ジーナの一刺し、ダニエル昏倒す

ダニエルとノーマは、ヘブラリー軍とダニエル直属軍を率いて、ヘブラリー領へ帰還する。


農民戦争で得た名声と利益にヘブラリー家の家臣は歓喜し、それまで潜在的反乱分子の分家と見られていたリューも勇猛に戦ったと一躍評価される。


ダニエルとノーマが帰るまでヘブラリー領を統治していた前伯爵は、ダニエルに早く領内での結婚式を挙げるように頼んだ。


ダニエルも事ここまで来れば否応もない。

速やかに家臣や領民に案内が行き、式の日取りも決まる。


その頃、誰からも忘れ去られていたジーナからダニエルとノーマに招待が来た。


驚いたダニエル達が、前伯爵にジーナとその子の処遇を聞くと、結局、王都のマーチ宰相を頼り、他の貴族の後妻や養子を探すという事であった。


「愚かな娘だが、もし縁があって再婚できればヘブラリー家の名に恥じないような援助をしてやってくれ」


「かしこまりました」


ダニエルもノーマも自分達の知らないところで生きてくれれば、それ以上のことをするつもりもなく、家の縁者が蔑まされれば家の恥にもなる事である。


しかし、ダニエルの活躍の報に湧く家中にあって、ジーナはここ最近ずっと引き篭もっており、ダニエル達への招待を不審に思った前伯爵夫妻は、自分達も同席すると申しでた。


ダニエルとノーマもその方がありがたい。


当日、指定された時間に、ダニエルとノーマ、前伯爵夫妻がジーナの住まいである離れの部屋に赴くと、ジーナがその子ジョンとともに待っていた。


全員が揃うと、ジーナが挨拶をする。

「この度は御戦勝おめでとうございます。

私とジョンは王都に赴き、そちらで暮らすことといたします。

戦勝祝いと妹ノーマとの結婚祝い、それに皆さんにこれまでご迷惑をかけたことを謝罪するため、ささやかですが、晩餐に御招待させて頂きました」


ダニエルはこれまでになくしおらしいジーナの姿に嫌な予感がする。


(こいつがしおらしいのは何か企んでいる時に決まっている)


しかし、前伯爵夫妻は、「ようやくわかったのか。もっと早く目が覚めてくれれば」と涙を流して感動していて、自分達だけ退席するとはとても言える雰囲気ではない。


ノーマが顔を寄せてきて、「気味が悪か。サッサと帰るがよか」と囁くので頷く。


ダニエルは、ジーナが身に纏う飾りのような短剣が気になる。

(あれで刺してくるんじゃないだろうな)


