長男の誕生とエーリス王国騒乱
後をリューとノーマに託し、ダニエルはアースに帰ることとした。
「ダニエルさぁは、すぐに戻られよるがね。
それならば連れてきた家臣はこのまま居てもらって良かよ。
その代わりに、傭兵になって金ば稼ぎにいく、うちの兵子どもを引率して行くがよか。
最初だからきばって、よか兵子を選んだがよ」
連れてきた精鋭の家臣達は連れて帰り、あわよくばそのままヘブラリーに帰らずに、当主の地位とノーマとの結婚をなし崩しにしようと目論むダニエルの考えは、笑顔だが目が笑っていないノーマによって粉砕される。
流石にオカダやバースをはじめとする多数の家臣を人質に取られては戻ってくるしかあるまい。
ダニエルは少し震えながら「もちろんだ」と言わざるを得なかった。
更に、帰らなければノーマの命を受けてヘブラリー兵が蜂起し、ダニエルを拉致するかもしれない。
「では帰ってきたら盛大に結婚式ば挙げるがよ。家臣達も楽しみにしちゃる。アタイも花嫁修業と旦那様に負けないよう武芸の腕を磨いておくばい」
と送り出してもらう。
ダニエルは、前門のレイチェルを突破するか、後門のノーマを攻略するか、いずれも難攻不落だと頭を抱えた。
ダニエルはその後リューを呼んで言う。
「オレが居なくなった後、上手く治めてもらえば、そのまま当主の座を譲るからそのつもりで統治してくれ」
「無理ばい。あの時もノーマさぁが鎮めなければ、オイが当主代理になることも難しかったが。
大殿もそうだが、家臣に人気のあるノーマさぁが納得しなければオイが当主になるのは難しか」
リューの反論にダニエルはうーんと唸るが、虎口を脱したい一心で言う。
「オレがノーマをなんとかすれば当主になってもいいのだな」
「祖父も父も願っておった。家中が収まればなりたいのが本音じゃ。
そんときは、ダニエルさぁが後見してくれよっとが」
「もちろんだ。全面的にバックアップする。
攻守同盟を結び、一心同体の関係となろう」
「それならば安心じゃ。
バースどんはうちの妹の婿として、我が家に来てもろうてよかね。
今はエイプリル侯爵の逆襲を警戒しながら、釣り野伏とステガマリの演習をしてもらっとるが、ヘブラリー兵に慕われておるが。
しかし、釣り野伏も難しいが、ステガマリなどよく考えたものじゃ。
よほどの将が命を捨て、それに心から従う兵が居なければできっこなか。
騎士団は立派じゃのう」
騎士団でもできた試しはないが、せっかくの過大評価だ。
ダニエルはありがたく受け取った。
「騎士団もそれほどではない。ヘブラリー兵なら熟練すればできると見ているぞ。
バースの件はわかった。アイツが望めばいいだろう。両家の架け橋となってくれるだろう」
ダニエルが当主を脱する道は見えてきたが、後継ぎを産むと息巻いているノーマをどうやって納得させるのか。
(王都に連れていって贅沢させてやるとかには乗らないだろうなあ。
あいつを連れて戦三昧であちこち行くのはこっちの身が保たない。
レイチェルにも相談できないし、名案がないなあ)
悩みながらバン川を下ると翌日にはアースに着いた。
途中、関税だといって通行料を取ろうとした領主や襲ってきた海賊は全て殲滅する。
ダニエルにとっては絶好の憂さ晴らし、もっと賊がいないかと探し回る。
「オカダめ、もう少し残しておけばいいものを。頑張りすぎだ」
「それが仕事に頑張った部下への言葉ですか」
とクリスが呆れて答える。
クリスには残ってもいいと言ったのだが、連日の妻の実家での歓待に疲れたのか、ダニエルについてきた。
「あの人たち、昼は剣や弓矢やレスリングの試合、夜は酒宴ばかりで疲れました」
というのがクリスの感想である。
ちなみに妻のイザベラもついてきた。
ダニエルの様子を見て、
船着場に着くと、お腹の大きなレイチェルが出迎えに来ていた。
「あなた、お元気でしたか。
お産までに戻ってきてくれて嬉しいわ」
「愛する妻のためだ。当然だろう」
仲睦まじく馬に二人乗りして、レイチェルを労わりながら居城に帰る。
クリス夫妻や乳母のバーバラも入れて、賑やかな夕餉をとった後、夫婦の寝室に入るとレイチェルの雰囲気が変わる。
「ところで、ヘブラリーからの原料をもっと安くしてもらえません?
