レイチェルの立場と気持ち

予定になかったですが、レイチェルへのコメントが多かったので、彼女の挿話を加えてみました。

レイチェルの独白ばかりになりましたが、彼女もなかなか大変なのです。

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ダニエルの出撃をチャールズを抱いて見送ると、レイチェルは政務に取り掛かる前に、物思いに耽る。


昨晩は、夫にヘブラリー家の令嬢との婚姻の話を責め、その後は子づくりという雰囲気にならずにお互いに離れて寝てしまった。


(もっと上手く話すべきだったのだけど)

戦続きで、しかも更に乗り気でない農民との戦いに駆り出させるのに、本来は労って送り出すつもりだったのが、アランからの手紙を見てカッとしてしまった。

レイチェルの心の中は後悔の念があった。


しかし、自分のことならまだしもチャールズの為には正妻の座を獲得したかった。

嫡男と庶子の立場では後を継ぐときに大きく異なってくる。


これまでは、形式的にジーナが正妻とは言え、彼女がダニエルを嫌悪し、その子供も彼の子供でないことは知る人ぞ知ることであった。


そのため、自分のみがダニエルの妻だと胸を張って言えたが、ヘブラリー家の令嬢が本当にダニエルと結婚し子供を産めば、レイチェルは側女や愛人となり、チャールズの立場も庶子としてどうなるかわからない。


最悪なのは、ダニエルと、ヘブラリー家の妻との間に産まれた子供が嫡男として全ての所領を相続し、リチャードは以前のダニエルのように騎士団や寺などに身一つで放り出されることだ。


(これほど手塩にかけて発展させてきたジューン領やアースを自分の子供以外に渡すなんて考えられない!

とうせ箱入り娘の苦労知らずが、姉の失敗に乗じて、成功してからのダニエル様しか見ずに取り入り、次女から諸侯の妻となって贅沢三昧とでも思っているのでしょう!)


レイチェルは膨大な政務の書類を眺めながら、そう思うと、握りしめすぎた指が掌に食い込み血が零れ落ちる。


領都であるアースは、王都から来たときには掘立小屋のようなものしかなく、ダニエルや家臣が自分達で建設を手伝っていたが、リオと王都の交通路の要所を占め、今や王国南部では一番の都市に発展した。


(あのダニエルがここに都市を造らせたのは先見の明があったわね。

でも、その後は領地を放ってあちこちに転戦ばかり。

ジューン領やアースを産んだのはあの人だけど、育てたのは私だわ)


まずは人集めと行政機構の整備に始まり、流れ込んでくる移民の受け入れ、殖産興業、貿易の振興、街づくり、交通路整備などなど、重要な問題は夫に相談しつつも自分が指揮して、ジューン領の繁栄を作ってきたという自負がレイチェルにはある。


領地の統治は彼女にとって念願の仕事でやり甲斐もあり、楽しく働いていたので、そのことは少しも苦ではない。


むしろ、早朝から深夜まで、レイチェルはハードワーカーかつマイクロマネジメントであり、王都から勧誘した手足となる下級貴族出身の有能な女性官僚を頤使し、部下を厳しく統率したため、彼女が夜を息子と過ごすことにして一番喜んだのは文官達であった。


それよりも彼女を悩ませるのは、ジューン領の繁栄とダニエルの武名が上がることにより、有力貴族から婚姻の申し出がダニエルに相次いで来ていることである。


彼らは、ダニエルが形式上の妻のジーナと絶縁状態に在ることを知り、ダニエルとの縁を持つべく自分の娘などを勧めてくるのだ。


ダニエルは、レイチェルを実質的な妻としていると言ってすべて断っている。


しかし、レイチェルの実家ジュライ家は所詮は中級官僚であり、諸侯や高位貴族からは、レイチェルは置いておいて良いので、正妻は釣り合いの取れた家から貰うのが当然として迫ってくる。


幸い、マーチ宰相やヘブラリー家が、正妻ジーナがいるのに失礼なと、そういう輩には強く抗議し追い払っていたので良かったが、風除けとなっていたジーナをヘブラリー家が排斥し、他の娘をダニエルに嫁がせるとはレイチェルにとっては意外であった。


(正妻の娘であり、マーチ宰相の孫は馬鹿女ジーナだけのはず。

流石にあの馬鹿ぶりに前伯爵夫妻もマーチ宰相も愛想が尽きたか。


しかし、その次女は私よりも美しいのかしら。

諸侯の財力で買った高価な衣服や装飾具であの人を誘惑しているに違いない)


