農民戦争の勃発

ダニエルが受け取った書簡には、

『南部地域での農民一揆を、南部守護として鎮圧するべし。

なお、この命はメイ子爵にも発出している。早く鎮圧した者に厚く報償を与えよう』

と王の署名があった。


使者に聞くと、同時にメイ子爵にも使いが出されたようだ。


「あなた、どうするの?」

不安そうに聞くレイチェルに、ダニエルは答える。


「メイ子爵は旧領返還や爵位の復権を餌にされているのだろう。

ここはチャンスを譲ってやろう」


「でも、先に鎮圧した者に褒美を取らせると言っているわ」


「レイチェル、農民一揆を鎮圧するのはそう簡単ではないし、やっても気持ちがいいものでもない。

メイ子爵がやってくれるならそれで良し。ダメなら奴の失敗を戦訓とする。

政治はともかく、戦のことはオレに任せておけ」


ダニエルの自信に満ちた言葉にレイチェルも安心したようだった。


ダニエルはリューに使いを出し、ヘブラリー領の様子と西部地域の動きを聞く。


『ヘブラリー領は、ダニエル様のお陰で税も上がらず、逆に物産の輸出や傭兵の稼ぎで好景気のため、領民に動揺はない。

しかし、エイプリル領はこれまでのドーサンの苛政が祟り、大規模な農民が蜂起し、侯爵軍と争っている』


なるほどとダニエルは頷き、これまでエイプリル軍に備えていたオカダ以下の子飼いの軍をジューン領に移動させるように依頼する。


バースはヘブラリーとの連絡役として残すが、王都からカケフなどの王都残留部隊も引き上げさせる。


ダニエルが軍をまとめ、不測の事態に備える中、思わぬ人物から文が来る。


エイプリル侯爵の世子ヨシタツが、密かにダニエルとの連絡を求めてきた。


彼曰く、これまでドーサンの暴政に耐えてきたが、今度の農民戦争で父の路線では家臣も民もついてこないことがハッキリした、ダニエルと手を組み、父から家督を奪い取りたいとのことであった。


隣国の紛争は蜜の味とは、レイチェルの言葉だが、ダニエルは直ちに応諾の返事を出し、ドーサン失墜の為の機会を待つ。


徐々にアランや検非違使長リバーからの情報により、全国の状況が判明してきた。


特に大規模な蜂起は、北部と東部。

北部はセプテンバー辺境伯が先だっての戦争で大きな打撃を受け、弱体化したところに、軍の再建のため領民に大きな負担を課したことが要因だ。


東部は、隣国キャンサーとの紛争で諸侯の兵力がそちらに向けられ、内政が疎かになっていたようだ。


キャンサーは、亡命してきたアルバート親王を新王として、悪政を行う現在のアーサー王を倒すと呼号。

農民戦争で混乱するエーリス国に侵攻してきており、騎士団と東部諸侯はその対処に追われていた。


西部は聞いていた通り、エイプリル領で大きな紛争となっている。

ドーサンは通常でも他領より高い税率の上、塩税を嵩上げして中間搾取を行い、隣領のヘブラリーの塩の安さを聞いた領民が蜂起したと聞く。


(レイチェルに塩を融通してもらい、助かった)

ダニエルは胸を撫で下ろす。


肝心の南部地域はと言えば、旧メイ侯爵領の王直轄地では蜂起が全域に広がり、徴税請負人やその配下の傭兵は殺害、その資産はガニメデ宗僧侶が奪い、民衆に分け与え、民の持ちたる国の建設を謳っている。


メイ子爵や、ダニエル嫌いを公言するブリストル伯爵は、旧メイ侯爵の寄り子や保守派の諸侯に呼びかけ、約2000人の兵を集めたと、盟友のアレンビー子爵が慌てて駆けつけてきた。


