ダニエルの失恋

諸侯諸卿が召集され、久しぶりの貴族会議が開催される。

そこでは王の恣意的な専制が徹底的に批判され、本来なら退位のところを特別な猶予として在位が認められる。

当然、王の権限は大幅に縮小、儀礼的な役割のみとされ、王の行った施策、人事は全て撤回、旧来の身分や慣習が復活した。


同時に王の身代わりとして、塩税などの失政を問われ、トム・プレザンス以下の王の寵臣は処罰され、死罪、追放、官位剥奪とされた。


一方、一部では身分に囚われない若手官僚の抜擢が見られた。その代表がアラン・ジュライの財務部の筆頭局長への就任である。次は財務大臣を狙えるという重要ポストに、名門門閥貴族でなく20代で就くのは、ひとえに今回の農民戦争で最大の功績を上げたダニエル・ジューンの愛妾の弟であるためと噂されている。


この他にも、アランの叔父のモリスなどの一門、オーエ、タヌマなどの切れ者と言われる若手官僚が抜擢され、これもダニエルの引きと言われた。


また、地方では多くの領主が農民団に襲撃されて敗死、それを併合した諸侯の所領が拡大した。

その中でも、ダニエルがジャニアリー家の跡を継ぎ、かつ旧のメイ侯爵領の多くを併合したことは一際目立つ。

更に、メイ子爵家を配下のオカダが継ぎ、盟友のアレンビー子爵も所領を拡大することにより、ダニエルは南部の王と言われ、諸侯諸卿の妬みを買う。


貴族会議終了後、騎士団長は、マーチ宰相と蟄居から復権したグレイ参議と面会し、王の在位を認めてもらったことの御礼を言いに行くが、待合室まで復権に喜ぶ門閥貴族の高官達の笑い声が響く。


ようやく通された部屋で、団長の礼を聞いたマーチ宰相が口を開く。


「ヘンリーがそこまで頼むのならばやむを得ない。これは大きな貸しだ。

しかし、陛下にはよく反省してもらわねばならん。


また、ダニエルの見張りも頼むぞ。最近、増長して手に負えん。何が南部の王だ!誰のお陰で諸侯になれた!

陛下、ダニエルとお前の教育が悪かったのではないか」


「申し訳ありません。責任を取り、引退しようかと思います」


騎士団長の言葉に宰相たちは慌てる。

名利に恬淡とした団長は本当に辞めかねないが、国の柱である騎士団をまとめられる後任は見当たらない。


「無責任なことを言うな!」

と必死で慰留しているうちに主客が逆転する。

騎士団長も長年の経験で貴族との付き合い方はうまい。

(ダニエルもまだまだだな。上手な貴族の転がし方をもっと学ばねば)


団長は、そのあと王のところを伺い、王と王妃に面会する。


「ヘンリー。あちこちと奔走してもらい、お陰で王陛下も退位ということに至らずに済みました。ありがとう」

礼を言う王妃の隣で、王は憮然とした顔をする。

先ほどまで貴族会議で、厳しい自分への批判を聞かされ、不機嫌であった。


「王陛下、最低でも10年雌伏し、学んでください。今度のことでどれほどの家臣や国民が犠牲となったか。

猛省し、国のために尽くす姿を認められれば、再度国政に復帰出来るかもしれません。

私もそのために出来るだけ力となりましょう」


真摯な団長の言葉に、側近が罪に問われ、近づく家臣も無くなった王と王妃は涙する。


「それにしても10年は長い。

それにマーチ達の復古策では世は持つまい。

余の先見の明が理解されれば、いずれ余を求める声も出てこよう」

廃位の危機を脱した王は次第に元気になる。


「それにしてもダニエルが南部王と言われるとは。余の凋落と対照的よ。

急激な成り上がりを面白く思わない者は多い。いずれ痛い目に遭うだろう」


王の言葉に団長は強く諌める。

「陛下の廃位を止めるのにダニエルは尽力してくれました。そのようなことを言うものではありませぬ」


退出した団長は、門閥貴族の跳梁ぶりとダニエルへの妬心の大きさ、早くも復権を目指す王の態度と、今後の国政に不安を募らせるが、深呼吸して自らに言い聞かせる。


(焦るな!我は、外敵や内乱に対処する騎士団を預かる身。

私心で動いてはならぬ。政治には介入せず、見守るのみ)


