしてきただけ。
後ろめたいところはない。本来労われて然るべきだ)
レイチェルがチャールズを抱いた乳母とやってくる。
ダニエルがチラリと見ると、レイチェルは無表情で能面のような顔である。
(ヒェッ)
ダニエルは、とりあえず久しぶりの我が子を乳母から渡してもらい抱き上げようとするが、チャールズにとっては見知らぬ男であり、大声で泣き叫ぶ。
「我が子が父親の顔を忘れるほど、留守にしているからですわ」
隣でレイチェルが小声で冷たく言い放つ。
返事をする暇もなく、家臣達が酒を持って集まってくる。
これまでの手柄話をしたり、帰還のお祝いをひとしきり聞くと、レイチェルが隣席から袖を引く。
(そろそろ引き上げましょう)
ダニエルは一同に、疲れたので休む、皆楽しんでくれと声をかけると、レイチェルとともに私室に歩く。
私室までは侍女が先導するが、レイチェルは一言も話さない。
(屠場に向かう羊のようだ)とダニエルは思う。
領主夫妻の私室に入ると、レイチェルは侍女に、後は私がするからと下がらせる。
ダニエルが何を言われるかとハラハラしていると、レイチェルは涙をポロポロと落とし、ダニエルに縋ってきた。
「寂しかったし、とても不安でした。
何故もっと早く帰っていらっしゃらないの。
ヘブラリー領だけでなく、ジューン領もまだまだできたばかりで不安定です。
あなたが居なければ、家臣達も動揺します。
おまけに毒殺や暗殺騒ぎまであって、私がどれほど心配したか、あなたにはわからないでしょう」
珍しいレイチェルの涙ながらの訴えに、さすがにダニエルは謝るしかない。
「すまなかった。
レイチェルがしっかりしているからと頼りすぎていたようだ」
「私だって諸侯領の統治経験なんてないんです。
あなたと相談したいのに、ずっと不在で、その間も家臣や領民には平気な顔をしていなければならない。
チャールズも小さくて心配なのに、何から何まで一人で、どんなに大変だったか・・」
ダニエルは、すまなかったと言いながら、泣き続ける妻の背中をさすってやるしか無かった。
暫く泣くと、レイチェルの気持ちも少しは鎮まったのか、落ち着き始める。
「あなたは私がそんな目に合っている時に、ヘブラリー家の次女と結婚して、狩りや宴会で楽しく過ごしていたそうですね。
ヘブラリー領に行く前は義理があるから仕方ない結婚だとか言いながら、人前でもデレデレとくっついていたとか。
どういうつもりですか!」
一転して、厳しくダニエルを問い詰める口調に、ダニエルはやはり言ってきたかと困る反面、いつものレイチェルが戻ってきたと安心する。
こんな時は抵抗しないというのが、これまでのレイチェルとの付き合いで学んだことである。
ひたすらに謝り通し、あとは贈り物をして、レイチェルのことを頼りにしている、愛していると言い続ける。
ひとしきり文句を言うと矛先も鈍るが、最後に釘を刺される。
「もちろん、こちらに1年くらいはいらっしゃるのでしょうね。
王も引き籠もらされ、王政府は落ち着き、戦も暫くは無さそうです。
ジューン領の行く末も相談したいし、チャールズの教育も、また次子も作らねばなりません。
いいですね」
1,2ヶ月したら、ヘブラリー領へ戻るつもりだったのだが、この場ではとても言えそうにない。
ダニエルは「状況を見ながらだが、なるべく長くいます」というほかなかった。
ジューン領の仕事も山積している。
レイチェルは各部下と直接やり取りし、業務の達成状況を把握し、詳細に方向を指示する。
(細かいことは部下に任せて結果だけを報告させ、信賞必罰を明確にするノーマと、部下の一挙一動を報告させ、すべてをコントロールするレイチェルは対照的だな。
古くからの統治システムがあるヘブラリーと新興領主のジューン領の違いもあるが、各人の性格にもよるだろう)
ダニエルはそれぞれの妻のやり方のフォローに回る。
ヘブラリーではノーマの目が行き届かないところをチェックする体制をジブに作らせ、ジューン領ではレイチェルの厳格なやり方に合わない仕事はターナーにやらせるなどの介入を行う。
時間を作り、旧ジャニアリー領の視察に赴くと、旧領都ヴィーナスは行き交う人も少なく閑散としていた。