「アレク、慌てるな。

メイ子爵たちにそんな動員能力はない。早期の鎮圧と褒賞を狙って、かなり傭兵を雇ったな。

南部農民団はその10倍の2万人はいるそうだ。

2000人の兵でどう戦うか見てやろうじゃないか」


ダニエルはその後に、声を潜めて言う。

「南部諸侯には、こちらの派か向こう側か両睨みの奴がいる。

これで踏み絵を踏ませる。

もしも、メイ子爵達が勝てば、その後に何か名目をつけて一戦して潰す。

幸いこちらは守護、名目は立てやすい」


アレンビー子爵はニヤリと人が悪そうに笑うと、

「お主も悪よのう」と言う。


ダニエルは隣のレイチェルを見ながら

「先生が先生だからな」と笑うと、レイチェルに尻を思い切り抓られる。


傭兵に払う金が尽きる前に、また農民団が更に増大する前にと、メイ子爵達は兵を動かし始めた。


ダニエルはその状況を聞き、カケフ・オカダヒデヨシ、ネルソンやアレンビーら軍首脳部を連れて観戦に行く。


小山に登ると、南部の平野で両軍が対峙しているのがよく見える。

身なりの貧しい農民が膨大な数、集まっていて、メイ子爵軍を圧倒している。


「10倍か。相手が農民とは言えこれだけの兵力差があるとどう戦うのか難しいな」

カケフが言うと、オカダは答える。


「農民など数だけだろう。

重騎兵が蹂躙すればいくら人数がいても逃げ惑うのみだ」


「いよいよ始まるぞ」

ダニエルが注意する。


無造作に拡がる農民団だが、前方はそれなりに隊列を組む一方、中後方は何やらゴソゴソと蠢いているが、何をしているのか分からない。


それに対して、子爵軍は、弓兵を先頭に立て、その後ろに騎兵、歩兵と陣を引く。


「弓兵で崩した後、騎兵で崩壊させ、歩兵で戦果を拡大するか。

常識的な戦法ですね」


「農民団の指揮を誰が取っているのかわからないが、あの人数では指揮も行き届くまい。

烏合の衆では瞬時に崩壊するかもしれんな」


ネルソンとアレンビーの会話を他所に、子爵軍の攻撃が始まった。


弓兵が近寄り、一斉に矢を放つ。

農民団の先頭が倒れるが、意外と耐えている。


「鍋を被ったり、竹や枝を束ねて防いでいますね。ある程度のものの分かった指揮官がいるようです。

思ったより統率が取れている」


ヒデヨシが意見を言うが、確かにダニエルが見ても単なる百姓の集まり以上に纏まっている。


「弓兵は牽制だ。問題は次の騎兵にどう対処するかだ」


騎兵が隊列を組んで、進撃する。

対峙する農民兵はそれを見て、我先にと逃げ出し、後ろから騎兵が追撃する。


「やはり百姓には馬に乗って突撃する騎兵は怖いだろう。訓練していない農民など一揉みだ。

では、我らはメイ子爵達と一戦交えるか。

楽しみだ」

オカダが早々にこんなことを言うが、カケフが注意する。


「まだ早い。見ろあれを」


先陣が逃げ去った後、農民団の陣の中央から出てきたのは土塁と柵だった。


勢いが止まらず突っ込む騎兵だが、足を取られて横転したり、土塁を避けてスピードが落ちたところを竹槍で突かれる。


それを見て一部の騎兵は迂回して突撃するが、そこには剣で密集しハリネズミのようになった一団が待ち構えていた。


「これを考えた奴は相当に戦慣れしているぞ。おそらく歴戦の騎士で没落した奴が何人も指揮をとっている。

このままではメイ子爵は敗れるぞ」


アレンビーの声が終わらないうちに、メイ軍の一部が逃げ出し始めた。


「傭兵は見切りが早い。勝てないと思ったな。この戦は終いだ」

ネルソンが言うと、集まった諸侯・領主も逃走し始めた。


残るは中核であるメイ子爵とブリストル伯爵側だが、膨大な農民団に周囲を包囲される。


「貴族ども、よくもこれまで搾り取ってくれたな!

