ダニエルの休日(午前)

 オカダが帰ってくる前、ダニエルの屋敷兼奉行所は喧騒を極めていた。


 新旧ギルドの紛争調停、商工業者の陳情対処、街で暴れた不良騎士の連行など王都の行政や司法に加えて、軍の兵站準備や作戦立案などの軍務の処理、更にジューン領からの隊商など南方を往来する商人もここを訪ねてきて、顔を売り、保護を頼み、付け届けを置いていく。


 屋敷は失脚した高位貴族の広大な邸宅を拝領したものだが、典雅に仕立てられていた庭は直ぐに潰し、実務一辺倒の殺風景な建物を相当に拡張していたが、すでに手狭となっていた。

 ダニエルと家臣は、多大な業務を分担して処理することとし、第1班が民政・訴訟担当、第2班が王都警備担当、第3班が商工業・貿易担当、第4班が軍務担当、第5班が財政・資金担当となっている。第1~3班は内政組として、ネルソンをヘッドとして、その下に王政府から引っこ抜いたゲールをジューン領から呼び戻し補佐させる。

 第4班はカケフ・オカダ・バースに任せた。


 問題は第5班であった。金庫番になる者は、絶対的に信頼が置け、かつ明晰な頭脳が必要である。適任者が思い浮かばないダニエルが、財政を握るレイチェルに相談すると、アランを使えとのことであった。


 アランは、姉の命により、王政府での仕事に加えて、帰宅後にダニエルの王都での財政も担当することになった。

 妻のエリーゼも手伝ったが、さすがに業務量の多さに悲鳴をあげたため、レイチェルの特訓を受けたクリス・イザベラ夫妻も手伝うこととする。


 しかし、収入は、公式の王政府からの俸給や手当などに加えて、王都警備に付随する犯罪人の財産没収や罰金の徴収、合同商社の利益、更にギルドや商工業者、町方からの付届け、すり寄ってきた貴族や豪商、賤民、J教徒からの献金など出所が出せない金もある。

 支出も、王都行政に係るものから、武器・兵站、兵士の給料、合同商社への投資、王族や高官への献金、派閥の要員への小遣いの支給など多岐にわたり、それらを細部まで誤りなくレイチェルへ報告し、その指示の下、資金の送金や受け入れを国元と行う。

 最後は、レイチェルとアランで決定するとはいえ、膨大な事務作業を整理し、仕切る人間が必要であった。


 頭を痛めたダニエルが試しに新規採用のミッツーにやらせてみると、苦もなく整理したため、彼にやらせたものをアラン達でチェックし、承認することとする。幸いミッツーは生真面目で忠誠心も高い若者であり、これなら大丈夫だろうと皆の意見が一致した。


 他の少年たち《小姓》も優秀であり、各班の担当となり、業務に奔走する。

 これらの表舞台の仕事のほかにも、王や王政府、政界への工作、王国内の情報収集・分析など裏の仕事も多い。ヒヨシが窓口となるが、ダニエルが考え、決定しなければならない。


 ダニエルは、地方行政から司法、産業振興、防衛、商社運営、王宮工作まで統率する存在であり、細部は部下に任せられたが、方針の策定や大きな問題については裁定を求めるため、分単位で仕事が埋まっていた。

 更に、王やマーチ侯爵からの呼び出しがあれば、すぐに対応しなければならない。


 この日も、ダニエルのいる部屋は、日が沈む頃になっても小姓たちが山のような書類を持って決裁を待っていた。


「クリス、今日の仕事は何時くらいに終わりそうだ。」

ダニエルは、食事をとる時間もないため、料理人がパンに具材を挟んで食べられるようにしたものを口にしながら、秘書役のクリスに尋ねる。


 ちなみに、パンに具材を挟んだものは、ダニエルの屋敷でそれを見た者が真似をし、王都に広がることとなるが、ダニエルと料理人のサンドイッチの名を合体させて、ダニエリッチと名付けられることとなる。