皆に食前酒が配られる。

ジーナが立ち上がり、発声する。


「今日のために遠方から取り寄せた珍しい酒です。少し匂いがきついですが、味わってお飲みください。

ヘブラリー家の繁栄とみなさまのご健勝を願い、乾杯!」


そして自ら飲み干す。

前伯爵夫妻も飲み、ダニエルはジーナの動きを目で追いながら続いて飲む。


が、一口飲んだところで、異様な感覚を感じる。

「ノーマ飲むな!」

隣のノーマが口に入れようとするのを払い落とす。


そして自分は急いで喉に手を入れ、吐き出そうとするところをジーナが走り寄り、ダニエルに体当たりする。


「これは一口飲めば死に至る猛毒。

死ねダニエル!」


ノーマが素早くジーナの腹に蹴りを入れ、護衛として後ろにいたクリスはダニエルに駆け寄る。


ダニエルは気の遠くなる中、必死で胃の中から吐き出せるものを吐き出し、そのまま倒れる。


「ダニエルさぁ!」

意識の最後にノーマの泣き叫ぶ声が聞こえた。


前伯爵の指示で事は伏せられたが、それでも話は漏れ、屋敷内は大騒動となった。


ダニエルの家臣は、直ぐにクリスの指示の下、ネルソンとヒデヨシが指揮をとり、ジーナを監禁し、彼女に仕える使用人を捕縛、尋問を開始する。


同時に医者が至急呼ばれ、昏睡するダニエルを診察する。

ノーマはダニエルの側を離れない。


医者の見立ては、一般人なら即死する猛毒だがダニエルほどの強靭な体力の持ち主であれば、今晩を乗り越えればというものだった。


医者が診断を終えると、ダニエルが目覚める。

「この昏睡の中を目覚めるとは考えられない」

驚くべき医者を尻目に、息も絶え絶えにダニエルは言う。


「オレに万一のことがあれば、ノーマ、お前はリューを婿としてヘブラリー家を継げ。

床を共にするのをヘブラリーの式後にしておいて良かった。

まだ生娘だと胸を張って嫁げるな。

バースはヘブラリーに置いておく。

奴にジューン領との橋渡しをしてもらえば良い」


「そんなこつば言わんでくれ」

と泣くノーマに、リューとクリスを呼んでくれるように頼む。


隣室にいたらしくクリスは直ぐにやってきた。その表情は険しく目が血走り、いつもの温厚な顔とは別人のようである。


「クリス、時間がない。よく聞いてレイチェルに伝えろ。

オレが死んだら、直ちに王都の権益から手を引き、南部だけを死守しろ。

カケフも王都から撤退させ、オカダと二人に軍は任せろ。


レイチェルは強かな統治者だが、人に厳しすぎるきらいがある。アランに王政府を辞めて来てもらい補佐してもらえ。

急成長したジューン家はあちこちで狙われている。

大きく譲歩してもマーチに頭を下げ、王政府のバックアップをしてもらうしかない。

それでも困れば騎士団長を頼れ。


あとは、ネルソンとヒデヨシのことだ。

オレが居なくなれば奴らの居場所はなくなる。

奴らは団長に頼み、使い所を探してもらえ」


次にやってきたリューに言葉をかける。

「リュー、数年かけて地盤を作り、お前に当主の座を譲ってやるつもりだったが、今お前を当主とするには反発が強い。

オレが死ねば、ノーマを当主としてリューはその夫になり、二人で家中を纏めろ」


苦しい息づかいでそれだけを言うと、ダニエルは直ぐに気を失った。

気力だけで目を覚ましたようだった。


その後、ノーマはリューに声をかけて部屋を出る。

「リュー、ダニエルさぁに万一が有れば、アタイが当主となるので補佐をしてくれるけ。ただし、アタイはオハンとは結婚はせず、独身を通す。

しかし、後継はオハンの子にする」


「わかった。それでよか」

(ダニエルさぁは本当にオイに譲ってくれる気だったのを、オイは疑心暗鬼となって宰相ば言うことに耳を傾け、恥ずかしい限りじゃ。

政略結婚などに頼らず、当主や当主の父として認められる成果を出すことじゃ)

リューは、ダニエルの本心を知り恥ずかしく思うとともに、大きな成果を出すことを心に誓う。


その言葉を聞くと、ノーマは黙って出ていき、そのままジーナの監禁されている部屋に赴く。


ジーナの部屋の前にはヘブラリー兵が警備している。

ダニエルの配下の兵が押し寄せ、ジーナとその子供の命が危ないと前伯爵が判断したためだが、ヘブラリーの警備兵も険しい顔つきで部屋の中を睨みつけている。


その様子は、主筋とは言え、ジーナについて命が出れば直ぐに捕縛する気満々である。


ノーマは警備兵に断ると、部屋の中に入る。

中ではジーナがその子ジョンに話しかけていた。


「ダニエルはもうすぐ死ぬはず。

そうすればあなたがヘブラリー家とジャニアリー家の当主よ。

それともポールお父様に帰ってきてもらいましょうか」


ノーマはそれを聞くと、ズカズカと近寄り、思いっきり頬を張る。

「寝言も程々にしろ!

ダニエルさぁは死なない!

もし万が一があれば、お前とそのクソガキは生まれてきたことを後悔するほどの拷問にかけてから殺してやる!」


「この野蛮人が!

アンタも一緒に殺してやるつもりだったのに!」


もうジーナの言葉に取り合わず、ノーマはダニエルの元に戻る。

その後、ノーマとクリスは一睡もせずにダニエルの様子を見守る。


深夜、部屋がノックされる。

ネルソンとヒデヨシがやってきた。

呼ばれたのか、まもなく前伯爵とリューも来る。


「背後関係がわかりました。

ジーナの侍女で、酒を準備していた者が居なくなっていました。

直ぐに追手をかけ、隣国エイプリルへの通行路で捕まえました。

捕縛直後に自害しましたが、状況証拠からエイプリル侯爵の密偵だったと見るべきでしょう」


「我が家の使用人は身元確かなはずだが」


「見逃した者がいるようです。

今、屋敷の使用人を尋問しています」


「ジーナが猛毒を入手できたのは、エイプリル家からその侍女が運んだためか」

前伯爵は娘の愚行にガックリして肩を落とす。

本来、家中の探索を他家に委ねるなどあり得ないが、そんなことを言える雰囲気ではない。


ダニエル軍は臨戦態勢であり、マーガレットとともに所領に戻っていたバースが深夜駆けつけ、全軍の指揮を取っている。


もしダニエルがこのまま亡くなれば、小姓組を中心にエイプリル領に侵攻すべしという声が出てくる。それを抑える為には、創業当初からの重臣であるバースでなければできない。