この恨み、思いしれ!」


「神は諸侯など作っておりません。

彼らを抹殺し、平等の世を作るのです」


農民の怨嗟の声とそれを煽る説教師の言葉がよく響く。


津波に呑まれるように、メイ軍は消滅した。


ダニエル達は衝撃的な光景に唖然として、帰路につく。


帰城後、ダニエルはヒデヨシを呼び、農民団にスパイを送るよう指示するが、抜け目なく既に潜入させてあるという。


「奴らの行き先を探れ。

あの大軍だ。兵糧の確保に苦労するはずだ。

王直轄領とメイ領の食料を食い尽くしたらどこに行くか。

豊かなジューン領に押し寄せてくる可能性は高い」


ヒデヨシに諜報活動を命じるとともに、幹部会議を開く。

「奴等が押し寄せる前に早急に対応策を考える必要がある」

ダニエルの言葉を皮切りに皆が意見を述べる。


「まずこちらの兵を増やすことと、相手の兵を減らさねばならん。

何と言っても兵数差は大きい。

おまけに相手の指揮官は玄人だ」


「しかし、ソウテキ・アサクラは一万の軍で30万の敵を破ったと言うぞ」


「攻め込んてきた敵を奇襲したそうだな。

我らもやってやれないことはないが、博打をする必要もあるまい。

アサクラは大国だが、我らは小さい。一敗地に塗れれば終わりだ」


オカダの強気の発言を、ダニエルは嗜める。


先程、農民団がメイ子爵やブリステル伯爵の居城を落城させ、一族郎党は虐殺し、貴族は女子供も含めて首を晒されているという情報が入ってきた。


諸侯の戦いではあり得ない残虐さにこれまでとは異質な戦争であることを強く感じる。


いつもは強気のレイチェルも赤子を抱え、ダニエルにしがみついている。


ダニエルはレイチェルの背中を撫でてやり、落ち着かせながら言う。


「ヘブラリーが平穏そうなら、その兵を借りよう。バースに連れてこさせろ。練度も上がっているそうだ。ジューン兵と合わせて使えるだろう。


オレに与する南部諸侯・領主の家族や領民はジューン領に集めて、兵を纏めよう。

レオネルド、ムーン城はどうなっている?」


「急いで、なんとか8割方出来上がりました。

攻城兵器が無ければ陥されることは無いでしょう」

レオナルドは自信たっぷりに答える。


「それと、農民団にも戦うことに躊躇うやつもいるだろう。

穏健派を引き離させよう。


そのため、フランシスにC教のあるべき姿を書いてもらい、奴らにばら撒け。

神は戦で死ぬことも殺すことも望んでない。

そんなことは騎士が負う汚れ仕事よ」

ダニエルの自嘲に、みなも苦笑する。


「それに加えて、ダニエル様の勇名を使いましょう。

今降ってくる奴らは許すが、反逆を続ける者は皆殺しだと広め、人心を動揺させます。

効果を上げるため、一度農民団と戦い、小規模でも根切りにするといいのですが」

ネルソンが言う。


「お前も酷いことを言うな」

オカダの言葉にネルソンは答える。


「私は所領から落ち延びる時に、落武者狩りに遭い、土民に竹槍で串刺しにされそうになりましたからね。

それまでは民は労わるものと言ってましたが、飴と鞭がいりますよ」


そこでターナーが発言した。

「その飴について提案があります。

奴らの掲げる12ヵ条の要求を丸呑みしてやればどうですか。


その内容は農奴の廃止や地代の軽減、裁判の公正などですが、ジューン領では、レイチェル様の先見の明で実現しており、支障ない状況です

塩税の廃止などは王政府に投げてしまえばいい。

彼らも要求が通れば蜂起の理由もない」


うーん、ダニエルは唸る。

ジューン領は白紙から作った領地で農奴などの遺物もなく、貨幣経済の下、自由経済を通し、公正な行政を行なっているが、他領は違う。


貨幣でなく、未だに労役や貢納を続け、恣意的な支配を行なっている。


レイチェルが横から叫ぶ。

「あんな奴らに譲歩する必要はない。

降伏しない者は皆殺しにして、貴族や領主に逆らえばどうなるかを示してやればいい。


領民への恩恵は、上から与えるもの。一度でも要求に応じれば際限なく要求してきます」


レイチェルの意見は一般的な貴族の考えである。


しかし、それを聞き、ターナーが立ち上がって話を始めた。

「オラは水飲み百姓の倅で、馬喰をして食ってきた。今はダニエル様のお陰でターナー様と呼んでもらえるが、生まれ育ちは忘れたことがない。


一年中腹一杯になったことがなく、日の出から日の入りまで働く生活だ。

そして、税が払えなかったり、理由がなくとも領主様の機嫌が悪ければ鞭で打たれる。

オマケに今年は飢饉。


オラには蜂起に加わった奴らの気持ちがよくわかる」

ターナーはそこで言葉を切り、ダニエルをまっすぐ見て言う。


「ここの領民は幸せです。税も軽く、いい仕事もあり、豊かな暮らしをし、領主や役人に殴られることもない。

ダニエル様、オラはこの領内の在り方を国中に広めて、百姓を豊かにしてやりたい。


そのために、農民どものスローガンを受け入れて、これを当たり前にしてもらいたい。


百姓も馬鹿ではありません。

恩は恩と知り、逆らうべきでない方には従順です。

彼らの要求を受け入れてもダニエル様を侮るなどあり得ません。逆に深く感謝するでしょう。


その代わり、それでも逆らう奴らがいれば、このターナーの全てを賭けて殲滅することに協力します」


(この男、金だけの男では無かったのか!)

ターナーが有能であることは知っていたが、考えの根底にそんなことを考えていたとは。

ダニエルは驚きを隠せない。


「家臣の分際で協力するとか、お前は何様なの!」

レイチェルは激怒するが、ダニエルはターナーの意見を採用することとした。


(騎士の思考はわかるが、百姓の考えはオレには分からん。ならばわかる奴の意見を聞こう)


「ターナー、わかった。

お前の意見を採用しよう」


レイチェルは、ダメです!反対です!と叫ぶが、ダニエルは続ける。


「ただし、今ではない。

今の農民団は戦に勝ち、有頂天だ。こんな時に要求を受け入れれば足下を見られるだけ。

ネルソンも言ったが、一度は痛撃を与える。

そこで頭が冷えれば、お前の言うことを聞こう。

そんな提案をするということは、お前には農民団幹部へのパイプがあるのだな」


ターナーは、そこは秘密ですと口を濁すが、交渉ルートを持っているのは明らかだった。


「では、各自持ち場に取り掛かれ」

ダニエルは不満いっぱいのレイチェルを宥めながら、指示を出すが、そこにヒデヨシが口を挟む。


「ダニエル様、農民団の一部がジャニアリー領に向かっているようです」


ジャニアリー領はもともと弱兵の上、ジャニアリー伯爵が家臣団の整理をしており、防衛できるかおぼつかない。


チッ、ダニエルは舌打ちしながら、準備不十分なまま、今使える兵をまとめ、農民団の後ろを追撃することとする。













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