税の現場とレイチェルの洞察

ダニエルは騎士団長の言うとおり、王と和解することをマーチ宰相に相談した。


マーチ宰相も自分の派閥の誇示した今、王と交渉する時期と考え、アンチ王派の勢力をバックに交渉を始める。

王も自分の政策への反対者の多さから、性急な弾圧でなく、急がば回れ、まずは勢力の拡大を進めるよう王妃に諌められ、妥協せざるを得ないと考えた。


長い交渉の後、お互いの妥協で和解がまとまる。


今後、王は貴族人事や政策を宰相に事前に相談する一方、貴族達に酒税に加えて塩税を課すことや新王宮の建設の諸侯への税・労役を認めさせた。


(これで財政を富ませ軍を強化する。余に逆らう者を倒し、権威を確立すれば反対派を潰してやる)

王は妥協を強いられたことを屈辱と思い、報復を誓う。


マーチ宰相や貴族は、施策は宰相に任すという貴族主導体制に復帰させたかったが、王の失策を待ち、一歩ずつ復権することを目指す。


ダニエルは、王に忠誠を誓う誓詞と新王宮建設への多額の献金をする代わりに南方守護とリオ共和国との貿易権を維持する。


これにより、南部諸侯の召集や従軍を命じることがてき、南部の旗頭であることを示せ、経済的には貿易権益を保つ。

レイチェルからこのポストは死守するように言われていたので、ホッとする。


王都のポストは解任されたが、ダニエルはこれ以前に裏社会を徹底的に掃討し、暗黒街を再編成し、そこにスラムや賎民達のボスを据えていた。


貴族や既成ギルドの声しか聞こえてこない王都守護職のキタバタケ家が関心を持たない、商工業者の保護や利益紛争調停、平民地区の治安は裏からダニエルが抑えていた。

そのため、ダニエルの王都屋敷は依然として多数の人々が群がり、喧騒を極めていた。


ある夜、ダニエルの屋敷を少女が駆け込んできた。

「ダニエル様、いやダニエル・マクベイ様を呼んでください。イングリッドがお願いに来ましたと言ってください」


門番は、首を傾げ。「ダニエル様というのは御主君ではないのだな」と尋ねると、「唯の騎士です。そんな偉い方ではありません」と言われ、心当たりはないが、マクベイと言えばということで、クリスを呼んでくる。


クリスは、一目見て事態を察する。

(ダニエル様好みの庇護欲をくすぐる美少女だな。私の苗字を使って身分を偽り、何処かで引っ掛けたな。

息抜きも必要だが、これがレイチェル様に知れたら・・)


クリスは、イングリッドに探し人の人相風体を聞くが、やはりダニエルである。


イングリッドを待たせて、クリスはダニエルを呼びに行く。


「何!イングリッドが来ている!」

ダニエルは昔のボロい騎士服に着替えて出て行く。


「ダニエル様!お店が大変なんです!」

イングリッドは美しい黒髪を振り乱し、黒い大きな瞳から涙を流してダニエルに抱きつく。


涙ながらの訴えを聞くと、酒税取り締まりと称してやってきた衛士が店で試飲だとただ酒を飲んだ挙げ句に、イングリッドを連れて行こうとしたのを女将や客たちが止めて、大騒ぎになっているらしい。


ダニエルは、イングリッドを後ろに乗せ、クリスを伴に馬を飛ばして店に向かう。


店では、数名の衛士が脱税だと言いながら、店内を壊しまくっていた。

「やめて!」

女将の悲痛な声が響くが、笑いながら更に暴れる。


ダニエルは馬から降り、すぐに店内に入り彼らを叩きのめす。

衛士は「何処の貧乏騎士か知らんが、王陛下の課された酒税の脱税犯を庇うとは貴様も同罪だぞ」と脅す。


女将に聞くと、そういう脅しで、あちこちの店で無銭飲食、たかり強請りを繰り返しているらしい。


(これが王の言う王権国家か。王の権威を振りかざし、末端が腐敗する。

まして塩税を課すことになればどれほど民が困ることか)

