ヘブラリー領の統治と当主の座の譲渡の交渉

ダニエルは翌日から当主としての仕事に追われることになった。

これまで政務を見てきた前伯爵は、当主が来たから政務から引退すると言い、ダニエルに任せ、隠居を決め込んだ。


「なんだ、この収支は!」

やむを得ず政務を行うダニエルに持ってこられたのは、大赤字を示す財政報告書である。


当初、財政など皆目わからなかったダニエルだが、レイチェルにしごかれ、それなりに財務を理解できるようになった。


「ダニエル様、金が無いのは首がないのと同じ。そして財政はフローとストックと両面から見るのです。

しかし書類は様々な粉飾がされています。まずは現金や手形、金銀を持って来させ、帳面と付き合わせなさい。自分の目で確認すれば、舐められることはありません」


レイチェルの教えを思い出しながら、勘定係に金庫を開けさせ、こういうことに使えそうなクリス、ヒデヨシ、ネルソンに手伝わせて、家中の財政を洗い出す。


驚くべきことに、ヘブラリー領は単年度でも大赤字だが、これまでの借金を合わせると領内の収入の数十年分の赤字が累積していた。


その要因は、王都での贅沢な暮らしと国元での度重なる国境紛争であるが、根本的には騎士やその郎党が多すぎる。


通常なら人口の1割以下のところ、ここへブラリーは3割も兵児、すなわち非生産者がいるのだ!


彼らを食わせるので高い税率となり、民衆は貧しく、産業も振興できず執政にそういう意識もない。


ダニエルはその状況が判明すると頭が痛くなった。

(この悲惨な領地をオレがなんとかするのか?レイチェルが居てくれればなあ)


嘆いても仕方がない。

まずは倹約令で家中の無駄を無くすとともに、増収を図ることを考えることとする。

倹約令には義母とジーナ達王都での暮らしになれた奥向きからの猛反対があったが、無い袖は振れないとダニエルは相手にしなかった。


数日かけて財務状況を洗い出す中、嫌いな書類仕事に疲れ切って就寝するダニエルだが、深夜、人の気配を感じて目を覚ます。


「誰だ!」

「あなたの妻です。床をともにしようと参りました」

ジーナの声が聞こえた。


急いで蝋燭に火を灯すと、薄着姿のジーナがしどけなく歩いてくる。


(今更、なんなんだよ!せめて婚礼のときにそうしてくれ!

いくら女に餓えていてもコイツだけはない)

ダニエルにジーナを抱く気はこれっぽっちもない。


「ジーナ、オレが婚礼前に貴女に形だけでも妻になってくれと頼んだことを覚えているか。その時にその手を振り払い、それだけでなく兄に味方してオレを刺してきたことを決して忘れはしない。


貴女とは既に道を分かっている。

部屋を出てくれないか」


ダニエルは静かに諭すが、ジーナは更に近づいてくる。

「過去は過去。私は悔い改めました。

今後はあなたの貞淑な妻としてお仕えします」


男であれば首を跳ねるのだが、ヘブラリー家の令嬢で形式的には妻という存在を害するわけにはいかない。

部屋に入ってきたということは警護番は殺害されたか、部屋を出ることも難しい。


ダニエルは後ろを見ると、窓を開き、二階の高さから飛び降りた。

警護の兵が寄ってくる。


「何かありもうしたか」


「何でもない。

非常呼集しろ。夜襲されたときの演習をするぞ」

呼び子が鳴らされる。


「何事か!」

寝ていた兵が起きてくる。

従士長のクロマティや小姓達が泡食って出てきた。


「遅い!ジェミナイやエイプリルが夜襲してきたら皆全滅だぞ。

騎士団ではこうやって時々演習するのだ。

これから夜が明けるまで夜間演習するぞ!」


ダニエルは兵を集め、演習させることで自分が夜襲された鬱憤を晴らしたが、翌日から、流石はダニエル様、夜間も訓練するとはと評判となり、その日の夜番だった兵は羨ましがられた。


