ダニエルの休日(夜の酒場にて)
ダニエルが下町の混み合った狭い道を歩き、ようやく目的の店に着いたのは、もう夕陽も地平線に落ちようとしている頃だった。
〘ビールエルフ〙と大きく書かれた文字と入口の上に吊るされた箒が目立っている。
店の前で一生懸命に掃除をしているのは、昼に出会ったイングリッドだった。
「あれ、あなたは!」
「奇遇だな。働く場所ってここか。
ここはオレの馴染みの店だ。女将も客も口は悪いが、気は優しい。
直ぐに慣れるよ。困ったことがあれば相談してくれ。」
「ありがとうございます。
やっぱり神様が引き合わせてくれたのですかね。」
店の前で話していると、中から女将が顔を出し、ダニエルを見つけるとがなり立てる。
「久しぶりに声を聞いたと思ったら、早速うちの看板娘を口説こうとは、アンタも変わらないね。
イングリッドの仕事の邪魔をしないで、早く入っておいでよ!」
「女将、久しぶりだ。」
中に入ると、見慣れた顔ぶれが既に始めている。
石工の
「ダニエル、随分ご無沙汰じゃねいか。どこかでおっ死んだのかと思ったぞ。」
「最近、王都も治安が悪くてあちこちで戦ってるからね。
アンタと同じ名前のダニエル様が王都を治めてからはだいぶ良くなったけどね。」
「騎士団は北に出陣したと聞いたが、おめえは行かなくていいのか。
それとも逃げ出してきたか。」
ここでは貧乏騎士のダニエルで通っているので、言いたい放題である。
「オレは騎士団を辞めて、そのダニエル様の軍に入ったんだ。それで暫く南に行って戦争してきてな。
金は溜まったから、今日はオレの奢りだ。まあ、飲んでくれ。」
「へー、それは太っ腹。みんなゴチになるよ!」
女将が上機嫌で叫ぶ。
「奢りといえばこの間のダニエル様の奢りは凄かったな。千人の兵を腹一杯に飲ませたそうだ。」
「王都のエールが尽きたらしいな。酒屋はみなダニエル様々と言ってたぞ。」
「お陰で魚も売り切れて、いい目をさせてもらった。
アンタじゃないダニエル様なら一晩寝てもいいね。」
ビヤ樽のような体格の中年女、魚売りドリスの言葉にみんな噴き出す。
「お前じゃダニエル様がお断りだ。旦那で我慢しておけ。」
「ダニエル様には美人の奥方が国元にいらして、他の女には目もくれないらしいぞ。」
「王都でもダニエル様を狙う女がいっぱいいるが、御本人に会う前に侍女達に撃沈されると聞いたな。」
ダニエルには初耳である。
(そんなにもてているとは知らなかった。イザベルとロレッタめ。ことごとく勝手に断るとは。会わせるくらいしてくれてもいいだろう。)
「アンタ、ダニエル様って噂通りのハンサムなのかい。
表に出られる時は兜や帽子をしていて、わからないんだよ。」
女将が興味津々の様子で聞く。
「いや、下っ端のオレではお会いしたこともないしな。ハンサムってどこから聞いたんだ?」
「アンタは聞いたことないのかい。吟遊詩人があちこちで歌っているじゃない。王都の戦に次いで、メイ侯爵との戦いの歌もあるよ。
ちょうどいいところに来た!」
吟遊詩人が顔を見せる。
「皆さん、一曲いかがですか?」
「ダニエル様の歌を歌ってよ。
お代はダニエルが払ってくれるから。
イングリッド、あんたも聞きたいだろう。」
ダニエルは嫌な予感がしたので、止めたかったが、イングリッドが嬉しそうに、「私、噂しか聞いたことがなかったので楽しみです。ダニエルさん、ありがとうございます。」と言われると断れなかった。
吟遊詩人に金を渡すと、「こんなに頂けるとは。では腕によりをかけて、ダニエル英雄詩を通しで歌います。」と歌い始める。
どんなものかと聞き始めたダニエルは最初我慢していた。
ミラーにすべての責任を負わせて、王と騎士団に花を持たせるのもまあいい。
自分が当代きっての美男子にさせられたのも耐え難きを耐えた。
しかし、オカダやカケフ、バース達の手柄をすべてダニエルの手柄にするのは耐えられなかった。
『騎士団が駆けつけるとともに、悪の権化、ミラーは逃げ出す。
残されたのは傭兵隊長ただ一人。
部下も全滅し、周りを囲まれた彼はここを最期と、ダニエル様に決闘を申し込む。
騎士の誇りをかけて受け入れるはダニエル様。
剣を抜き、走り寄る二人。
目にも止まらぬ速度で斬り合う。
どちらが勝ったのか、固唾を飲む人たちの前で、傭兵隊長は倒れ伏す。
最後にお前のような騎士と戦え、満足だと言い残し〜』
「ちょっと待て。それはウソだろう。
それはオカダという騎士の手柄だ!