 なお、ダニエルは、自らの屋敷で、オカダがダニエリッチを食べながらカードゲームをしていたのを見て、「それは仕事のためのものだ!ふざけるな!」と激怒し、以後、仕事で手を離せない者のみの食べ物に限定するように決めた。


「まあ、日が変わる頃には終わるのではないですか?」

クリスの答えに、ダニエルは顔を歪める。


「毎日これではやってられん!だいたい王都に来てから休んだ覚えがない。

お前たちは交代で休んでいるだろう。オレも明日は休みを取る!」


「ダニエル様が休んでない以上、私だって休んでないですよ。オマケにイザベルからは王都に来たのにどこにも連れて行ってくれないと怒られてますし、私のほうが劣悪な環境です。

 それでは明日の分も今晩やってしまい、明日は休みとしましょうか。」


 ちなみにイザベルと従士長ラインバックの妻のロレッタは、王都屋敷の侍女長と補佐として奥向きを切り回すとともに、レイチェルの命を受けて、ダニエルに虫がつかないように夫ともども見張りをしている。


さて、クリスの答えに、側に控える小姓たちの顔色が変わる。


「明日やるはずだった仕事の予定を繰り上げなければ!」

「大至急あの書類を作らないと!」


 小姓たちが走り去り、屋敷中が大騒ぎとなる。


「これは徹夜になりますな。明日しようと思っていたことを今晩とは、ダニエル様は鬼と言われていますよ。

 まあ、たまには主君は無理を言うものだと解らせておいた方がいいでしょう。」

ネルソンが呟く。


(えっ、オレが一日休み取ることがそんなに無理なことなのか?)

ダニエルは内心悪いことをしたかのような気がするが、たまには一日ぐらい休みをとってもいいだろうと思いなおす。


明け方、空が白々してくる頃、ようやく仕事が終わる。


疲弊した顔のクリスが言う。

「これが最後の書類です。ではダニエル様、ゆっくりと休日をお楽しみください。

ちなみに私は少し寝たら、妻とショッピングに行くこととなってます。

私も休みが欲しいです・・・」


「クリス、頑張れ。

お前の分も楽しんできてやる!」


やれやれとベットで寝入ってしばらくすると

カケフがやってくる。


「休みだってな、ダニエル! 遠乗りに行こうぜ!」


 それを聞くと、ダニエルは飛び起きた。

「遠乗りか。そういえば陛下から王家の狩場を使っていいと許可をもらっていた。手すきの者をあつめて狩をしよう。」


 近くにいた従士や小姓を集めて、馬で駆けていく。

「さすがは王家の狩場。獲物が多いな。

皆で誰が大物を獲れるか競うぞ!」


そこに森番がやってきて、ここは王家の狩猟場だ、何者たりともここでの狩りは禁じられていると宣い、ダニエルが、王の許可を得ていることと自分の名を名乗っても、そんなことは聞いていないと言う。


(これは、賄賂を寄こせと強請っているのか。)


 森番が、森の管理を任されているのをいいことに森林資源を着服したり、民衆に無理難題を言って強請ったりすることは聞いていたが、まさか王都の警備を預かる自分にまで仕掛けるとは思わなかった。