ダニエルは王の理想と現実の違いに嘆息する。


そして彼らを紐で縛りクリスに持たせ、ダニエルはボロボロになった店を見る。

「女将、災難だったな。ここで呑む前払いだ」

と大金を渡し、イングリッドには困ったことがあれはいつでもオレかクリスのところに来いと言っておく。


イングリッドは何度も頭を下げてお礼を言うが、帰りにクリスからはチクチク嫌味を言われ、「あの娘は妹だ!」と言い訳するとともに固く口留めする羽目となった。


さて、王政府の御前会議が開かれ、百官が並ぶ中、王と宰相の合意案が公表される。

人事は一部以前のものに戻され、王の目指す専制が一歩引いたことは明らかであった。


一方、塩税の課税、新王宮の建設とその諸侯の手伝いが決められた。


ダニエルが発言する。

「王陛下への忠義のため、王宮建設に当たり献金致します」


「その忠義に応え、南方守護を引き続きダニエルに託そう」

そこまでは台本通りである。


しかしダニエルはそのまま引き下がらず、言葉を続けた。

「所掌外ではありますが、施策について意見を申し上げます。

酒税を課すことについて、庶民は大変な難儀をしております。

これは陛下の思いとは異なるもの。税を課すに当たってはしっかりと末端役人の取り締まりが必要です」


「どういうことだ?」

王の問にダニエルはエールエルフでの一幕を話し、ここに当事者の衛士を連行したと述べる。


「プレザンス官房長官、民の店まで入り、暴れるなど聞いておらぬ」

「私は公平に漏れなく課税するようにと指示しております」


ここで官僚の席からアランが手を挙げる。

「酒税のスキームを作成した財務官アランでございます。

庶民の飲むエールについては自家醸造が多いため、すべてを課税することは困難と判断し、大規模に製造販売する者のみを対象とするよう原案を作成していましたが、内務省で実施の際に全ての酒造者を対象としたため、大きな混乱が生じていると聞いております」


王は情報機関たる検非違使に聞く。

リバー検非違使長は言う。

「財務官の言った通りだ。衛士は居酒屋から民家まで脱税検査と称して立ち入り、金を強請りとっている。自家醸造など少し大きな家や店ならしていること。前例のない暴政だと王都民の反発は激しく、衛士との紛争、殺害、更に王政府へのデモも頻発している」


王は激昂した。

「問題が起きないような対応を命じたはず。

ダニエルが連れてきた不良衛士を尋問し、事実ならば上官とも首を刎ね一罰百戒とせよ。また、酒の課税対象は財務部の案どおりとせよ。


幸い塩税は作ることは出来無い。

国境を徹底的に封鎖し、流通前に課税し混乱のないようにせよ」


それを聞く百官は(現場を知らずに上から指示して、問題があればトカゲの尻尾切りか。王の施策に付き合うのは程々にしなければ)と考える。


この件では、王とその手先となった官房長官と内務省が評判を落とし、民の実情を王に直言したダニエルとアランの評価が上がる。


プレザンス官房長官はダニエルを睨みつけ、吐き捨てるように言う。

「ダニエル殿は場末の居酒屋まで飲みに行かれるとは、よほど暇なようですな。

 陛下に忠誠の誓詞を出されたと聞きましたが、紙だけでなく、態度で示すため、家族でも王都に置かれたらどうですか?」


人質を出せという言葉に、王も頷き、「それはいい。王都で歓迎しよう」と言う。

「ならば、妻ジーナと子を差し出しましょう。陛下も我が子を見たいと言われていましたな」


ちょうどいい厄介払いができる、ついでに何かあって王が殺してくれればもっといいのだが、とダニエルは即答する。


何も知らない貴族はダニエルの忠誠心に感心したが、王はそれを聞き、(ジーナでは人質にならん。ダニエルが喜ぶだけだ)と思うが、言い出した手前、引っ込みがつかない。


仕方なく王は

「しかし、子供はまだ幼く、母のジーナとも王都に来るには早かろう。ジューン領に滞在している愛妾のレイチェルでいいのではないか。

宰相もそう思うだろう」

とジーナの祖父であるマーチ宰相に同調させようとするが、あっさり裏切られる。


「いや、ジーナ母子とも元気そうですし、ダニエルの忠誠のためならば王都暮らしもよろしいでしょう」


(コイツ、孫より政略優先か)