その頃、ダニエルは貴族会議での沙汰を聞き、ようやく一段落したと一安心する。会議の直前まで人事を巡り、激しい折衝が行われ、慣れない交渉に疲弊していたが、屋敷に戻ると、ノーマの武術鍛錬の付き合いや貴族の陳情者が溢れている。


今しか時間はないと、クリスに持たせて来た一介の騎士の格好に着換えて、イングリッドに会うために出て行く。


若者が待ち合わせに使う広場の噴水前で、イングリッドは白い衣装に漆黒の長い髪をたなびかせ、ダニエルがプレゼントしたネックレスを着けて待っていた。精一杯のお洒落で、想い人を待っているというのがよくわかる姿だ。


街行く人が、こんな美人を待たせるのはどんな奴だと思う中、美しい顔がダニエルを見つけて綻んだ。


「ダニエルさん、忙しいのにありがとうございます」

嬉しさが滲み出ているその笑顔を見るとダニエルの心が痛む。


「イングリッド、歩いて話そうか」

平和が戻った王都は、屋台や大道芸人が出てきて賑やかさを取り戻している。

その中をダニエルとイングリッドは仲の良い恋人のように並んで歩く。


「ダニエルさん、実は私に求婚してくれる騎士の方がいるんです。

以前から知っている兄の友人で、とてもいい人です。

でも、私、ダニエルさんに何度も助けてもらって、神様が引き合わせてくれたのかと思って・・」


イングリッドはその後なんと言っていいのかわからないのか顔を赤らめて黙ってしまった。


ダニエルは天を仰ぐ。

(ここで、そんな奴の求婚を受けるな、オレが幸せにしてやると言えればどんなにいいか)


イングリッドを諦めきれないダニエルは昨晩もクリスと激論を戦わせた。

やはりイングリッドを側に置きたいというダニエルの願いにクリスは言い放つ。

「ノーマ様の話を聞いたレイチェル様の怒り様、結婚を楽しみにしておられるノーマ様の気持ち。

お二人にどう説明するのです。


そして、それだけ無理をして側に居てもらっても、共同統治者で子もいるレイチェル様と、実家が伯爵のノーマ様に、イングリッドさんは対抗しなければならないのですよ。

ダニエル様の愛だけで幸せにしてあげられますか?」


「しかし、何もないただのダニエルを見て愛してくれたのはイングリッドだけだ。

初めて見つけた好きな人と別れろというのか!」


ダニエルは悲痛な声を上げる。


「ダニエル様はもう諸侯であり、その肩には御家族、家臣、領民、盟友など沢山の人の運命が乗っています。一介の騎士を止め、諸侯を選択したときから築き上げたもの、それを全て捨てる決心をされるならば私一人お供します。

それができますか?

そしてイングリッドさんの幸せも考えてあげてください」


クリスの淡々とした声がダニエルの気持ちを冷ます。


「わかった。駄々をこねて悪かった。

明日はイングリッドに別れを告げる。


なぁクリス、オレは南部の王と言われているらしいが、好きな女ひとりに側にも居てもらえず、国一番の大諸侯って何だろうな」


力なくそう語るダニエルに、クリスは無言で頭を下げて退出する。

(申し訳ありませんダニエル様。

しかし、ダニエル様のためにも、家族や家中のためにもこればかりはなんともなりませぬ)