ダニエルは翌朝、昨夜の警護番を呼び出す。

いつもはクリスが隣室にいるのだが、イザベラの実家で歓迎されているため、小姓組からイチマツが当番だった。


てっきり抵抗できないまで殴り倒されたのかと思っていたダニエルは、ニヤニヤして、傷一つないイチマツを見て、唖然として昨晩どうしたか尋ねる。


「奥様が来られて、ダニエル様の夜のお世話は私がするので、見張りなど野暮なことをせずに侍女と遊んでらっしゃいと言われたので、下がりました」


「なるほどな。それでいい思いをしてニヤニヤしているのか。

バース、コイツは超特別訓練だ。あと10日ほど懲罰房に入れておけ。

理由は職務放棄だ!」

事情を知らないイチマツには酷かもしれないが、ダニエルは怒りを爆発させた。


ダニエルはジーナの夜襲を回避するのと、領内を知るため巡回することとする。


「ダニエルさぁだ!」

わらわらと人が寄ってくる。


「ダニエルさぁ、一番手合わせを!」

流石は尚武の地というべきか、非常識というべきか、当主に試合を申し込むか?とダニエルは呆れるが、付いてきたオカダやDQN小姓は嬉々として応じる。


「オマエら、ダニエル様に挑むにはまずこの小姓に勝て。次にオレが相手をしてやる。それで勝てた奴がダニエル様に挑めるぞ。

しかし、ダニエル軍最強のオレは強いぞ」

オカダが吠えるのに、ヘブラリー騎士は群がって来た。


「キェー!」

叫び声が響き渡る。


見ると、モリ、マエダ、ササなどの小姓どもがヘブラリー御家流の一撃必殺ジゲン剣法に苦戦している。

その勝ち残りを相手に、嬉しげにオカダが掛かってきた騎士を投げ倒していた。


(クソ、オレもここで遊びたいよ)と未練がましく留まるが、クリスやネルソンに引っ張られて領内視察を続ける。


川が見える。

案内してきたロバートがバン川と言うのを聞き、ダニエルは閃いた。


「この川を下れば、ジューン領アースに着く。

木材などの特産物をこの川を使い流通させよう」


「しかし、川沿いの領主が関税を課し、高額な通行料を取られたり、賊に荷物を強奪されます」


「そこで遊んでいるオカダに川沿いを掃除させよう。

逆らう領主は取り潰す」

事もなげにそう言うダニエルを、ロバートや家老のジョンソンは驚いて見る。


ダニエルの見るところ、ヘブラリー家はその兵の精強ぶりに比べて、視野が狭く、仲間内での争いや王政府への過度な怖れから、巨人が身を縮こませているように思える。


(もっと存分に力を振るえば良い。

そのためには恐れ知らずのオカダやDQNどもと遊ばせるのも良かろう)


しばらくの間、ダニエルは各地を回り、領内視察と軍の調練に勤しむ。

視察では各地の小領主や騎士から話を聞くこととしていたが、呼んでもいないノーマも加わってきた。


「ダニエルさぁ、この砦で攻めてくる敵兵を防ぎ、後方の林から伏兵を出せばよかと思わんけ」


「この騎士はよか兵子ぞ。

ジェミナイ騎士の首をいくつもとったが」


ノーマや領主から出てくる話題は戦と兵のことばかり。

農産物や民の暮らしを聞いても、そんなことは知らんばい、奴らは税を払えばよかと言う。


(コイツラは撫民ということを知らんのか)

民の力が強い王都や南部からは信じられない統治レベルである。


一方、兵の調練はバースに任せていたが、彼から進言があった。

「ダニエル様、ヘブラリー兵に釣り野伏とステガマリを教えようと思います」


「あれは、教本には載っているが、実行には兵の高い練度と志気が不可欠。実際に行った戦例は殆どなかったはずだぞ」


「確かにそうですが、ヘブラリー兵なら可能かと。

猛訓練で練度を上げて、実行できるようにしてみせます」

いつも冷静なバースが珍しく勢い込んでいる。


「それは任せた。頼むぞ」


(兵はいいのだが、政がなあ)