同時に、ここまで悪辣な仕掛けをしてきたエイプリル侯爵がダニエルの死を契機に侵攻してくることもあり得る。

その備えも必要であった。


「わかった。ヘブラリー軍も臨戦態勢を取ろう」

前伯爵はリューに指示する。

ずっと反目してきた仲だが、背に腹は代えられない。


「ダニエル様の回復を祈るばかりですが、エイプリル侯爵め。

必ず意趣返しをしてやる」

普段飄々と陽気なヒデヨシが怒気を露わにしていた。


ネルソンは淡々としているようだが、手が固く握りしめられ、感情の動揺を示すようだ。


首脳会議は、領界の警備を厳重にすること、軍を臨戦態勢とすること、家臣の詮議、そしてダニエルの容態を見ることを決めて解散する。


ノーマは会議の間も上の空で、一心にダニエルの様子を見ていた。


空が白々としてくる頃、ダニエルの息づかいが安定してきて、汗も出てきた。

医師が言う。

「どうやら峠は越したようです。

ダニエル様の体力の強さには驚くばかりです」


ノーマはそれを聞くと、安堵の余り、その場で気を失った。

クリスは侍女を呼び、彼女を運んでもらうとともに、心の中でダニエルに呼びかける。


(ダニエル様、今度は本当に肝を冷やしましたよ。

今あなたが死ねばすべては崩壊します。

いつも言うことですが、ご自分の命を大事にしてください)


ダニエルが命を取り留めたということは、一気にダニエル軍とヘブラリー家に広がった。


ダニエル軍の兵士の中には寝ずに神に祈る者も多くいて、神への感謝を唱える声が聞こえる。


その中で諸将は自分達の役割を粛々と果たしていく。


その後、ダニエルは意識を取り戻し、三日後には食事を取れるまで回復した。

ノーマはずっと隣りにいて甲斐甲斐しく世話を焼く。


ダニエルが、ちょうどノーマに食べさせてもらっているところに、バース、ネルソン、ヒデヨシ、リューが揃ってやってきた。


「これはお熱いことで。

後で出直しましょうか?」

ヒデヨシが陽気にからかう。


「いや、ちょうど食べ終わったところだ。

雁首を揃えてどうした」


「エイプリル侯爵の手の内がわかった。

ノーマ様が後を継ぐことになり、冷遇されると考えたジーナ派の家臣を籠絡した。

陰謀の内容は、ダニエル様を毒殺した後、その連絡を受けたエイプリル軍が侵攻、迎撃のために軍が出て空き巣になったところを、ここ領都マーズで蜂起し占拠するつもりだったと吐いた」


「なんと!」

ネルソンの言葉を聞き、ノーマは叫ぶ。

ヘブラリー家は仲良く一致団結していると信じていた彼女には衝撃だったようだ。


「なるほど。重臣から内通していたか。

それでは、エイプリルの密偵など入り放題だな」

内通は諸侯になってから修羅場を潜ってきたダニエルには目新しくもないが、ヘブラリー家の家臣の統制の緩さには驚く。


「実際、毒で殺しきれなければ、ダニエル様を看護するふりをして侍女がナイフでとどめを刺す計画だった。

付きっきりで看護したノーマ様のお陰で、その隙が無かったと供述していた。


ダニエル様、これはチャンスです。

これまで婿としての立場から掌握できなかったヘブラリー家の一門達を粛清し、門閥家臣を一掃、前伯爵様から権力を取り上げ、若手の起用やダニエル軍からの登用により、当家を完全にダニエル様の支配下に置きましょう」


