レイチェルの逆鱗
ダニエル軍の王都大宴会から暫く後、ダニエルが屋敷で書類を見ていると、
「ダニエル、戻ったぞ!」
オカダのでかい声が響く。
「よく帰ってきたな。
頼んだことはやってくれたか?」
「勿論だ。領主がいなくなったとばかりに寄ってきていた山賊や悪党は徹底的に追い詰め、殲滅しておいた。
南方街道も周囲の賊を広範に探索して、よく掃除しておいたぞ。
奥方や配下の女役人からは、土木工事や周辺領主との紛争処理、レオ共和国からここまでの隊商護衛までやらされた。ここにいるほうがよっぽど気楽だ。」
随分こき使われていたようで、タフな男が疲労を顔に滲ませている。
オカダの後ろを見ると、グラバーと隊商、さらにJ教徒のシモンが上機嫌でいる。
「ダニエル様、奥方様はタフネゴシエーターでしたが、上手く交渉をまとめてリオ共和国と貿易に漕ぎ着けました。
荷物はリオから持ってきた舶来物です。関税も関所もない上に護衛まで付けていただき、ありがたい限りです。これは大儲けできそうだ。儲けの半分はダニエル様のものです。
次は戦争ですか。どこへでも物資を運びましょう。これからも良いお付き合いを願います。」
揉み手をしながらグラバーは去ってゆく。
「我らもいい取引が出来ました。ダニエル様、資金のお入用があらばお知らせください。」
シモンもにこやかに笑顔で引き上げる。
上手くいっているのはいいが、自分が命懸けで取ってきた褒賞を使って、彼らが儲かる様は、いいように使われているようでダニエルはあまり面白くない。
彼らが去った後を見ると、バースが顔を見せた。
「あれ、バースには領地の守りを頼んでいただろう!」
とダニエルが八つ当たり気味に叱責すると、バースは書状を出してきた。
「奥方様からこちらをお渡しするようにと。」
パッと広げて中を見ると、レイチェルの端麗な文字が書かれている。
「愛しいダニエル様
ご多忙な中、度々のお手紙をありがとうございます。
王都の状況、弟や伯父からも便りをもらい、概ね承知いたしました。
まずは、領地の心配なく、王命を見事に果たされるよう全力を尽くしてください。
こちらはオカダ殿・バース殿に徹底的に掃除をしてもらい、暫くは治安も大丈夫でしょう。また、度々アレンビー子爵が巡回に来てくれています。
また、お義父さま《ジャニアリー伯爵》もこちらに来られ、ダニエル不在の間、ジャニアリー軍を派遣し、警備させようと仰っていただいています。
このような気遣いもあなたが王都で活躍されているお陰ですわ。
こちらの安全は大丈夫なので、バース殿もそちらで使われるように王都に行かせることにしました。
命じられれば、領民の全てを取り上げてでも私は支援致しますので、勝敗は時の運など言わずに、必勝を期してくださいませ。
・・・・」
(それは、やれることは全部するから、必ず勝ってこいということですか。)
妻の配慮に感謝と強いプレッシャーを感じる。
後は、レオ共和国との貿易の見込みが立ち、グラバー商会とJ教徒と合同での貿易会社の立ち上げ(資本の半分はジューン領主が持つ)、領内での殖産興業の試み、貨幣を浸透させることで南部諸侯の領地を自給自足から貨幣経済に移行させ、ジューン領に経済的に隷属させる策など、レイチェルの政略が報告されている。
さすがはレイチェル、領地経営は順調なようだと読み流すダニエルだが、最後の文に驚愕することになる。
「アランから、後継ぎの問題は至急のことであり、義兄さんに姉さんの認める側室をもたせればどうかと提案がありましたが、いらぬ世話だと言っておきました。
仮にダニエル様が討ち死にし、ジューン領をどこの馬の骨とも知れぬ子供に継がせようとするのであれば、私が手塩にかけた領都アースを灰にして、ダニエル様の後を追いますので心配はいりません。
そういえば、アランとエリーゼの子供ができれば養子も一考しますと伝えてから、アレンビー子爵の巡回に熱が入っています。甥が後継ぎになれば、ジューン領を我が物にと思っていらっしゃるのかしら。