 普段なら事なかれ主義を発揮し、適当な金を握らせていたであろうが、せっかくの休日の出だしを邪魔され、ダニエルは腹が立った。


「何か人語のようなものを話す熊がいるようだ。みな、こいつを生け捕りにせよ。」

ダニエルの一言で、主君に対する無礼な態度に頭に来ていた家臣は一斉に襲い掛かり、森番を縛り上げる。


「こいつは木に縛っておけ。運が良ければ誰か発見してくれるだろう。

運が悪ければ、夜になってオオカミやクマが来て、始末してくれる。」


森番の今までの行動から、村人たちに見つけられても助けてくれるか可能性は低い。今になって、とんでもない男から強請をしようとしたことを後悔した。


「さて、気を取り直して、狩りを始めるぞ!」


 しばらく後に集合し、獲物を持ち合う。

大きな猪を仕留めたカケフ、大鹿を獲ったガモーが一二となり、ダニエルのポケットマネーから賞金を得る。

 ダニエルはウサギとカモを仕留め、まずまずだ。


 捌いて料理するのを連れてきた料理人に任せて、ダニエル達は、近くのパン屋の窯上でのサウナに入る。

「ひと汗流して、サウナは最高だな。」

「この後のエールが一番じゃないか。」


サウナ後には、出来立てのパンを買い、ちょうど焼けた肉とエールで乾杯する。


 誰の弓がうまい、あの獲物は惜しかったなどと騒ぎ、腹が満たされると、解散となり、仕事に戻る。


 皆が仕事に行くのを見ながら、貧乏騎士時代の小汚い服装と顔を隠す鍔広帽に着替えたダニエルは上機嫌で言う。

「それでは労働者諸君、労働に励んでくれ給え!」


「ダニエル、俺たちの仕事は明日お前のところに行くからな。一日だけの休みをせいぜい楽しんでくれ!」

 カケフの嫌味も気にせず、ダニエルは王都の中心街に出かける。


(まずは、剣士の試合でも見に行き、その後は街をぶらつきながら、歌劇を観劇して、居酒屋か。楽しみだ!)


 剣士の試合は、前ほど面白くはなかった。

実戦を経験すると、見栄え良くするための剣技のわざとらしさが目につく。

また、自分が手にかけた騎士のことも思い出す。


 試合場を出ると、ジプシーや河原者たちがあちこちで芸を見せている。考えると今日は祝日のようで、人出が多い。ダニエルのスケジュールにカレンダーは関係ないため気がつかなかった。

 ダニエルはブラブラとそれらを見ながら、多めにおひねりをを入れてやる。

 幼い時から王都で騎士団暮らしだったダニエルはこの辺りを隅々まで知っている、慣れた場所だ。


 広場では説教師が神の教えを説いている。

その反対側では、魚売り女が罵っているのか売り込みをしているのかわからないような口汚さで怒鳴っている。

花売り娘や水売りが愛想を振りまきながら、呼び込みをする一方、子供の煙突掃除人や放浪学生が小突かれながら重い足取りで歩いている。


(相変わらずの風景だな。オレが何かしてもしなくてもここは変わらない。)


 そんな感慨に耽っている中、所々に赤い装備をしたダニエル配下の警備隊が巡回するのが見える。

 新興の盛り場では、以前よりも新しい店や商品も増えている。まだジューン領の産物はないが、南方からの品々が盛んに売られているのを見て、ダニエルは上々の滑り出しだと喜ぶ。


 その辺りでは大手のグラバー商会は一際人だかりがしている。

覗いてみると、『現金掛け値なし 切り売りあり』との大きな看板を立てている。

 貴族を相手にするのでなく、興隆しつつある庶民をターゲットに、掛け売りをやめ、現金で格安販売を行なっているようだ。

 一方、昔からの大店の通りは少し寂れたようだ。


(騎士団にいた頃は金は無かったが、ぶらつく時間だけはいくらでもあったな。

 今や千金出しても、一人だけの一日の休みも取れやしない。無い物ねだりしても仕方ないが、昔が懐かしい。)


 ダニエルは周囲に何人もの護衛が隠れてついてきていることを察知していた。

 多分、クリスが手練れの従士を付けているのと、今ダニエルに死なれては困るリバー検非違使長あたりが見張らせているのだろう。ダニエルがどこにいて、何をしているかは筒抜けだ。

 しかし、既に何度か暗殺を仕掛けられており、一人になれないことにはダニエルは諦めの境地である。


 暗殺の依頼人には心当たりが多すぎるが、賤民たちやリバーに洗い出しを依頼し、わかれば王に断った上で、依頼人を捕らえ、斬首とし、一家を追放している。

その際に財産は没収し、懐に入れているので、ダニエルとしては暗殺者が現れれば金に見えるようなものであった。


(護衛は仕方ないが、せめてわからないようについてきてほしいものだ。)

と思いながら、歩いていくと、少女の「やめてください。」と叫ぶ声が聞こえた。



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