王はマーチを睨むが、マーチ宰相にとって愚かな孫と大事な同盟相手では考えるまでもない。


やむを得ず、王は人質の話は有耶無耶とし、ダニエルに一本取られた感が拭えなかった。


御前会議終了後、王宮の法衣貴族の間で

は、ダニエル=マーチ連合の巻き返しが専らの話題である。


(そんな勢力争いよりも、酒や塩という庶民にまで網をかける税や諸侯への負担という王の思考を問題視すべきだ。末端までの行政機構がなければ歪むに決まっている)


視野が広がってきたダニエルには、一方的に新税を課し、何に使うのかは王が決定するという政策決定過程に違和感を持つが、王権の下に生きる法衣貴族には通じない。


(諸侯も庶民も大人しく従うはずがない。これは大揉めになるぞ)


ダニエルは時間を作り、レイチェルとお腹の子に会うために国元アースに帰る。

寝室で大きくなってきたレイチェルのお腹を撫でて、男かな女かなと愚にもつかない夫婦の会話の後、政略の話に移る。


ダニエルの王宮での話を聞いた後、レイチェルはクスクス笑う。

「陛下はわかっていないですね。酒も塩も課税することは歴代考えていたこと。それを実施しなかったのは民からの反発もさることながら、課税対象が不明で上手く徴税できる見込みが立たなかったためです。


酒も塩も消費量など皆目わかりません。どれだけの税率として、どれだけ税を取れるのかがわからなければ、脱税の取り締まりも困難です。闇雲にやれば、民の反感を買い、大混乱になるだけ。


実施は内務省の担当でしょう。財務部はこれまでの議論を言わなかったのでしょうね。アランの作った酒税案も無視されたようですし、失敗して両手を打って喜んでいるでしょう」


「まあ我が家にとっては朗報です。

エールを作れるだけ作って王都に運べば、飛ぶように売れて、大儲けです。

ダニエル軍の補給と言えば衛士どもも手出しできません。


しかも密造酒といえば質が悪いのが相場のところ、我が領ではこれまで以上の良質のものを売ってます。

これを機にブランドを確立し、酒税が無くなってもジューン領のものが売れるようにしますわ。

そして次は塩ですか」


レイチェルは少し考えて言う。

「ダニエル様、エーリス国の塩の生産流通を知ってますか?

海のない我が国は岩塩を掘り、それを売ってます。


塩山は国有で、商人に委託して運上金を取り、流通販売させていますが、価格は他国のものと連動しています。つまり他国国境が近ければ輸入し、逆に他国へも輸出しています。塩など隠しやすいものをどう取り締まるのか。


いずれにしても課税して他国より高くなれば輸入するインセンティブが働きます。他国と接する諸侯や商人はビジネスチャンス。

我が領でもリオから大量に仕入れて売りまくりましょう!」


レイチェルの目は爛々と輝き、このビックウェーブに乗るしかないと呟いている。


ダニエルは一言釘を刺す。

「金儲けもいいが、最後は人心だ。

我が領民からは巻き上げずに、儲けた金を還元してやればいい」


レイチェルは笑って言う。

「もちろんです。自分の領民に叛乱されては統治も何もありません。

私は領民だけでなく、塩税を利用して南部全域の経済圏を固めるつもりです。安い塩をジューン領と関税同盟を結ぶ領地にだけ流してやれば、塩が高い領民は怒るでしょう。


 おまけに諸侯に課す王宮建設費は、貧しい中小諸侯は払えません。

我が家が貸し付けてやれば恩に着るとともに借金で縛ることもできます」


それを聞きダニエルは思いついた。

「さすがはレイチェルだ。そつがないな。

ついでに、その塩の流通と貸付先にジャニアリーとヘブラリーを入れておいてくれないか」


そのまま、ジャニアリー家の後継という話が来ていることと、ヘブラリー家に向かって話をつけてこようと思っていることを話す。


「なるほど。

まずは両家に塩を流す件と建造費の貸付は承知しました。

実はジャニアリー家については、お義父様とお話して、ダニエル様が後継となるように条件を整えています」


(はぁ、そんな話は聞いていないぞ!)