ジューン領に併合され、領主一族も主だった家臣も居なくなり、守備兵のみが残っている。
「子供の頃からここに来るのは憂鬱だったが、こうも寂れると少し淋しいものがあるな」
ダニエルはクリスに話しかける。
「ジャニアリー家臣も使える者はジューン領に移り、移籍できなかった者は帰農するか領外へ出ました。
ダニエル様をバカにしていた奴らは全員居なくなりましたから、スッキリしましたね」
ダニエルがここに来た目的はジューン領の防衛ラインの構築である。
自分の急激な勢力拡大を、王も法衣貴族も各諸侯も苦々しく思っていることはよくわかっている。
おまけに足元の南部でも、盟友としていたアレンビーが外面はともかく、最近の態度はよそよそしい感じがする。
(もとは同格、同じ頃に騎士団から諸侯となった仲だ。
オレが時流に乗って大諸侯になったのが面白くないのだろうが、奴には働きに応じてそれなりの所領も与えている。
アランを通じてレイチェルの縁戚になるが、特別扱いするわけもいかん。
自分から臣従の態度を示してくれればいいのだが・・)
ダニエルとしては、カケフやオカダのようにプライベートでは友達付き合いするが、公式には臣下として振る舞ってくれるのが望ましいが、アレンビーはあくまで同格の盟友と振る舞うつもりのようだ。
(直ぐに戦の目は無さそうだが、火の粉は残っている。
各方面から何かあれば襲いかかってくることは明らか。時間があるときに防衛線を作っておかねばならん)
ダニエルが諸将と相談した構想では、領都アースは商業都市として開放したままとし、その防衛力を補うため、レオナルドに作らせた要塞ムーンと、ここヴィーナス、そしてオカダの居城マーキュリーの三角形を、連携させた防衛ラインとして機能させることである。
「レオナルド、ここヴィーナスとマーキュリーの守備力を万全としろ。
金は惜しまん」
「承知しました。
難攻不落の名城としてみせましょう」
ダニエルはそのままマーキュリーに向かい、オカダと会う。
「諸侯ぶりが身についたな」
「諸侯など窮屈でたまらん。
一人でぶらつくこともできん。
まして戦で先駆けなど以ての外と、妻に怒られたわ」
その夜は宴会である。
エールをがぶ飲みしながら、ダニエルが二人の妻との間に挟まれた苦衷を話すと、オカダは大笑いする。
「欲張らずに一人にしておけばよかったのにな。
俺なんて一人で十分すぎる。
そうだ、そこの艶福家に複数の女の扱い方を聞いてみろよ」
指差す先にはヒデヨシがいた。
「コツと言っても正妻は心から大事にし、それを示すことです。
側室は正室の管理下に置いて、勝手をさせないことが大事です」
「オレの場合、そう行かないから困っているんだ!」
ヒデヨシの答えにダニエルはブチ切れる。
対等の二人の妻というのは扱いに困る。
オカダが一人静かに酒を飲むネルソンに話を向ける。
「ネルソン、お前ももう重臣。嫁を取ればどうだ。
紹介してやろうか」
「ダニエル様にはお話しましたが、私は以前信頼していた妻に裏切られ、城を舅に乗っ取られました。
もし紹介頂くなら、家の縁故のない遊女などがよろしいですな」
乾ききったネルソンの言葉に流石のオカダも言葉が出ない。
「ダニエル、まあ二人もいい女が惚れてくれているんだ。
男冥利に尽きると言うもんだ」
オカダの妙な褒め言葉で場を締める。
防衛ラインを指示してダニエルがアースに帰ると、手紙が来ていた。
一つはノーマからの帰還願いの手紙だったが、もう一つはエイプリル侯爵からのものだった。
『ソーテキ・アサクラ率いるジェミナイ軍が国境を侵犯している。
西部守護として、ヘブラリー軍の出動を命じる。
このことについては王政府の了解を得ている』
(間違いなくエイプリル侯爵の陰謀だが、王政府の了解と守護権限を使われると出動しなければ謀反人扱いとなる。
どうすべきか)
いずれにせよヘブラリー領に行かねばなるまい。
ダニエルはレイチェルへの言い方を頭で考え始めた。
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