ダニエルはそこに居なかったぞ!」
血の婚礼事件の終わりの傭兵隊長との一騎討ちが脚色され、ダニエルが隊長を倒し、お前もミラーの犠牲者だとか気取って言っているのを聞くと、流石に堪忍袋の尾が切れた。
しかし、誰も聞く耳を持たない。
「ダニエル、同名の主君に嫉妬するとはいただけないな。男の嫉妬は見苦しい。自分が頑張るべきだろう。」と諭され、
「この話は王様も認めたそうだよ。アンタもそんなことを言ってないで、少しでも見習って手柄を立てな。」などと慰められ、情けなくなる。
怒る気力もなくなり、吟遊詩人の語るままにメイ侯爵戦も聞くと、ダニエルは王の命で出陣し、その知略に乗せられたメイ侯爵はいいようにやられて、最後に侯爵弟が兄を救うため突撃するが、それもダニエルの手の内で踊らされていたという話になる。
『戦いは終わり、完敗したメイ侯爵は命からがら逃げまどう。兄を救うため、侯爵弟は奇襲をかける。されどそれも名将ダニエル様はお見通し。
ダニエル様の家臣の抵抗により、侯爵弟の手勢は次々と倒れ伏す。
侯爵弟の最後の突撃もダニエル様の従士を一人倒して力尽き、ダニエル様にとどめを刺される。
全てはダニエル様の読み通り〜」
侯爵弟の覚悟や自分の油断の犠牲になったトマソンを思い出し、そんなものでは無いと怒鳴るダニエルを生暖かい目で周りは見る。
「ダニエル、アンタは手柄を立てて、嫁をもらい、一家を立てたいと言ってたね。同名のダニエル様の出世を見せられて、悔しいのはわかるよ。
でも当たり散らすのはどうかと思う。来てくれて嬉しいけど、今日は帰って頭を冷やしたらどう。
アンタらもダニエルが来て嬉しいからと絡み過ぎだよ。謝んな。」
女将の見当違いの慰めが一層惨めな気持ちにさせる。
ダニエルは多めの金を置き、そのまま帰ることとする。
ダニエルも不本意だが、久しぶりにダニエルが来て、はしゃいてた面々もバツが悪そうだ。
「すまんダニエル。戦場で色々あったのだろう。お前の気持ちも考えずにからかいがすぎた。また、来てくれ!」
口々に謝罪する。
腹に一物ない彼らの言葉を気に止めるはずもなく、気にするな、オレも色々と言って悪かった、また来ると言葉を返す。
店を出るところで、女将に「せっかくならこの娘を送っておくれ。」と頼まれ、イングリッドと一緒に帰途に着く。
ダニエルは部下の手柄を横取りして、王都でもてはやされているかと思うと、家臣に顔向け出来ず死にたくなる。
そのまましばらく黙って歩くが、イングリッドが思い切ったように話しかける。
「皆さん、あんなことを言ってましたが、私はどんなハンサムで偉いダニエル様より、誰も見てみぬふりする中、私を助けてくれたダニエルさんの方が好きです。
だから兄さんみたいに、焦って手柄を立てようとして、死んだりしないで欲しい・・」
嘘と盛りまくった英雄詩に落ち込んでいたダニエルはその言葉に救われた気がする。
(少なくともこの娘は虚像のダニエルでなく等身大の自分を見てくれている。)
幼い頃から家族に自分を見てもらえず、今も虚飾に飾られたダニエルは、ありのままの自分を見てほしい。
ダニエルはイングリッドに頼む。
「少し歌を聞いてもらっていいか。」
そして歩きながら昔から歌っていた歌を歌う。
『〜わかっちゃいるんだ妹よ♪
いつかお前の喜ぶような
偉い兄貴になりたくて♪
奮闘努力の甲斐もなく、
今日も涙の、
今日も涙の日が落ちる♪
日が落ちる♪」
騎士団時代の愛唱歌である。
「昔、妹を思いながら歌っていた。いつかは偉くなって兄と認めてもらおうと思って、頑張ったが、ついに関係は修復出来ずに絶縁した。
もうこの歌も関係ないと思っていたが、今日君と会った。
良ければ妹のように思ってもいいか?」
「勿論です!
