ダニエル機関説

 次の朝、深酒で眠っていたダニエルは、クリスに起こされる。


「ダニエル様、早く起きてください。使者を出していたJ教徒のシモンが来ています。」


「借金の話だ。よし会おう。」

ダニエルは、ジーナの子供のことは当面、棚に上げ、目先の金策を急ぐことにした。


「シモン、用件は手紙に書いたとおりだ。予想外に戦費が必要になりそうだ。いずれ金は入ってくる目算はあるが、当座の金を用立ててもらえないか。」


「ダニエル様、J教会最高会議で話し合いました。ダニエル様がこの協定にサインいただければ必要な額をお貸出しいたします。」


差し出された紙を見る。


【ダニエル卿とJ教会最高会議との協定


・J教徒の金融業者でシンジゲートを作り、ダニエルに必要な金額の融資を行う。その際、無担保及び無利息とする。

・ダニエルはジューン領においてJ教徒を全力で保護する。

ただし、そのために必要な費用はJ教会において負担する。

・この協定はダニエルの後継者であるジューン領主に受け継がれる。】

とある。


 あくまでギブ&テイクの内容は、通常の領主であれば、異教徒の分際でJ教徒が誰にものを言っているのだと激怒することが必定であるが、身分意識が薄く、これで金の当てができると安心できたダニエルは同意する。


「よかろう。これにサインすれば、まずは当面の融資をしてくれるのだな。」


「そうですが、昨日の除目を聞き、もう一つ提案があります。ダニエル様が一手に握ったリオ共和国との貿易にJ教徒も一枚噛みたいのです。グラバー商会が手を伸ばしていることは聞いておりますが、彼等も急成長した会社であり、資本には不足しているはず。

 ダニエル様は権力と武力を、グラバー商会は実務を、我らは資本を出し、利益は3分割するのはいかがでしょうか。」


「興味深い話だが、そちらは妻≪レイチェル≫に任せている。国元に行って相談するがよい。」


「では、ダニエル様から相談する許可を頂いたとして、奥方様と話し合いをさせて頂きます。」


 話はそこで終わり、ダニエルはサインと引き換えにJ教徒の銀行を支払人として手形を振り出せることとなり、当座の戦にあたっての戦費は心配なくなった。


 少し気が楽になったダニエルは、協定の最後の項目を見て、「気が早いな。まだまだ領主を譲れる相手もいないし、頑張るつもりだが、オレが戦死したらお前たちは丸損だな。」と軽口を叩く。


 すると、シモンは少し考え、難しい顔をして話しだした。


「いえ、ダニエル様。J教徒は散々王族や諸侯に騙されてきましたから、契約には用心しております。この話をお受けしたのも、ダニエル様に後継者ができ、ジューン領が続くという情報を得たからです。」


 ダニエルは、それを聞いて、ジーナの子供のことかと思い当たり、心底腹が立った。

「貴様!何を知っている!」


「何も。ただ、ヘブラリー家からダニエル様のお子が生まれたと王政府に届けがあったことは聞きました。」


「ヘブラリー家、勝手なことを!そんなものは認めん!」


「とは言え、ダニエル様とヘブラリー家のお嬢様は正式な結婚をされ、その奥様から生まれた子である以上、ダニエル様の跡継ぎとみなすのは当然かと。

 なお、付け加えれば、ダニエル様を支援しようという申し出が最近ありませんでしたか。それはジューン領に関わることではなかったでしょうか。」


(そう言えば、リバーやサムソンが、スラム出身者や賤民をジューン領で保護しろと言ってきたな。おまけに最後に跡継ぎのことまで匂わせて。奴ら、知っていたのか。)


 彼らにとってせっかくのアジールが、ダニエルが死んだ途端に消滅するのが困ることはわかるが、よりによって、あの兄と馬鹿女≪ジーナ≫の子供に自分とレイチェルが必死になって作り上げているものを渡すなどあり得ない。


 怒りのあまり、真っ赤になるダニエルを見て、シモンは気の毒そうに言う。


「ダニエル様、我々も多少は事情を承知しておりますし、なるだけダニエル様の意向に沿いたいと考えております。

 しかし、今まで散々踏みつけられていたJ教徒の安らぎの地の確保のためであれば、我々はなんでもするでしょう。

 ダニエル様には、お早くお子を作られるよう、お祈り申し上げます。」


「お前たちJ教徒はそういう詐欺まがいのことをするから、シークスピアに『ベースの商人』など書かれるのだ!