追伸
万が一ですが、ダニエル様がどこかの女と子供を作るのならば、私が気に入った男と子供を作ってもいいですわね。父親ははっきりしませんが、母親は確かですから、私の子供が後継ぎになったほうがいいでしょう。」
側室と後継ぎの話は、ダニエルが嫌がるアランに頼み込んで手紙を書いてもらったのだが、予想以上に逆鱗に触れたようだ。
冷や汗を流すダニエルのところに、アランが蒼い顔をして訪ねてきた。
手に持っている手紙とお互いの顔を見れば、だいたいわかる。
「義弟よ。マズイな。」
「義兄さん、これは激怒してますよ。」
二人は大慌てで相談する。
「弁解の手紙と高いプレゼントでどうだろう。クリスに持って行かせよう。」
「絶対に嫌ですからね!それなら退職します。」
クリスは思わぬ爆弾を落とされ、大声で抗議する。
「義兄さん、無理しても直接行かれたほうがいいと思います。
この怒り方、使者では弁解できないでしょう。」
「ダニエル、馬を全力で走らせれば一昼夜でつくぞ。
それに南方街道に替え馬を置く場所を創ってきたから、試してこい。」
ニヤニヤしてオカダが言う。
「政務なら私がやっておきますから。陛下らの呼び出しには病気だと言っておきます。3日ぐらいなら大丈夫でしょう。」
「軍務は俺がやっておくぞ。国元で嫁さんの機嫌を取ってこい。」
ネルソンもカケフもニヤニヤして声をかける。
「お前らな。この状況で帰ってみろ。
馬で一昼夜飛ばして、着いたら土下座、そのまま子種を搾り取られて、また、馬を飛ばして帰ってくるって、死ぬわ!」
「ダニエル、騎士団でよく言われていただろう。
死にかけると子供ができやすいんだ。
多分、身体がこの個体は危険だ、早く子孫を残さなきゃと思うんだろう。
ちょうど子供を作るのにいい状況だ。行ってこい。」
反論するダニエルに、カケフが覆いかぶせるように言い含める。
皆で、嫌がるダニエルに有無を言わせず、馬に乗せ、旅支度をさせる。
「クリス、君も付いていくんだよ。護衛なしという訳にはいかないからね。
義兄さんを逃がさず、必ず姉さんのところに送り届けるように。
では、義兄さん、姉さんによろしく。
くれぐれも僕が発案したのではないと言っておいてください。
それから、僕とエリーゼの子供は平凡でも幸せになってもらいたいので、養子の件はお断りしますとも伝えてください。
では、良い旅を。」
アランはそう言うと、ダニエルの馬を棒で叩き、出発させる。
「上手く仲直りするといいんだけど。」
というアランにバースが言う。
「なんだかんだ言って、奥方様はダニエル様がいなくなって寂しがっていましたから、顔を見れば怒りはなくなるでしょう。」
「あとはベッドで頑張れば、機嫌も良くなるさ。」
カケフの言葉に皆大笑いして、仕事に戻る。
まだ帽子になれないダニエルの穴を埋めるため、彼らにはやることはたくさんあった。
アランが屋敷に戻るとエリーゼが出迎える。
「ダニエル様とは話が着いたの?」
「嫌がっていたけど、姉さんのところに行ってもらったよ。
養子の件も断った。」
「私は養子に出してもいいと思うけどね。私達の子供が諸侯とか素敵じゃない。うちの
「あんなに苦労している義兄さんを見ると、我が子をその待遇に送り込むのはちょっとどうかと思うよ。
僕も史上最年少の財務官とか義兄の七光りと嫌味を言われ、胃が痛くなる思いをしているのだから、人間、身の丈に合った出世がいいと思うけどなあ。」
「だから、あなたは胸を張って、悔しければ七光りできる親族を捕まえてきたらどうですかと言えばいいのに。私はあなたが出世したのは実力があったからだと思ってるわよ。
それと、諸侯の苦労は人によるでしょう。お義姉さんは諸侯の妻となって領地を切り回し、とても楽しそうよ。」
アランは妻の言葉に溜息をつきながら答える。
「本当に君は姉さんに似ているね。僕よりも本当の兄弟のようだ。
まあ、仮定の話をしても仕方ない。多分義兄さんも姉さんも元気だし、直ぐに子供ができるよ。」