昨夜の追想からダニエルは気を取り直し、イングリッドの方を向く。

「そこにベンチがある。座ろうか」


ダニエルは深呼吸して言う。

「イングリッド、オレは君が好きだ。

生まれて初めてこんなに人を好きになった」


それを聞いたイングリッドは喜びで顔を輝かせる。

「でも、君とは結婚できない。

家の都合で婚約者がいるんだ。

すまない。もっと早く君と会いたかった」


イングリッドは大きな瞳に涙をいっぱい溜める。

それを見るダニエルも泣きたくなった。


しばらく沈黙が続いた後、涙を拭いてイングリッドは笑って言う。

「ならばダニエルさんは、私に綺麗なプレゼントなど贈るべきではなかったですわ。

その罰として今日は私に付き合ってください」


そして、イングリッドが手を引きダニエルを連れて、街のメインストリートを歩く。

「まずは観劇からね。今流行りのコメディよ」

劇を見ると、人気のカフェでお茶を飲み、大道芸人の芸にお捻りをやりながら、公園で流しの音楽に耳を傾ける。


「私ね、好きな人とこんなデートがしたかったの。

ダニエルさんと遊べて楽しいわ」


「オレもこんなに楽しい時間は過ごしたことがないよ」


日も暮れる頃、二人はエールエルフに到着する。

「お二人さん、愉しそうだね」

女将が声をかける。


「女将さん、振られちゃった。

ダニエルさんたら、妹としてしか見られないと言うの。

こんな美人を酷いわよね」


そう言って笑うイングリッドの微かに残る涙の跡を見て女将は察したのか、笑顔で、

「アンタの価値をわからない男なんて願い下げだ。

今日はその償いにソイツに奢ってもらいな」

と個室にダニエルとイングリッドを追いやる。


個室にエールと料理を運びダニエルにお酌しながら、イングリッドは、今日のデートが楽しかったと明るく話すが、やがて言葉が出なくなり、涙が溢れる。


「やっぱり離れたくない。

ダニエルさんと一緒にいたい」

と絞り出すように言うイングリッドにダニエルは黙ってエールを飲み干す。


(いっそイングリッドを連れて外国に行こうか)

酔ったせいかそんなことを考え始めるダニエルの耳に聞き慣れた声が聞こえる。


「ダニエルが来てるだろう。

友と婚約者が探しに来てると伝えてくれ」

クリスの声に続いて、ノーマの声がする。


「ここがダニエルさぁの気に入りの店か?

美味そうじゃのう。

女将、アタイにもエールをくれ」


ガタッと女将が戸を開けて、ダニエルに言う。

「お迎えだよ。愁嘆場はここまでだ」


イングリッドに近づき、キスをして、ダニエルは金貨や宝石の袋を渡そうとするが、イングリッドは受け取らない。


「そんなものはいらないわ。

でも、私を忘れないで」


出てきたダニエルが見ると、ノーマとクリスがエールを飲みながら待っていた。

「ダニエルさぁ、こんなに美味しそうなところに嫁ば連れてこずに酷いじゃなか。

隣の美しかおなごは誰ばい?」


「ダニエルさんに仲良くしてもらっています妹分のイングリッドと言います」


「ダニエルさぁのホントの妹ば愛想なかがよ。

じゃっどん、こちらの綺麗な妹ば見つけたがよ。

ダニエルさぁの妹ならアタイの妹じゃ。

イングリッド、こっちに来て飲もう」


それから、ノーマはその場の客にも今日は奢りじゃと、エールを飲み、ツマミを食べ、一同で大騒ぎをする。

ノーマは小柄な身体にも関わらず、どこに入るのか並の男以上の大食漢であり、酒豪であった。


散々飲み食いして支払いも済ませ引き上げる際に、ダニエルは「小用だ」と一人引返す。


店の傍らに佇むイングリッドに近づくと、彼女はほろ苦く微笑って言う。

「美人で明るい婚約者さんですね。

ダニエルさんのことが大好きみたい。大事にしてあげて。

私も求婚してくれた方に嫁ぎます」


「イングリッド、幸せにな。

いつでも困ったことがあれば力になる。

一生の誓いだ」


二人で抱き合い、もう一度キスをする。

と、ダニエルは身体を離し、振り向かずに走り去った。


「ダニエルさぁ、いい店でいい娘じゃったの。

でももうダニエルさぁはアタイのものじゃ。

他を見てくれるな。

明日は今日できなかった格闘術の相手をしてくれるとうれしか」


ノーマの言葉にダニエルは頷き、

「わかった。

クリスも、すまなかった心配をかけて。もう大丈夫だ。

何と言ってもオレは南部王だぞ」

と嘯くが、その声が少し震えていることにクリスは気づいた。

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