ダニエルは心中思う。


「ダニエル様と相談しても感情が出てうまくいかないかと独断で話を進めてしまい、申し訳ございませんでした。


 具体的には兄上ポール様の婿入り先を、女性貴族の会で探し、条件の合うところを見つけ、多額の結納金も持たせています。

また、強く反対するお義母様と義妹さんには、相当額の支援をすることで手を打ちました。

 なお反対する家臣はお義父様が対処すると。

そこまで漕ぎ着け、更に王政府各所へ付け届けし、ようやく王陛下の許可が降りたのです」


(王は恩着せがましく言ってたが、レイチェルと親父の根回しかよ。

ジャニアリー家まで治めるとまた忙しくなる。もうお腹いっぱいなんだが)


ダニエルの思いとは別にレイチェルはいきいきして、言う。

「ジャニアリー領も治めればやれることが格段に増えます。

ダニエル様も推察する通り、王の施策で世は乱れる、いやむしろ陛下はそれを望んでいて、乱世の中、王集権国家を作るつもりでしょう。


酒・塩で国民から広く税を集め、諸侯にも負担を課し、自分の軍を作る。

反すれば一気に叩き、王の権威を確立する。

いかにも王と王妃両陛下が考えそうなこと」


そこでレイチェルは一息つき、ダニエルに近づき手を握りしめて、目を見つめる。


「しかし、税の現場を見てもわかるようにそれは机上の空論、そう上手くは運びません。官僚も聞く耳持たない陛下に忠告もしていないのでしょう。

薪が乾いていれば火の手が回るのは早い。


ダニエル様、ジューン領とジャニアリー領を本拠に南部を固めて、様子を見ましょう。陛下が勝てば条件を付けて傘下に納まるもよし、大乱となれば打って出るもよし。

ダニエル様の武勇を生かすため、私が足元を整えましょう。

そして、この子の為に残せるものを作ってやりましょう」


ダニエルの目を見て言うレイチェルには鬼気迫るものがある。

(母になってレイチェルに凄みがましたな)


ダニエルは「そうだな。オレもできる限りのことをやろう」と応じざるを得ない。


レイチェルからは、できるだけヘブラリー家も傘下とするように努めることに頼まれ、感情でなく利害で行動するように言われる。


(ヘブラリーと縁を切れないならジーナにどう対処するのか、難題だな)

悩むダニエルに、レイチェルは「そうだ、いいお土産があります」と言う。


(ひょっとして妊娠している間は他の女を抱いていいとか言ってくれるのか)

ダニエルは期待する。

エーザン攻めの後も、血の昂ぶるまま将兵が娼館に行くのに、ダニエルは我慢していたのだ。

オカダには、「気の強い嫁を持つと大変だな」などとからかわれ、喧嘩になった。


レイチェルからは大きな袋と人形を渡される。

「この袋は前にかけてください。そしてこれを入れて」

何か重りを入れられる。


「妊婦のお腹と同じ重さです。月ごとにだんだん重くしていくのです。

子供が大きくなる実感が湧いて、妻の苦労もわかるでしょう」

そういうレイチェルに苦笑いするしかない。


「こちらの人形は私が作りました。

お側にいられないので、これを身に着けていてください」


言われると、レイチェルの顔に似ているかも知れないが、それよりも『いつも見てますよ』と書いてあるのが気になる。


「これは?」

「せめてダニエル様のことをいつも見ていられるように念じて縫いました。

大事にしてください」


ニッコリ笑うレイチェルに対して、ダニエルは「もちろんだ。ありがとう」と答えながら、(有り難いが、監視されてるようで嫌だ。袋の中に入れて部屋の隅に置いておこう)と考えた。














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