 このやり口、まさにシャイロックだな。」


吐き捨てるように言うダニエルに、シモンは反論する。


「あの作品は駄作です。契約書に森羅万象を書くなどありえません。心臓を取れば血は流れるのは誰もが知ること。あの裁判長はペテン師であり、それに屈するシャイロックはJ教徒の風上にも置けません。」


「オレはこの協定書を破り、お前たちから金だけとって、J教徒を領地から追い出すこともできるのだぞ。」


「その時は已むをえません。我々の眼鏡違いだったということで、泣き寝入りし、J教徒の長い歴史の一コマとして、こういう領主がいたと語り継ぐのみ。」


ここまで言い切られ、多少はダニエルの頭も冷えた。

「そこまで覚悟しているなら仕方ない。しかし、オレは絶対にアイツの子供など跡継ぎにしない。それだけは覚えておけ。」


「もちろん、我々はジューン領さえ続いてもらえれば何の問題もありません。

ダニエル様とは今後も手を携え、お付き合いさせていただきたいと考えております。」


と言って、シモンは去っていった。


 なおも腹が立って仕方がないダニエルに、隣で聞いていたクリスが話しかける。


「ダニエル様のお気持ちは良くわかります。

しかし、彼らにとってはダニエル様以上にジューン領の存続が必要ということです。王機関説を習われたではありませんか。」


 王機関説とは、王も国家の一機関に過ぎず、軍人や貴族は、王個人でなく国家の存続を優先すべきという学説である。

 なお、現王はこの説を嫌悪し、王権神授説を唱えるが、あまり浸透していない。


クリスは話を続ける。

「ジューン領が成立した以上、組織としての動きをします。もはやダニエル様=ジューン領ではありません。

 それをいかにコントロールするかが領主の力量かと存じます。

最も、私はダニエル様の命令が全てに優先しますが。」


 自分の分身ともいうべき乳兄弟クリスの言葉に、ダニエルはようやく冷静に事態を考えることができた。


「兄貴とジーナの子供を殺してやろうと思ったが、オレが子殺しの汚名を負うだけ。無駄なことをする前にレイチェルとの子作りに励むか。

 いや、なかなか国元にも戻れないならば、レイチェルに側室を認めて貰えばいいか。

 クリス、上手く頼んでくれないか。」


「絶対にお断りします!

あの奥様にそんなことを頼めるわけはないでしょう。

ご自分でお頼みください。」


「お前、さっきはオレの命令に従うと言っただろう。」

「あれは言葉の綾というものです。」


 とりあえず頭を切り替え、朝食でも食べるかと、伸びをするダニエルのところに部下が入室し、ヒヨシが報告する。


「ダニエル様への面会希望者が列をなしています。」


 宿舎の2階から見ると、役人、商人、騎士様々な男たちがガヤガヤと群れている。


「何だ奴らは。」


ダニエルに対して、ネルソンが答えた。


「おそらくは陳情や猟官ですな。ダニエル様が顕職に着き、王とのパイプを持っていることを知った者たちが頼み事をしに来ているのでしょう。」


「会わないとダメだろうか?」


「相手によりますが、自分の力を見せつけて影響力を誇示するのは権力者の常道です。少なくとも有力者とは会うべきでしょう。彼らは既存の権力構造が崩れたため、新たな保護者を見つけるのに必死なのです。」


(オレでなくとも有力者ならいいのだろうな。ここでも一つの機関として期待されているだけか。)


ダニエルは溜息をつき、ネルソンとヒヨシで面会すべき人物かを選別するよう命じる。


選別された最初の面会者は、王都有数の大商人達である。

「ダニエル様、王都副司令官就任おめでとうございます。

早速ですが、王都商業地区の治安維持をお願いします。」


「それは衛士の仕事だろう。」


「衛士の多くがダニエル様に殺され、治安能力が落ちるとともに、悪党・盗賊・没落騎士など様々な者が王都に流入し、治安が悪化しています。今の衛士は王宮や貴族の住宅街の警護で手一杯。商業地区や平民の住居は形だけの取り締まりです。

 王政府に警備を頼んだら、アルバート親王様が請け負い、出してきた親衛隊というのが柄が悪く、恐喝、暴行を自分達が行っています。

 ダニエル様の役職は王都の治安維持。是非にお願いいたします。」


「いや、陛下からは何かあれば王都を守れとしか言われていない。商人たちの保護まで任務外だ。」


「ダニエル様、これをどうぞ。」

商人たちは従者に運ばせていた布袋をクリスに渡す。


クリスから渡されたダニエルが中を見ると、多額の金貨が入っている。

「これは?」

「無料とは申しません。これまで衛士に渡していたお手間代をお渡しするので、皆さんの酒代にしてください。」


 酒代と言うには多すぎる額だ。当面の軍の維持費になる。


「更に、騎士団にやってもらっていた王都の外への隊商への護衛もお願いします。こちらは個別の商人からその都度お礼をお出しします。

 騎士団では副団長様が仕切りをされておりましたが、ダニエル様とお話すればよろしゅうございますか?」


そう言われてダニエルは気づくことがあった。

(騎士団時代に、副団長から時々巡回ルートと同行する商人の指定があったな。警護みたいだと思ったが、こういうカラクリか。

 騎士団員への装備や酒代など騎士団長の給与では賄えないほどの支出をこれで生み出していたのか。

 オレの貰った金塊の出所もこれだな。)