白磁も研究中でカオリンがたくさんいるの。
まだお金にならないし、そもそも原価のいらない粘土でしょう。
それにターナーに命じてヘブラリー領まで通した水路交通のこと、そもそもジューン領で稼いだお金のはず。
ターナーの稼ぎは何故か私のところに来ずに、別勘定となってますが、どういうことでしょう」
一斉斉射のように攻撃してくるレイチェルにダニエルは防戦一方であったが、ヘブラリーの権益も守る必要があり、闇仕事の多いターナーの仕事はお嬢さん育ちのレイチェルに任せるわけにいかない。
粘った挙句に、長旅で疲れたと、更に口撃を続ける妻を置いて寝てしまった。
(これじゃあ久しぶりの夫婦の会話じゃなくて、商会の主人と番頭の会話だな。
とてもノーマのことは言い出さんぞ)
ダニエルにとって幸いなことに翌日から医者が来て、お産の前にストレスがかかることは厳禁と言われ、一時休戦となる。
その間に、アランとエリーゼ夫妻もやってきた。
「アラン、エリーゼ、よく来てくれた。
ゆっくりして行ってくれ」
可愛がっている弟夫妻が来ればレイチェルの機嫌も良くなるだろうとダニエルは期待する。
アラン夫妻からは王都の状況を教えてもらう。
いよいよ塩税が施行され、塩の値段はこれまでの5倍となるとともに、新王宮建設のため、全国の領主に1/10税が課される。無論、この税も民衆に転嫁される。
結果は各地での抵抗の勃発である。
軽くは塩の密輸入、建設税軽減の請願や不払い、重いものは税徴収役人の殺害から武装蜂起まで起きている。
「まだ散発的なものであり、諸侯や親衛隊が鎮圧しています。
心配なのは、今年の作柄が良くないことです。不作となれば全国で不満が爆発しないか、特に、自分の贅沢のために酷税を課す君主などに従う必要はないと説教するガニメデ宗過激派の勢力が伸びていることが気がかりです。
このままでは大反乱が起きるのではと、宰相を通じて王陛下に税の停止を申し上げたのですが、反対にあって撤回するなど面子にかかわると仰られております」
そう話すアランの顔は暗く、実直な高級官僚としてその前途に心を痛めていることがわかる。
しかし、レイチェルは嘲笑するように言う。
「でも、マーチ宰相も良くないわ。
この話を政争と絡めて、塩税などを推進した官房長官の更迭、ひいては背後にいる陛下の失権を狙っていることをあからさまにしている。
あれでは陛下も引けないでしょう」
「アラン、そうなのか?」
国家の大事には私怨を捨てろと騎士団で教育されたダニエルには信じがたかったが、俯くアランの代わりにエリーゼが答える。
「その通りです。我が家の客人もこれで官房長官は終わりだなとか、陛下も黙らせることができるなど政争のことばかり。
真面目に国の行く末を心配しているのは
「いや、陛下も心配はされているが、まずは税を取り立て、飢え死にする直前に施しをすれば王の恩恵を知るだろうと言われていて・・」
アランの弁護も弱々しい。
「その前に暴発するだろうというのが財務部の読みか。
レイチェル、ジューン領と南部の情勢はどうだ?」
ダニエルの問いかけにレイチェルは即答する。
「抜かりはありません。塩はリオ共和国から大量に買い付け、勢力下にある各地に流しています。10分の1税もジューン領とヘブラリー領の分も払っておきました。
王政府も所領の広さだけで課税してきますから、商工業で潤う我が領地は軽いものです。
ただし、元のメイ侯爵領で王家直轄地は徴税請負人の強奪で荒れまくってます。あそこは一揆が起こるかもしれませんね」
「姉さん、所領に応じてしか課税できないのは諸侯が抵抗するからだよ。姉さんがそうさせないように宮廷工作しているのを知っているよ。
それと南部での塩の売上は低すぎると問題になっているからね。密輸入もあまりやりすぎないでよ」
レイチェルの言葉にアランが抗議する。
「王直轄領自体は我らの関わりがないが、隣接しているので警戒は必要だ。
それはいいが、ヘブラリーの税は払ってもらい、塩も確保されているのだな。
ありがとうレイチェル。
賢明なる奥様なら夫の心配をわかってくれていると思っていたよ」
「もちろんですわ。
まさか私がジューン領だけを考えているドケチ女だとか思わなかったでしょうね」
ダニエルの絶賛にレイチェルはジト目で返すが、内心では、ヘブラリー傭兵の雇金から返済させるつもりでいる。
(全くこの夫婦は仲がいいのか悪いのか、しかしダニエル様はレイチェル様無しでは立ってられまい。
割れ鍋に綴じ蓋と言うと失礼か)
クリスは内心で思うが、一方こんなに借りを作ってノーマのことはどう言い出すのか心配になる。
さて、しばらくして、レイチェルの陣痛が始まった。
「あなた、産室に入って、私の手を握り子供が生まれてくるところに立ち会ってください」