ネルソンの冷徹な意見具申に、バースも賛成する。

「ヘブラリー家は一門の力が強すぎ、一軍として纏まった指揮が難しい。

これからエイプリル侯爵と争うに当たり、指揮の一本化は不可欠。

敵に内通されては戦になりません」


「わかった。

粛清対象者のリストを作れ。

オレの毒殺のショックから抜けきらないうちに一気呵成に行う」


「その中には、今回の件に手を染めてませんが、ダニエル様への権力集中に邪魔な者も含んでよろしいな」


ネルソンの確認にダニエルは頷くが、ノーマが納得できない顔をしているのを見て、付け加える。


「ただし、扱いは差をつけろ。

内通者は男は全員死罪、女子供は追放、その他は家を取り潰しだ。

それと、エイプリル侯爵にもお返しをしてやらねばならん。

送り込んだ農民団はもう壊滅したのか」


諜報担当のヒデヨシが答える。

「エイプリル侯爵の激しい攻撃にほぼ全滅です」


「ならば、ハチスカ党を野盗に偽装させてエイプリル領を襲撃させろ。

特に侯爵直属地の代官や、今年の飢饉で輸入する食糧を狙え。

南部からの表向きの通商はすべて止めて、密輸で高く売ってやる。

この陰謀の値は高いぞ」


ダニエルの指令のもと、各将は持ち場へ走る。


ネルソンがヒデヨシに言う。

「ダニエル殿も謀略に慣れてきたな。

単なる戦上手から成長し、我らの働く場所も増えそうだ」


「殿と言うな!ダニエル様じゃ!

主君を試すようなことを言うでない。

しかし、亡くなられたら我らの行先はどうなるかと思ったわ。

我らは本領も身分もない根無し草。ダニエル様あっての今の地位じゃ」


ダニエルはリューを残し、話す。

「生き残ってスマン。

お前の当主が遅れてしまったな」


「そんなことを言うのは止めてほしか。

ダニエルさぁが死んでまで当主になりたかとは思ってなかよ」

ダニエルの冗談にリューは泣きそうな顔で答える。


リューはそれからマーチ宰相から政略結婚の誘いがあったこと、しかしそれは断り、自らの手柄で当主の器と示したいと述べる。


「その意気やよし。ノーマも納得するような功を立てられるといいな。

しかし焦るな。焦ると大怪我をするぞ」


(マーチのジジイ、オレの懐に手を突っ込むとはいい度胸だ。この騒ぎが終わったらビビらせてやる)


それから10日後、ダニエルとノーマの結婚式が挙行される。

家臣一同並んだところで、ダニエルが言う。


「先日の毒殺事件の背景が判明した。

外部の敵対勢力と裏切り者が手を結んだのが背景だ。

裏切り者はこの中にいる」


どよめきが起きる間も与えず、ネルソン配下が入ってきて、一門の重臣などを捕縛する。


「無実だ。何かの間違いだ」

「我が家はヘブラリー一門。小僧、無礼だぞ」


悲鳴や無実を訴える声が溢れる中、前伯爵は瞑目している。

この粛清を認める代わりにジーナとその子の一命を助けるという取引をしたのだ。

その唇は微かに、すまんと動く。


逮捕は短時間に行われ、結婚式はつつがなく、緊張感を孕みながら盛大に執り行われた。


その夜、初夜を迎えるに当たり、ダニエルはノーマに謝罪する。


「せっかく楽しみにしていた結婚式をこんな形で汚してしまいすまない。

オレが清廉潔白な英雄でないこともわかって、幻滅したか」


「確かに最初は騎士物語の英雄を夢見たと。

じゃっどん、アタイも当主の妻となるに当たり色々と経験し、綺麗事では諸侯はやっていけんとわかったが。


ダニエルさぁが決して喜んでやっているわけでないこともようわかると。

アタイにダニエルさぁの荷物を少しでも寄越してほしかよ。それが夫婦でなかと。

アタイはこれからダニエルさぁと一緒に生きて、一緒に死ぬと」


ノーマの言葉を聞いたダニエルは思わず涙が出る。

一度は妻としようした女から毒殺されるほど憎まれるのも、無実の者を粛清するのも辛かった。


「ダニエルさぁ、アタイの前では泣けばよか。

アタイはずっとおはんの味方ばい」


ダニエルはその時に本当にノーマと添い遂げようという気持ちとなった。

ノーマを抱きしめて、言う。

「わかった。これから生涯頼む」


「承知じゃ。

だから、先日のように他の男へ嫁げなど言うてくれるな」


ダニエルはノーマに口づけしてから、蝋燭の火を消し、彼女を抱き上げてベットへ運ぶ。


なお、クリスからの急使の書簡で、ダニエル危うしという知らせとその遺言を聞いたレイチェルは、天地が崩れるほどの衝撃を受け、直ぐに自らダニエルの元に赴こうとしたところに、命を取り留めた知らせを受ける。


その後、レイチェルからダニエルに来た手紙には、冷静ないつもの手紙になく感情的で、もうヘブラリー領などリューに任せて、早々に南部に戻って欲しい、本領はジューン領のはずと切々と書かれていて、それを宥めるのにダニエルは大汗をかくことになる。
























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