巡回の夜は付近の領主たちを集めての宴会である。

ダニエルが持ち込んだ酒を目当てにたくさんの騎士も集まる。

お国言葉が飛び交い、酔った挙げ句はレスリングである。


あちこちで肉弾相うつ風景が見られ、ノーマは流石に参加はしないが、

「ダニエルさぁの前で無様を晒す奴は腹ば切れ」などと野次を飛ばす。

勿論小姓組のDQNどもも参加する。


その挙げ句、勝ち抜いた者に褒美をやろうとすると、決まって「ダニエルさぁと一番お願いしもうす」と言ってくる。

騎士団で鍛えられたダニエルは多彩な技で、力任せのヘブラリー騎士を殴り蹴り、投げ、締め、ストレスを晴らしたが、負けても当主に相手をしてもらい、みな嬉しげであった。


ある夜、宴会後に、ダニエルは、レイチェルからの手紙を読んでいた。

ヘブラリー領の開発に金と人材をくれと頼んでいたのだが、芳しい返事ではなかった。


「ダニエル様のお願いとあらば、なんとしても叶えたいところではありますが、私達の子供のものにならないところに貴重な資源は割けません。

何かジューン領への見返りをお示しください」


(クソ、ドケチ女が!)

心の中で毒づいていたが、どうすべきか領内の地図を見ながら考えていると、茶坊主が茶を持ってきた。


気分転換に何気なしに、話しかける。

「借金が無くなる方法を知らないか」


「いい方法があります。貸主から借用書を集めて燃やしてしまい、長期低額で返済しましょう。ダニエル様の名前と武力をちらつかせば訴えられてもなんとでもなります」


ダニエルはここにもレイチェルの仲間がいたとため息をつく。そして茶坊主の顔を見ると、鋭い目を光らせダニエルを見つめている。


「貴様の名は何という」

「ショーン・ズショでございます」


「そんな方法で借金を消しても、稼げなければもう借金もできなくなるぞ」

「勿論です」


ズショの話は、借金を整理するとともに、産業振興を図るが、即効策として傭兵団を組織して出稼ぎさせるというものだった。


「ダニエル様の戦に兵を出し、大いに報奨を頂きました。膨大な借金には焼け石に水でしたが、あれを継続的に行いましょう。

ダニエル様の人脈と名声があれば高く売れます。

そもそも頭の中身が無い奴らは身体で稼がねば仕方ありますまい」


ズショは財政や政に深い知見を持っていたが、戦功がないために茶坊主、無能と馬鹿にされていたことが腹に据えかねているようだった。


ダニエルは、借金の踏み倒しも領内騎士の出稼ぎも気に入らなかったが、とりあえずそれしかなさそうだった。


「ズショ、お前を奉行に抜擢する。

その話、実行しろ。

傭兵団の名前はランツクネヒトだ!」


やり方はともかく、内政を任せることができる男を見つけて、ダニエルは安堵した。


その後、パラケルススを始めとする学者や技術者達がやってきて、領内を調べ回った。


「ダニエル喜べ。カオレンが見つかったぞ」


(カオレンってなんだったかな)


ダニエルの顔色を見て、パラケルススが付け足す。

「白磁の陶器の原料じゃ。これで白磁が作れるぞ!

それに山中に大理石や大石があった。あれを切り出せば売れるんじゃないか」


「そいつはいい!

レイチェルへの交渉材料ができました。

ありがとうございます」


「お前ら夫婦は難儀よの。

嫁さんを相手に交渉するのか」


パラケルススには呆れられたが、ダニエルは、レイチェルと交渉し、カオレンと大理石、それに特産物の材木を販売する代わりに多額の金を借り、塩や穀物、武器を輸入することとした。


その一方で、ズショには金ができ次第、木材は製材や製品化し、陶器もこちらで作るなど原料だけでなく、付加価値をつけるよう指示し、グラバー商会やJ教徒に連絡をし、レイチェルを介さない王都との通商を目論む。


ヘブラリー領を、ジューン領の経済的な植民地とすれば、将来に禍根を残すというのがダニエルの考えであり、共存共栄を図る。

そのことを知ったレイチェルからは激しい抗議が来るが、ダニエルは押し切った。

 