ダニエルは子供が産まれてくるまで、アランや家臣と酒でも飲んで待っているつもりだったが、まさか嫌とは言える雰囲気ではなかった。
「ハイ!」
暫しの逡巡を気づかれたか、痛さにうめくレイチェルに睨まれ、ダニエルは直立不動で返事して、産室に入る。
「世間では不敗の勇将もかたなしだな」
「兄様、きょうび、王都では夫はこのくらい当たり前です。
もちろん、アランもしてくれるわよね」
飛び火したアランは血に弱く、お産の立ち合いなど勘弁して欲しかったが、妻と義兄の前では頷くしかなかった。
結局、子が産まれるまで半日近くかかり、レイチェルはもちろん、ダニエルもフラフラになったが、元気な男の子の誕生に領内は沸き返った。
ダニエルは振る舞い酒やご馳走を気前良く家臣や領民に提供し、祝いを受ける。
「この子の名前はチャールズとしよう」
チャールズとは王家中興の政戦に優れた名君である。
(この子にはオレのような外面だけの英雄でなく、真の名将になって欲しいものだ)
ダニエルは願いを込めて子供を抱き上げる。
レイチェルは産後数日で政務に復帰する一方、ダニエルはターナーに会っていた。
「ダニエル様、南部を縦断する交通網と西部を繋ぐ水路は整備できました。
貿易都市リオと王都との結節点であるアースは、これにより南部一帯及び西部からも物資を集める大都市になるでしょう」
長子の誕生祝いにと莫大な金を持ってきたターナーは、事業の進捗を語る。
「お前にはヘブラリー領との連絡網を築いて貰って助かった。
それに、自分の事業も順調そうで何よりだ」
ターナーはカーク興業という名前で、自分の作った交通網の水運や陸運を担い、他にも口入れ屋や風俗業で大いに潤っていた。
「まあいい。領地の繁栄のためにプラスであるならお前も儲ければいいが、害悪となれば排除するぞ。
それとヘブラリー領の事業のために儲けた金の一部を吐き出し出資しろ」
レイチェルに出させると後でどれだけ毟られるかと心配なダニエルは、隠し金庫としてターナーを使う。
このことにより、ダニエルは無意識だったが、ジューン領にはレイチェル派とダニエル(ターナー)派が密かに形成されていた。
さて、ジューン領で訓練するヘブラリー傭兵は、各地との交渉の結果、雇われ先がリオ共和国に決まる。
その高い練度を示し、レイチェルが値を釣り上げたようだ。
リオ共和国からは、ソウキュウ・イマイ、リキュウ・センが傭兵の契約にやってきた。
ダニエルは、派遣者としてヘブラリー伯爵の立場で、また仲介者としてジューン子爵の立場で署名する。
「派遣者と仲介者が同一人物であるのもおかしいな」
というダニエルに、ソウキュウはにこやかに答える。
「我らとしては、信義に厚い勇将ダニエル様が相手であれば安心できるというもの。
これまで切れ者の奥様とお付き合いしておりましたが、今後はダニエル様とも長くお付き合いしたいもの。
一度リオ共和国にも遊びに来てくださいまし。
古今東西の名物が揃っております」
リキュウも言う。
「ジューン領では白磁の陶器も作られているとか。
出来上がったらぜひ目利きをさせていただきたく存じます」
彼らは抜け目なく長子の誕生祝いと近づきの印にと沢山の土産物を持ってきた。
ダニエルは、その中で美しい短剣や東方の合成弓などと、更に別に飾り物を選び、クリスに渡す。
「これを包んでノーマに、これは王都のイングリッドに送ってくれ」
イングリッドからは、何度か手紙が来ていた。
王都に残るカケフたちに保護するように頼んであるが、増税以降王都の治安も悪化していて、不安なようだ。
結局、ダニエルはレイチェルに、ノーマとの結婚のことを言い出せずに、ヘブラリー領ではジーナと別れることができそうであり、後任の伯爵候補も一族から見つけることができたとだけ話した。
レイチェルは上機嫌で、
「それはよろしゅうございました。
では、ヘブラリーのことはさておき、ジューン領で家族水入らずで暮らせますね」と言い、ダニエルは暫くアースに居て、ジューン領とヘブラリー領の統治を行う。
ノーマも王都に行ったり忙しく、リューは上手く領内を治めているようだったので、このまま家臣を取り戻し離脱できないかとダニエルは夢想するが、数ヶ月を経て、春先となる頃、端境期で食べるものが無くなり、遂に農民達が立ち上がったという知らせがアランから届いた。
農民たちは、ガニメデ宗の左派の説教師とともに地代の軽減や裁判の公正など12か条の要求を掲げて、各地で国王や諸侯への反乱に踏み切った。
ジューン領やヘブラリー領は平穏であったが、ダニエルは情勢を見るために軍をまとめ、巡回する中、王から農民軍の鎮圧命令がやってきた。
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