「そうね。我が家も負けずに頑張らないとね。」
いい雰囲気のところに、伯父のモリス式部官が入ってくる。
「若夫婦がイチャついているところを申し訳ない。至急のことだ。
陛下が、イオ教団保護下の神人ギルドに、王の供御人として王政府の下に入り、物納と上納金を納めるように指示を出した。
また、王都の土地の所有権は王家にあるのだが、現状では教団や貴族は王政府から借りた土地を自分の土地とみなして、又貸しして収益を上げている。
それを教団などから没収して、改めて王政府からの貸し出しとし、その収益を取り上げる。
最後に、イオ宗とお気に入りのエウロパ宗の僧侶が街中で揉めたことを捉えて、公開宗論を行うそうだ。
陛下自ら臨席すると言われており、勝敗はみえている。多分、イオ宗に大恥をかかせるのだろう。」
「伯父さん、経済的権益を取り上げ、メンツも潰されればイオ宗は立ち上がりますよ。
陛下もこの時期に激しい挑発に出られましたね。
イオ宗の後ろ盾はセプテンバー辺境伯、確か大司教の位を貰っていたはず。
北方の戦いが、セプテンバー辺境伯に有利な形で終結すれば逆襲されますよ。」
「そこは騎士団が勝つと見込んでおられて、導火線に火をつけるのだろうが、想定を超えた大火事にならなければいいが。
陛下としても博奕だが、火消しをさせられるダニエル殿もいきなりではたまったものではなかろう。
更に、我らの問題はそれだけではない。税収や上納金は財務部、宗教関係は宮内部の管轄であるのに、この策は法務部と内務部で献策し、実行も奴らが仕切っている!
奴らの権限である王都行政で攻め込んでいたことを恨んでいたからな。用意周到に逆襲に出てきたのだろう。
更に、陛下からは、財務部に酒や奢侈品の課税を行えとの指示も出ると聞いたぞ。
いよいよ本格的に戦費を調達する考えのようだが、拙速すぎる。
本来、新税はどんな反発があるかわからないので、王政府内での慎重な検討が必要だが、陛下の一声で決定だ。
対外問題、王都の内政、王政府内闘争いずれでも、急ぎダニエル殿と相談する必要がある。呼んできてくれないか。」
「駄目です!義兄さんは姉さんのところに出発したばかりです。」
アランから理由を聞いたモリス卿はため息をつく。
「それは間が悪い。
しかし、あのレイチェルが嫉妬するとはな。鼻で笑って、妾でも何でも持てばいいでしょう、ただし子供は私が育てますからくらい言いそうだが。
よほどダニエル殿と相性が良かったのだろう。」
そして腰を上げながら、
「仲の良いのはいいことだが、ダニエル殿は帰ってきたら大車輪で働いてもらわなければならんな。
その間、我らでできることをしておこう。
私はマーチ宰相と相談してくる。」と言って去っていく。
「では、僕が、ジューン家の家中に臨戦態勢に入るよう言っておかないと。
あぁ、新税をやるなら財務部は大忙し。どの財務官の担当になるかしら。
エリーゼ、僕が担当することになったら暫く家に帰れないと思うよ。」
エリーゼは目を輝かせて言う。
「じゃあ、担当財務官は決まっていないのね。
アラン、あなた、進んで手を挙げなさい!
最年少財務官が七光りでなく、実力であることを見せてやるのよ!
私も一緒に手伝うわ。」
妻にそう言われてアランもやる気になってきた。
(どうせ放っておいても新米の僕に押し付けられる。そのくらいなら立候補して、陰口を叩いていた奴らに目に物見せてやる。幸い王都の商業地域は義兄さんが掌握している。協力してもらえればなんとかなるだろう。)
「ありがとう、エリーゼ。やってみるよ。
君が妻で本当に良かったよ。」
アランは、突然の大仕事にも、あくまで前向きな妻の言葉に励まされて元気を出す。同時に、絞られてようやく帰ってきたダニエルがこちらでも仕事に追われる中、更に仕事を持っていくことを申し訳なく思い、せめて姉の怒りが早く収まるように祈った。
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