 なるほど、アランに役職手当が安すぎるとボヤいたときに、苦笑いして、「そのうちわかりますよ。」と言われたのは、こういう役得があるということだったのか。

 俸給など目じゃないくらいに裏の手当てがあるとは、おいしい家職を取り上げられた連中が怒るわけだと分析しながら、目先の問題に思考を移す。


(騎士団の仕事を不在の間に受けるのはともかく、王都内まで手を出して、法務部や親王配下の親衛隊と揉めるのは面倒だ。)


ダニエルが迷っているところに、止めるヒヨシを振り切って若い女が入っている。確か、何回か誘いに来たシンシアに付いてきた、娼館の女の子だ。


「ダニエル様、お嬢様シンシアが直ぐに助けに来てくださいと!

親衛隊を名乗るならず者が店に乱入してきて、お嬢様に相手をしろと強要しています!」


「高官も利用する高級娼館に暴れこむほどの無茶をするのは、アイツだろう。」

カケフが言う。


「知っているのか?」


「ダック・セリーザ。田舎の没落騎士の出身だが、うまくアルバート親王に取り入り、親衛隊の頭取とか名乗り、暴れ回っているゴロツキだ。レスラーの集団と喧嘩して切りまくったとか、金を強請って応じない商家を放火するとか、借金の催促に来た商人の妾を手籠めにするとかメチャクチャな話を聞いた。」


「そうです。その方に強請られて酷い目にあわされています!取り締るはずの方が一番暴れているのです。なんとかしてください。」

商人たちが口を揃えて言う。


 躊躇っていたダニエルも、さすがに民の保護をいつも言われてきた騎士団出身としては、ここまで聞くと放ってはいけない気がしてきた。おまけに助けを求めているのは知り合いである。


(まあ、いいか。あんな嫌な話を聞かされた後だ。気分の発散にひと暴れして、それから考えよう。)


「おいっ! 

喧嘩に行くぞ。運動したい奴は着いてこい!」


 ダニエルはカケフ以下居合わせた騎士や従士を連れて、店の女に案内させて出かける。


「早くしてください!お嬢様が危ないのですよ!

かよわい女の身で、脅されて泣いていらっしゃいます。」


(アイツなら平気だろう。)

と思いながら、急かされ、店に到着する。


そこでは、娼館らしいきらびやかな店構えを十数人もの男が刀や槍で荒らし回し、その後ろで巨体の男が酒を飲みながら、叫んでいる。


「女将、シンシア、早く相手をしないと店が全壊するぞ。それとも火をかけてやろうか。

はっはっは」


 民衆が遠巻きに恐る恐る眺める中、ズカズカと近づいたダニエルは、ものも言わずに、いきなり男を殴りつけた。


「貴様、俺を親衛隊頭取、ダック・セリーザと知ってたことか!」


「ごたくはいいから、かかって来い!」


 ダニエルは、ダックと組み合う。田舎騎士がと馬鹿にしていたが、なかなか歯ごたえがある。少しはダニエルを楽しませてくれたが、所詮は騎士団で鍛えたダニエルと我流でお山の大将だったダックではものが違った。


 まもなくダックの巨体を組み伏せ、従士に縛り上げさせる。

「もの足らんな。」

次の相手を探すが、皆、家臣に組み伏せられていた。


「ダニエル様、多少は気分が晴れましたか?

これで王都の治安維持も請け負うことになりましたね。」

クリスが隣に来て言う。


気が付くと、周囲の民衆は、「これからはダニエル様が守っていただけるそうだ。」

「ありがたい。これで安心して暮らせる。」

などとガヤガヤ話しており、挙句に「ダニエル様、ジューン軍万歳」などと言い始める始末だった。


(これは逃げられないな。

 しかし、王都警備の責任部局の法務部や、その代わりを買って出たアルバート親王になんと言うか。頭が痛い。)


 ネルソンが側に来て、言う。

「早速、私のアドバイスどおり、誰が力を持っているのかを満座の前で示されましたな。これで王都の民衆は誰を頼りにすべきかよくわかったでしょう。

 お見事です。ダニエル様。」


いや、そんなつもりはなかった、気分で行動するのでなかったと反省するダニエルにクリスが追撃する。


「ここで殴り合いをしていたのは機関としてのダニエル様でなく、個人のダニエル様でしたね。気分がいいかもしれませんが、後ろから矢が飛んでいたら、ジューン領は終わりでした。

 このことは奥様にもお話しますが、喧嘩で命を危険にさらすなどおよそ領主のすることではありません。よく反省してください。

シンシアのことも言わなければなりませんね。」


 向こうから「さすがは私が見込んだ男だわ!」と満面の笑顔で飛び込んでくるシンシアを見ながら、ダニエルは、またこいつに嵌められたかと嘆いた。







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