私はずっと頼りにしていた兄が死んだと聞いて生きる意欲も無くしてました。母がいなければ死んでいたでしょう。今日、ダニエルさんに会えたのは神のお導きです。
だから、偉くならなくていいので生きてください。そしてたまにでもいいから会ってください。」
イングリッドの真摯な言葉が胸に沁みる。
ダニエルはようやく前向きに考えることができるようになる。
イングリッドを家まで送り、屋敷に帰ると、王都でミラーと、またメイ侯爵と戦った家臣を集める。
夜に何事かと緊張して集まる彼らに深々と頭を下げる。
「すまん。気づかなかったが、英雄詩というやつで、お前たちの手柄をオレが横取りしていたようだ。
謝ってもすまないが、気の済むまで殴ってくれ。」
自分の手柄を世間に認めさせてこそ一人前の騎士であり、他人に横取りされるなど以ての外。手柄争いでの決闘や殺し合いも当たり前の世界である。
ダニエルは殺される以外は何をされても我慢しようと思っていたが、しばらくの沈黙の後、みな大笑いする。
腹が攣るほど笑い転げて、カケフがやっと口を開く。
「いつ気づくかと思っていたが、ようやく聞いたのか。俺たちもお前に隠していたが、遅すぎるだろう。
とうにみんな知っていて、大笑いしていたぞ。」
「みなの手柄をオレ一人のもののように言われていて、怒ってないのか?」
ダニエルの問いに再び笑いが起こる。
「ダニエル様がそんな方ではないことはみな承知しています。
それよりも、あの英雄ダニエル様の部下ならば話を聞かせてくださいと女の子にモテる方が嬉しいですよ。」
従士長ラインバックの言葉に全員が頷く。
「お前は俺たちのボス。お前の名誉は俺たち全員の名誉だし、逆も同じこと。つまらないことを気にするな。
それより今晩寝るまでが休日だろう。これから朝まで飲みに行くぞ!」
カケフの号令で屋敷にいた者で飲み屋に雪崩込む。
部下たちと心置きなく朝まで飲み続けたダニエルは、次の日は使い物にならず、クリスから「次の休日は半年後ですかね。」と真顔で言われ、勘弁してくれと泣きつくことになる。
ちなみに後日、この英雄詩が王の指示の下、官房長官トム・プレザンスが作成して王都に流させたことを知ったダニエルは、兵を多数集め、プレザンスの在庁する王政府の庁舎を囲み、御所巻きを行う。
あの詩を冷静によく聞いてみると、王の的確な指示の下、偉大な王の栄光のためにダニエルが奮闘するというストーリーであり、プレゼンスもちゃっかりと、無理解な周囲の反対の中、懸命に王を補佐する役割で出てきている。
(オレを出汁にして、好き勝手なお話を創りやがって!
騎士を舐めるとどうなるか思い知らせてやる!)
ダニエルはどう怒りを表すかを考え、密かに兵を動員する。
その際、兵数を増やすため、同盟関係を結んだ
ダニエル軍の包囲に、王宮や王政府が何事かと大騒ぎになる中、ダニエルはプレザンスを表に引きずり出し、虚偽の詩を作らせ、ダニエルと配下の名誉を傷つけたことを謝罪させる。
もちろん、直接には言わないが、背後で指示した王を強く牽制している。
この御所巻きの一件後、ダニエルは、王の意のままに動く寵臣という印象から、自分の名誉のためなら王にでも刃向かう気骨ある男と思われることとなるが、同時に王や王政府からの警戒レベルも大きく上がることとなり、王は、忠犬が山犬になったと嘆いた。
ただし、この話をアランから聞いたレイチェルからは、一銭の得にもならず、警戒されるだけの無駄な行為だと、叱責の手紙がやってきて、ダニエルは言い訳に頭を痛めることとなる。
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