暫く後になるが、傭兵団を組織してジューン領に出し、守備兵とすることを実行する。

ジューン領は商工業が盛んとなり、兵士のなり手に困っていた。兵士が居ても弱兵であり、鍛え上げねばならない。

同じ主を戴く強兵が来てくれることは大歓迎であった。


ダニエルは更に、ターナーに命じて、バン川の河川交通の整備を最優先で行うよう命じる。


オカダに賊や反対領主を掃討させ、その後ターナーに整備させたバン川はヘブラリー領とアースやリオ共和国を繋ぐ動線となり、自給自足のもと小領を巡って争っていたヘブラリーの騎士や民衆を貨幣経済に導き、彼らの視野を大きく広げることとなる。


矢継ぎ早にヘブラリー領の立て直しを行うダニエルをヘブラリー家臣は魔術師のように見る。

ダニエルはこれまでの党派に縛られず、有能な家臣を抜擢し、門閥主義の家臣団に新たな風を入れた。


ダニエルは今日、リュー・ルートンの所領に来ていた。

これまでも何度も訪問し、領内改革のアドバイスをもらうなど親交を深め、肝胆相照らす仲となっている。


「ダニエルさぁの手腕、見事でごわす。

オイだけでなく家臣一同、感服仕ってごわす」


「お世辞はいらん。リューでもできたはずだ。

オレには虚名と人脈があっただけで、何もしとらんよ」


ダニエルが見たところ、ルートン家の所領はヘブラリー領内でも群を抜いて豊かそうであった。


それは、ダニエルがやったことと同じように、密かに国境付近の所領を利用してジェミナイとの貿易を行っているのであろう。


「まあいいさ。自分の所領を富ますのに手段は選んでおられん。

それよりも、大事な話がある」

ダニエルは声を潜めた。


「リュー、お前、ヘブラリーの当主になれ。

オレが全面的にバックアップする。

反対する家臣はオレが抑えてやる」


リューは苦笑する。

「また、その話でもすか。

確かに先祖からの悲願ではあり、なりたくないとは言いもさん。じゃっどん、オイがなれば大殿以下今の主流派ば黙ってはおりもさん。流血してまでとは思いもさん」


「オレが抵抗を排除して、何のために両派を区別せずに人事を行い、調練してきたか。もう若手には派閥の意識が薄れてきている。

あとはお前が文句を言わせぬ実績を積めば大丈夫だ」


「大殿やジーナ、ノーマさぁはどげんすると」


「義父やジーナは王都で暮らしてもらおう。

ノーマはお前の嫁にしろ」


するとリューは後ろを振り返り、ちょっと来いと声をかける。

出てきたのは二人の美しい娘だった。


「紹介するが。嫁と妹がよ」

それぞれアンとマーガレットと名乗り、挨拶をする。

そのお淑やかな様子はダニエルを驚かせた。

(ヘブラリーおこじょって伝説の生き物かと思っていたぞ)


毎日、昼はノーマに試合を挑まれ、夜は隙あらばジーナが襲ってくる。

二人の若い女性はダニエルが持つヘブラリー女子への偏見を改めさせた。


「そういう訳でノーマさぁは娶れませんがよ。

そもそもノーマさぁはダニエルさぁに惚れていて、嫁になると公言されとりもす。諦めて娶りなされ」


「それで昼も夜もアイツと戦うのか。勘弁してくれ。

それに比べて、妻も妹もよくできているお前は恵まれているなあ」


「ダニエルさぁは本拠に才色兼備の北の方がいらっしゃると聞きもしたが」


「ハッハッハ、まあな」

まさか妻が言うことを聞かないので手を焼いているとは言えない。


「ダニエル様、おいででしたか」

バースが顔を出す。教練と国境防衛の視察に訪れていたようだ。


「ヘブラリー兵はどうだ」

「猛勇かつ柔軟な動き。ダニエル様を崇め志気も高い。

これなら釣り野伏もステガマリもできるでしょう」


去っていくバースを見ながら、リューが言う。

「バース殿はうちの妹ば気に入ったようで、よく顔を見せよっとが。

妹もまんざらではなかが、いずれは夫婦にしてやりたか」


ヘブラリー領主となるリューとバースが縁戚になればダニエルにもメリットがある。

ダニエルは、内心の羨ましさを抑えて頷いた。














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