レイチェルは油断していたことを悔やみ、見知らぬライバルへの不安と嫉妬で胸はいっぱいだった。

ダニエルも遠慮しているのかヘブラリー家の話はあまりせず、その実情を探っていなかった。


自分の実家は財務部で立派な仕事をしてきたと誇りを持っているが、大諸侯の妻の家柄として適格かと問われると釣り合いが取れないと言わざるを得ない。


家柄でなく、能力と実績で妻の座を競えと言いたいが、この身分社会でそんなことを言っても相手にされないのはわかっている。


法的な保護もなく、後ろ盾となって庇ってくれる実家も持たないレイチェルの立場を支えるのは、夫のダニエルの愛情と家臣や領民の支持である。


(あのダニエルも今一つわからないのよね)

彼女は押しかけ妻のように来て、領地の内政をして、子供を産んでいる。

嫌われてはいないとは思うが、どこまで愛されているのかは確信は持てないところがある。


レイチェルの施策にもおおむね任せてくれているが、ときどき、ターナーを登用したり、ヘブラリー領に肩入れしたり彼女と違う視点を持っている。


(そこがあの人の良いところでもあるけど)

レイチェルはきめ細やかな政策は自分が適任と思っているが、ダニエルの嗅覚には一目置いており、彼が本気で進めることには最後までは反対しない。


オレには政治はわからないというのが彼の口癖だが、これまで実家で冷遇され、騎士団の下積みで命を懸けてきたダニエルは家臣や民衆の気持ちを汲み取りながら、直感で大胆な決断を何気なく下す時がある。


理詰めで論理的に考えるレイチェルにはできないところだ。


レイチェル自身は夫のことを愛していると思っている。

それは、最初に助けられたことからくる吊り橋効果もあり、またダニエルの諸侯になり得る立場もあったが、レイチェルが言いたいことを言っても受け入れ、細かいことには拘らないが大胆に要所を掴むという性格も気に入っている。


もっとダニエルの愛情を掴まねばと思うが、自分には女らしい可愛げがないことも知っており、アランからは、若夫婦というより仕事のパートナー若しくはレイチェルが上司のようなので気をつけてと言われている。


(はあぁー、自分でもわかるけど愛情表現が下手なのよね。

愛情は理詰めじゃないからどうやれば喜んでくれるのかがわからない。

税の取り方なら得意なんだけど)


あとの頼りは家臣や領民の支持である。

ジューン領の統治は上手くいっており、公正・清廉なレイチェルの政治への領民の支持は特に女性には強い。


家臣も文官はレイチェルがすべて掌握しているので、彼女の支持層と見て良い。

彼らを中心として、万一ダニエルが心変わりしたときには、レイチェルやチャールズの支持の為に声を上げることを期待する。


(問題はターナー一派と武官よね。そこには私の影響力は皆無と言っていい。

彼らの一部でも切り崩せれば私の立場も更に強化されるのだけど)


ターナー派は、レイチェルがあまり注意しなかった肉体労働や裏の仕事を中心に急速に勢力を伸ばし、ダニエル直属と号している。


武官はダニエルに絶対の忠誠を誓い、ダニエルが黒といえば白でも黒というだろう。

やむなくレイチェルは、腹が読めないと思いながらも、アランの縁からアレンビーとの繋がりを保つ。


更に、メイ家の令嬢を側に置いて教育し、彼女を通じてオカダを押さえようと試みるともに、最近結婚したヒデヨシの妻のネネもこちら側につけるべく誘いをかけている。

あとは、自分の側近の女性官僚と小姓たちとを近づけているところだ。


ダニエルには泣き落としも入れて散々にヘブラリー家とは縁を結ばないように伝えたが、義理堅いダニエルのことだ、再三兵を使うなど、借りのあるヘブラリー家に頼まれれば断りきれまい。


レイチェルは溜息をつき、ダニエルがヘブラリー家から正妻を迎える事態を想定して準備をすることとする。


一つは、ジューン領だけでなく、今回拡大したジャニアリー領や旧メイ侯爵領を自分の統治下に置き、影響力を強めること。

そのために、早々にヴィーナスに来て義父母の機嫌も取っていたのだ。

これに成功すれば南部の多くはレイチェルの統治下であり、ダニエルにもものが言える。


二つは、家臣や領民にレイチェルの恩恵をよく理解させ、支持者を増やすこと。


三つ目は、ヘブラリー家の令嬢に対抗して、ダニエルの愛情を繋ぎ留めることだ。


(できれば南部を、最悪でもジューン領は絶対にチャールズに継がせてみせる!)

レイチェルは愛しい我が子を見ながら固く決意する。






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